第17話

 日が暮れてもしばらくは負傷しながら戦っていた兵士や騎士の治癒に追われる。ようやく全ての負傷者の対応が終わる頃には治癒士はミリアしか残っていなかった。


「君凄いね」


ミリアに声をかけたのは若手の軍医フェルナンドだった。フェルナンドはミルクティー色の優しい髪色、榛色の瞳、細面で整った顔立ち。

いかにも女性の目を引きそうなイケメンだった。


「フェルナンド先生、お疲れ様です」


「君は魔力が多いのかも知れないね。平民では珍しいタイプだよ」


重篤な患者を全快したりせずとも、一番多くの負傷兵を治癒すれば誰の目にも明らかだった。しかも一人ぴんぴんしている。


「そう…かも知れません。でもどうか、口に出さないでいただけると…」


魔力の多い平民は貴族に狙われやすい。養子縁組、婚姻、専属の護衛や治癒士。そうなることが幸運だと言う人もいるが嫌がる人ももちろん多い。

当然ミリアは後者であった。


「ああそうか、ごめん。ところで君、食事は?」


「いえ、まだ」


兵糧班の兵士が準備してくれた夕食を、テントで寝込んでいる皆に運んだところだった。これから自身が食べるところだった。


「ちょうどいい、一緒に行こう」


「はい」


フェルナンドに誘われるのも変な感じだったが、断わる理由もないので大人しく付いていった。


ミリアとフェルナンドは夕食の載ったトレイを手に、診察用の備品が入った木箱を並べてそれに腰かけた。


「ミリア君は、クリス様の親戚だと聞いているが」


ミリアがスープを飲んでいるとフェルナンドが話しかけた。


「はい、その縁でヴェルサス領軍の軍医隊で働くことに…」


「王都からわざわざこちらへ?」


「ええ、まあ前任の人が産休の期間だけこちらでお世話になります」


「ミリア君は解毒ができると聞いたのだが…」


「はい、できます」


「貴族に対して治癒の経験は?」


「お抱えの医師がいない貴族のところへ週に二日ほど訪問診療をしてました」


「ふむ、貴族の対応も問題なしか」


───何これ、何かの面接?


他にもどんな病の治癒を経験してきたのかとか、治癒士として給与はどのくらい貰っているのかとか。若い男女が並んで食事をするには相応しくない会話が続く。


二人ともすでに食事を終えているが、ミリアは王都での治癒士の活動をフェルナンドにつぶさに聞かれ、居心地の悪さを感じた。


「あ、あの、皆がもう食事を終えていると思うんで、私片付けてあげなきゃ!失礼します!」


「あ、ああ。話を聞かせてくれてありがとう」


ミリアは自分の食べた後のトレイを持ち、その場を去った。


───一体なんだったんだろ。


初対面とは言えないが、まともに会話をしたことのない男性から根掘り葉掘り聞かれるのは決して気持ちのいいものではなかった。







 夜更けでも警備の兵士が巡回し、何らかの情報を携えた兵士や騎士が陣営地を駆け巡る。


ミリアは体力的には疲れていたが、初めての戦地での活動ということもあり目が覚めてどうにも眠れなかった。

ニコルらを起こさないように静かにテントを出ると、すれ違う兵士に「ちょっとトイレへ…」と言って少し陣営地から離れた場所へ歩いて行った。


ランブの明かりを頼りに、川へ向かう小路にある脇道を通る。そこは川の河川敷で、一面シロツメクサの生えた景色のいい場所だった。


今夜は満月で月が明るい。

ミリアはシロツメクサの生えた地面に腰を下ろし、夜空を眺めた。


全てが王都の生活と違いすぎるヴェルサス辺境領での生活。

目まぐるしく起こる生活の変化。

気が付けば辺境のまた辺境、しかも戦地まで来てしまった。


そしてミリアは考えた。

ジルベスターとの仮初の婚姻を終えた後はどうしようか。

軍医隊での仕事は前任の治癒士が産休を終えるまでであり、いつまでもここに居られる訳ではない。

しかも仮初の婚姻を終えれば、ミリアは用なしとなってこの領地にいる意味さえなくなる。


そんな自分とは対照的に、ジルベスターが正式に妻へと迎える聖女は、ミリアが受け取ることのできなかったジルベスターの愛や、使用人の支持、そして辺境伯夫人という確固たる地位。それら全てを手に入れて、ジルベスターの隣で微笑むのであろう。


ジクリ、と胸が痛んだ。

ミリアは決してその地位に就きたい訳ではない。しかし領都での手繋ぎデートを思い出すと、少なからずジルベスターに好意を抱いている自分に気が付いた。


「眠れないのか」


頭上から声が降ってきて、よく見ると若い男性の姿が近くに見えた。


───こんな近くに来るまで気が付かなかった。


ミリアは驚きながら聞き覚えのある声の主を目を凝らして見た。


「閣下」


「隣いいだろうか」


「あ、はい」


ミリアは慌てて立ち上がろうとしたが、制されてジルベスターが隣に座った。


「手を。認識阻害を君にもかける」


ジルベスターが手を差し出したので、ミリアはその手を取ろうとしたが、手首に軽い切り傷があるのを見つけた。


「閣下、傷が…」


「ああ、これくらい大したことはない」


「ちょっと待って下さい」


ミリアは魔力を手に集中させ、治癒魔法をかける。傷は跡形もなく消えた。ついでに全身に異常がないか見てみると、怪我はないが疲れが溜まっているようだったので、疲労回復もかけた。


ジルベスターの全身を被うミリアの魔力は暖かく、力強く、そして優しい。もっとそれを感じていたいと思うが、一瞬でジルベスターの体の中に溶け込んでいった。


そしてジルベスターは理解した。

この魔力は平民のレベルではない。ミリアは魔力の放出を瞬間的にすることで治癒の効果を限定的にしているが、この力強く全身を包む優しい魔力はジルベスターが幼いころ、体調を崩して高齢の聖女に治癒魔法をかけてもらった時ととても似ていた。


───そういうことか。


ジルベスターはミリアは自分の魔力が少ないと偽ってまで平民として生きたいと願っていることに気が付く。


「ありがとう」


「いえ、私は閣下の専属治癒士です。どうか遠慮しないで下さい」


「そうだな。君が居てくれてよかった」


さらりとそんなことを言われてミリアは頬が熱くなるのを感じた。


そしてジルベスターがあまりにも自然に手を差し出すのでミリアはつい何も考えずその手に手を重ねた。ジルベスターの手は大きくて暖かくて、少し節くれだっている。繋がる手から感じる温もりが心地いい。


しかしよくよく考えてみればジルベスターに認識阻害は必要だと思うが、ミリアには全く必要ないのでは?と気付いてしまう。

それでもこの人と手を繋ぐことが嫌いではないのでまぁ、いっか。とそのままにした。

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