04.誰かが見てる

 遅くなってしまった。


 今頃、真紀は不機嫌になっているだろう。


 買ったばかりのハイヒールと走るのに適していないスーツで保育園へ向かう。


 秋の風が急げ急げと背中を押す。


 分かってる、分かってるから急かすな。


 心の中で悪態をつく。


 保育園に着く頃には空は真っ暗になっていた。


 東の空には満月が輝いている。


 園に着き、薄暗い校庭を突っ切って煌々と輝いている園舎に向かう。


「すみません! 遅くなりました!」


 真紀のクラスを覗けばそこには宮子先生と数人の園児がいた。


「こんばんは、真紀ちゃんママ」


「宮子先生、こんばんは。すみません、遅くなって……」


「いえいえ、お気になさらず~。真紀ちゃんならあそこで絵本読んでますよ~。おーい、真紀ちゃーん、お母さん迎えに来たよー」


 宮子先生が呼びかけると教室の隅にいた真紀は絵本を放り捨てると駆け寄って来た。


「遅い!」


「ごめん、ごめん。電車がとっても遅くなっててね」


「むぅー」


 頬を膨らませる真紀に帰りにアイスを買ってあげることを告げると真紀は目を輝かせた。


「じゃあこれからも遅くなってね!」


「それは難しいなぁ。というかあの絵本ちゃんと片付けないと」


 そう言うと真紀はそそくさと絵本の元へ。


 今のやりとりを見ていた宮子先生はクスクスと笑っていた。


 私は肩をすくめて返す。


 そしてあることを思い出し、宮子先生にきいてみた。


「あの、真紀は今日も言いましたか?」


 すると先ほどまで笑っていた宮子先生は真面目な顔になった。


「はい、今日も言いました。『誰かが見ている』と」


 そう、私の娘は時折誰かが見ていると訴えるのだ。


 初めて聞いたときは気のせいかと思った。


 二回目聞いたときは園で流行っている冗談かと思った。


 三回目聞いたときはさすがに怒った。いい加減にしなさい、と。


 それでも四回目になるとさすがに不安になり、精神科医に診てもらった。


 けれど異常なし。


 でも真紀はまた言ったのだ。「誰かが見ている」と。


 そこで霊媒師にもみてもらった。


 けれどやはり異常はなし。


 では本当に誰かが見ているのでは?


 そう思って真紀にどこから視線を感じるのか聞いたことがある。


 しかし真紀は疑問符を浮かべるだけで、明確にどこから見られているのか分かっていなかった。


 ある日から私は記録をつけ始めた。そして真紀が視線を感じる時にはいくつか条件がある。


 まず外ということ。家や園の中などで真紀から例の言葉を聞いた覚えはない。


 次に夜ということ。


 最後になるが真紀が視線を感じるのは月に二、三回であるということ。それも二日三日続けて。


 故に今日視線を感じたから明日も感じるだろう。


 宮子先生に挨拶をしてから真紀の手を引いて歩く。


 空気が冷たかった。


 風も冷たい。


 ぞわり。


 何かが首筋をなぞったような気がしてつい立ち止まってしまう。振り返るが誰もいない。……勘違いしたのだろう。気を張っているところに風が吹き、髪が揺れて首に触れる。それを触られたと勘違いしたのだ。そうに違いない。


「今日は保育園で何をしたの?」


 真紀が感じているであろう恐怖を……いや、私が今感じた恐怖を紛らわすために口を開いた。


「今日はね、まずお庭の落ち葉を集めたよ」


「そうなんだ、楽しかった?」


「うーん」


「楽しくなかった?」


「うーん」


「じゃあ楽しかったところと楽しくなかったところを教えて」


「えっと、楽しかったのは落ち葉をたくさん集めたこと。ゴミ袋に入れて座るとフワフワだった! 楽しくなかったのは変な虫がいたこと……」


「ふふっ、なるほどね」


「今度焼き芋をするんだって」


 目を輝かせる真紀に私は思い出す。そういえば今度芋ほり遠足があるから汚れてもいい服と軍手、プラスチック製のシャベルを準備しておくよう連絡があったな。


「あとね、お団子食べたよ」


「お団子……ああ、十五夜か」


 私は空を見上げる。


 そこには真ん丸なお月様。


 兎が餅をついている。


 園でお団子を食べたみたいだし家ではいいかな。でもこういうイベントは大事にしていきたいし……。 


「真紀、家でもお団子食べたい?」


「食べたい!」


「じゃあ帰りに買おうか」


「やった! みたらしがいい!」


「わかった、わかった。ふふっ、まったく……」


 真紀は嬉しそうに繋いでいる手をぶらぶらと振り回す。


 もうやめてよー。


 そう言おうとしたとき、真紀が突然立ち止まった。


 ぞわり。


 また何かが首筋をなぞった。


「お母さん」


 神妙な顔つきで真紀は私を見る。


 私は知っている。


 娘の次の言葉を。


「誰かが見てる」


 私は周りを見回す。


 数人のサラリーマンや学生が歩いているが誰も私たちを見ていなかった。


 私はいつものように質問をしてみる。


「どこから視線を感じる?」


 答えは分かっている。「分からない」と言うはず――。


「あそこ」


 そう言って真紀が指さしたのは空に浮かぶ満月。

 ジッと見ていると満月が右に動き始めた。そして満月が元々あったところには穴が空いていた。


「なにあれ……」


 息をのむ。


 すると空に空いた穴の向こうから誰かが覗き込んでいた。

 

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