執務室の二人

 コンコン、とノックされる。まだ朝食前だ。水汲みから戻ってきたウィストだろう。


「おーい、ノール、いるか?」


 俺は黙って扉を開ける。

 ウィストは、俺を気難しい子供だと思っている。一人きりになりたい、という時に邪魔すると、何をしでかすかわからない奴なんだ、と。まあ確かに、読書の邪魔をされるのは気分がよくないし、そう認識されていたほうが、いろいろやりやすい。


「じゃあ、いってくるからよ。……何か、欲しいお土産とかあるか?」


 そう、今日はオークション前のお出かけの日だ。ミルークは、もうすぐ売れるかもしれない子供達に、外出の機会を与えている。もちろん、自由に歩かせるのではなく、一定の範囲での行動を許すだけだ。なにせ六歳前後の子供なのだから、目の届くところか、よほど治安のいい場所にしか連れて行けない。

 さてはて、こういう機会を設ける目的は、どこにあるのだろうか?


「特にないよ。お小遣い、もらえるんでしょ? 自分のために使えば」

「いやぁ、それがさ」


 ウィストは、居心地悪そうに頭をかいた。


「俺、四回目なんだよね」

「街に行くのが?」

「いや、それは二回目だけどさぁ」


 ウィストも、この二年間で随分と育った。俺より一つ年上の彼は、ますます大人びてきた。と同時に、サボり癖もますますひどくなった。それでいて、要領はいいし、物覚えもいいから、逆に始末が悪い。

 人間、生き様が表情に出るものだ。既にして、軽妙洒脱の風情を醸し出すこの少年、見る人が見れば、その素質に期待するだろう。だが、勤勉かつ忠実な美少年を求める貴族達には、評価されづらい。

 おかげで彼は、過去三回のオークションで、いずれもミルークが納得する最低価格にも届かず、お流れになってしまっている。


「要するに、きついんだわ、遊ばせてもらうのが」

「なるほどね」


 オークション前のお出かけは、プレッシャーになる、か。表向きは、ここを去る前の最後の思い出作り、奴隷商人なりの良心に見えて、実のところは、当の本人達に自覚を促すための機会とする。やっぱり、ミルークはミルークだ。一人頭、銅貨六枚。この程度の出費でやる気を引き出せるなら、安いものだ。

 ちなみに、銅貨六枚あれば、子供のレベルでいえば、結構遊べる。屋台の安い飯なら銅貨三枚もあれば満腹するまで食えるし、駄菓子のようなものは、だいたい銅貨一枚程度だ。ちょっとした玩具なら銅貨一枚から、四、五枚程度まで、いろいろある。


「でも、メリハリだよ、ウィスト」

「お、いいこと言うね」

「遊ぶ時はしっかり遊んで、後腐れを残さない。やるべき時にはきっちり仕事をこなして、これも持ち帰りはしない」

「そうそう、そうだよな!」

「だから」


 俺はじっとウィストの目を見る。


「……普段からの怠け癖を改めれば、少しはよくなる、と思う……」

「ぐっ!」


 ウィストは、苦しそうに胸を押さえてみせる。


「そこさえなければ、ウィストに欠点はないと思うんだけど」

「お前、容赦ないな」

「継続は力なり、だ」

「それ、どこの言葉だよ?」

「……僕の故郷、かな?」


 出入り口で喋っているうちに、カポカポと、馬の轡の音が聞こえてきた。そろそろ馬車の準備が整う頃だ。


「やべっ、それじゃ俺、行ってくるわ」

「うん、楽しんできてよ」


 手を振りながら、ウィストは階段に向かって走り出す。


 ジュサの引率で、一行が出発する。ドナも、ディーも、コヴォルも一緒だ。

 一方、ドロルとタマリアは、同行しない。彼らはもう、オークションで売られる商品ではないからだ。これはこれで、きつい気がする。もうお前には期待していない。そう告げているに等しいのだ。タマリアはケロッとしているが、ドロルは最近、かなり弱っている。知力では俺に、腕力でもコヴォルにと、年下に負けているので、いつぞやのウィカクスのように、奴隷頭の地位を振りかざすこともできない。


