第14話
ミリアは帰りもジルベスターに馬車で送ってもらうと、買ってもらった猫の仮面を部屋のサイドボードの上に飾った。
金色の紋様が入った美しい仮面は、インテリアとしても美しい。
あと一年と十ヶ月で王都へ帰る。その間にひとつでもジルベスターと良い思い出ができたのは良いことだった。
「ミリア様、クロークの者です」
扉を軽く叩く音がしたので開けてやる。扉の外には客の荷物係の青年が立っていた。
「はい、何か」
「お手紙とお届けものです」
青年の手には一通の手紙と、布に包まれた手のひらに載るような小さな包みがあった。
「どうもありがとう」
ミリアはポケットに忍ばせておいた小袋からコインを取り出し、それらを受け取ると同時にコインを渡す。
クロークの青年は美しい姿勢で一礼すると踵を返し去って行った。
ミリアは扉を閉めてソファへ腰掛けると、先に布に包まれた品物から開ける。
コロリと手のひらに現れたのは、母ナタリアが愛用していた髪止めだった。
母の遺品ひとつ持ち出せないままヴェルサス辺境領まで来てしまったミリアにとって、とても嬉しい品だった。
そして手紙の差出人を確認すると、『ドリトン・ブルックナー』と書いてあった。
───ドリトン先生!
ミリアは逸る気持ちを抑えながら手紙の封を開け読み始めた。
少しだけ斜めの、流れるような書き方。大きくはっきりとした文字。
ミリアの見慣れたドリトンの字だ。
二ヶ月くらいしか離れていないのに懐かしい気持ちが込み上げる。
私たちは元気でやっている。ミリアのことをとても心配をしたが、手紙が届き安心した。
ヴェルサス辺境領でも持ち前の明るさで頑張りなさい。
要約するとそのようことが認められていた。
ミリアはジルベスターと仮初の婚姻を結んだことは知らせていない。ただ治癒のできる令嬢として求められてヴェルサス辺境領まで来ることになったと前の手紙で知らせていた。
早く王都へ帰って、ドリトンとタニアに会いたい。そう思いながら手紙を読むミリアだったが、書かれていた一文に衝撃を受けた。
『新しく治癒士を雇うことになった』
新しい治癒士は、二十七歳の、三才の男の子を抱え、夫を事故で亡くした未亡人。
働く場所を探していたが、三才の子を抱えたままではなかなか見つからず困っていた。
そこで治癒士募集の噂を聞き付けて、ブルックナー診療所で住み込みで働くことになった。
ミリアが今まで使用していた部屋を使うことになり、ミリアの荷物は全てドリトンとタニアの住む邸宅へ移した。
『ミリアの帰る場所はいつでもここにある。王都へ帰ることがあればいつでも顔を見せなさい』
そう締めくくっていたが、ミリアの目には涙が浮かび読むことができなかった。
───私の居場所が無くなった…。
この仮初の婚姻期間が終われば、王都へ帰るつもりだった。
ミリアの夢はドリトンとタニアと三人で、いつまでもブルックナー診療所を切り盛りしていくことだった。
それが、潰えた。
ミリアには新しい治癒士を恨む気持ちはない。ミリアの母ナタリアが助けられたのはブルックナー夫妻のおかげであり、その優しさにまた別の母子が救われたのだから。
それにどのみち二年は帰れないのだ。その間治癒士を雇わないでなどと言えるはずもなかった。
しかし、ミリアの夢が断たれたことに違いはない。
ミリアはやり場のない気持ちを胸に、仕方がないのだと自分に言い聞かせながらこの日は夕食も摂らずに眠った。
*
騎士と兵士の訓練内容がウォーミングアップ程度の軽いものへと変更された。そのおかげで医務室の受診者が激減した。
その代わり治療中の者は全て数日中に快癒させるようにと軍の上層部から命令が下った。
騎士や兵士が城内をバタバタと行き来し、大量の武器や鎧が搬入されている。
城内が物々しい雰囲気となり、いよいよ戦が始まるのだと感じさせた。
そして軍医隊の方にも出立の準備を進めよ。との命令が下った。
戦場へ持っていくための薬や衛生品、その他の備品を手配して、荷馬車へ積み込む。
「ミリア、行軍中の馬車で『聖なる飴ちゃん』の作り方教えてあげるからね!」
「ありがとう!実は飴二瓶も買っちゃったの」
「私が備品発注で十瓶頼んじゃったから、それは大事に取っておきなよ。何ならもう二瓶追加発注して美味しく…」
「ニコル」
低い声でジェイドに窘められる。
ニコルは「テヘッ」と舌を出して誤魔化していた。
「後は、薬品関係が納品されたら全て揃うわね。私、カードゲームでも持っていこうかな」
「また怒られるわよ」
ニコルはどこか旅行にでも行くような気軽な様子だ。彼女は年に一度行われる領軍と、国境の砦に常駐している国境軍、そしてヴェルサス辺境領の隣の領地で同じくフランベルデ帝国との国境を有するアルガン領軍の三軍の合同演習に参加しているため、緊張感に欠けているがこの雰囲気に馴れていた。
先発隊が出立してその次は本隊、そして五日後、ミリアを含む軍医隊は後発隊としてフランベルデ帝国との国境にある、チェダロの砦へと出立した。
チェダロの砦まで五日間の行軍。
騎士は乗馬、ミリアたちは馬車、兵士たちは荷物を背負って走っていた。
馬車の中で、ジェイドが戦中の医療活動において注意しなければならないことを説明する。
「おそらく水場からそう離れていない場所に陣営が敷かれているはずだ。どんなに喉が渇いても決して生水は飲まないように」
「「はい」」
「それからあまりにも負傷者が多い場合、私が君たちの魔力の残量を考えてあげられない場合がある。
最終的には自分の魔力量は自分で管理して欲しい。決して魔力の枯渇を起こさないように───」
他にもいくつか注意事項を説明され、いよいよ戦場へ向かうのだとミリアとニコルは気を引き締めた。
しかしその緊張も五日間も馬車に揺られていれば緩んでしまい、ニコルが持ってきたカードゲームをしたり、飴に治癒魔法を込めるやり方を教わったりした。
「いい?指先から細い魔力を出して少しずつ込めるの。こうやって、むむむむむ、はい、あーん」
ミリアがあーんと口を開けたところへニコルが飴玉をぽいっと放り込む。
飴玉の味は変わらないが、なめたところからお腹に向かってじんわりと心地よい何かが広がっていく。
───あ、これ疲労回復だ。
大して疲れてはいないが、それでも飴をなめているとお腹の中からじんわりと元気になるのがとてもいい。
「おいし」
「でしょ?」
子供を治癒するためにニコルが編み出した『聖なる飴ちゃん』。
さぞかし子供の評判もよかったことだろう。
ミリアも飴玉をひとつ瓶からつまみ上げると、ニコルがミリアの膝にハンカチを広げてくれた。
「他の治癒士がやると、飴が割れるのよ。ミリアも気をつけて」
「ありがとう」
指先に神経を集中させ、魔力を少しずつ込める。
しかしそれは大して魔力を込めた感触もないままミシミシとひび割れを起こし、ぼろぼろと崩れてミリアの膝の上へ落ちた。
「あーん、難しいー!」
「修行が足らんのですよミリアくん、修行が」
「ニコルは修行せずにできたのだろうが」
とジェイドに突っ込まれるニコル。
ミリアはもう一度飴をつまみ上げて挑戦するがやはり上手くいかない。
何度も挑戦してみたが結局ひとつも成功できないまま、軍医隊を含む後発隊は五日間の行軍を終えてチェダロの砦へ到着した。
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