『Praying Life』 祈るように生きている。

さよの なか

第1話

“今日も何事もなく、穏やかな1日でありますように。”

“どうか私の心をお護りください。”


聖書の表紙に描かれた十字架から両手と額をそっと離す。

885回目の祈りを終え、家を出た。


——私は、祈りながら生きている。





きっかけは2年前の11月。

慣れない仕事、人間関係に疲弊していた私は、

有給を使って逃げるように1人長崎を訪れた。

元々坂が多い街や、小路が入り組んでいる街が好きなこともあり、

以前から気になっていた長崎に旅先を決めた。


小雨が降り続けるあいにくの天気ではあったが、

雨に濡れて艶めく長崎の石畳の道もまた情緒があった。

迷路のような街並み、入り組んだ道を縫うように走る路面電車、

喫茶店の優しい甘さのミルクセーキ、洋食屋の大盛りのトルコライス。

写真アプリのフィルターなんて無くたって、景色全てがセピア色に映える。

まるで古い映画の登場人物になったような時間が、ゆっくりと流れた。



長崎といえば、坂だけの街ではない。

この国におけるキリスト教布教の歴史の聖地でもある。

かつて潜伏キリシタン達が、厳しい弾圧の中でその信仰を守り抜いたという

特別な場所。

やはり街を歩いていると、数多くの教会や、その歴史を物語る遺産と出会える。

私には正直宗教などはよく分からなかったため、

教会を見ても、美しい建物だなと感心する程度の観光気分で眺めて回っていた。

しかし、その遺産のうちの一つだった。

私の価値観は大きく変えられてしまった。


『日本二十六聖人殉教地』

長崎駅から徒歩数分、大通りに面した坂道を少し登った場所にある広場だ。

何か気分が高揚するような美しい建造物などがあるわけではない。

無機質な灰色の広場と記念館、26人の人物の姿が彫られた壁があるだけだ。

その壁に彫られた26人は、かつて豊臣秀吉によってキリスト教禁止令が発せられた際に

この丘で処刑された宣教師6人と日本人信徒20名の姿らしい。

壁に刻まれた人々は皆両手を合わせて硬く瞼を結び、祈りを捧げている。

中には小さな子供の姿もあり、同様に深く祈りを捧げている。

しかし、中には両手を合わさずに、何かを訴えかけているような人物がいた。

私は壁を見ながら、インターネットで当時のことを調べてみる。

彼は、聖パウロ三木という人物らしい。


そして、そこにはこう書いてあった。

「彼は両脇を槍で刺され絶命する瞬間まで、群衆に向かってキリストの教えを訴え続けた。」

さらには、

「キリストの教えに従い、刑を執行する人々をも赦すと叫んだ。」


私は、衝撃を受けた。

死の寸前、絶望の淵でまで貫くことができるその信念。

処刑という恐怖の真っ只中でまで強くあり続けられるその心。

私は、到底理解ができなかった。

だから、

私は知りたいと思ってしまった。

“彼らをそこまで強くするキリスト教とは一体何なのだ?”

だから、

私は羨ましいと思ってしまった。

“どんな絶望の中でさえも、信じ続けられるものとは一体何なのだ?”