 馬車を見送った後、俺はいつもの通り、執務室に向かう。厳重な鉄格子が間を塞いでいるが、俺が通るので、この時間だけは鍵がかかっていない。もちろん俺は、自分が通った後、ちゃんと鍵をかけるのだが。

 ただ、開けっ放しにしておくのもなんなので、ミルークは近々、俺に鍵を持たせるつもりらしい。いいのだろうか、奴隷に出口への鍵なんて持たせて。


「来たか」


 応接室に比べれば、一段、調度品の質は落ちるが、それでも奴隷用の部屋とは比べ物にならない。書類の束に目を通していたミルークが、顔をあげた。

 ここが普段の執務室だ。来客の少ない午前中が、主な書類仕事の時間だ。ミルークは奴隷商だが、他にもいくつかビジネスを抱えている。サハリアにはナツメヤシ農場を所有しているし、南方交易船の船主でもある。また、フォレスティア各地の小売商のパトロンでもある。彼らには、金を出すだけでなく、アドバイスも与えているし、情報交換も欠かさない。

 だから、執務室には手紙があふれている。交易船や農場からの収支報告。小売商や、氏族の者達からの相談や連絡。貴族や大商人といったお得意様からの様子伺いの挨拶。立場と状況によって、文面はもちろん、使われる言語や書体も変わる。それらを読み込み、見直し、情報を帳簿などに転記し、また返事を考える。なのでいつも忙しい。

 なお、彼が属するネッキャメル氏族というのは、サハリアでもそれなりの地位にある豪族らしい。しかもミルークは、そこの先代族長の次男坊だ。ゆえに、ミルークの身分は、貴族に匹敵する。但し、この国では一商人に過ぎないため、それと知らない人からは、特に敬意を払われることもない。こちらでは、商人はあまり尊敬されない職業なのだ。しかし、サハリアとフォレスティアでは、社会の仕組みも価値観も違う。あちらでは、高い地位にある人物が商業に勤しむのは、当たり前のこととされている。

 そんなわけで、来客の質も高い。貴族やその使いの者、大商人の番頭などが、しばしば出入りする。そういう人達への応対は、たいてい、午後に設定される。だからその前、交渉事に先立って、必要な書類は片付け、または目を通すなどしておきたいわけだ。


「今日は、そんなには多くない。来客はないが、午前中には片付けてしまおう」

「はい」


 そう言われて、俺はミルークの横に座る。割り当てられるのは、フォレスティア国内の書類だけだ。まだ俺には、サハリア語やルイン語の文書は難しい。

 どれどれ、一通目は……ふむ、近頃はデフレが激しいらしい。金不足の物余り、品物が売れなくて嘆いている。王都の小売商の間で、安売り競争になっているらしい。このままでは利益が出ずに、手詰まりになる、と泣きついてきているな。

 ミルークなら、なんて返事をするだろう? 俺なら「そんな不毛な争いはやめてしまえ」だが。


「ふうむ、よくないな」


 横でミルークが溜息をつく。


「王都での人余りが深刻らしい。これまでは、王城の増改築の仕事があったせいで、むしろ人手不足だったのだが、それが規模縮小で、急に打ち切りになった。今はまだ、みんな手元に金を持っているが、これは買い物を手控えるだろうな。となると……」

「安売り競争が起きているそうですね」

「これからの売り上げを見込んで、在庫を抱え込んでしまった連中は、そうせざるを得まい。まったく、フォレスティス王家も、無責任な真似をしてくれる」


 そう言いながら、ミルークは次の書類に手を伸ばす。


「また何か、他に公共事業でも起こせば、落ち着くと思うんですけどね……まぁ、一時凌ぎですが」


 俺がそう呟くと、ミルークは、ぴたっとその手を止めた。そのまま、目で続きを話せと促してくる。


「そもそも、公共事業の種類がよくないんですよ。王城の増改築とか、それ、完成させたって、誰が儲かるわけでもないでしょう? もっとこう……作り終えてから、次の仕事ができるようなものをやれば、少しはマシだったんじゃないかと思いますけどね。港湾の整備とか、交易路の補修とか……」


 例えば、新たな貿易港を作ったとする。まあ、立地その他にメリットがなければ無意味なのだが。で、そうすると今度は、そこで働く人が必要になる。この世界では、単純労働を人力で行うから、そのまま力仕事の需要がシフトする。

