第12話
初仕事を終え、宿へ戻るとミリアはぐったりとソファへ座り込んだ。
───疲れたぁ。久しぶりに働いたわ。
ここ一月以上、あまり体を動かさない生活を送っていたため体力が衰えていた。
しかし何ものにも代えがたい充足感を感じていた。
やはり自分は貴族として生きていくのは無理だ、自分の居場所は平民の治癒士なんだとミリアは思った。
ふとテーブルの上に目をやると何かが置かれていることに気が付いた。
『初めての職場で疲れていないだろうか。領都で評判のチョコレートで癒しの一時を君に。
───────ジルベスターより
追伸:君の休みの日に領都を案内したいと思う。楽しみにしていて欲しい。』
ジルベスターからのメッセージカードとともにテーブルの上にはチョコレートの箱が置かれていた。
───ジルベスター様ってマメな性格なのね。
昼にも様子を見に来てくれて、仕事を終えた後のことも気遣ってくれる。
ここではこんな風にミリアを気遣ってくれる人はジルベスターしかいないのではないか。
そう思うとミリアの心に温かい何かがじわりと滲んだ。
思い起こせば一ヶ月半前、ミリアは拐われるように生まれ育ったブルックナー診療所を出て、マイワール伯爵家の令嬢となった。そこで母を弄んだ男に金のために売られ、誰も知る人のいない遠い地ヴェルサス辺境領へ連れてこられた。
そして嫁入り先であるヴェルサス家では夫となる人に「愛することはない」と宣言されて、その上監禁されるという酷い扱いを受けた。
ほろりと一筋の雫がミリア頬を伝う。
───ああ、私は心細かったのね。
ジルベスターとはよくいう『夫婦』という仲ではないが、二年間専属治癒士としてほどよい距離感でやっていけそうだ。
軍医のジェイドとも、同じ治癒士のニコルとも仲良くやっていけそうだ。
ようやくミリアは自分を取り戻した気持ちになり、テーブルの上に置いてあった呼び鈴を手に取るとチリーンと鳴らした。
貴族っぽいことをしてみようと、紅茶のルームサービスを注文し、生まれて初めて口にした高級チョコレートで優雅なぼっちお茶会を堪能した。
*
休診日。
ジルベスターから動きやすい服装で来るように言われていたミリアは、辺境伯夫人として支給されていたドレスの中から水色のシンプルなワンピースを選ぶ。
支度を終えロビーへ下りると、一人掛けのソファへ腰を掛け、長い足を組み、優雅にティーカップを傾けるジルベスターがいた。
服装は白シャツとトラウザーズだけのシルプルな装いなはずなのに、まるでスポットライトを浴びたように彼だけが輝いている。
「ミリア」と声をかけられ自分が見惚れていたことに気が付いた。
「…お待たせ致しました」
「いや、待っていない」
明らかに紅茶を飲みながら待っていたのに、さらりと嘘をつくジルベスターに、これが本物の紳士というものかと妙に納得するミリアだった。
生まれて初めてエスコートをされるミリア。治癒魔法をかけるとき以外で男性に近づいたことがないので妙に気恥ずかしい。
馬車に乗り込む時も手を差し出され、ロジーナに教わった貴族の馬車の乗り方を思い出した。
それと同時にヘンドリックスと馬車に乗った時はこんなことを一度もしてもらわなかったことを思い出し、彼には最初から令嬢扱いをされていなかったのだと、今更ながらに思うのであった。
馬車は平民が乗るような艶も装飾もない外装だったが、内装は立派でお忍び用であるのが分かる。
それにしても、ジルベスターは少し前に襲われたばかりなのに気軽に外出してもいいのだろうか。
しかも護衛も連れていない。
「閣下、護衛も付けずに外出されて大丈夫なのですか?」
「それは問題ない。
私は六属性魔法全てと強化魔法が使えるからな。使えない魔法は治癒魔法だけだ。こうして視察の際には闇魔法の認識阻害をかけるから全く危険はない。
護衛を連れていてはむしろ存在を強調してしまうからな」
「すごい…」
高位貴族であればあるほど使える魔法は多く、魔力量も多い。
王族でもあるジルベスターは女性にしか顕現しない治癒魔法を除いて全ての魔法が使えた。
それに比べミリアは治癒魔法と水魔法しか使えない。水魔法と言っても洗濯やお風呂の水など家事に使うのみで、もしミリアが貴族の令嬢として生きていたなら使いどころのない全く役に立たない魔法である。
「どこか行きたいところはあるか」
「飴を買いたいです。あ、あと平民の服もいくつか」
「そうだ、君にこれを渡しておこう」
そう言ってジルベスターがミリアにヴェルサス家の紋章が彫られた指輪を渡す。
「これは?」
「ヴェルサス家と縁の深い者に渡される物だ。これを店の者に見せれば後精算で買える。露店商は無理だがな」
「あ、ありがとうございます」
ミリアはロジーナがトランクにこっそりと入れてくれたお金しか持っていないため、ヴェルサス家が払ってくれるのなら有り難くそうさせてもらおうと思った。
どうせ二年だけの贅沢である。
使えるものならとことん使わせてもらおうではないか。そう思うミリアだった。
馬車が速度を落として路肩で止まる。馬車を下りるとそこはメイン通りより少し外れた通りで、たくさんの人がメイン通りへ向かって歩いていた。
「ここから歩いていくぞ。掴まれ」
と言ってジルベスターはミリアの手を取る。掴まえられているのはミリアの方だ。
「私に触れていれば君にも認識阻害の効果が及ぶ。私の手を放さないように」
「はい」
あまりの人の多さに思わずミリアもジルベスターの手をぎゅっと握り返した。
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