第39話 凛ちゃんと

 放課後。私は凛ちゃんのアパートに向かった。

 担任の先生から教えてもらったメモを何度も確認したから、まちがいないはず。

 102号室。うん、合ってる。

 緊張しながら部屋のインターホンを鳴らすと、すぐに中から「はい」という声が聞こえて、ドアが開いた。


「菜月さん!?」


 久しぶりに会った凛ちゃんは、知らない人みたいだった。

 絵の具で汚れたシャツに、ぼさぼさの髪の毛。

 目の下には黒いクマがあって、顔も少しやつれている。


「話をしにきたの」


 凛ちゃんは戸惑ったような顔をしたけど、


「入って」


 と、家のなかへ入れてくれた。

 でも、凛ちゃんの部屋に入った瞬間、その光景にぎょっとしてしまった。

 狭い部屋に敷かれたビニールシート。

 その上にはイーゼルと……神山くんを描いたキャンバスが置いてあった。

 それだけでもびっくりなのに、黒い絵の具で塗りつぶされていたはずの部分が、半分くらい修復されている。


「あたしじゃ、これくらいしか直せなかったの。いまの神山くんを、よく知らないから……」

「もしかして、このために学校を休んでいたの?」


 凛ちゃんはうなずく。


「最低なことをしたって思ってる。本当にごめんなさい」

「凛ちゃん……」

「あたし、うぬぼれてたの。いままで、絵で負けたことなんかなかったんだもの。ライバルが多い方がいいなんて口では言ってたけど、どこかで他の人を見下してた」

「……」

「だけどあなたの絵を見て、はじめて負けるかもって思ったの。しかも、神山くんまで取られたような気がしたわ。日向先生から、あたしの絵は出品させられないって言われたとき……サイテーだけど、菜月さんなんていなければって思っちゃった」

「……そっか」

「ごめんね、菜月さん。こんなことする人が絵なんて描いちゃいけないわよね」

「だから美術部も辞めたの?」

「そうよ。それぐらいのことしかできなかったけど。もう、絵はやめるわ」


 それを聞いて、私はとっさに凛ちゃんの手をにぎる。


「凛ちゃん、それはだめ。やめないで」


 ――『やめちゃだめだよ、菜月』


 言葉にしてから気がついた。亜衣の言葉と同じだって。

 そっか。亜衣も、きっとこんな気持ちだったんだ。

 凛ちゃんは私の大切な友だち。だから、私のために絵を描くのをやめないでほしい。


「菜月さん。それは、本当の言葉? また、あたしに気を使っているんじゃない?」


 今ならわかる。本音を隠したままじゃ、本当の友だちになんてなれないってこと。

 だから、言わなくちゃ。


「凛ちゃん。私も絵だけは誰にも負けたくないんだ」

「……」

「だから、コンクールに出品して受賞だってしたいし、部長にだってなってみたい。たとえ凛ちゃんとライバルになったとしても」

「……そう」

「それに、私も神山くんのことが好きなんだ」


 凛ちゃんがはっとしたように、私を見つめ返してくる。


「でもね、凛ちゃんとも友だちでいたいの」

「どうして? こんなにひどいことしたのに?」

「私こそ、いままでうそついてごめん。でも、凛ちゃんの気持ちがわかって、ほっとしたよ」


 ――『いいの。やっと菜月の気持ちがわかって、ほっとしたから』


 絵も恋愛も負けたくないなんて、堂々と言っちゃった。

 凛ちゃんは、それでも私を友だちって思ってくれるかな?


「菜月さん」


 私は体をかたくして、凛ちゃんの言葉を待った。


「言うのがおそいよ。あたしだって、あなたと仲良くしたいんだから」


 それを聞いたとたん力が抜けて、へなへなと床に座りこんだ。

 そんな私を、凛ちゃんはおかしそうに笑う。

 その瞳には、キラリと涙が光っていた。 

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