第4話
「ねーお姉ちゃん、まだ寝てるの? 遅刻するよっ」
「あーごめん、今行く」
コンシーラーよし。
服も大丈夫。
これで行けるかなっ。
最低限のメイクをすると、
出るとすぐそこにヤレヤレといった顔の真保が立っていた。
「ねえお姉ちゃん。毎日ギリギリまで寝てるのどうかと思うよ」
「ごめんごめん。明日は早く起きるって」
「それ毎朝聞いてるんだけど」
けたたましく鳴る目覚まし時計のように耳の痛い話をしてくる真保に、適当に返事をしながら階段を下りる。
「さすがにここまで来て遅刻はしないよね」
ローファーに片足を突っ込んでいると、先に履き終わった真保は相変わらず小ばかにしたような視線を向けてきた。
「それはないって、大丈夫」
「だよね。じゃあ私先に行くから」
「いってらっしゃい」
そう返事をしても、真保は一向に出て行かなかった。
玄関ドアを開けたままピクリとも動かないでいる。
先行くって言ってたけど、待ってくれてるのかな?
最近本当に遅刻ギリギリなことが多いしなー。
ここからでも遅刻するとか思われてるのかもしれない。
私信用ないなー。
心の中で苦笑しながら姿見で最後の確認をする。
ただ私が出かけられるようになっても、真保は固まったままだった。
「どうしたの? 行かないの?」
軽く真保の肩を
「真保?」
「いや、何でもない。ごめん私先に行くね」
彼女は私を急かしたせいで元気を使い切ってしまったのか、今まで見たことがないくらい顔が青くなっていた。
「ねえ、真保大丈夫なの?」
私の問いかけを無視して、彼女はどんどんと速度を上げていった。
「ねえ、真保ったらっ」
「ちーとせっ」
追いかけようと足に力を込めると、後ろから話しかけられた。
だれ?
声のほうを向くと
「え? 凪?」
「おはよう、ちとせ」
なんで凪がいるの?
私なんか約束してたっけ?
「おはよ、凪。今日迎えに来るとか言ってたっけ?」
「いや、来たかったから勝手に来ただけ。昨日話し足りなかったしね」
「よかったぁ、私なにか忘れちゃったかと思った」
「大丈夫だよ。それより、行こっ。遅れちゃう」
彼女が見せてきたスマホは遅刻ギリギリの時間を示している。
やば。
真保に声かけてもらったのに、遅くなっちゃった。
「そうだね。ごめんね結構待たせたでしょ?」
「そうでもないよ、毎日ちとせがギリギリなのは知ってるし。そこまで待ってないよ」
「よかった」
前を見ると、真保の姿はだいぶ小さくなっていた。
決して走ってるわけじゃなさそうだけど、普段見ることのない速さだ。
なにをそんな急いでるんだろう。
何かから逃げるみたいに……。
「あのさ。前歩いてるの妹の真保なんだけど、なんか違和感なかった? さっき固まってたんだよねー」
「ああ、昨日の。違和感、ねー……」
凪は少し悩んだ素振りを見せたあと、小さく首を横に振った。
「ごめん。ちとせの前で見せる普段の姿はわからないから、違和感って言われても特に出てこないや」
「まあそうだよね。ごめん。凪会ったことなかったもんね」
「それよりさ、ちとせは今日の小テスト大丈夫そう?」
今日小テストか。
真保に勉強教えてたからあんまり勉強できてないんだよな。
あの後も疲れてすぐ寝ちゃったし……。
「まあ、多分? 凪は?」
「私も微妙かな。あの後勉強できなかったし」
「そうなんだ、とは言っても凪なら平気でしょ」
彼女が
勉強できてないとか言うなら、少しぐらいそういう振りはしてほしい。
どれだけ朝急いでたのかわからないけど、利き手の小指側はうっすらと黒く染まっているし、くまも完全に隠しきれてない。
まあそのくらい別に気にしないけど。
凪が学校で努力隠してるのも知ってるし。
◇
4限が終わりお昼どうしようかなどと考えていると、聞きなれた声が飛び込んできた。
入口のほうを向くと、真保が近くにいた人となにか話している。
え、真保?
なんで来たの?
