第29話
裁判なんてものはほとんどの平民には無縁のものだった。
平民が揉め事を起こせば町長や村長、もしくは仕える主人や雇用主である貴族が裁く。
当然原告が平民で被告が貴族なんて事例はほとんどなく、貴族を陥れる策略が隠れている場合にのみそれはあり得た。
原告が貴族で被告が平民の場合ならば、それはほぼ被告の敗けが確定であり、全財産没収は当然のこと、命があれば儲けものと言われていた。
貴族同士の揉め事が大半を占める裁判は、十名いる陪審員の派閥に左右されることが多く、陪審員の買収でなかなか結審しなかったり、繰り返す再審請求で長引くことが多かった。
王族が貴族を告訴する──
それは王族に害を加えたからには断罪を意味し、告訴された貴族は悲惨な末路を送ると言う。
そんなヒエラルキーにより平等なんてものは存在しないとは露知らず、ミリアは平民の座を手に入れるべく裁判へ臨んだ。
*
法廷の正面には十名の陪審員が横一列に並ぶ。陪審員は原告と被告、両者の主張を聞き、有罪か無罪かを判断する。その陪審員を構成するのは貴族や、平民でも有力者や有識者と言われる者たちである。
その陪審員の席の後ろの一段高い位置に三人の裁判官と二人の書記官。そしてまた一段高い位置に裁判長が座る。
裁判官や陪審員が並ぶ法壇から向かって右手にはこの度告訴した原告のジルベスター・ヴェルサスや重要参考人のミリア・ヴェルサス、クリス・ブラウンを含む司法に詳しいジルベスターの側近二人が座る。
その反対の左側には被告のトマソン・マイワール、側近のジェルマン・ウォーレン、そしてマイワール家の家宰と弁護士らしい男性とその秘書が並んだ。
傍聴席には、一種のエンターテイメントを楽しむつもりの多くの貴族が集まった。
この裁判は、マイワール伯爵が王族であるジルベスターに、平民の治癒士を自分の娘だと偽って嫁がせた罪を問うものだった。それは事実なのか、なぜそんなことをしたのか、有罪と判決が下された場合どのような罪になるのか。
前例のない訴訟内容に傍聴者たちは好奇心を隠そうともしなかった。
「被告人、前へ」
裁判長に言われてトマソンが証言台へ立つ。ミリアは一瞬だけ鋭い視線を向けられた気がしたが、トマソンは肩を落とし悲しそうな顔をしていた。
「被告人、トマソン・マイワールは、辺境伯から支払われる支援金を目的に、当時ブルックナー診療所で働いていた治癒士のミリアを自分の子と偽り、伯爵令嬢としてジルベスター辺境伯の妻として嫁がせたことを認めますか」
「…いえ、認めません。
ミリアは二十年以上前に、我が屋敷で専属治癒士をしていたナタリアと私の間にできた子で間違いありません。
私はナタリアと恋に落ち、身分差の恋故にナタリアはマイワール家から姿を消してしまいました。しかしナタリアを忘れられない私は彼女を探し続け、ついにナタリアに似た、私と同じ色の髪と瞳を持つミリアを見つけたのです。ミリアを見つけた時にはすでにナタリアは亡く、ミリアは平民として苦労をしていました。そんな娘を見て父親としてより良い嫁ぎ先を見つけてやりたいと思うのは当然のこと。それをジルベスター様は詐欺だと訴えるとは、とてもとても心外にございます」
この法廷内にいる原告を除く全ての人間は、ミリアの髪色と瞳の色がトマソンと全く同じであることに確かな血の繋がりがあることを感じていた。
しかしそれはジルベスターも分かっているはずであり、その上でトマソンを告訴していることになる。
それは明らかにトマソンを陥れる目的なのかそれとも別の目的が隠れているのか、とても作為的であるとここにいる全ての人が思うのであった。
───ふん!誰が見ても髪と瞳の色で一目瞭然ではないか!小賢しいことをしてマイワール家の名誉を貶めるようなことはしないでいただきたい!逆に名誉毀損による慰謝料を請求してやるわ!
一見悲しそうに俯くトマソンは、明らかに見て分かる髪色と瞳の色に誰もが認めざるを得ないと内心ほくそ笑んでいた。
───何が身分差の恋よ!お母さんを弄んで捨てたくせに!体裁を気にして話を美化するなんて貴族って勝手が過ぎるのよ!
