10.眠ってはいけない

 まさかこんなにも雪が降るなんて思ってもいなかった。


 ごうごうと風は鳴り、夜とは言えこんなにも先が見えなくなるものだろうか。


 そう思えるほどに雪は強い。


 ……。


 ……。


 ……。


 また、意識が遠のいた。


 何度目だろう。


 気を抜くと眠ってしまいそうだ。


 ……。


 ……。


 ああ、まただ。


 また僕の意識は近づいては遠のく。


 寝てはいけないというのに。


 ……。


 ……。


 気づけば僕は夏空の下にいた。


 ごうごうと鳴っていた雪の代わりに今は蝉の音が五月蠅い。


「おい、どうしたんだよ、立ち止まって」


 肩を叩かれ、振り向くと兄が立っていた。


 虫取り網を肩に担ぎ、端が折れ曲がった麦わら帽子を被っている。


 首から下げた虫かごにはカブトムシが二匹。


 僕は、この光景を知っている。


 そして次に僕が言う言葉も。


「カブトムシが飛んでいるのが見えたんだ」


 ああ、やっぱり。


 思ったとおりの言葉。


 今僕は過去を再び体験している。


「マジか!? どっちに飛んだ!?」


 兄に聞かれ、カブトムシが飛んだ方向を指差すと兄は走り出した。


 そんな兄を追いかけて僕も走り出す――。


 ……。


 ……。


 気づけば僕は夏空の下から現実に戻って来ていた。


 蝉はもう鳴いていない。


 雪がごうごうと五月蠅い。


 今のはなんだったのだろうか……。


 それは分からない。


 けれど僕は今の体験のおかげで思い出した。


 兄もまた僕と同じ状態にいることを。


「兄さん、起きろ……!」


 僕は足で横になっている兄を蹴った。


 すると兄は目を覚まし、首だけを持ち上げて僕を見た。


 そしてまた目を閉じる。


「寝るな! 寝たら……」


 そう言いつつも僕自身また意識が遠のいてゆくのを感じた。


 雪がごうごうと五月蠅い。


 せめてここから出ることができれば兄を強引に起こすことができるのに……!


「兄さん! 兄さん!」


 呼びかけるたびに兄は目を開けるが再び閉じる。


 ずっと繰り返せば兄は起き続けるだろうか。


 でもそれだと僕が疲れてくるわけで……。


 ……。


 ……。


 また意識が……遠のいて……。


 いや、寝てたまるか!


 兄さんと約束したじゃないか!


 いざとなったら殴ってでも起こしてくれと!


 僕はスマホで時間を確認する。


 二十三時五十七分。


 兄を何度も蹴る。


 うつ伏せだから蹴り辛い。


 それでも蹴って、蹴って、蹴り続けて――。


「いってぇよ!」


 兄は目を覚ました。


 僕はスマホで時間を確認する。


 零時一分。


 一分遅かった……。兄と起きた状態で年を越そうと思っていたのに!


「あれ、もう年越えてんじゃん……」


「僕は何度も起こそうとしたからね」


 そのときキッチンから母の声。


「年越しそばできたから運んでー」


 兄さんが僕を見た。


 目が「行け」と言っている。


「どうして僕が行かないといけないのさ。僕は兄さんを起こすために力を使い果たして疲れたんだ。兄さんが眠たいから起こしてくれって言わなければ――」


「あー、もう分かったよ!」


 兄は炬燵から渋々出るとキッチンへ向かった。


 そして母と共に年越しそばを持って戻って来た。


「僕も手伝いたかったんだけどねー、炬燵のせいで動けなくて」


「五月蠅いなぁ! 持って来たんだ礼ぐらい言え!」


 僕は礼を言いながら炬燵から上半身だけを出して座った。


「明けましておめでとうー」


 そう言って年越しそばをすする。


 窓の外でごうごうと鳴る雪を聞きながら。

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