第三章 この世界での幼馴染達

朝焼けの空を舞う

 西の地平線から差し込む光に、橙色が混じり始める。もう、あまり時間がないようだ。近頃、日照時間が目に見えて短くなってきた。

 眼下に広がる大地。緑色の草原の上に、まばらに立つ木々が、長い影を引いている。そこから少しずつ遠くへと視線を向けると、滔々と流れる大河、白い冠を戴く山々が見える。

 風が気持ちいい。周りには誰もいない。自由に空を駆け巡る高揚感は、何もかもを忘れさせてしまう。

 だが、忘れてはいけない。今は空を飛んでいるのだ。絶対に失敗ができない状況なのだから。


 ノール消失事件から、二年。俺は結局、収容所での暮らしを続けている。五歳になった。

 今では読み書きもかなりできるようになった。今日も勉強を兼ねて、ミルークの執務室で書類の整理をしていた。同じ言語でも、商人の使う字体、貴族の使う書式など、様々なパターンがある。目的によっても変わるから、覚えることはまだ、いくらでもある。

 一日の仕事が終わったら、自由時間だ。それで俺は、自分の部屋に引きこもって読書をする。そう言っておいてある。今ではかなり自由裁量を認められているから、この時間、俺の邪魔をする奴はいない。

 俺はミルークに、二度とこんな騒ぎは起こさない、と言った。だから最初、能力の使用は控えていた。だが、結論から言うと、我慢しきれなかった。


 地上の景色が変わった。森の中に広がる湖。その畔に色とりどりの花が咲いている。今日の目的は、これだ。

 湖から少し離れた場所に、茂みがある。そこで、かわいらしい小さな花を密集させて咲かせている植物が見つかった。前世でいうと、紫陽花みたいな感じのデザインだ。ただ、一つ一つの花が、星マークみたいな形になっているが。

 色は、株によって様々だが、たぶん、ギトギトとした真っ赤な奴は、あまり好まれない。ピンクか、白いのがいい。

 俺は地上に大型の動物がいないのを視認してから、舞い降りた。そして、二足歩行だ。鳥にも膝があるから、人間っぽく歩けなくはないのだが、一歩進むごとに首がカクカクと前後するのは、いただけない。これも鳥類の骨格ゆえとはわかっているが、気持ちよくはないのだ。

 背後に、何もない乾いた地面を確認すると、俺は首をめいいっぱい伸ばした。この花の茎を、嘴で折り取るのだ。幸い、たくましい猛禽の肉体なので、それくらいはできなくもない。問題は、千切りとった後の花を落とさずに回収できるかどうかだ。幸い、倒れ掛かった花が、他の茎や植物に支えられて、そこで動きを止める。俺はそれを丁寧に銜え直して、そっと地面に横たえる。


 今でこそ、ここまで複雑な作業もできるようになったが、最初は大変だった。見咎められないよう、部屋を閉め切るところからして、簡単ではなかった。慎重にも慎重を期したのだ。

 一番身近で、簡単に手に入る動物の体はといえば、もちろん虫だった。だが、あれはダメだ。乗り移ってから、何秒と経たないうちに、すぐに意識が飛んでしまう。というより、虫並みの知能になってしまうのだ。

 なら、もう少し賢い動物の肉体ならどうだろう? 例えば、馬とか。ミルークの飼育している馬達は、みんな賢くて、よく言うことをきいた。だが、あれもまずい。締め切った収容所内で、馬みたいな大きな動物が消えるのだ。大騒ぎになる。

 同じような理由で、豚や鶏も諦めた。こちらは馬ほど大切にはされていないものの、きちんと頭数を管理されている。いきなり消えたりしたら、特に鶏なんかは、盗み食いを疑われる。

 そうなると、やはり野生動物しかなかった。ある日、窓の外を眺めていると、堂々とした、黒っぽい大きなカラスみたいな鳥が空を舞っていた。そういえば、カラスはかなり頭のいい鳥らしい。コップの中の水に嘴が届かないと、中に石を落として水位を上げる。そうして自分の飲めるところに水を持ってくる。下手をすると、人間でもこれは思いつけない。

