11.天ぷらの衣替え

 蝉が五月蠅いとある夏のこと。


「お前、ここで働いて何年目だ」


「高校を出てすぐお世話になったので……五年になりますね」


「そろそろ上玉天ぷらの作り方でも教えてやるよ」


「本当ですか!? 師匠!?」


 俺は師匠の言葉についその場で飛び上がった。


 五年前、大学受験のマークシートすべてずれた状態で解答してしまうドジをして落ち、路頭に迷っていた俺を師匠は拾ってくれた。


 師匠は京都の一等地に天ぷらの店を構える職人だ。天ぷら作りにおいて師匠の右に出る者はおらず、店の予約は一年待ちの状況だ。


 そんな師匠の元で五年修行したり働いたりしたが俺が作っていた天ぷらは並の天ぷらであって、看板である「上玉天ぷら」を作っていたのは師匠。その師匠がついに俺に作り方を伝授してくれるのだ。


 そして師匠が教えてやると言って俺の目の前に並べたのは素材や水、衣など俺がいつも並の天ぷらを作っているときの材料と同じだった。


「何か特別な材料を使っているわけではないんですね」


「いやいや、実は使っているんだよ。衣だ、衣。素材に合わせて衣を変えることで天ぷらはとても美味しくなるんだ。例えば夏野菜の天ぷらにはさらさらしている夏用衣を使ったり、冬野菜の天ぷらには揚げたときに厚みが出る冬用衣を使ったりといった感じだな。もちろん春用と秋用もある」


「そうだったんですね」


「ただ季節の変わり目は気温が上がったり下がったりするからそこらへんはその日その日で臨機応変に対応する必要があるな」


「まるで衣替えみたいですね」


「はははっ、確かにそうだな。というわけで話が変わるが今度のテレビ局の取材の時に出す上玉天ぷらはお前が作れ」


「ええっ!? 俺がですか!?」


「大丈夫だ。作り方は並の天ぷらと変わらねぇ。それにこの五年間、お前を見てきたがお前は文句言わず頑張ってきた。だから大丈夫だ」


「師匠……!」


「でも修行したての頃みたいに衣をつけずに揚げるなんてことはするなよ」


「しませんよ、そんなこと!」


 そして数日が経ち、テレビの取材日になった。


 まずは店主である師匠が店について説明する。数人のスタッフやアナウンサーに囲まれても堂々としている師匠はかっこよかった。


 そしてとうとうアナウンサーに上玉天ぷらを披露する段取りになった。


「今日は私の弟子が作ります。しかも初の上玉天ぷら作りです」


「それは楽しみですね! お弟子さん、よろしくお願いします!」


 アナウンサーに微笑まれ、俺はさっそく上玉天ぷらを作り始めた。手順は並の物と変わらない。俺は馴れた手つきで天ぷらを作るとアナウンサーに差し出した。


「これが上玉天ぷらですか! 衣が輝いて見えますね! ではさっそくいただきます!」


 アナウンサーは意気揚々に天ぷらを口にする。


 美味しいですね!


 その言葉を待ったがアナウンサーは渋い顔をしていた。


「どうかしましたか?」


 俺は思わず聞いていた。


「その、なんかびしょびしょしてて……」


「そんなわけ……ちゃんと手順通りに作ったはず――あっ」


 衣の保管容器に書いてある文字を見て悟った。


 俺は夏野菜の天ぷらに冬用衣をつけてしまったのだ。


 ただでさえ暑いのに冬用衣のせいでますます暑くなり、天ぷらは汗をかいてしまったのだ。

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