 ミルークは、俺の言葉を聞き終えると、顎に手を当て、少しだけ考える。


「ふむ……だが、そう簡単にいくかな? まあ、知り合いの貴族にかけあってみようか」


 便箋を手にして、左手に羽ペンを握り締める。彼は左利きだ。一瞬、袖口がまくれて、昔の傷跡がはだけて見えた。

 何かを書き始めようと考えている……が、また、思考が別のところを彷徨っている。


「だが、そうなると、今年の藍玉の市は、期待できないかもな」

「なぜですか? やっぱり、物が売れないからですか?」


 俺がそう問うと、ミルークは頷きながらも、説明を加えた。


「それもあるが……えてして、こういう時には、嫌な金の流れがあるものなのだ。いいか、ノール。金は生き物だ。いつも流れ続けていないと、死んでしまう。だが、今回のように急にその流れが止まると……我々商人は、なんとかそこを流そうとして、時に無茶な真似をやらかす。実体の価値に見合わない取引が立ちやすいのも、こういう場面だ」

「じゃあ、チャンスでもあるわけですか」

「そうとも言えるが、それは商人にとってではない。そこに期待するのは、山師とか、賭博師とかいわれる連中だけだ」


 そう言いながら、彼は首を振る。


「とりあえず、被害を抑えよう。農産物や食料品は流す。宝飾品は止めよう。オークションは……これは参加だな。期待はしないが、顔を出す機会だと思うしかない」


 以前、宝石商だった頃は、都市部で頻繁に貴族の家をまわっていた彼だが、奴隷商となると、どうしてもお得意様とは疎遠になりがちだ。それも彼のような、高品質な子供を届けるという、ある種特殊な業態になってくると。普段はこの収容所に入り浸りだから、こういう時にでも顔を見せにいかないと、本当に忘れられてしまう。

 これは手伝いをするようになってからわかったのだが、彼にとっての奴隷商は、いわばラーメンのナルトのようなもので、看板事業ではあるが、収益の基軸をなすものではない。この世界の、この地域のビジネスは、市場原理というより、少なからずコネがものをいう。彼は良質な奴隷を、自分の顔代わりにしているのだ。

 そんなに忘れられたくなければ、以前のように宝石を売り歩けばいいのだろうが、それはどうも、好きではないらしい。いつもいつも顔色を窺いにいけば、なるほど、ホットな情報を得られるというメリットもあるが、何しろ気疲れする。頭はよくても、基本、物静かな男だから、できる限り落ち着ける生活を守りたいのかもしれない。


 羽ペンで貴族宛ての手紙を書きながら、彼は大雑把に今後の対応をあれこれ語る。俺も自分のペンを手にした、その時だった。


「……っ」


 微かな足音に、呻き声。気付いたのは、俺だけではなかったようだ。

 そこに立っていたのは、ジルだった。


 俺は、ジルとほとんど接点がない。ジルが子供達から怖がられているのはわかっている。まず眼光が鋭いし、非常に無口だ。彼女の指導を受けるのは、女の子ばかり、それも五歳以上だけ。ごく一部が、武術の訓練を受けるらしいが、それ以上は知らない。

 彼女はいつも身軽そうな格好をしている。白い上着に、白いズボン。動きやすそうな革靴を履き、腰にはサハリア風の曲刀を手挟んでいる。髪の毛は黒いショートヘアだったが、俺と出会った頃から切らずに伸ばしているようで、今では結構な長さになっている。ただ、視界を妨げないよう、前髪は切り揃えられている。