気がつけば私は、Googleマップで近くの書店を探していた。

長崎駅近く、大きなショッピングモールの中にある本屋でついにそれを見つけた。


税込6710円。

グレーの表紙に大きく刻まれた十字。

私は、聖書を買った。


帰路のリュックの重さが私の肩に与えた苦しみといえば、

言うもまでもない。




長崎旅行から帰った私に待つのはただ一つ、

再び訪れる労働の日々であった。

長崎でどれだけ感動的な時間を過ごしたとしても、日常は変わらず続いていく。

明日からまた会社に行かなければいけない。

生きていくために、人に怯えながらも仕事をこなさなければいけない。

薄暗い部屋で1人の夜、私は救いを求めるように買ってきた聖書を開いてみた。

全編で2500ページほどもある聖書の1ページ目。

旧約聖書の1ページ目。びっしりと端から端まで小さな字が並ぶそこには、

いわゆる人類創世の物語が記されていた。

なんとなく聞いたことはあったが本物を読んだことはない原典に、

初めのうちは興奮した。

しかし、読み進めてみて数ページ。私は気付く。

聖書を読むという行為の果てしない労力に。

まず言葉遣いが難しい。

知らない単語、知らない登場人物、一つ一つを巻末にある注釈で確認しなければ

誰が何をしているのかがさっぱり分からない。

もはや読むと言うより、“解読”に近い。

その夜は、それ以上読み進めることを諦めて聖書を閉じた。

閉じると、そこには表紙の十字架があった。

十字架の横に印字された。“聖書“の二文字。

そう、これは聖なる力を秘めた書物なのだ。

読み進めるのは難しかったが、この聖書に記されたものに

とてつもない神秘が込められていることは感じることができた。


単なる思いつきであった。

私は表紙の十字架の上にそっと両手を添えて、目を閉じ意識を集中させてみた。

大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出す。

息と共に、余計な雑念を意識の中から追い出す。

だんだんと無の状態が出来上がる。

するとじんわりと、十字架に触れた手のひらが温かくなっていくような気がする。

そして私は、心の中で小さく祈ってみた。


”明日も何事もなく、穏やかな1日でありますように“


ゆっくりと瞼を持ち上げる。

何か、心境が大きく変わったわけでもない。

明日を生きることに前向きになったわけでもない。

きっと大丈夫だと、自信を持てたわけでもない。

それでもほんのわずかに心の中に生まれたものを感じた。

それは1だったものが、1.01になったような。

RPGでボス戦に挑む前に、ほんのわずかでも防御力を上げるために、

安物の防御薬すらも飲むような。

ささやかだけど確かに価値のあるもの。


強いて言葉にするならば、

”やれることはやった“

という安堵。

もしくは、

”これでダメならもう仕方ない“

という安らかな諦念であったかもしれない。


その日の夜、

私はいつもより少しだけ心地のよい眠りについた。

この行為が今後の人生にどれだけ影響を与えてしまったのかも知らずに。


1回目の祈りを捧げた、これが全ての始まりの夜。



それからというもの、

私は朝起きた時と、夜眠る前に、毎日聖書に祈りを捧げるようになった。

正確には、捧げてみたという方が正しいかもしれない。

深い想いがあったわけではない。

ただ、祈りを捧げるようになってから、仕事で大きな失敗をしたり

叱られたりすることがなかったから、小さな験担ぎのつもりだった。


しかし、祈ることを始めてから2ヶ月ほど経った頃。

年が明けて、まだ厳しい冷気が肌を刺す朝だった。

私は欠かさず続けてきた祈りを、初めて忘れて出勤した。

珍しく寝坊してしまい、バタバタと準備をしていたことで

祈りを捧げずに家を出ていた。

忘れたことに気づいたのは、電車に乗ってからだった。

気づいた瞬間、

今まで感じたことのないような不安と恐怖が全身を駆け巡った。

鼓動は速まり、呼吸がうまく出来なくなる。

視界が揺れる。

焦りに支配される。

どうして気づかなかったんだ。

もしも失敗したらどうしよう。

無事に1日を終えられる気がしない。

誰か助けて。

今すぐに帰りたい。

満員電車の中、体を支えることが難しくなり吊り革を縋るように強く掴む。

地下鉄の真っ黒な車窓に、絶望の色を目に宿した自分を見た。


出社後も、怯えるように仕事をした。

パソコンのキーボードを打つ指もどこかおぼつかない。

そして、神様とは非情なものだった。

祈りを忘れた日に限って、私はひどい失敗をしでかしてしまった。


ボロボロの心で帰宅した私は眠りにつく前、

いつも以上に強く祈った。

聖書の表紙の十字架に額を擦りつけた。

それはもう、叫びのような祈りだったと思う。


もう絶対に忘れない。

失敗したくないから。

自分の心を護りたいから。

祈りを怠った日の恐怖を知ってしまったから。


私はあの夜、悟ったのだった。



“ああ、こうして人は信仰というものに堕ちていくんだな。”



長崎で聖書を買ってから、もう2年近くが経とうとしている。

あの日以外1度たりとも忘れずに、私は朝と夜に祈りを捧げ続けている。

ちなみに聖書の中については、1ページも読み進めてはいない。

内容は何も知らない。

キリスト教徒になったわけでもない。

それでも私にとってこの聖なる書物は、生きていくうえでなくてはならない。

内容も意味も、どうでもよかったのだ。


結局のところ、怯えて生きる毎日の中で、

私は何かに縋りたかっただけなのだろう。





今日もまた、灯りを落とした真っ暗な部屋の中で1人椅子に座る。

膝の上には灰色の装丁が施された厚い本。

その表紙には大きな十字架が描かれている。

十字架の上に、そっと両手と額を載せる。

瞳を閉じて、息をゆっくりと吐き出す。

そして、小さく呟く。



“明日も何事もなく、穏やかな1日でありますように。”

“どうか私の心をお護りください。”



聖書の表紙に描かれた十字架から両手と額をそっと離す。

886回目の祈りを終え、眠りについた。




私は、祈りながら生きていく。

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『Praying Life』 祈るように生きている。 さよの なか @walknights

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