第10話
それからジルベスターは隣に座る側近の男を紹介した。
「今後何か要望や伝えたいことがあるときは彼を介するといい」
「私、ジルベスター様の側近の一人、クリス・ブラウンと申します。先日、貴女の治癒魔法で救われた一人です」
クリスはミリアに警戒されないよう、柔らかく微笑みながら礼をした。
「そうでしたか」
ミリアはあの晩のことを思い出そうとしてもクリスの顔に覚えがない。ミリアは患者の顔を覚えるのが得意な筈だったが全く覚えていなかった。
それほどまでにあのときのミリアの精神状態は追い詰められていた。
「助けていただき感謝申し上げます。正直、あの時死を覚悟していましたから」
「いえ、閣下の指示ですから」
ミリアはつい、素っ気ない態度で答えていた。ヘンドリックスとクリスは別人であるのは分かっているが、どうしても信用できなくなっていた。
「どうかそんなに警戒しないで下さい。私はヘンドリックスと違って閣下至上主義でもありませんから。あ、でも忠誠は誓ってますよ?」
と言いクリスはジルベスターに向かってヘラリと笑って見せ、それを見たジルベスターは少し呆れた顔をした。
二人はいい主従関係のようで、クリスという男はヘンドリックスと違い気さくな性格のようだ。
「私もミリア様と同じ庶子の生まれなのです。それもあって私がミリア様のお世話係を任されました」
庶子と言ってもつい最近まで市井で暮らしていたミリアとは違う。
ブラウン家は確か歴史ある伯爵の家柄、この男も所詮貴族である。きっと平民を踏みつけても平気な人種だろう。
ミリアは監禁されている間本を読むしかなく、その中でもヴェルサス辺境領の歴史にまつわる本もいくつか読んでいた。その中でもブラウン伯爵家は古くからこの領地で活躍した名家だった。
「ミリア、もう領都は見て回ったか?」
「いえ、まだ…」
「お詫びと言っては何だが、君に領都を案内したい」
正直言うと何処に何があるのか全くわからないのでジルベスターの申し出は有り難かった。しかしミリアが見て回りたいのは平民が行き交うような市場や商店街だ。
さすがに王族であるジルベスターに案内させたいと思わない。
「でも、お忙しいでしょうから」
「構わない。私もたまには息抜きが必要だからな」
「あ、ありがとうございます。では宜しくお願いします」
きっと貴族の令嬢が喜びそうな場所に連れていかれるんだろうな。と思いながら、断るわけにもいかずミリアは頭を下げた。
「閣下、私にも息抜きさせて下さい」
と口を尖らせてクリスが言った。
「お前は先日まで休んでいただろう」
「それは負傷していたからです!!」
「そうだったかな」
と惚けた振りをするジルベスター。
気安く言い合う二人に驚きながら、少しだけ親近感を抱くミリアだった。
*
二日後の朝、クリスが馬車でミリアを迎えに来た。
ヴェルサス領軍の軍医隊で働くことになったミリアを案内するためだった。
馬車での移動中にクリスはミリアに注意事項をいくつか伝える。
ミリアはジルベスターの妻ではあるが、公にできない存在であることと、期間限定の婚姻であることから、妻であることは秘密して欲しいということ。
ミリアは伯爵令嬢ではあるが、普通の貴族令嬢が治癒士として働くことはあり得ないことなので、平民と身分を偽って欲しいということ。
そしてミリアはクリスの母方の親戚という設定にして、何かトラブルになりそうなときは必ずクリスの名前を出し、そしてクリスに相談すること。
「そして最後に、『どんなに見目のよい騎士が現れても心を奪われないでくれ。君は私の妻なのだから』との閣下からの伝言でした」
「…」
最後の伝言で思わず頬を赤らめるミリア。まるで本当に妻を愛する夫のようではないか。
そういう言い方はよくないぞ。と心の中で言い返すミリアだった。
ヴェルサス領軍の施設は領主城の西側にあり、軍務棟、訓練場、宿舎、武器倉庫などが建ち並ぶ。
その中でも軍務棟の一角にある医務室が、ミリアの職場だった。
クリスに付き添われて医務室に入ると、そこには壮年の医師と、ミリアと同じ年頃の女の子がいた。
「ジェイド先生、新しい治癒士を連れて来ました」
「やあ、クリス君待ってたよ。
おや、君は…四人立て続けに解毒した子だね」
「そう言えば二人は面識がありましたね」
「あ、あのときの…」
壮年の医師は、ジルベスターたちが襲撃に遭った夜に負傷者の治療をしていた人物だった。
「私はジェイド・パーカー。ここで軍医をしている。
君の実力はすでに保証済みだね。あの晩は魔力を使い過ぎて大変だったんじゃないのか?」
と聞くジェイド。
確かに普通の治癒士なら数日間動けなくなるのだろう。
しかし実は魔力が貴族並みに多いミリア。魔力には全く問題なかったが、話を合わせることにした。
「ミリアと申します。
翌日は動けなくてほとんど寝て過ごしました」
と半分本当なのでそれらしいことを言って誤魔化す。
ジェイドはさもありなんといった感じで大きく頷いた。
「私は軍医隊所属の治癒士でニコルっていうの。私は魔力がとても少なくて、治せる病気や怪我の種類がとても少ないの。だからミリアさんが来てくれてとても嬉しいわ」
そう言って自己紹介したニコルは赤毛のお下げ髪、素朴で純情そうな女の子だ。
「私は逆に騎士様や兵士相手の治癒はあまり経験がないの。色々と教えてもらえると嬉しいわ」
「ええ!私でよかったら!」
とミリアとニコルは微笑み合った。
───ここだったらうまくやっていけそう。
そう確信するミリアだった。
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