第13話

「もういいの?」


 ゆっくりと真保まほの唇が離れる。

 彼女の顔を見つめると、彼女は小さくうなずいた。


「わかった」

「……ごめん」


 真保は憔悴しょうすいし切った顔をしているが、相変わらず強い力で壁に押し付けてくる。


「いいんだけどさ、腕離してくれない?」


 私が言うとすぐ彼女は自由にしてくれた。

 ただ目から大粒の涙がいくつもあふれている。


「ちょ、なんで泣いてるの?」

「……わかんない」


 彼女は私に頭を押し付けながら何度も頭を横に振る。

 私もなにをしたらいいかわからず、かすかに震えていた真保の手を握ることしかできなかった。


 こんなとこ誰かに見られたらなんて言い訳したらいいんだろう……。

 階段の陰になっている部分にいるだけなので、のぞかれたら簡単にバレるし。

 生徒たちの声が聞こえてくるたびに恐怖感が増加される。


「ごめん。もう大丈夫」


 彼女はフラフラと私から離れるとそのまま歩き出した。


「ねぇ、真保ったら」

「大丈夫だってっ!」


 今にも倒れるんじゃないかという彼女の腕を何とかつかむ。

 ただ彼女は私の手を振り解くと、走り去ってしまった。


「絶対大丈夫じゃないじゃん……」


 丁度そこを通っていた生徒たちが不審そうな目で私のことを見てくる。

 そりゃそういう反応するよね。


 その視線から逃げるように元の階段下に戻った。

 スマホ拾ったら早く教室帰ろ。

 確かなぎから連絡来てたよね?

 この時間だと帰りの約束とかかな。

 スマホをつけるが、ロック画面の壁紙が違う。


「えっ?」


 一瞬私自分で壁紙変えたっけ?などと考えたが、絶対に変えてない。

 断言できる。

 凪の写真をほかのに変えるのなんてありえない。

 ってことはこれは真保の?


 慌ててさっき彼女が消えていったほうを見たが、もう見つからない。

 追おうにも人ごみが邪魔だし、あの顔だと教室に戻ってるとも限らないしな。

 まあ家で返せばいいか。

 どうせそこで会うし。

 凪は、どうしよう……。

 多分あれ帰りどうするって連絡だよね?


「やばくない?」


 これが開けば真保にスマホ間違ってるって言えるんだけどな。

 適当なパスワードで開かないかと、彼女の誕生日など入れてみるが開く気配がない。

 やっぱ家で返してもらうしかないか……。

 あきらめてスマホを仕舞おうと画面を消したところで、再度画面が点灯した。


「ん?」


 もしかして、真保からかな?

 そう期待してよく見てみたが、ロック画面には凪先輩と送り主の名前が出ているだけで内容まではわからない。

 えっ?

 凪先輩ってどういうこと?

 その後も凪先輩とのアカウントからは何件も送られてきており、そのたびにスマホが小さく震えた。


 凪先輩ってあの凪しかいないよね?

 少なくとも私が知っているのは、私の彼女である凪しかいない。

 真保にはほかに凪って名前の知り合いいるの?

 この凪って私の彼女じゃないよね?

 二人って関わりないみたいに言ってたよね?


 多分会話の内容さえ見ればこの凪先輩が私の彼女じゃないことぐらいすぐわかるはず。

 ただ今すぐに確かめたいのに0と1で構成された壁が私のことを拒絶する。

 できるなら本人たちにけたらいいんだけど……。

 そんなことできるわけない。

 それに二人が連絡を取っていたからって、私が禁じていいわけじゃないし。


 ◇


 悶々もんもんとしながら昼休みを過ごしていると、いつの間にか午後の授業が始まった。

 ただいまいち授業に実が入らない。

 何度考えても、あれがもし凪本人だった場合二人が知らないって言った理由がわからない。


 別に事前に知ってるなら教えてくれてもいいじゃん。

 二人がすでに知り合っていた場合でもそれを隠す理由もなくない?

