12.明日を勘違いする男
「ええと、この場合文法はどうなるんだったかな……というかそもそもスペルはどうだったっけ……」
一限目と二限目の間の休み時間。
俺は英語のノートと赤色のクリアフィルム越しににらめっこしていた。赤いフィルムは意地悪なものでノートに赤文字で書かれている英単語を隠している。まぁ、ノートに赤文字で英単語を書いたのは俺だし、赤色のクリアファイルで隠しているのも俺なんだが。なぜ俺がこういうことをしているかというとそれは二限目の英語の授業で小テストがあるからだ。別に英語は苦手ではない。だが念には念を、ということで今復習をしているのだが小テストの範囲に含まれている英単語を思い出すことができない。こうなったら赤フィルムをずらし、過去の俺が書いた英単語を確認するか? いや、もう少し考えていたい。でも休み時間は限られているし……。
そんなことを考えていると。
「ハル、難しい顔して何してんの」
同じクラスのミヨが話しかけて来た。
「次の英語の小テストの勉強だ」
「ふーん」
「『ふーん』って……余裕だな」
「余裕というか次の授業英語じゃないよ」
「嘘」
「マジ」
俺は黒板の右端に書かれている曜日を確認してから時間割表を取り出した。
「火曜日の二限目は……数学だ」
ちなみに明日――水曜日の二限目が英語である。
俺は一日勘違いしていたのだ。
するり、と俺の手から時間割表が滑り落ちる。
「アンタ、また勘違いしたの?」
呆れながらもミヨは表を拾ってくれた。
「確かに勘違いしたけど仕方ないだろ。火曜と水曜の一限目、現代文だぜ? そりゃ混同するって」
「しないし。確かに火曜と水曜の一限目の授業被ってるけどハルはそういうことがなくても一日勘違いするじゃん。よく」
「うっ……」
そう、ミヨの言うとおりだ。
俺が一日勘違いするのは今回だけではない。かなりの頻度で勘違いする。しかも決まって前倒しで。ミヨの誕生日を勘違いして笑われたことがあるし、高校受験日を勘違いして恥をかいたこともある。他にもいろいろと一日勘違いをしたことがあるが今ではどれも笑い話として消化できている。そして幸いなことに勘違いは一日前倒しであること。そのおかげか宿題の提出や約束をすっぽかしてしまったことは一度もない。
「何かの病気じゃない? 検査受けたことある?」
「いや、ないな。確かに俺もこれだけ多く勘違いすることが多いと病気かなって考えたことあるけど言い出せなくてな」
「誰か他に話したことある?」
「まぁ、母さんに。と言っても真剣に話したわけじゃなくて軽いノリで」
「そしたら?」
「『しっかりメモしなさい』って」
「そうなるよね。ちなみにメモは?」
そう言われ、俺は手帳を差し出した。
受け取った彼女はパラパラとめくり、表情を歪める。
「す、すごいね」
「これだけ書いても一日勘違いするのさ」
「本当に病気なんじゃない?」
「……」
そのときチャイムが鳴り、ミヨは自分の席に戻った。
授業中俺は自分のこの「症状」のことばかり考えていた。やっぱり病気なのか。それなら病院に行った方がいいのか。でも一日勘違いすることが多い病気なんて聞いたことないし……。親に心配だってかけたくない。
結局、誰にも相談しないことにした。
それから数日後のこと。それは突然起こった。
「えっ!?」
俺の全身が急に濡れたのだ。反射的に上を見たがそこには天井。そう、俺が濡れた場所は学校の廊下なのだ。雨が降るはずがない。それなら誰かが水をぶっかけてきた? だが周りを見てもみんな驚いているばかりでバケツやホースといった類の道具を持っている生徒はいない。俺に水をかけた人はすぐさま逃げたのだろうか。濡れたまま走り出そうとしたとき、目の前の角の向こうからミヨが現れた。彼女は俺を見てぎょっとした。
「ど、どうしたの!? そんなに濡れて!?」
「水をかけられた!」
「誰に!?」
「分からない……。なぁ、お前は誰かとすれ違ったりしてないか? バケツを持ったヤツと」
「ううん。そういう人は見ていない。というかそんなずぶ濡れだと風邪ひくよ。とりあえず保健室行けば?」
彼女の提案に頷き、俺は保健室へ行った。保健室の先生は俺を見て驚き、理由を訊いてきたが俺は「誰かにかけられました」と言った。急に体が濡れたなんて言っても信じてもらえないだろうから。