今まで私の教室に来たことなんかないし、なんなら移動教室とかですれ違っても目すら合わせてくれなかったのに。
他人の振りしてたじゃん。
「
「わかった」
さすがにただの下級生だと思われてる以上無下に扱うわけにもいかない。
なるべく普通を装って応じると、教室から少し離れたところに真保を連れて行く。
午前中で少し休めたのか、彼女の顔は朝見た時よりだいぶ良くなっていた。
「ねえ何にしに来たの?」
「なにって、お昼食べようと思って。お姉ちゃん学食でしょ?」
「……、そうだけど」
そもそも学校では家族ってバレたくないって言ってきたのは真保じゃん。
なんで急に。
どうしたらいいかわからないし、適当な理由着けて断ろ。
「ねえ別の日じゃダメ? ほかの人との約束もあるしさ?」
「それって凪さん?」
そういうと彼女は急に少しだけ冷めたような顔になった。
今までそんな顔したことないじゃん。
なんでそんな顔するの……。
こっちに罪悪感生ませるような表情で私のこと見ないでよ。
「じゃあ別の日でいいから、今ちょっとだけいい?」
「え、なんで?」
「ねえ、ちょっとだけだから。どうしてもダメ?」
「わかった、いいよ」
あのまま断り続けても、こっちが折れるまであきらめないと思う。
なら余計に長引かせずさっさと終わらせたほうがいい。
行き先もわからないまま真保の後についていった。
ただどれだけ歩こうとも彼女は止まる様子を見せない。
「ねえどこまで行くの? ここ旧校舎じゃん」
かすかにホコリの臭いのするここに来ると、子供の頃来たことがないのはわかっているのに少しだけ懐かしさを感じてしまう。
「もうちょっと」
それだけ言うと彼女はまた歩き始める。
何度か階段を上ると、真保はようやくある教室の前で立ち止まった。
え、ここになにがあるの?
どうしたらいいかわからず動けないでいると、「入って」とだけ真保に言われる。
足を踏み入れると、長年使われていないわりに
きょろきょろと見まわしながら一歩二歩と歩いて行くと静かにドアが閉められる。
窓に遮光カーテンがかかっているせいか、急に教室が暗くなった。
「え、ねぇドアまで閉めて何の用?」
「別に大した用じゃないよ」
相変わらず冷たい目をした真保はだんだんと私との距離を詰めてくる。
「よかったね。凪さんに迎えに来てもらって」
「別に頼んだわけじゃないし。なにわざわざ旧校舎まですることがこれ?」
え?
その文句を言うためだけにここに呼び出したの?
「別にこれだけのためじゃないよ」
彼女はさっきとは違い不気味な満面の笑みを浮かべながら、こちらに一歩ずつ近づいてくる。
密着するかと思うくらい近づいてくると、嗅いだことのある香りがしてきた。
なんで凪の香りが真保から?
「この匂いって……」
「気が付いた? 凪さんと同じ匂いだよ。またまた持ってたから着けてみたんだ」
いつもだったら落ち着ける香りのはずなのに、今日に限ってこの香りを嗅ぐと背中が
「それだったら別に家でもいいじゃん。てかなんで凪の匂いを真保が知ってるわけ?」
「昨日お姉ちゃんの服についてた匂いからこれかなって思って」
耳から入ってくる情報は真保の声のはずなのに、鼻は凪と言ってくる。
所々真保の香りと混ざっている部分もなくはないけど、もし嗅覚以外使えなくなったら、どちらか断言できる自信がない。
「そんな凪さんの匂いっていい匂い?」
「知らないよそんなの」
「嘘じゃん。お姉ちゃんの反応明らかに違うし」
いい匂いだとは思う。
ただ真保に言われて認めると、なんだか真保のこともいい匂いと言っているような認めたくない。
「ねえ目閉じて」
「なんで?」
「いいから」
真保は無理やり私の目を掌で覆ってきた。
「よくないって。やめよ?」
「よくなくないよ」
なんとか逃げようと思っても、全体重で壁に押し付けられているのかびくともしない。
離れようと再度身体に力を込めた直後、唇に柔らかい感触が密着してきた。
凪の香りが昨日の記憶を呼び起こす。
いやだよ。
こんなことで思い出したくないのに。
かき回されているかのようにぐちゃぐちゃと混ざっていく意識の中、ポケットのスマホが震えてるのだけが鮮明に分かった。
ああ、凪からのLINEかなぁ。
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