ミリアは怒りを覚えるが、反論する機会はある。ここでは相手を睨み付けるだけに留まった。
「異議あり!」
ここで原告側の弁護を務めるクリスが挙手する。
「クリス・ブラウン、発言を許します」
「トマソン・マイワール伯爵は、二年ほど前、嫁いでくれる聖女を探していたがなかなか見つからずに困っているジルベスター閣下の噂を聞きつけた。
そして同時に、当時腕のいい治癒士だと町で評判だったミリアの噂を聞きつけ、偶然髪の色や瞳の色が自分と同じだったことを利用して自分の娘だと偽ることにした。
そしてマイワール伯爵は閣下に対し、本妻となる聖女が見つかるまでの間、応急措置としてミリアとの仮初の婚姻を持ちかけました。その対価として支援金を請求してきたのです。
彼は閣下から承諾を得ると、急ぎミリアをマイワール家の令嬢として籍を入れました。そしてその三日後、婚姻の署名が成されています。
つまりこれは娘が見つかったからミリアを伯爵家の娘にしたのではなく、金のためにミリアをマイワール家の令嬢として迎え入れ、数日の内に嫁に出したということになります。
これは明らかに愛した女性との間にできた娘に対する行いだとは到底言えないでしょう。
証拠として貴族籍管理局からミリアがマイワール家の籍に入った時の記録と、閣下とミリアの婚姻届の記録を提出致します」
クリスが裁判長へ貴族籍管理局(貴族の戸籍に関する管理を行う省庁)から取り寄せたそれらの写しを手渡す。
裁判長は受け取った写しに軽く目を通すと下段にいる裁判官に渡した。写しは裁判官から書記官へ、書記官から陪審員へと手渡され最後に書記官の一人が証拠書類としてそれらを預かった。
確かにそれらの提出日を見ると、ミリアがマイワール家の籍に入ったのがトマソンとジルベスターが話し合った夜会の二日後であり、ミリアとジルベスターとの婚姻届が提出されたのがその四日後という、明らかに支援金目的で無理矢理ミリアを伯爵家の令嬢にしたことが推察できた。
しかし裁判長を始め、裁判官、陪審員、傍聴席で裁判を眺める傍聴者らに至るまでほとんどの人が貴族であり、家の利益のために娘に政略結婚をさせるのは当然の人たちである。
「異議あり!」
やはり異議を唱えるのは被告側の弁護士だった。
「確かにマイワール家は支援金を必要とし、娘に政略結婚をさせました。
しかしそれはマイワール伯爵家の当主として当然のこと。この証拠がミリア様がマイワール伯爵の娘ではないという証拠にはなりません」
「異議を認めます」
「異議あり!ミリアがマイワール伯爵の娘であることも単なる憶測であり証拠は何一つありません!」
「異議を認めます。トマソン・マイワール、貴方はミリアの父親である証拠は提示できますか」
父親である証拠───
そんなものを証明する方法などあるはずない。親にしか知り得ない秘密があるのなら別なのだが。
「ああっ…!」
すると急にトマソンが片手で顔を覆い嘆き始めた。芝居じみたその動きに何が起きたのかと観衆の注目を集める。
「何とも嘆かわしいっ!
皆様にも愛する人がいるはずです!
その愛する人に対する愛情を、皆様はどのように証明するのでしょうか?!愛の証明!それは娘であるミリアそのものです!愛する人との間に授かった子が証拠となる!そうではありませんか、皆さん!!」
愛し合った男女の間に子供が授かればそれは愛の証明であるとかよく言ったものである。世の中そんなきれいな愛で産まれた子ばかりでないことはこの人が一番よく分かっている筈ではないか。
ミリアには芝居じみて見えるそのセリフも、この法廷にいる人たちには胸を打たれたようで、パチパチと拍手が送られる。
場内は皆トマソンに同情しているかのような雰囲気であった。
トマソンら被告側の者たちはこれで裁判が有利に動いたと確信を得たのかその顔にはうっすらと笑みさえ浮かべていた。
この逆境と言えるこの雰囲気の中、ミリアは動揺したりしない。ただひたすらに静かな怒りを胸に秘めていた。
「被告人、席へ戻って下さい。
続いて原告側の主張を聞きます。
原告人、前へ」
トマソンが証言台から降り、ジルベスターが証言台へ立つ。
法廷という堅苦しい場所でもジルベスターが立つと光が差したように急に華やかになる。
ほぅ、と傍聴席から切なげな溜め息が聞こえた。
「原告人ジルベスター・ヴェルサス、貴方は被告人トマソン・マイワールが、妻ミリア・ヴェルサスを被告人の娘だと詐称して嫁がせ、支援金を搾取したとの訴えですが、その根拠となる理由、もしくは証拠を提示して下さい」
「はい、それは、現在妻であるミリアの告白によるものです。
彼女は私に対して、トマソン・マイワール伯爵は父親ではない、自分はただの平民である。とはっきり言いました」
ジルベスターがそう証言すると、まさかと思ったトマソンが慌てて立ち上がろうとして、隣に座る側近のジェルマンに宥められる。
「その事について本人の口から直接証言してもらいたいと思います。
裁判長、彼女に証言させてもよろしいでしょうか」
「許可します」
そしてとうとうミリアの出番となった。ジルベスターが、平民に戻りたいというミリアの願いを叶えるために用意してくれた舞台である。
着実にかつ確実に貴族とは無縁の生活を手に入れる。固い決意を胸に、ミリアは証言台に立った。
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