その日は予備のジャージで過ごした。下着はドライヤーで乾かした。もちろんカーテンを引いたベッドの上で。靴下も乾かしたのだが、おかしなことに気が付いた。泥がついていたのだ。それも猫の肉球のような形で。そこを重点的に乾かしてから指で触れば砂はパラパラとベッドに落ちる。
そして次の日。
体育の授業の際、ゲリラ豪雨に襲われた。
授業の内容は野球であり、外野を守っていた俺は慌てて体育館に逃げ込んだがそこに到達する頃にはもう全身が濡れていた。二日続けてびしょ濡れとは……。水難の相でも出ているのだろうか。俯いてため息をついたとき、俺は靴下を見て息をのんだ。なぜならそこには泥が、しかも昨日見た形で付着していたからである。
それからというのも俺は一日先を前倒しで「勘違い」するようになった。
例えば急に口の中に唐揚げの味が広がったかと思うと次の日の弁当に唐揚げが入っていたし、急にテストの問題が見えたかと思うと次の日に抜き打ちでテストが行われた。
このことに気づいたとき、俺は素直に面白いと思えたし、もっと上手に「勘違い」できないかと考えるようにもなった。意図して「勘違い」することで臨む未来を見たり体験したりできないかといろいろと試してみたがどうも上手くいかなかった。「勘違い」は意図して行うものではないらしい。それと「勘違い」は一日先しか対象にならないようだ。それでも、一日先だけだとしても未来のことが分かるなら便利な力だと初めは考えていた。だが少し不便なところもある。明日を「勘違い」している時は自分が未来を体験していることに気づいていないのだ。誰かに指摘されたりして初めて自分が「勘違い」していたことに気づける。だから傍から見ればまた「普通の勘違い」しているようにしか見えないのだ。
最初は未来が分かればそれでよかったのだが、日が経つにつれてこの力を披露したくなってくる。そこで何か明日を「勘違い」できたらすぐにみんなに教えてやろうと考えた。しかしこういうときに限って何も起こらないの。けれど不意にやって来るものである。
× × ×
「ちょっと、ハル? 急にどうしたの? 立ち止まって」
肩を揺らされて俺は我に返った。
「あれ? どうして俺は廊下に……教室で授業を受けていたはずなのに……」
「何言ってんの。移動教室だから移動していたんじゃない」
「いや、教室で数学を……」
俺の言葉にミヨは「またか」と肩をすくめ、俺は自分が「勘違い」していたことに気が付いた。
「なぁ、ミヨ」
「なに?」
「明日、内田先生急病で休みだが代わりに近藤先生が来るぞ」
ミヨの頭上に疑問符が浮かんだ。
「それに急にテストもある」
彼女が浮かべる疑問符の数が増えた。
「熱でもあるんじゃない?」
ミヨは俺の額に手を伸ばす。
「ないって。じゃあ、こうしようぜ。もしも俺の言ったことが外れたらお前の言いうことなんでも聞いてやる」
「へぇ、じゃあもしも、もしもアンタが合ってたら私もアンタの言うことなんでも聞いてあげる」
「言ったな?」
「言った。アンタはお金の準備でもしておいたら? ちょうど欲しい服があったんだよねー」
そう言うミヨは鼻歌を奏でながら先を歩きだした。
すると突然。
「いったぁ!」
右頬に衝撃が走った。
「どうしたの!?」
「いやなんか急に右頬が痛くなって……」
「虫歯?」
「いや、そういう感じじゃなくて叩かれたような……」
「何言ってんの?」
ミヨは首を傾げると行ってしまった。
そして次の日。
数学の時間。内田先生は来ず、近藤先生がやって来た。
後ろをふりむけばミヨは目を丸くしていた。
そんな彼女の反応に嬉しくなり、つい勝ち誇ったような顔をしてしまった。
ミヨが投げた消しゴムが俺の額に当たった。
休み時間になるとミヨはすぐさま俺の所までやって来てどうして分かったのか聞いてきた。
俺は「勘違い」できることを話した。
「嘘……」
「本当だって。何なら次また『勘違い』したら教えるよ。ところでさ、俺の言ったことが正しかったら何でも言うことを聞くって話だったよな?」
「げっ……覚えてたか……」
「というわけで軽くでいいからここにキスを……」
その瞬間、右頬に衝撃が走った。
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