 これだ、と思って、俺は遠い上空のカラスモドキから、肉体を奪った。能力使用に伴う多少の不快感は必要経費だ。

 それでも肉体を取り替えれば、知能の低下は免れない。それに、こいつは飛ぶ動物だ。空を飛んでる最中に、元の体に戻ったら……だから最初は、『空を飛びたくなったら戻る』という条件で、部屋の中で訓練を繰り返した。

 半年もする頃には、慣れてきた。あまり時間が経つと、やっぱり意識が朦朧としてくるので、そうなる前に人間に戻るようにしている。最悪の事態に備えて、一応、条件設定はしてある。『自分の名前を思い出せなくなったら、広い場所に下りて、人間に戻る』といった具合だ。やや複雑だが、広い場所、と指定したのは、鳥しか降りられないような細い木の枝の上とかに着地した場合を想定しているからだ。高い木の上から、無数の小枝をへし折りながら落下する自分……考えたくない。


 他にも、様々な実験を繰り返した。

 たとえば、少々残酷だとは思ったが、蛙の肉体を奪って蛇に移し変えたりとか。俺が鳥になれるのだから、蛇だって蛙になれるんじゃないかと思ったのだ。だが、これは失敗だった。どの肉体をアクティブにするかは、向こうに主導権があるのかもしれない。肉体を差し替えたければ、これはもう、無理やり蛇の体のほうを奪い取るしかなかったのだ。

 このように、活用できるかどうかは別として、スキルやマテリアルを、俺から別の生物に受け渡す分には、時間による回数制限も何もなかった。ただ、他から俺に何かを持ってくるとなると、やはり二十四時間の縛りがあった。


 さて、十分な数が集まったようだ。これだけあれば、ドナも喜んでくれるだろう。ちょっと重いが、なんとか飛べる。ネズミのような小動物だって、足に引っ掛けて飛べるのだから、これくらいなら大丈夫だ。ただ、乱暴にして花びらが散ってしまっては意味がない。

 あまり遅くなると、いろいろな意味で危険だ。俺が行方不明になっていると知れたら大変だし、人間に戻り損ねてもよくない。急ごう。


 部屋の窓に辿り着いた時点で、既に薄暗くなり始めていた。これはよくない。もうすぐ夕食の時間だ。そろそろ相部屋のウィストが戻ってくる。花を傷つけないよう、注意深くホバリングして、ゆっくり室内に入る。羽先が壁をかすめるのがちょっと痛いが、仕方ない。そうして、ベッドの上に花を置く。そうしたら、すぐに人間に戻る。

 元通り、五歳児のノール少年の姿になった。但し、全裸だ。急いで服を着るが、その前に花をベッドの下に隠す。最悪、全裸姿は見られても構わない。変態扱いされるだけだからだ。しかし、花はダメだ。どこから取ってきたのか、まずそれを疑問に思われる。

 赤紫色の空から、僅かな光に照らされた空間で、俺は作業を急ぐ。水に濡らしておいた布を花の根元に巻きつけ、それをベッドの下にそっと置く。そしてまた、ベッドの上に脱ぎっぱなしにしておいた服を身につける……


「おい、ノール! また閉じこもってんのか!」


 ドンドンとドアを叩く音。ウィストだ。間一髪だった。


「あ、ああ、ごめんごめん、気付かなかったよ」


 ちょうど服を着終わったところだ。奴隷の手錠と足枷は……外れてしまっているが、長袖のおかげで気付かれていない。あとでこっそり付け直そう。あれは、鍵で開けるか、限界まで輪っかを縮めると、また広げられるようになる。

 俺は急いで飛び出して、扉を開けた。


「もう飯だ。行くぞ」

「うん」


 この二年間、彼には本当に世話になった。今年で彼も六歳。ここからの一年が勝負だ。七歳まではチャンスがあるが、その後は、ワンランク下の人生しか選べない。一応、デーテルみたいに、八歳目前でギリギリ売れていったケースもあるにはあるが、そういうのは稀だ。


 いつも通り、夕食は質素な代物だった。今夜も豆粥だ。

 夕食の配膳をしている少女と目が合う。ドナだ。この二年間で、もともとかわいらしかったのが、より魅力的になったと思う。明日、六歳になる子供の時点でこれなのだから、あと十年後ともなれば、どうなってしまうのか。だが、少なくとも、今の俺の身分のままでは、まず手が届かない。

