02.エミちゃんの笑み
その町にはとある女の子がいた。いたって普通の女の子だ。両親も普通の人間で、両親の両親も普通であり、その女の子の家系はすべて普通の人間であった。
しかしその女の子には一つだけ特筆すべき点があった。
それは笑顔だ。
女の子の笑顔は見る者の心を晴れやかに、ポジティブなものにするのだ。
そして言っておくがその笑みについて詳しく記すことはない。
なぜなら普通の女の子の笑顔もまた普通だからである。例えば笑ったときの細くなった目が愛くるしいとか、浅い笑窪が可愛らしいとか人それぞれの笑顔について何かしら説明ができるだろう。
しかしその女の子にはそのようなことはない。ただ笑っているだけ。それなのに先に述べたようにその子の笑顔は見る者の心を晴れやかにするが、それは直接見なければ意味はない。例えば動画で記録した女の子の笑顔を見ても視聴者の心は晴れやかにならない。写真も同じだ。
このことに最初に気づいたのは女の子の父親だった。その子の父親は女の子がさらに小さい頃に疲労により亡くなったが、死に恐怖することなく逝くことができた。それは絶える直前に女の子の笑顔を見たからである。
次に気づいたのは母親だ。夫を亡くし、女手一つで娘を育てることに不安を抱いて深く落ち込んでいたが、女の子の笑顔を見た瞬間、不安は跡形もなく消え去った。その切り替えは電気のオンオフのようで、偶然目にしていた母親の母親――女の子から見て祖母は気が狂ったのだと勘違いするほど。しかしその心配もすぐに消えた。
家族を失いながらも数時間で気を持ち直した女の子の母と祖母に対して近所の人々は恐怖と不安を抱く。保険金目的で殺したのでは、と。しかしその心配もすぐに消えた。
すると今度は警察官が不安になった。複数の家族がグルになって男を殺したのではないかと。多額の保険金が入るその喜びを隠しきれず、笑っているのだとも考えていた。しかしその心配もすぐに消えた。
ある日、近所に住むAの息子が女の子の家にやって来た。彼は就職活動をしているが、すべて上手くいかず、心が折れかかっているとのこと。そこでAは息子に女の子の笑顔を見るよう勧めたのだ。事前にAからそのことを聞いていた女の子の母親はAの息子をリビングに通した。
「あの、母に言われて来ましたが本当に笑顔を見るだけで内定がとれるのでしょうか」
「内定がとれるか保証はできないけれど、いつまでも就活が終わらないその不安は絶対に払拭できるわ」
そして呼ばれた女の子が二階から降りて来た。それからリビングにいるAの息子に気が付くと一つ笑った。
ぱちん。
Aの息子の不安が消えた。
「す、すごい! 心が急に軽くなりました! ありがとうございます! これで挫けることなく内定とれるまで頑張れます!」
そう言い、Aの息子は女の子の家を飛び出した。その後、努力の末に大手企業に就職が決定した。
数日後、今度はAの息子の弟であるBがやって来た。
「あの、兄から聞かされまして……貴方のお子さんの笑顔を見れば不安が消えると」
「何か不安なの?」
「実は好きな女性がいまして……でも告白する勇気がないんです。フラれたらと考えると不安で……」
「そうだったの。待ってて、今呼んでくるから」
母親に呼ばれた女の子はリビングにやって来るとBに笑ってみせた。
「ほ、本当だ! 不安が消えた!」
「それはよかった。それじゃ好きな女性に告白できるわね」
「はい! 実は前から貴方のことが好きでした!」
「あらあら」
このように女の子の家には何かしらの縁がある者が現れてはその子から元気を貰っていた。
そんなある日のこと。とある選手が女の子の元を訪れた。
「SNSで貴方の娘さんのことを知りまして」
選手は自分のスマートフォンでSNSの画面を女の子の母親に見せた。
そこには大企業に勤める男の投稿文書が表示されていた。
「『近所に住む女の子の笑顔に勇気づけられた結果、今の私があります』と……。確かに私の娘が笑顔を見せましたね」
「その笑顔を僕にも見せて欲しいんです! ……実は僕、スポーツ選手でして、次の大会で優勝しないと団体をクビになったり、スポンサーが離れたりしてしまうんです。だから不安で眠れない日々が続いていて……」
「分かりました。今娘を呼んできます」
母親は子供部屋でBと遊んでいた娘を呼び寄せ、選手に笑うよう指示した。
「ああ……! ああっ! 心が! ありがとうございます! 僕、絶対次の大会で優勝して見せます!」
その後、選手は見事大会で優勝した。そしてその後のインタビューにて。
「おめでとうございます! 今大会のために特別なことをしていたのでしょうか」
記者会見で記者が選手に尋ねた。
「特に変わったことはしていませんが、そうですね、とある女の子の笑顔のおかげで自信を取り戻せたことが優勝に繋がったと思います」
翌日、女の子の元を大企業や様々なスポーツ団体が訪れ、社員や選手たちの前で笑ってくれないかと頼み込むようになった。女の子は母と共に日本中の、いや世界中を回っては多くの人に笑顔を振りまいてきた。実に多くの人間が女の子の笑顔に救われた。
世界中を休みなく回り始めて半年が経った頃、女の子は疲労や目まぐるしく変わる環境にストレスを感じ、もう笑いたくないと考えるようになった。しかし同時に自分の笑顔で喜んでくれる人がいることを実感していたし、何より救われた人々の笑顔で逆に自分が元気を貰っていることに達成感を感じていたため、誰にも胸の内を明かさずにいた。
ある日、女の子はホテルの鏡で自分自身に向かって笑顔を見せた。すると女の子のストレスはきれいさっぱり消え去り、よりいっそう活動に力を入れるようになった。
それからさらに半年後、女の子は疲労により倒れてしまった。命に別状はなかったが、女の子はそれ以降各地を回ることをやめた。
その子の笑顔は心の疲労は癒せても肉体の疲労を癒すことができなかったのだ。
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