第9話

「痛っ」


 何度目かわからない苦痛の声を漏らしたところで、糸が切れたかのようになぎ先輩の動きが止まる。


「ごめん真保まほ、大丈夫?」


 凪先輩はさっきまで私を殴っていた手で、抱きしめてくる。

 彼女に包まれるのは好きだった。

 けどお姉ちゃんに触れた手で触られていると思うと、私ですべて上書きしたくなる。


 先輩はさっきまで一心不乱に私のことを傷つけていたのに、今は何度も「ごめん」と言いながら心底辛そうな顔をしている。

 よかった。

 この顔が見たかったんだ。

 絶対にお姉ちゃんにも私以外の誰にも見せない後悔と自責の念でゆがんだ表情。

 私以外絶対に手に入れられない特別な凪先輩。


「大丈夫ですよ。それとも……、もっとします?」

「もうしない。ほんとにごめん」


 先輩はさっき私を殴ってきたのとは比べ物にならないくらいの力で抱きしめてくる。

 本当に反省しているのかもしれない。

 けどこれが形式的なやり取りとなんら変わらないのはわかってる。

 先輩はテストで1位を逃すたびに、私を求めてくる。

 そしてそのたびに「もうしない」と言っていた。

 今までずっとこの関係が続くと思っていた。


 ただ私を捨てた時点で先輩からは私を求めてくれないかもしれない。

 けどもう求めなくても関係ない。

 何位を取ろうが、なにもなくても求めさせる。

 その度に痛みと罪悪感で苦しむかもしれないけど、苦しんだ分だけ私がそばに居る。


「別に私はいつしてもいいですよ。凪先輩がしたい時にしたいだけ」

「ダメだって、もうしないよ」


 一体何回このセリフを聞いただろう。

 これを聞くと無意識のうちにまた次もやってくれるんだって安心してしまう。

 けど私を振ったことも、その上でお姉ちゃんを選んだことも許さない。


 けど姉ちゃんに当たることはできないでしょ?

 だから私から離れられないようにして、お姉ちゃんと別れさせてやる。

 凪先輩には私以外必要ない。


「先輩は私のこと傷つけたの後悔してます?」

「当たり前じゃん。真保の辛そうな顔を見るのも。耳にこびりついてる一瞬息が止まった後に出る声も全部嫌だよ」

「ならそれ全部忘れさせてあげるのでキスしてください」

「本当に忘れさせてくれるの?」


 先輩はすがるような目で私を見てくる。

 いいよ。

 そんなに私にしたことを忘れたいなら、一生忘れられないようにしてあげる。


「本当ですよ。だからいいでしょ?」


 彼女は小さくうなずくと、一切抵抗することなく私を受けれ入れてくれた。

 まさかそんな躊躇ためらいなくしてくれるとは思わなかった。

 少しはお姉ちゃんに対する負い目があるかと思ったのに。


 けどまあそっちのがいいや。

 凪先輩から私を振ったわけだし、お姉ちゃんの方から振らせないと別れないかと思ってた。

 けど、これならお姉ちゃんを奪わなくてもそのうち私の下に戻ってきてくれそう。

 久しぶりにする凪先輩とのキスはとても甘いものだった。


「ねえもっとしましょう」


 キスしてる間ずっと呼吸を止めていたのか、肩で息をしている先輩に身体を寄せる。

 そうやって回数を重ねるうちに、どんどんと先輩の方からキスをしてくれるようになった。


「ごめんちょっと休憩」

「いいですけど、これからどうします?」

「どうするってそろそろ帰ってくるだろうし……」

「多分帰ってきませんよ。帰ってきても私がまだいるってわかったらすぐ出ていくと思います」


 多分私、凪のお母さんに嫌われてるからな。

 いやちょっと違うか。

 まあ得体のしれない何かだとは思われてそう。


「ああそうだった。最近来てないから忘れてた」

「最近はずっとお姉ちゃんとしか会ってないですもんね」

「なにその言い方」

「なにって、怒ってるんですよ。自分から告ってきてれさせたくせに、いきなり振ったと思ったらお姉ちゃんと付き合い始めて」


 お姉ちゃんの彼女が凪先輩ってわかった時も、振ったくせに何事もなかったように私の前に現れた時も、許せなかった。

 けどお姉ちゃんと付き合ったのならまだ何とかできる。

 ごめんね、お姉ちゃん。

 お姉ちゃんの彼女は私のモノなんだ。

 お姉ちゃんも私とキスしたんだし、凪先輩が私とキスしても許してくれるよね?


