第43話

 マリーゴールド診療所は週に一度、訪問診療をしている。


その訪問診療の日、フェルナンドとミリアを乗せた馬車は患者がいる貴族の居住区を走っていた。

その貴族の居住区の一画で、建築中の屋敷を見かけた。


「おや、新たな貴族が越して来るのかな」


「あら、本当ですね」


最初は大して気にも留めていなかったミリアだったが、週に一度通りかかる度に屋敷は驚異的なスピードで完成していく。

その姿は貴族の屋敷にしては小さめで、王都のブルックナー家を思い出させた。


「素敵なお屋敷。こういうお屋敷なら住んでみたいわ」


「ふむ、規模的に夜会やお茶会を開くことを想定していないね。別邸みたいなものだろう」


ミリアとフェルナンドは馬車の窓から見えるその屋敷の前を、そんな会話をしながら通り過ぎた。


 ある日のことだった。

マリーゴールド診療所に時間外の訪問診療の依頼が入る。


「フェルくん、時間外に訪問診療の依頼が入ったんだけど…見て」


フェルナンドの妻のユリアが先ほど貴族の使用人が来て、受け付けた予約依頼票をフェルナンドへ見せる。


「場所は最近新しく建ったお屋敷だと思うんだけど…ここ」


そう言って『患者様のお名前』の欄を指差す。そこに書かれていた名前は、『ジルベスター・ヴェルサス』だった。


「これは…」


「そうなの。最近領主様がお忙しそうだった理由って…」


「恙無く連れてこいってことだろうな」


ユリアは「まあ!まあ!」と手を叩いて喜んでいる。

基本的に人の恋愛に興味のないフェルナンドは仕方がないと言わんばかりにため息を一つ吐いた。



 そして予約の日が訪れる。

一日の診療を終えた時刻。


「ミリア君、あの建築中だったお屋敷から、訪問診療の依頼が入ったんだよ。時間外だけど今からいいかな」


「構いませんよ」


新規のお貴族様の依頼ならば時間外も致し方がないと、ミリアは気軽に了承した。

何も知らないミリアは黒縁メガネにそばかす顔のまま、ユリアが手配した馬車に乗り込む。フェルナンドもいつも通り白衣を着て診察バッグを手に馬車に乗り込んだ。


揺れる馬車の中、ミリアは以前から興味のあったお屋敷ということもあり、心なしか楽しそうだ。


「どんなお屋敷でしょうね」


「全く、回りくどいことを…」


「どうかしました?」


「いや、気にしないでくれ」


そして今、屋敷の門扉が開かれ一台の馬車が入っていく。


屋敷では、そわそわと落ち着かないジルベスターが今か今かと愛しい女性の訪いを待ち構えていた。


玄関で出迎えた使用人の案内で、お仕事モードの顔で屋敷へ入っていくミリア。

それを見てフェルナンドは、兎が虎の穴へ入っていくようだと思ったとか思わなかったとか……。







 訪問診療に向かった先の貴族の屋敷で、ミリアはジルベスターに囚われた。


フェルナンドは「無事お届けしましたので」とだけ言って踵を返しそのまま帰ってしまった。


「あ、えーと、ジル?」


どういうわけか初めて訪れた屋敷にジルベスターがいて、ミリアは後ろから抱きしめられていた。


「君と住むためにこの屋敷を建てた。ブルックナー家の邸宅とデザインを合わせたのだが、気に入ってもらえただろうか」


「どうして、それを?」


「サミュエルから聞いた」


ミリアはジルベスターにブルックナー家のような家に住むのが憧れだとか言ったことはなかったが、サミュエルにだったら言ったかも知れない。


どういうことなのか最初は理解できなかったが、ジルベスターの説明と自分が置かれた状況で、自分のためにこの屋敷は建てられたのだと理解してミリアは困惑した。


「そんな、恐れ多いわ」


「ダメだ。このまま一緒に住んでくれるまで君を帰さない」


とどちらにしても帰れそうにない謎の言葉で脅されて、ミリアはとりあえずおとなしく従った。


 ミリアが憧れていたブルックナー家の邸宅に似た屋敷はとても住みやすく、素朴で使い心地のいい調度品や内装、庭もレンガ敷きの小路を挟んで季節の草花が咲く可愛らしい庭園だった。


どれもこれもミリアの憧れが詰まった屋敷で、ジルベスターがミリアを大切に思う気持ちとずっと一緒にいる覚悟のようなものを感じミリアも腹を括った。



 愛する人と過ごす穏やかな日々。

ミリアとジルベスターは結婚式こそしていないものの、二人の関係は夫婦そのものだった。


ジルベスターはこの領地で一番の存在であり、国で言うと上から数えて十本の指…には収まらないかも知れないがとにかく偉い人である。

そんな偉い人物と夫婦のような関係になってしまうと、とあることが不要になってしまった。


貴族に目を付けられないようにしていた変装と、魔力が多いことを隠して出し惜しみしていたことだ。


もう、ジルベスターより偉い人でないとミリアを利用しようとすることはできない。

わざわざ変装したり力を抑えたりする必要はないのだ。

ミリアはこれを機に黒縁メガネとそばかすは止め…ようとしたが、それはジルベスターに止められた。

仕方がないので変装はそのままで、ミリアは魔力が聖女並みに多いことをフェルナンドに打ち明けた。

フェルナンドは「やはりな」と納得して、「今後は遠慮なく治癒魔法を使ってもらうよ」と宣言した。


その結果、マリーゴールド診療所では治せない病はないと言われるようになってしまった。

『治療費で聖女並みの治癒魔法が受けられる診療所』としてマリーゴールド診療所の評判は領地内に響き渡る。


それと同時に、領主の愛人(本人たちは愛人のつもりはないが)がミリアであると領地内に広まって行く。

特に隠れて暮らしていたわけでも箝口令を敷いたわけでもないのだ。

二人で出かける時は安全上ジルベスターの闇魔法で阻害認識をかけるが、それ以外は特に隠そうともしていない。

ときにはジルベスターが堂々とミリアを迎えに診療所へ顔を出して居合わせた患者を驚かせたこともあるくらいだ。


最初のころは領主の愛人(再度言うが本人たちは愛人のつもりはない)が平民も貴族も分け隔てなく、どんな怪我や病も治してくれる。と評判になり、次第に自領だけでなく他領からも患者が押し寄せるようになる。


そして後に彼女は領民から敬意を以てこう呼ばれるようになる。


『ご領主様の治癒士様』と。







 数年後、ミリアとジルベスターは二児の男の子を持つ四人家族となっていた。


二人の子はジルベスターの血を引きながら平民にするわけにはいかないため、貴族籍に入れ貴族の子として育てることになった。


二人の子供は貴族として相応しい教育を受けているはずが、どういうわけか貴族や平民と分け隔てなく舎弟を作り、徒党を組んで悪さをしだす。


悪さと言っても犯罪行為ではなく、喧嘩や冒険と称しての山籠り、巨大魚を釣るんだと言って船に乗って河を上ったりとミリアとジルベスター、そして周囲の大人を大いに困らせた。


やんちゃが過ぎるのが玉に瑕ではあったが、ミリアとジルベスターは二人の子を愛し、子育てに奮闘しながらも幸せに暮らした。


そんな二人の子が将来、長男が辺境伯を継ぎ、長男を補佐する次男と協力してヴェルサス辺境領を盛り立てていくのだが、それはまた別の話である。






   ──── 完 ────

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

貴族になんかなりたくない! 斉藤加奈子 @kanak56

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