 その彼女が、言葉を発しかけて止め、部屋の前で立ちすくんでいる。その視線の先にいるのは、俺だ。


「あ……おはようございます」


 俺は向き直って、挨拶をする。

 だが、ミルークは彼女に言いつけた。


「午前中は仕事が残っている。ここへは来るな」


 突き放すような、異様に冷たい口調だ。奴隷の子供にも気遣いを忘れない彼にしては、珍しい。そう言われて、彼女は何も言わず、背を向けた。

 その様子をじっと見た。体にぴったりと張り付くような上下の服。豊かな張りのある胸と、メリハリのある腰つきが、やけに目に付いた。

 ともあれ、彼女が視界から去ると、俺はまた机にかじりついて、作業を続けた。


 忘れ物に気付いたのは、中庭の北側階段を降りて、昼食を食べにいく途中だった。ばったりとタマリアに出くわしたからだ。


「あっ」

「どうしたのよ、人の顔を見て」


 ミルークの部屋に置き忘れてきた。あとで読むつもりだった『セリパシア皇帝伝』だ。第九代アルデン帝の事跡を読んでいる最中だった。功罪何れも少なくない人物で、相当な奇人変人とされている。だが、今に続く大陸西部の美食文化は、彼から始まったと言っていい。前世にて料理人でもあった俺としては、無視できない人物だ。


「あっと、午前中の仕事で、ミルークの部屋に本を置き忘れて」

「それと私と何の関係があるのよ?」


 そんな皇帝陛下の生涯唯一の恋の相手が、身分の低い料理人で……この世界では今もって、概して料理人の地位は高くない……金髪の美女だった。タマリアの金髪を見て、ちょうどそのくだりを思い出したのだ。


「なるほどね、ま、ノールは出入りは自由っぽいし、サクッと取ってきたら?」

「そうするよ」


 ボヤボヤしていると、鍵をかけられてしまう。近くにミルークがいてくれれば、また開けてもらえるかもしれないが、たまに昼間から寝ていることがある。いっそ、今後は鍵を貸してもらえるよう、相談してみるか。

 急いで二階の執務室前に戻ってきた。鉄格子の鍵は、かかっていなかった。だが、出入りを許されているとはいえ、本来は立ち入り禁止の場所だ。許可なしに勝手に入っていいものではない。中にミルークがいれば声をかけ、いなければ、素早く本だけ回収して戻らないといけない。俺は、足音を消して、そっと中の様子を伺う。

 微かな衣擦れの音が聞こえてきた。誰かいるようだ。なら、声をかけて、本を回収させてもらおう。そう考えて、話しかけようと息を吸い込んだところで、俺は動きを止めた。


「……っはっ……」


 かすれた女の声。これは、ジルの?

 何か様子がおかしい。


 その場で耳をそばだてる。いつもより荒い呼吸音、それに水音。これは、もしかして。

 物陰から見たものは、まさしく俺の想像通りだった。薄着のジルが、部屋の隅に立つミルークに絡み付いていた。いつもの鉄面皮も脱ぎ捨てていた。サハリア人特有の小麦色の肌、細く長い眉毛、それにここ数年で伸びた、あの縮れた黒髪。彼女は、笑みを浮かべていた。媚びるようでいて、挑発するようでもある、妖艶な笑みを。

 さっき、ジルが部屋に来た時の違和感を思い出した。そういえば、妙に女っぽく見えたのだ。なぜか? 今ならわかる。すぐ近くに落ちている彼女の着衣から、かすかな香水の匂いが感じられるからだ。俺は無意識のうちに、彼女の異変に気付いていたのだろう。

 彼女は、顔を捻じ込むようにして、ミルークに口付けをする。だが、彼は横を向いてしまう。次の瞬間、俺は目を疑った。

 パァン、と鋭い音。ジルがミルークの頬を打ったのだ。これは、どういうことだ? 相変わらず、ジルは笑みを浮かべている。笑顔のまま、今度はミルークの髪の毛を掴んで強引に正面を向かせ、無理やり彼の口に舌を捻じ込んだ。


 一瞬、我を忘れたが、すぐに引っ込んだ。ジルの能力を覚えていたからだ。


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 ジル・ウォー・トック (18)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク6、女性、18歳)

・スキル サハリア語 5レベル

・スキル フォレス語 5レベル

・スキル 商取引   3レベル

・スキル 剣術    4レベル

・スキル 格闘術   4レベル

・スキル 弓術    5レベル

・スキル 隠密    4レベル

・スキル 房中術   2レベル


 空き(10)

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 彼女は隠密としての訓練を受けている。隠れたり、隠れている相手を探したり、といったことには長けているはずだ。今は注意力も散漫だろうが、それでも、この状況で気付かれて、いいことなど何もない。


 内心、疑問に思うところは少なくなかったが、ひとまず俺は、目立たないようにその場を去った。

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