「それはほんとにごめん」

「別にいいですけどね。ただ悪いと思ってるなら今だけ恋人に戻ってくれますよね?」

「いいよ。ちとせには内緒ね」


 今度は私からなにか言わなくても先輩の方からキスしてくれた。

 来る前はお姉ちゃんに悪いとか言って抵抗するかと思ってたけど。

 まあ付き合ってた頃と同じようなことして、また私のこと好きだと思ってくれるかもしれないし、スムーズに進む分にはいいや。


「凪先輩って相変わらず肌きれいですよね」

「ありがと」


 お姉ちゃんもケアしているのかきれいだとは思ったけど、惚れた欲目を抜きにしても凪先輩の方がきれいだと思う。

 さっき腕を見た時と違い、優しく服を脱がせていくと、前はなかった痕が現れた。


「先輩、これなんですか。赤いの?」

「あーそれ……、まあ虫刺されかなぁ……」

「へー……。その刺してきた虫の名前ってちとせとかだったりします?」


 今更虫刺されなんて言い訳しなくていいのに。

 先輩だって何回も私につけたんだから、ちょっと見れば虫刺されと違うことぐらいわかる。


「そうかもしれない、けど……」


 その先輩の自信なさげな声を聴いてるだけでふつふつと怒りが湧いてくる。

 私が付けようとしたら嫌がって一回もつけさせてくれなかったくせに。

 お姉ちゃんならつけさせるんだ。


 確かお姉ちゃんにもついてたよね?

 あの時はまた先輩が勝手につけたと思って気にも留めなかったけど、お互いにつけあったんだ。

 私の時はあんなに拒んだのに。

 許せない……。


「ねえ真保痛いっ」

「だから?」


 無意識のうちにつかんでいた手首を握りしめていたみたいだけど、痛いとか痛くないとかもうどうでもいい。

 私が優しくしたところでお姉ちゃんのキスマークが消えるわけじゃないし……。


「じゃあその虫刺されの数増やしますね」

「え、ねぇ、ちょっと待って――」


 彼女の静止を無視して、思い切りお姉ちゃんの痕の上に吸いつく。

 鏡で見るたびに私のこと思い出せばいい。

 いつか消えると思うけど、そのたびにまたつければ二度と私のこと忘れられなくなるでしょ?

 キスマをつけたあと、いつも通りのことになだれ込んだはずだけど正直よく覚えてはいない。

 ただ私の鬱憤をぶつけるようなものだったということだけは薄っすらと記憶に残っている。


 ◇


 泊るつもりだったのに、だいぶ早く帰ってきちゃった……。


「ただいま」


 ゆっくりと玄関を閉めるとリビングから笑い声が聞こえてきた。

 一人はお姉ちゃんと……。

 もう一人は誰だろう?

 お母さんではなさそうだし。


「ただいま」


 ゆっくりとリビングのドアを開けると、お姉ちゃんと幼馴染おさななじみ花音かのんが楽しそうに話していた。

 花音は私に気が付くと、長く話していなかったとは思わせないくらい親しい感じで話しかけてくる。


「あ、久しぶり真保ちゃん」

「花音……、久しぶり……」

「真保ちゃんなんか雰囲気変わった? 相変わらずかわいいけど」

「そう、かもね……。ありがと」


 花音と話しながらも、お姉ちゃんの顔が視界に入るだけでさっきのキスマがよみがえってくる。

 やっば、泣きそう。

 私は拒否られたのにお姉ちゃんは許してもらえたんだ……。

 そんな気も知らず、お姉ちゃんはいつもの調子で話しかけてきた。


「あ、真保そういえばさっきは心配かけてごめん。凪から連絡あった」

「……へーよかったね。ごめんシャワー浴びてきちゃうからまた後でね」


 何とかその場は堪えると、急いでお風呂場へ向かった。

 先輩はどんなに特別をくれても、当たり前だけは絶対に私にくれない。

 ぎゅっと胸を締め付けられるような気分になり、床にへたり込んだ。

 お姉ちゃんはちゃんと連絡ももらって、キスマまでつけてるのに……。

 私はただの元カノで、無理やりじゃないと先輩の身体に痕一つすらつけさせてもらえない。


 シャワーの水流を少しだけ強くする。

 大丈夫。

 これでなにをしてもお姉ちゃんにも花音にもバレない。

 もう顔に伝っているのが水だか涙かわからないけど、そんなこと構わず私は何度も唱えた。


「私は幸せ、私は幸せ、私は幸せ」

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