第21話

 翌日、ミリアたちは朝日が昇る前に起こされ、撤収命令が下された。

しかもヴェルサス領軍・国境軍・アルガン領軍の三軍は別々に動くことになり、軍医隊も元の所属の隊へと三つに別れることになった。


荷物を三つに分け、別々の荷馬車へと積み込む。

兵士も軍医隊の撤収作業を手伝っている間、治癒士らは移動に耐えられるよう、負傷者に治癒魔法をかけれるだけかけていた。


負傷者に治癒魔法をかけ終えて、出発の準備に取りかかった時だった。


「ミリア君、ちょっと」


「はい」


ミリアはフェルナンドに声をかけられ、他の人からは姿は見えるが何を話しているのか聞こえない場所まで連れて行かれた。


「こんな時に言うことではないと重々承知しているが、君が他の者に目を付けられないうちに言っておこうと思う」


───目を付け…?


「…はい」


「この戦が終わったら、僕と結婚して欲しい」


───結婚?色々すっ飛ばして結婚?


「はい?」


「僕はこの戦が終わったら独立して診療所を開院したいと考えている。

君も知っていると思うが、医師として成功するためには必要な条件というものがあるんだ。医師の腕・薬師の腕・治癒士の腕、この三つの腕が揃って一流の診療所と言われる。

僕は今後も研鑽を積んで腕のいい医師になるつもりだ。薬師も親の伝手でいい薬師を紹介してもらえる。後は治癒士だ。ミリア君、僕は君がいてくれたならきっと成功できる、いや、必ず成功できると確信している。そんな君を確実に手に入れるためにも結婚して君の人生にも責任を持ちたいと思う」


イケメンの若手医師と結婚して、支え合いながら診療所をやっていく。

それはかつてミリアが思い描いていた夢であり、こんなところへ来る羽目に遭う前ならば喜んでその申し出を受け入れていたであろう。

しかし今のミリアは仮初とはいえ既婚者である。それに───


「フェルナンド先生には婚約者がいらっしゃるとお聞きしましたが」


一瞬、ほんの一瞬。見逃してしまいそうなくらい僅かな変化だったが、フェルナンドは悲しそうに目を伏せた。

そしてミリアの目を真っ直ぐ見つめた。


「僕にとって、親に決められた婚約者よりも君のほうが価値がある」


強い決意を持って言ったのが分かる。

しかしミリアは即答することが出来なかった。


自分が今ジルベスターの妻であることはもちろんではあるが、今いる婚約者を押し退けてまでフェルナンドと結婚したいと思えなかった。


しかしジルベスターとの婚姻期間が終了すればミリアに帰る場所はなく、そもそもこの仕事も前任者が産休から復帰すればミリアはお役御免となる。

それにフェルナンドと協力して一から始める診療所というのもとても魅力的だった。


「少し、考えさせて下さい…」


「もちろんだ。この戦が終わったら、再度君に結婚を申し込むよ。前向きに考えておいて欲しい」


遠くからフェルナンドを呼ぶ軍医のロベルトの声が聞こえ、「いい返事を待っている」と言ってフェルナンドは去っていった。


 ここでお別れになる他の軍医隊のメンバーと手短に挨拶を済ませ、ジェイドとニコルとミリアは荷馬車へ乗り込み、本隊が進軍する列の最後尾を着いて行った。







 戦があり、治癒魔法を施して、進軍する。また戦があって、治癒魔法を施し、進軍する。これを数えきれないほど繰り返し、気が付けば一年が経過していた。


いつだったかジルベスターが長期戦となると言っていたがまさしくその通りとなっていた。


ミリアには戦のことは分からないが、押したり引いたり、他軍と合流したり別れたり。時にはチェダロの砦まで戻って待機する期間があったりもした。


戦況もジェイドが仕入れてきた情報を教えてもらうことでおおよそ知ることができたが、時折兵士がだれそれを捕虜として捕まえたぞ!とか、どこどこの城を落としたぞ!と活気づくのでこちらが優勢であることは間違いなさそうだった。


戦の期間中、ジルベスターへの治癒魔法はクリスのテントで行われた。

二、三日に一度の割合でクリスのテントへ呼ばれ、そこでジルベスターが待ち受けている形だ。

一応クリスとミリアは親戚であると周りに言ってあるが、戦時中に若い男性のテントへ若い女性が通うのは外聞が悪い。なるべく目立たないよう、テントの裏側から出入りした。


「失礼致します」


「ああ、ミリア。悪いが早速頼む」


「畏まりました」


ジルベスターへかける治癒魔法は主に疲労回復だ。疲労回復は比較的簡単な魔法で、あっという間に終わってしまう。


「他に怪我などありませんか」


「大丈夫だ。ミリアこそ元気でやっているか」


「はい。私は元気です」


「辛くはないか」


「はい、辛くはありません」


「いつもありがとう。ミリアに治癒魔法をかけてもらうと頑張れる」


そう言いながらジルベスターはミリアへ笑顔を向ける。

その笑顔に不覚にもときめいてしまうミリアだった。


「ま、またいつでもお呼び下さい。失礼致します」


ジルベスターの優しい笑顔に見送られながら、ミリアはテントから出た。

時間にすればおよそ三分の滞在時間だったが、その短い時間にミリアはジルベスターから気遣う言葉をよくかけられた。


───優しい人。


ジルベスターへ疲労回復をかけた後、ミリアは必ず考え事をしてしまう。

この仮初の婚姻が終わった後のこととプロポーズしてくれたフェルナンドのこと。


まだ明確な答えを見つけられないまま、ミリアは一つ溜め息をついた。







 そしてまた二ヶ月が経ち、ヴェルサス領軍は現在チェダロの砦へ戻っていた。


砦はいい。

料理はおいしいし、足の伸ばせるベッドがある。戦場では洗面器一杯のお湯で体を清拭しているがここにはお風呂もある。


ヴェルサス領軍が砦に戻ってきた理由はこの砦を狙う敵軍が控えているらしく、その敵軍への牽制のためだった。

今は目立った戦いはしておらず、おかげで負傷者が少ない。

たまに戦地から帰還してくる重傷患者の対応を任されるくらいだった。軍医隊の負担、特にニコルの負担が減り魔力的にも余裕ができた。


その余裕ができた時間で、ミリアとニコルは久しぶりに『聖なる飴ちゃん』の練習をしていた。

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