第16話

 まだ東の空が白み始める時刻に起床し、日の出と同時に出立した。


砦までは箱馬車に乗って来たのだが、ミリアたちが乗り込んだのは大きな幌馬車。テントや薬、医療道具などを乗せて、更に医師四人と治癒士六人が乗り込む。


騎士たちは鎧や兜を被り、槍や弓などはいつでも使えるようにしている。

兵士も皮鎧を装備し、鉄製の帽子のような兜と、剥き出しの武器を持っていた。


いよいよ戦が始まるのだという物々しい雰囲気が緊張感を増した。

馬車の中では皆硬い顔をして無言だったが、隊長のジェイドが口を開いた。


「我が軍は強く、幾度となく敵国を押し返してきた。しかし何事にも万が一がある。撤退の合図が聞こえたら、治療中であろうと何であろうと、全てを捨て置きこの馬車へ乗り込め。砦まで戻れば一端危機は回避し、そのまま籠城戦となるだろう。非情だと思うかも知れんが、目の前の負傷者より我々の命が大事だ。いいね」


「「「はい」」」


ミリアは返事はしたものの、いざその時になると負傷した兵士を捨てられるだろうかと不安になった。


 正午を過ぎ、陣営地まであと少しというところで後発隊の将へ伝令が届く。そして伝令の伝令が軍医隊まで届いた。


「伝令!伝令!フランベルデ帝国の突撃により戦争開始!後発隊は至急合流せよ!」


ミリアたちだけでなく、周囲の兵士らにも緊張が走る。同時に馬車の速度が上がった。


陣営へ到着すると、そこは警備のために兵士を数名残しただけの多くのテントが立つ場所だった。そして遠くから雷鳴のような轟音が聞こえ、何ヵ所か煙が立ち上っているのが見える。


ミリアたち軍医隊も急ぎテント設営を開始した。しかしその手は途中で止められてしまった。


「軍医隊は到着してますか!医師は!」


「こっちだ!」


負傷した兵士を担いだ兵士。よく見るとその兵士も負傷している。ジェイドは兵士の呼び掛けに答えると、テント設営を中断して手当てを始めた。

ジェイドに倣ってミリアとニコルも作業を中断して治癒に当たる。


次々と負傷兵が陣営へと運ばれてくる。傷の大きさも深さも、訓練でできるものとは全く違っていた。

それも当然である。敵は殺しにかかっているのだから。


裂かれたような風魔法による傷はニコルの治癒魔法の縫合で、火魔法による火傷は治癒魔法をぬりぬりして治す。

それ以外の抉るような切り傷や骨折はミリアが担当し抜群のチームワークを発揮する二人。

即前線復帰とまではいかないが、ニコルとミリアが二人がかりで治癒魔法をかければ二、三日で復帰が可能だった。


 日が傾き始めた。

ベッド代わりのパレットを並べ、その上にとりあえず負傷者を寝かせているが隙間なく埋め尽くされている。


ニコルとエルザは限界を迎えテントで休んでいる。アルマとドーラとキャシーも限界が近いようで顔に疲れを滲ませていた。


ミリアも疲れが溜まってきたが、戦は日が暮れると中断されると聞いてもうひと踏ん張りだと気合いを入れた。


「ミリア!まだいけるか!左鎖骨と左尺骨の骨折だ!」


「今行きます!」


ジェイドに呼ばれて振り向くと、そこにいた兵士の顔を見て逃げ出したくなった。


鳶色の髪によくある茶色の瞳。吊り上がった眉と鷲鼻の嫌味そうな男。

ヘンドリックス・グスタークが苦虫を噛み潰したような顔で座っていた。


「……」


「貴様なんぞ所詮戦地送りだったという訳だ」


戦地送り…ある意味間違ってはいないが、ミリアはジルベスターに頼まれてここにいる。


「貴方と一緒にしないで欲しいわ。どうやら治癒はいらないようね。骨折で死ぬこともないし、二、三ヶ月で完治するわ」


ミリアは踵を返し立ち去ろうとした。


「ま、待て!悪かった!

申し訳、ありませんでした」


ヘンドリックスは骨折したところを庇いながら頭を下げた。

この謝罪は今の失言についてだけではなく、ミリアを監禁したことについても含まれているようだ。


「……」


「赤のレンガ棟を貴様、いや、貴女の部屋にしたのは私だが、一歩も外へ出させないとか食事もまともなものを出さないとかは私の指示ではない」


今さら謝られて、言い訳されても何だと言うのか。

ミリアは許さない。この人は貴族だ。

この場では謝っても、違うところで平民を見下し、蔑み続けるに違いない。


しかし今はこの国のために戦う兵士だ。戦力は一人でも多い方がいいだろう。ヘンドリックスのためではない。ジルベスターのためにこの男に治癒魔法をかけようとミリアは思った。


「そんな言い訳聞きたくないわ。私の囚人のように過ごした日々はなかったことにできないもの。本当なら別の治癒士に頼んだら?って言いたいけど、皆もう限界なの。今回だけ私が治癒魔法かけるけど、明日からは別の人に頼んで下さい」


そう言ってミリアはヘンドリックスに向き直る。そして左鎖骨と、左尺骨に治癒魔法をかけた。これで二、三日で戦場へ復帰できるだろう。

ミリアは残りの処置をジェイドに任せるため、ヘンドリックスから離れようとした。が、しかしなぜかヘンドリックスがミリアの腕を掴んでいた。


「!」


「貴様、やはり本当は魔力──」


ミリアは嫌な予感がした。

この男は何を言おうとしているのか。

これ以上の言葉は言われたくない。


「嫌!放して!触らないで下さい!」


ヘンドリックスの言葉を遮るように大声を出した。最大限この男が誤解を受けるように。


「チッ!」


すぐに手を放され、ミリアはヘンドリックスから距離を取った。


「おい!治癒士にちょっかいかけんな!」


「時と場所を考えろ!」


どこからともなくヘンドリックスを叱る声が飛んできた。ざまみろとミリアは思いながらジェイドを呼ぶ。


「治癒士を口説くならこの戦争が終わってからにしてくれんかね」


ミリアと入れ替わりで再びやってきたジェイドに窘められ、ばつが悪そうに「失礼した」とヘンドリックスは謝った。

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