第20話

 朝食を終えた後は、診療の準備をしてミーティングをする。その頃にはまた遠くから雷鳴のような轟音が聞こえていた。


ミーティングの後は治療中の兵士や騎士たちに治癒魔法をかけて、薬を塗り、包帯を取り替える。この二度目の治癒魔法でほぼ完治した者は前線へ送り出した。


ほどなくして戦場から負傷した兵士が運び込まれてきたが、昨日ほど負傷者は多くない。

しかし前日からの疲れと、二度目の治癒魔法とで治癒士たちは魔力を使い果たし一人、また一人とドロップアウトしていった。


日が沈み、騎士や兵士たちが戦闘から帰ってくるころには、ミリア以外の治癒士は皆テントで寝込んでしまった。


戦闘から戻ってきた騎士や兵士たち中で負傷している者の治療を済ませ、ようやく一日の仕事が終わる。


「ミリア君、お疲れ様」


「フェルナンド先生もお疲れ様です」


「一緒に食べないか」


二人分の食事を手にミリアを誘うフェルナンド。


「…はい、ありがとうございます」


やはり今夜も一緒に食べるのねと思わず苦笑いをしてしまうミリア。

素敵な男性と食事だなんてドキドキ…なんてことは全くなく、また質問責めに遭うのではないかと身構えてしまった。


「僕はアルツトーラ家の次男、本名はフェルナンド・アルツトーラだ。年は二十三歳。身長一八三センチ、体重六十三キロ、好きなものはラム肉のステーキ、趣味は釣りに行くこと」


しかしフェルナンドは唐突に自己紹介を始めた。


「アルツトーラ家は医師の家系でね、男も女もとにかく医師を目指す。家族は父と母、祖父、そして兄と姉がいる。家族全員医師で、僕も幼いころから医師になるために猛勉強したよ。

十五歳で最新の医療を学ぶために王都の医術学校へ通い、その後叔父の営む診療所で助手を三年務めた」


───これはお見合いか何かかな?


ミリアと親睦を図ろうとする意図は読めるが真面目過ぎる。女性として口説くというより釣書を聞かされている感じだ。


「僕について何か聞きたいことはあるかな?」


正直言ってない。

充分聞かせてもらった。


「え、えーと、ご趣味が釣りだとお聞きしましたけど、何を釣りに?」


「僕は湖で自分で船を出して釣るのが好きでね、マスをよく釣る」


興味がないのに釣りのことを聞いてしまうミリア。でも一人寂しく夕食を摂るよりいいかも。と思いながら、フェルナンドの釣り話を聞きながら夕食を終えた。







 夜更けの就寝時、ミリアはランプを手に持ちこっそりテントを抜け出した。


そして川へ向かう小路の脇道を行く。

今夜は閣下は来るだろうか、と思いながら河川敷へ向かった。


 河川敷に着いてシロツメクサの生えた地面に腰を下ろす。実はこっそり治癒魔法を込める練習をしようと思い、飴玉の入った瓶を持ち出していた。


瓶から飴玉を一つつまみ上げて、むむむ、と少しずつ魔力を込める。

かなり魔力を絞って少しずつ込めたつもりが、飴玉はミシミシと音を立ててぼろぼろと崩れた。まだ放出する魔力が多いようだ。


もう一つ、もう一つ、と失敗を繰り返しながら挑戦していく。魔力を絞って指先からポタポタと雫が滴り落ちるように。ゆっくりと。


「できた!」


八個目の飴玉でようやく成功した。

早速食べてみようと口元へ持っていこうとした。しかし、


「どれどれ」


いきなり頭上から声が降ってきて、ミリアの指先にある飴玉を奪う何者か。

よくよく目を凝らせばジルベスターだった。


「あっ!ダメです」


まだ食べても大丈夫なのか試してもないものを食べさせるわけにはいかない。しかしジルベスターは躊躇いもなくそれを口の中へ放り込んだ。


「む…」


「だ、大丈夫ですか」


「口に入れた瞬間に粉々に割れた。

しかし疲労回復か?喉の違和感が消えた」


「まだまだですね…」


「私も一つ挑戦してみよう」


そう言ってジルベスターはミリアの持っている瓶から飴玉を一つつまみ上げた。


眉間に皺を寄せて指先の飴玉に集中するジルベスター。すると飴玉が小さくパンッと音を立てて爆ぜた。


「おわっ!」


突然飴玉が手元で爆ぜて慌てるジルベスター。なぜか飛散する飴玉の欠片を受け止めようとしてわたわたと手を泳がせた。


「ふ、ふふふ、あははっ…」


その様子がおかしくてつい笑ってしまうミリア。


「そ、そんなに可笑しかったか?」


ジルベスターはへにょりと眉尻を下げて、手のひらに載った飴の欠片をぱっぱっと叩く。


「だって、そんなに慌てた閣下を見るの初めてなんですもの、ふふっ」


とまだ笑い続けるミリア。


「言われてみればこんなにびっくりしたのは生まれて初めてだ」


「生まれて初めてが、爆ぜた、飴、ふっ、ふ、ふふ」


「それもおかしな話だな!」


と言ってジルベスターとミリアは向かい合って笑った。


「閣下、お怪我はされてませんか」


「大丈夫だ」


「では、疲労回復をかけさせてもらいます」


「ああ、頼むよ」


ミリアがジルベスターに疲労回復をかけ終えると、「認識阻害のためだ」と言ってジルベスターはミリアの手を取った。


二人手を繋いで、月を映した川面を眺める。とても静かで、ここが戦場だと忘れてしまうくらいだった。


「ミリア、ミリアの亡くなった母上はどんなお人だった」


落ち着いた声でジルベスターが聞いた。なぜか亡くなった母親のことをジルベスターに聞かれて嬉しく感じる。


「とても明るくて、優しくて、責任感の強い母でした。どうして母のことを?」


「明るくて、逞しい君が、どのように育ったのか聞いてみたくなった」


それからミリアとジルベスターはお互いの幼少期のことや、育った環境、将来の夢、様々なことを語り合った。

その中でミリアは母親のナタリアと自分は、どうして貴族のことが嫌いになったのかその理由も語ったりした。


王族のジルベスターと平民のミリア。全く重なるところのない二人の道は、どういう運命か仮初の夫婦としてほんの二年の短い間だけ交じり合う。


この時間がもっと続けばいいのに。

ミリアはそんなふうに思っていた。


「お取り込みのところ失礼します。

閣下にご報告が」


しかし楽しい時間は長くは続かず、情報部隊の者に中断される。


「構わない。申せ」


「は、敵陣に撤退の動きが。

一旦アーゼル領まで兵を引き、援軍が来るのを待つ構えだと思われます」


アーゼル領とはフランベルデ帝国の領地の一つである。戦況が不利になりつつあった帝国が、一旦兵を引き上げ戦法を変えた。


「わかった、直ぐに戻る。

悪いが私の代わりにミリアをテントまで送って欲しい。ミリア、悪いが急ぐ用事ができた。今夜はゆっくり休んでくれ」


「は、畏まりました」

「はい、失礼致します」


繋がれていた手はほどかれ、ジルベスターが足早に去っていく。その彼の後ろ姿を見送り、ミリアは情報部隊の兵士にテントまで送られた。

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