第18話


「こんな遅くに、眠れないのか」


ジルベスターは隣に座るミリアと手を繋いだまま夜空を見上げて話しかけた。


「疲れてはいるんですけど、目が覚めちゃって。閣下もですか?」


「私は先ほどまで軍事会議だ」


「そうですか。大変ですね」


「今日はご苦労だったな。敵はよほどこの国が欲しいらしく序盤から総攻撃を仕掛けてきた。なんとか退けることができたが負傷者が多く出た。だが君が頑張ってくれたお陰で復帰できる戦力も多くて助かっている」


「頑張ったのは私だけじゃありません。軍医隊の皆で頑張りました」


「ああ、そうだな。軍医隊の者には感謝している」


「この戦はこれからどうなっていくのでしょうか」


今日は負傷者が多かった。こんな日が連日続けばミリアもいつまで魔力と体力が持つか不安である。正直言うと平民の治癒士としては難しい治癒も何人かかけてしまった。それに他の治癒士も限界近くまで治癒魔法を使い続けるのは無理があった。


「かなりの痛手を食らわせてやったから、戦況としてはかなりこちらが有利だ。しかしただ追い返すだけでは相手はまた体制を立て直し再度攻め込もうとしてくるだろう。そうならないよう相手の将を捕虜として捕らえ交渉材料にするところまで持っていきたい。

…ミリア、長期戦となるが付いてきてくれるだろうか」


「はい、もちろんです」


力強いミリアの返事がジルベスターに勇気を与える。

彼女がいてくれるなら辺境伯としての不安や重圧が少し軽くなる気がした。


「…ミリア」


「はい」


「私たちの関係を、本当の夫婦にしてみないか」


「!」


ミリアが貴族として生きていくことを嫌がっているのは分かっている。

しかしミリアはジルベスターの求めていた聖女だった。


今のジルベスターにとって、ミリアは己が危機に瀕したときの命綱であるのと同時に、いつの間にか心の支えとなっていた。側に居て支えてくれる聖女はミリアしかいない。ずっと側に居て欲しい。その思いが仮初めではなく本当の自分の妻にと、つい口に出してしまっていた。


しかし、『君を愛することはない』と初めて会ったあの謁見室で、はっきりと宣言されたミリアにはショックな言葉だった。


自分を愛することはないのに本当の夫婦になる。それの意味することは、一生治癒士として利用され続けるという意味だった。


───それでは約束が違うわ!

二年で解放してくれる約束だったはずよ!


ミリアは身を固くして繋いだ手を離そうとした。しかし逆にジルベスターに強く握られてしまう。


「ああ、悪かった。すまない。今の言葉は撤回する。これ以上君の望まないことはするつもりはなかったんだ。君の治癒士としての能力が素晴らしいからつい…」


そう言いながらミリアの手を持ち上げ、指先にそっと唇を落とした。


「ひぇっ」


ミリアは軽くパニックだ。

生まれて初めて手にキスされる(唇もないが)事態に思考能力ゼロになる。


「許して欲しい…」


申し訳なさそうに上目遣いで見てくる美丈夫。ミリアには「はい」以外の言葉は出てこなかった。


そしてあまり長くテントを離れてはいけないと、手を繋いだままジルベスターに送ってもらう。テントまで到着するとお互い小声で「お休み」「お休みなさい」と言い合って別れた。

その後、不思議とすぐに寝付くことができた。ミリアだけでなく、ジルベスターも。








 翌朝、夜明け前に起床する。

まだ眠いが何とか体を起こし回りを見渡す。起きれるのはミリアだけで、皆昨日に魔力を使いすぎてまだ起きれそうにない。


新たな負傷者が運ばれて来るまでには時間がある。もう少し寝かせてあげようとミリアだけ身支度を整えた。

そして手桶を両手に持ち、水を汲みに川へと向かった。


治療には大量の湯が必要だ。

器具の消毒や、湯冷まししたものは傷口の洗浄に使ったりする。

二往復は必要だろうかと考えながら歩いていると、ミリアの向かう先に会いたくない人物がいた。


「貴様、本当は聖女なのだろう」


「……」


声をかけてきたのはヘンドリックスだった。三角巾で腕を肩から吊るした男は、誰に治癒魔法をかけてもらったか忘れてしまったのだろうか。


───そう言うあんたは兵士に格下げされてるじゃない。


そう言ってやりたかったが仕返しが怖いので無言を返す。


「私は王都で聖女に治癒魔法をかけてもらったことがある。解毒のときももしやと思ったが、昨日の治癒で確信したぞ。貴様の治癒の魔力はまさに聖女そのものだった。貴様が詐称したせいで、ジルベスター様はしなくてもいい苦労をされている。そして俺もこんな辺境で兵士からやり直す羽目になった」


「違います。気のせいです」


しなくてもいい苦労だなんて、最初から聖女と婚姻を結べば良いのであって、ミリアのせいでもない。それにヘンドリックスが側近を辞めさせられたのをミリアのせいにするのは、全くの筋違いである。


「今からジルベスター様のところへ行って、貴様を第二夫人にするよう進言する。そうすれば正妻として嫁いでくる女性は聖女である必要がなくなるからな」


そう言ってヘンドリックスは骨折をしていない右手でミリアの腕を掴んだ。


「何をするの!放して!」


───冗談じゃないわ!愛されない第二夫人だなんて!体のいい飼い殺しじゃない!


「来いっ!貴様のせいで私は側近から外されたんだぞ!」


───最低だわ!この男!私を差し出して側近へ戻ろうとしてるのね!


「嫌よ!放して!」


どんなに抵抗してもヘンドリックスの力は強く、引きずられてしまう。

手にしていた手桶を落としたときだった。


「そこで何をしている!うちの大事な治癒士に手を出すな!」


うちの治癒士と言ったが、そこにいたのはジェイドではない。フェルナンドだった。


「うるさい。たかが軍医は黙っていろ。私はこの女に用がある」


「ミリア君は嫌がっているじゃないか。貴方は国境軍の兵士ですね。軍団長に抗議しますよ!」


フェルナンドがそう言うとヘンドリックスはチッ、と舌打ちをして諦めて去っていった。


「助けていただいてありがとうございます」


「さっきの男は昨日もミリア君に絡んでたね」


「ええ、しつこくて困ります」


「水汲みかい?僕も手伝うよ」


「あ、ありがとうございます」


フェルナンドはミリアが手にしていた手桶の片方を受け取ると、二人は並んで歩き出した。


「治癒士は兵士や騎士に人気なんだ。怪我をしたことのない人なんていないからね。誰しも一度はお世話になっているから治癒士に対して乱暴なことをするやつはいないはずなんだ。

それでもたまにいるんだよ。さっきみたいに強引なやつが。君も気を付けた方がいい」


「はい。気を付けます」


「今後は僕が水汲みを手伝うよ。それ以外もなるべく僕と一緒にいるようにして」


「え?えっと、はい?」


水汲みを手伝ってくれるのは正直ありがたい。だけどなるべく一緒にいるようにというのは何だろうか。頼るならジェイドを頼る。


「安全のためだよ」


「は、はい…」


ミリアは良く分からない人だな、と思いながらも、守ってくれると言うならその言葉に甘えようと思うのであった。

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