第5話

 キスして満足したのか、気がついたら真保まほはどこかへ行ってしまっていた。

 あれからどこくらい時間が経ったんだろうか。

 多分まだ生徒の声が聞こえるから授業は始まってないと思うけど……。

 一度身体の力が抜けてしまったからか、未だに力が入らない。

 普段なら教室の床に座るなんて絶対しないのに、汚れがつくのも気にせずへたり込んでいる。

 まあもうホコリとはひどいだろうし、今更気にしてもしょうがないよね……。


「ねぇなんでキスなんかしたの?」


 誰からも返事が来ないことはわかっている。

 けど、不意に口に出してしまった疑問が誰の耳にも届かず教室で反響するのを聴くと、すごく虚しく感じる。


 できることなら真保との関係は悪くしたくない。

 今のやり方があってるかわからない。

 けど真保を傷つけた中学の受験期よりも少しだけマシな選択は出来てると思う。

 多分。

 きっと……。


 なぎももともと仲のいい友達としか思っていなかったから、好きと言われた時もあまりピンと来なかった。

 もともと教室では私は独りで凪はクラスの中心っていう絶対に交わらない関係性だったし。

 ただ図書館で勉強してる時に話すようになって。

 そのまま押し切られるように付き合ったから初めのうちは戸惑った。

 けど今はきっと好きだし、裏切りたくはない。


 それでもいくら凪の匂いがしたといっても妹とのキスでまたしたいと思ってしまったのは我ながら最低だと思う。

 いつもならこんな時どうしてたっけ?

 動かなきゃと思っても、身体は言うことを聞かない。

 頭の中でもずっとさっきのキスが渦巻いている。

 思い出したくないのに、ループ再生のように以降に止まる気配がみられなかった。

 普段ならよく痛くなる腕も今日は全く痛くなくて、その代わり心臓に何本ものナイフが突き刺さっているような気分だった。


「お昼、どうしよう……」


 午後は小テストがあるから、抜いたとしてもなるべく戻らなきゃいけないのはわかってる。

 テスト前に見ておきたい部分もあるし。

 ただもし誰かに今の姿を見られたら真保とキスしたのがばれるような気がして、教室に戻るのが怖い。


「ごめん。凪」


 私のこぼした言葉に反応するかのようにスマホが震える。

 そういえばさっきも来てたっけ。

 何とか力を振り絞りスマホをつけると、全て凪からのLINEだった。

 どれもなかなか教室に戻らない私を心配してくれているみたいだ。

 別に教室にいても話すわけじゃないのに。

 

 凪は心配してくれてる。

 それなのに私は……。

 既読をつけてしまった以上無視するわけにもいかない。

『どこいるの?』という問いに『旧校舎』とだけ返した。


「あー教室教えてない」


 まあいいか。

 ごめんそんな余裕ないや。

 そのままぼーっとしていると、もうすぐお昼が終わるのか外を歩いている生徒の声がだんだんと小さくなっていく。

 今何時なんだろう。

 まだ授業の時間ではないよね。

 さっきスマホ使った時見ればよかった。


 少しホコリの混ざった空気を吸いながら何もする気が湧かないでいると、誰かの歩いてくる音が聞こえてきた。

 凪?

 そんなわけないよね。

 場所もわからないのにこんなに早く着くわけない。


 あーどうしよう今誰にも顔見られたくない。

 絶対キスしたのがバレる。

 キスマでもつけない限りバレないのはわかっているのに、バレる気がする。

 手で顔を覆いじっとしていると、その足音は教室の前で止まった。

 その人もまたためらうことなくドアを開ける。


「ちとせ? 何してるの?」


 足音はどんどん近づいてくる。

 声から凪だとわかったが、正直今は話したくない。

 彼女の問いかけを無視するが、気にしてないのか話しかけてくる。


「ねー、お昼は?」


 返事の代わりに頭を振った。

 最悪だ。

 多分今の私はどこに出しても恥ずかしい、世界一メンドクサイ彼女だと思う。

 けど凪に顔見られるのは嫌だし、声からもキスしたのがバレてしまいそうで……。


「なに? 真保ちゃんと喧嘩けんかでもした?」


 声だけで凪はおかしそうに笑っているのがわかる。

 私が真保とキスしたなんて思ってないもんね。

 わかってたら笑うことなんかできないはずだ。

 それどころか他人未満の関係になってしまうだろう。


「大丈夫だって、真保ちゃんに謝るなら私もついていくし」

「いや、そうじゃない」


 これ以上黙って凪を困らせたくないので何とか言葉を絞り出す。

 もしかしたら今ならまだ真保とキスしたことを言えば、許してくれるかもしれない。

 優しく話しかけてくれる凪にそんな希望を抱いてしまう。


「実は――」

「実は?」


 私の顔をのぞき込んできた凪の顔を見てようやく正気に戻った。

 私今なに言おうとした?

