第15話

「お待たせ、ちとせちゃん」

「大丈夫待ってない」


 冷房が効きすぎているのはわかっているはずなのに、アイスコーヒーを頼んでしまったのを後悔していると、花音かのんは来た。


「待ってないって割にはもう氷しかないみたいだけど」

「あーまあちょっと喉乾いてて」


 グラスを持ち上げて軽く振ると、氷とガラスのぶつかる心地いい音が何度か鳴る。


「そっか、で話ってなに? 真保まほちゃんになにかあった?」


 花音は何かメニューを見ながら適当に注文すると、割と真剣な表情で私を見てきた。

 この子はいつもそうだ。

 いつもは人畜無害な感じでおだやかな雰囲気を漂わせているのに、真保が関わった時だけ人が変わったかのように真面目になる。


「実はさ、真保と前話した私の彼女が私に隠れて連絡取ってるかもしれないんだけど、なにか知ってることない?」

「あー知ってることね……」


 彼女はストローを加えたまま、数秒間固まるとそのまま届いたばかりのカフェオレに口を付けた。

 半分ほど残ったカフェオレをゆっくりとテーブルに置くと、大きなため息を一つ吐く。

 その姿は何か思考を整理するかのようで、数瞬の間の後ようやく口を開いた。


「まあ、ちとせちゃんに内緒にしてることはないわけじゃないよ」

「内緒にしてることってなに?」


 わざわざ「ある」ではなく「ないわけじゃない」と遠まわしに伝えた以上、私に細かいことを教えてくれるつもりはないのかもしれない。

 ただ私の考えすぎかもしれないし、一応いてみようかな。


「え、言うわけないじゃん」


 彼女は鼻で笑うと、残りのカフェオレも一気に飲み干した。

 やっぱり駄目か。

 花音は端から言う気がなかったのだろう。

 そのぐらい間髪入れずに答えてきた。


「まあ、そうだよね」


 なにかしら隠していることがあるにはあるのか……。

 なんか、嫌だな。

 やましいことがないなら教えてほしい。

 仮になくても隠されているというだけで疑ってしまう。


「ただまあ大丈夫。言う気はないけど、このまま放置する気もないから」


 彼女は底に少しだけ残ったカフェオレを飲み干すかのように一気にグラスを傾ける。

 少しして、一緒に口の中に入ったのか氷をみ砕く音が聞こえてきた。

 あれ?

 普段の花音ならいくら真保関係の暗い話してもこんな反応見せないのに。

 そういえば氷噛む時は何かストレスを感じてるって聞いたことがある気がする。


「あのさ、花音が放置する気もないことってそんなストレス?」

「え、なんで?」


 彼女は一瞬驚いたような表情を浮かべると、すぐに元の顔に戻って尋ねてきた。


「なんだろう……、そんな気がして。違ったらごめん」

「まあ合ってるからいいけどね、ストレスだよ」


 彼女は今日見た中で一番の笑顔を向けてくる。

 ただどう見てもその笑顔は自然と出たものには見えない。

 花音のストレスって真保関係だろうし。


「あのさ、言う気はないって言ってたけど私にもなんかできることないの?」

「今はないかな。ちとせちゃん出ると余計めんどくさいことになりそうだし」


 彼女は私ではないどこか遠くに焦点を合わせながら、また何個か氷を噛み砕く。


「けど、私の妹と彼女のことなんだよ、なにか教えてくれても……」

「それは知ってるけど、私はちとせちゃんの関係性より真保ちゃんのほうが大切だから」

「……なに、それ」

「私まだ高校受験の時ちとせちゃんが真保ちゃんに当たったの覚えてるからね」


 彼女は相変わらず形だけの笑顔を私に向けてくる。

 ただ目の奥にあるはずの光は、完全に消えてしまっていた。


「高校受験のって――」

「まさか忘れたなんて言わないよね?」

「それは、覚えてるけど……」


 高校受験の最終盤、私は成績が思ったように上がってくれなくてそのストレスで真保に数か月当たってしまった。

 一個下で受験経験のない彼女がいつもと変わらず接してくるのは自然なことだと思う。

 ただ受からなかったら滑り止めに三年間通わないといけないという焦りが、心配事なんかなにもなさそうに生活する彼女に対するストレスに変わってしまった。

 もう具体的になにをしたとかは思い出したくない。

 ただ、あの時毎日のように真保が泣いていて、花音が家に来てくれたのだけは覚えてる。


「よかった。真保ちゃんは『私も受験してみてあの時のお姉ちゃんの気持ちなんとなくわかる』とは言って許したみたいだけど。私は許してないから」

「……わかってるよ」


 花音と話しているときに、悪意を向けられているかもと思うことは何度かあった。

 ただ今日のはもしかしてではなく、絶対に向けられているとわかる。


「でもっ――」


 話しかけた私の口に人差し指を押し当てると、彼女は小さく微笑んで見せた。


「まあ別に許してないって言ってもそんな大したものじゃない。最後にはきっといいようにするから」

「いいようって?」


 私の口の前にある彼女の腕をつかんで、尋ねる。

 ただ私がにらみつけても彼女の顔から余裕そうな表情が消えることはない。


「だから言わないって」

「……わかった」


 ここまで訊いて教えてくれないってことは本当に何一つ教える気がないんだろう。

 ただなぎと真保の間で何か隠し事があるってことだよね……。

 これからどう接したらいいんだろう。


「聞きたかったことって、真保ちゃんと彼女さんが隠れて連絡取ってるかもってことだけ?」

「そうだよ」

「へーそう……、なんだ」


 彼女は歯切れの悪い返事をしながら、テーブルを指でテンポよくたたき始めた。


「なにかあるの?」

「まあ、ちょっとね。ただちとせちゃんには関係ない」


 彼女は腕をさすりながら、ギリリと奥歯が砕ける音でも聞こえるんじゃないかと言うくらい強く歯を噛みしめる。


「なに?」

「言わないっ」


 またそれか……。

 どうせもうなに訊いても無駄だろうし、今日はここまでかな。


「わかった。教えてくれてありがとう」

「んーどういたしまして。じゃあこれで話したいことは終わりでいい?」

「いいよ」


 ただなにかあることだけでもわかってよかった。

 わかったところで何一つ解決はしてないし、むしろ悪化したと言ってもいいのかもしれないけど。


「わかった。あ、話したいこととは全く関係ないけど、もうちょっとちゃんと真保ちゃんのこと見たほうがいいと思うよ」


 花音は相変わらずどこか遠くを見つめながら、独り言のようにつぶやく。


「見てるつもりなんだけど」

「つもりだからじゃない? 見えてないよ全然」


 今でも見えてないのか。

 昔に比べると大分マシになったと思ってたんだけど。

 いやけど最近の真保はわからないしな……。

 本当に見えてないのかもしれない。


「そっか……」

「まあいいよ、どうせ今のちとせちゃんじゃ見たところでなんにもならないし」


 花音は大したものじゃないと言っていたけど、本心ではすごく許さないを超えて恨んでいるのかもしれない。

 真保の話をするたびに少しだけ感じていた花音の攻撃的な雰囲気を今日はものすごく感じる。

 ただそう思われても仕方ないことを私はやったんだ。


「じゃあ私これで帰るから、また何かあったら教えて」

「わかった、今日はありがとう」


 胸が押しつぶされそうになるのを感じながらなんとか花音に別れを告げると、伝票をもって私も席を立った。

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