 俺に気付くと、彼女はじっと見た後、ふいと目を逸らす。嫌われているわけではない。彼女は、誰に対してもそうなのだ。話しかければ返事をしてくれるし、言いつけもちゃんと守る。基本的にはいい子だ。ただ、少し内気なところがある。それに、物静かと言えば聞こえはいいが、明るい表情を見せることが滅多にない。これで笑顔の一つでもあれば、もっとかわいくなれるだろうに。


「あー、今日も遅かったわね。お勉強?」


 後ろから声をかけられる。振り返らなくてもわかる。タマリアだ。

 彼女も今年で十一歳。そろそろ思春期に足を踏み入れる彼女は、ここでは大御所、いや、大年増だ。ただ、見た目がきれいでもあり、体のメンテナンスも欠かしていないので、娼館に引き取ってもらう分には問題ない。彼女自身、そうした運命をあっさりと受け入れているようだ。


「はい、まあ、そんな感じです」

「そんな感じなんだ、ふうん」


 彼女は笑みを浮かべてそう言った。何か含むところのある表情だ。上から下までじろじろと舐め回すような視線。そういうのは、ちゃんと娼婦になってから、お客さん相手にして欲しい。


「ドナ」


 俺の背後で作業をするドナに、タマリアが呼びかける。


「ちょっとこっち来て」


 タマリアは、二年前からそうだったが、女の子達のボスになっている。今では男女問わず、彼女に逆らえる人はいない。男の最年長奴隷は、買い手のつかなかったドロルだが……彼は今、影が薄い。

 ボス、とはいうものの、タマリアは、いい奴だった。誰にでもフランクに話しかけるし、気遣いもできる。いわゆる姉御肌というやつか。だからみんなに頼られている。


「確か、明日、誕生日だったよね」

「えっ、うん」

「おめでと!」

「あ、ありがとう」


 俺の前で、二人がなにやら肩を組みながら話をしている。まあ、俺には関係ない。自分の順番になったので、トレーをもって、鍋の前に立つ。豆粥を受け取ったら、椅子に座って食べる。それだけだ。にしても、顔を寄せ合って声をひそめて、何の密談だろうか。

 タマリアは、ここにいる少年奴隷達の事情に詳しい。みんなと話をして、相談に乗ってあげているのだから、当然だ。ドナの事情を俺が知ったのも、彼女が説明してくれたからだ。


 ドナ……いや、ノーラ・ネークの生まれはヌガ村。リンガ村やシュガ村とも近い。だが、現状ではティンティナブリア領の外側なのだとか。ちょうど隣り合った場所にある、というべきか。

 彼女の実家は、やはりどこにでもあるような、貧しい農家だった。両親とも普通の農民で、髪の毛の色も当然、茶色だ。ただ、普通と少し違ったのは母親のほうで、彼女はとてつもない美人だったという。

 そこで出てくるのが、王家の命を受けて統治契約を手にした田舎騎士だ。だが、金持ちとさえいえない程度とはいえ、領主は領主。領民にとって、その命令は絶対だ。

 無論、領内の農民に美人の妻がいるからといって、そこに割り込んで奪い取るような不幸は起きなかった。決して立派な領主というわけでもなかったが、その程度の良識ならばあったのだ。

 だが、そこに事件が起きた。数年前、東方の大陸、ハンファンから、とある青年貴族がやってきたのだ。同じくハンファン出身の、黒髪の男達を供に連れて。

 この男、どうもかなりの道楽者だったらしい。行く先々で問題を起こしては、周囲がそれを取り繕うという有様だった。そんなこんなで、物見遊山のついでに、ヌガ村近くの、領主の館に立ち寄ることになった。

 どうもその青年貴族は、ハンファンでも有名な家の出身で、それなりの対応をしなければならなかったらしい。そこそこ大きな城館を持ちつつも、所領も小さく、収入も少なかった田舎の騎士は、たいした人数の召使も用意していなかった。しかし、来客があるとなれば、話は別だ。彼は領内の村々に、臨時の召使の仕事をせよと命令した。