 頭の中で永遠と回り続ける「なんで?」を極力無視しながら授業を受けるが、結局一度も集中できないまま終わってしまった。


 今日やったところ家返って復習しないと……。

 メモっと思ってスマホを取り出すと、現実が顔を覗かせた。

 そうだこれ真保のじゃん。

 ノートに大きく復習とだけ書くと、蛍光ペンで丸く囲む。

 

 ほんとどうしよう……。

 凪からのLINEにも返信してないし。

 てか、授業終わってすぐの人だかりのできない時間なら凪と話せたんじゃ……。

 委員会で重要な話とかうそ言えば人払いもできたよね?

 ただ今更そんなことを考えてももう遅く、凪はすでにいろんな生徒に取り囲まれていた。

 

「やっぱダメかぁ……」


 大きなため息をつくと、また真保のスマホが震えだす。

 まるで授業が終わるのを待っていたかのように。

 相手はまた凪先輩とやらで、その通知は留まるところを知らない。


 これで凪がスマホいじってるようなら確定で凪だよね。

 ただ彼女の手元を見ようにも人の壁のせいで、全く見ることができない。

 下手に近づいて周りから白い目で見られるのも嫌だしなぁ。


 どうにか隙間から見えないかと凪の方をじっと見ていると誰かに肩をたたかれた。

 えっと誰だっけこの人。

 クラスメイトなのはわかるんだけど。

 なにを言おうか悩んでいるとその人はドアの方を指さし「呼んでる」とだけ言った。


 呼んでる?

 誰が?

 振り向くと、手招きしている真保がいた。


 その顔にはまだ泣きはらした跡があるが、少しだけさっきより和らいだ表情をしていた。

 ここまで来たってことはスマホかな?

 よかった、これでスマホ使える。

 一瞬安堵あんどしたが、まだ凪先輩が誰かという問題が解決してない。

 なにもよくない。


「ごめんなさい、ちとせ先輩。さっき私間違えて先輩のスマホ取ってしまったようで……」


 彼女は大事そうに私のスマホを抱えていた。


「ん、ありがと。これ真保のスマホだよね?」

「ありがとうございます」


 私からスマホを奪い取ると、彼女は一目散に画面を眺め始めた。

 そんなに凪先輩からのLINEが気になるの?

 彼女はなにかに安心したように大きく息を吐く。


「じゃあちとせ先輩。ありがとうございました」


 彼女はそのまま帰ろうとしたが、訊きたいことが山ほどある。

 彼女の手首をつかむとそのまま人の少ない廊下の隅に連れて行った。


「あの、ちとせ先輩? なんですか。私帰らないと……」

「その前に私に言うことない?」

「言うことってなんですか?」


 彼女はまだ後輩の演技を続けるのかキョトンとした顔でこちらを見てくる。


「凪先輩ってだれ? 私が真保のスマホ持ってた間しきりにLINE送ってきたんだけど」


 私が尋ねると、真保の目が泳いだ。

 なにか頼れるものを探すようにしきりに視線が動いている。

 別に私が付き合うより先に二人が知り合っていたからと言って、怒ったりすることないのに。

 ただ知り合っていたなら教えてほしかっただけ。


「あーそれ……」


 彼女は絵に描いたような慌て具合を見せながらしきりに言葉を選んでいるようだ。


「そうそれ。その人って私の知ってる凪先輩?」

「いや、別の人。ふざけて友達の名前凪先輩にしただけで、深い意味はないよ」

「ふざけて変える理由ってなくない? 二人が友達とかなら教えてほしかったってだけなんだけど」

「だから私とお姉ちゃんの彼女とは知り合いじゃないって前も言ったじゃん」


 彼女は下唇を軽くみながら必死に弁明してくる。


「だからっ――」


 そう言いかけたところで次の授業を知らせるチャイムが鳴った。


「ごめん遅れちゃうから行くね」


 彼女は私を突き飛ばすような勢いで駆け出すと、すぐに見えなくなった。

 言いたいことは言えなかったけどまあいいや。

 あのまま問いただしても嘘をつき続けるだろうし、代わりに凪に訊けばいいや。

 LINEを確認すると私の予想どおり凪からのメッセージは「今日一緒帰ろう?」というものだった。

 帰り道でゆっくり訊かせてもらうね。

 凪。

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