 許してくれるわけないじゃん。

 ただの浮気じゃないし、姉妹のスキンシップとしても説明できるわけない。

 浮気だったら許してもらえるわけでもないけど。


「ごめん何でもない。大丈夫真保とはうまくやれてる。心配かけてごめんね」


 早くこの話題を終わらせないと。

 今だと何を口走るかわからない。

 それにこれ以上さっきのことを思い出したくない。


「ならいいけど」


 凪は少し不審がっていたが、これ以上触れたくないという気持ちが伝わったのだろうか。

 これ以上話すことはなかった。


 ◇


「はい終了。後ろから答案集めてきて。出したら解散でいいから」


 午後の授業の終わりを告げるチャイムとともに担任はテストの終わりを告げた。

 やばいどうしよう、全然できなかった。

 気を抜くとすぐにさっきのシーンがフラッシュバックしてきて、問題に集中できない。

 どうしたら忘れられるの。

 もう思い出したくないんだけど。

 一人頭を抱えていると、凪からのLINEが届いた。


『裏門で待ってて』

「わかった」


 すでにほかのクラスメイトと楽しそうに話している凪を横目に見ながらLINEを返した。


「ちとせっ! ごめんお待たせ、帰ろっ」

「あ、うん」

「元気ないけどあんまりできなかった?」

「まあそうだね、あんまり」


 凪と付き合ってから今まで、付き合ってよかったと思うことはいくつもある。

 けど今日だけはなんで友達じゃないんだろうと思ってしまう。

 友達なら気兼ねなく相談できたかもしれないのに……。


「なんかちとせができないって珍しいけど、お昼のが原因?」

「まあそうだね……」

「言いたくないならいいけどさ、私にできることがあるなら言ってよ? 彼女なんだし」

「わかった、ありがとう……」


 彼女なんだから、か……。

 そのあとも凪と取り留めのない会話をしながら歩いたが、どうしても真保のキスが頭にべったりとこびりついて離れない。

 ああもうヤダ。

 今までは普通だったのに、なんで急に……。


「――え、ねえちとせったら」

「あ、ごめん聞いてなかった」

「ほんとに大丈夫?」

「う、うん。多分」


 目の前にいる凪って本物の凪だよね。

 たまに風に乗って流れてくる彼女の匂いを嗅ぐたびに真保の顔がちらつく。

 この匂いのせいで記憶が消えないのだとしたら、本物とキスすれば上書きできるかな。

 最低なこと考えてるってわかってる……。

 けど自分でもどうしたら真保が消えるかわからない……。


「ねえ、今日凪の家行ってもいい?」

「あ、今日? ごめん今日はちょっと……」

「そう、だよね」


 急に行きたいって言っても凪も困るよね。


「来週なら大丈夫だと思うけど、来る?」

「そうしようかな、なら来週行く」


 けど、どうしよう。

 来週まで我慢できる?

 このままだと些細ささいなことで真保のこと思い出して、集中できる気がしない。

 どうしようかと思っていると、公園が目に入ってきた。

 ここだったら隠れられる場所も多そうだしいいかな。


「ねえ凪、ちょっと休んでもいい?」

「いいよ、どこ行く?」

「ここじゃだめ?」

「ここって公園? まあいいけど」


 公園の中では平日の午後ということもあり、何人かの子供とその親と思われる大人が何人かいたが誰も私たちに注目している様子はない。


「私なにか買うけど、ちとせは?」

「凪と同じのでいいや」

「んーわかった。じゃあ持っていくから先行ってて」


 遠くからがこんっ、がこんと2回音がすると、凪は少しだけ周りに水滴のついた水を持って先に座っていた私のもとに戻ってきた。


「これでいい?」

「いいよありがとう」


 喉を小さく上下させながら水を飲む彼女はまるでCMのワンシーンみたいだった。

 やっぱ凪ってきれいだな。

 じっと私が見つめていることに気が付いたのか、彼女は急に頬を染める。


「ねえなんでそんな見ているの。恥ずかしいんだけど」

「ごめんごめん。なんか水飲んでるのが画になってたから見とれちゃった」

「なにそれ」


 笑う彼女の唇はしっとりとしていて、つい目を奪われてしまう。

 ここでキスしたいなんて言って嫌がられないだろうか。

 ちゃんと二人きりになれるまで我慢したほうがいいかな。

 けど、次二人きりになれるのっていつ?


「ねえ凪、キスしたい」


 凪の宝石のように輝く唇と無意識のうちに口にしてしまっていた。

 初めのうちは驚いたような顔をしていたが、覚悟を決めたのか、「いいよ」と消えそうな声で言ってくる。

 いいってことは、いいんだよね。


「大好きだよ、凪」

「ありがとう、ちとせ」


 あたらめて誰にも見られていないことを確認すると、ゆっくりと唇を合わせた。

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