 そこに、ノーラの母も名乗り出た。貧しい農民にとって、現金収入のチャンスは逃せないものだったのだ。それに彼女は美しいだけでなく、田舎の女の割に上品で、頭もよかった。既に長男を出産しており、年齢もそれなりだったが、いまだに魅力的でもあった。それで領主は、彼女にメイド服を着せて、表の仕事に就かせた。

 間違いが起きたのは、青年貴族が領主の館を去る前日だった。身の回りの世話を申し付けられたノーラの母は、突然、密室に引きずり込まれた。当然、悲鳴も聞こえたし、館の中には他の召使もいれば、従者達だっていた。だが、手出しは憚られた。

 領主からしてみれば、屈辱的なこと、この上なかっただろう。なにせ、自分の領民に、勝手に手を出されたのだ。だが、ここで軽はずみな行動に出れば、下手をすると、フォレスティアとハンファンの関係悪化にまで繋がりかねない。自分の地位もどうなるか、わからない。相手の青年貴族は、それくらい身分が高かったらしい。

 翌朝、放蕩貴族とその従者達は、館を辞去していった。というより、お供の者達が出発を急き立てた。彼らもさすがに、自分達の主の非常識はわかっていて、立ち去る時には、領主に迷惑料として、いくばくかの金を渡していた。

 領主は、そのうちのどれくらいかはわからないが、ノーラの母に握らせた。農民にとっては、結構な金額だったろう。その上で命令した。今後、この件で訴え出ることはまかりならん、と。それで泣く泣く、彼女は家に帰った。この時、真相が彼女の夫に知られたのかどうかは、定かではない。無論、領主は屋敷に詰めていた者達全員に厳しく口止めはした。噂にはなったようだが、それだけだった。

 ただ、どうしたところで、ごまかしきれるものではなかった。ノーラの母が、妊娠してしまっていたからだ。この時点で、堕胎するかどうかは、難しいところだった。つまり、どちらの子供なのか、わからなかったのだ。

 出産の瞬間、疑惑は確信に変わった。ただの一度の間違いで、存在自体許されない子供が生まれてしまったのだ。髪の毛が黒いのを見て、夫は「義理」の娘にノーラと名付けた。

 それからノーラとその母は、居心地の悪い生活を送ることになった。だが、彼女の母は、そんな状況でも、品よく生きた。娘を責めたりはしなかったのだ。むしろ可能な限り、めいいっぱいの愛情を注いだ。

 だが、それもノーラが三歳の頃までだった。物心ついた娘に、母親は花を摘んできて与えた。それはノーラの心に残った。だがその後まもなく、ノーラの母は病に倒れた。一応、看護はされたものの、田舎の農民に医者を呼ぶ金などなかった。いや、あったのかもしれない。三年前、ノーラの母は、迷惑料を受け取っていたのだから。だが、何れにせよ、その後まもなく彼女は息を引き取った。

 ノーラの義理の父は、すぐに再婚した。継母は、ノーラをあからさまに嫌った。そこへミルークの一行が通りかかったのだ。


 この一連の話を知ったのは、ドナがやってきて四ヶ月後のことだ。紫水晶の月に誕生日を迎えたドナは、一年前の母との思い出に涙した。去年は母が花を摘んできてくれたのに、今はここから出ることさえできない。それを宥めたのが、同じ部屋を割り当てられたタマリアだった。面倒見のいい彼女は、それとなく力になれそうな子供を見繕って、ドナに気を遣ってやって欲しいと告げた。俺も、年齢の割には賢いとみなされていたから、事実を知ることができたのだ。

 当時のドナは、本当に苦しんでいた。ただでさえ、精神的にダメージを受けていた上に、周囲の状況も過酷だった。タマリアがいるとはいえ、ドロルの嫌がらせは止まらなかったのだ。ドロルは、手ごわい子供には手を出さない。自分より弱い、それも身も心も痩せ細ったのを見定めて、それとなく手を伸ばす。単細胞なウィカクスと違って、そのやり方も狡猾だった。人前では決して悪事を働かない。だが、相手が一番傷つく言葉を選んで、わざわざ耳元で繰り返すのだ。

 結局、その嫌がらせは、半年ほど続いた。その間ずっと、俺やタマリアが、影ながらドナを庇ってきた。だがある日、ドロルがずっといじめてきた少年の一人に、こっぴどくやり返された時点で、すべてが収まってしまった。

 それでも、ドナは以前より、ずっと内気で臆病な少女になってしまっていた。傍目にも気の毒に思えるくらいに。


 それで、その一年後、俺はちょっとした気まぐれを起こした。せっかく自分は、鳥になって外に出て行けるのだから、ここはドナに、誕生日プレゼントを持っていってやろう、と。そういうわけで、去年、俺は既に、彼女に花を贈っている。

 まあ、そんな親切、というか気まぐれも今年までだ。明日、彼女は六歳になる。そうなったら、一年以内に買い手がつくだろう。きっとそこで、大商人とか貴族とかの愛人として、育てられるに違いない。他人のものになる運命なのだ。だから俺としては、期待も執着もしていない。

 豆粥を食べきって、俺は席を立つ。今夜は早めに寝ておこう。


 ……翌朝、まだ早い時間に、俺は物音に目覚めた。

 目を開けると、ウィストが服を着込んでいる。まだ夜明け前だ。これから外に出なければいけない。

 もちろんこれは、ミルーク公認の仕事だ。彼を含む何人かの年長の子供は、朝の水汲みを割り当てられている。監督に守衛がつくから、逃げられない。収容所からちょっと離れた場所にいくだけの作業だが、これが実は、人気がある。早起きするのはつらいが、短い時間でも外に出られるのだ。


「おう、起きたのか」

「あ、うん」


 俺はなるべく眠そうな顔をしてみせる。


「行ってくるから」

「行ってらっしゃい」


 そう言いながら、俺は目を閉じる。ウィストはさっさと出て行ってしまう。足音が遠ざかり、忘れ物もなさそうだとわかると、俺はぱっと跳ね起きた。

 まず、ベッドの下からそっと花束を取り出す。よかった。まだしなびてはいないようだ。それを取り除けると、なるべく音や振動を立てないよう、ベッドを出入り口の扉の前に持ってくる。子供の腕力ではかなり厳しいが、やるしかない。不意の侵入者こそ、もっとも危険なのだ。

 その上で、意識を集中する。ぱさり、と頭上から、生温かい布が降ってくる。俺は、黒い鳥になっていた。

 窓から顔を出す。ようやく東の空に、赤みが差してきたところだ。もう少ししたら、赤い太陽が顔を出すだろう。今日もよく晴れそうだ。

 まずは花束を持たず、外に飛び出す。そして、目指すところの窓の状態を確認。去年はしっかり締め切ってあったから、こじ開けるのが大変だった。今年はというと、閉め方が少し甘い。これなら、嘴を突っ込んで、隙間を広げることができそうだ。

 翼をバタバタさせながら、壁面に取り付く。なるべく音をたてないよう、俺は嘴を突っ込み、手前に引っ張る。中には、二人の少女がベッドの上に横たわっている。もう少し、あと少しだけ、広げたほうがいい。

 気付かれていない? 大丈夫そうだ。中の様子を確認して、俺は部屋に文字通り舞い戻った。そして今度は花束を掴み、ゆっくり慎重に飛び上がる。素早く飛ぶのは難しくないが、こうやって足元に気をつけたり、ホバリングしたりというのが、なかなかに大変だ。

 ようやく窓枠に辿り着き、俺は片足で建物を掴み、もう片足で花の茎を掴んで引き込む。しっかり奥まで差し込まないと、花が落ちてしまう。もちろん、この作業中にも、体を安定させるため、しばしば羽ばたいている。音を立てたくはないが、仕方ない。

 一苦労だったが、これで今年も花を届けることができた。俺は一息ついて、さっと翼を広げ、上空に舞い上がる。


 東のほうから、赤い太陽が顔を出しつつあった。収容所の近くには他に建物がないが、そこから少し離れたところに、数人の人影が見える。豆粒みたいに小さいが、きっとウィスト達だろう。その向こうには、緑色の林、そして微かな朝日の輝きを照り返す海が見えた。

 思えば、ここでの暮らしも長くなったものだ。だがもうすぐ、俺は広い世界に飛び出していく。こんな風に、たまに抜け出して散歩するのとは違う。俺の二度目の人生が、今度こそ本当に始まろうとしているのだ。


 俺は今一度、翼を広げた。今はまだ、ここにいなければならない。

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