第9話

 食堂へ入ると、すでにジルベスターは待っていた。


「本日はお招きいただきありがとうございます」


ミリアはロジーナから教わった挨拶を思い出し、カーテシーをする。


「今日の装いは華やかでとてもいい」


「閣下のおかげです。ありがとうございます」


再びミリアは軽く膝を折る。

ジルベスターの顔を見るととても嬉しそうに微笑んでいた。


「さあ、かけてくれ」


「失礼します」


ミリアが席に着くと目の前には見たことのない豪華な料理が広がる。

ここ一月まともに口にしていない肉料理や魚料理。野菜もスープに浮かぶ欠片のようなものしか口にしてこなかったが、彩り鮮やかに盛り付けられている。


以前のミリアだったら喜んでそれらを食べたのだろう。

しかし一ヶ月間粗末な食事しか与えられなかったミリアには、様々な香辛料が混ざった匂いや油の匂い、肉や魚の焼けた匂いに胸焼けがした。


食事が始まってもミリアは食欲がわかない。しかし何も食べないわけにはいかず、料理を小さく刻み、少しずつ口に運んだ。


「君は本当に腕のいい治癒士のようだな。治癒士の中でも解毒ができるのは一握りだと聞く」


「恐れ入ります」


「四人の解毒は見事だったそうだな。どのような修練を積んだのか聞いてもよいだろうか」


「修練と言うほどでは…。

解毒に関しては経験がありませんでした。しかし食中毒の患者を治癒した経験があるので、いけると考えました。

それに診療所で働いていたとき、そこの先生に医術の基礎を教わりました。毒に犯された血液は心臓へ向かい、そして心臓から全身へと巡っていきます。それを考慮して傷跡から心臓、心臓から全身へと治癒魔法をかければ効率よく治癒できます」


「なるほど、医術の基礎が。頼もしいな。これで私もいつ毒を盛られても安心だな」


その言葉にミリアは一瞬驚くが、ジルベスターがあまりにも機嫌良さそうに言うので冗談だと分かった。


そして気が付く。

人とまともに会話をするのはいつぶりだろうか。蔑んだ目で見られず、冗談も交えて。


「君が解毒してくれた四人は私を支えてくれる大事な側近たちだ。

彼らがいなくては私の仕事もたち行かなくなる。君がここへ嫁いでくれたことに感謝する」


「恐れ入ります」


「君には何か褒美を取らせたい。

何か欲しいものはあるだろうか」


欲しいもの…そんなものはない。

ただ仕事をして、人と接し、簡単でも美味しい食事。そんな普通の生活を返して欲しい。


そしてこの食事会の後はどうなるのか考えた。

またあの部屋に閉じ込められ、囚人のような日々を送るのだろうか。


───もう、こんな生活耐えられないわ!


そう考えるとミリアは椅子から立ち上がり、跪いていた。


「ど、どうした」


「閣下、褒美に是非お願いがあります」


「な、何だ、言ってみなさい」


「私を領主城から出して下さい。そして仕事をさせて下さい。閣下が怪我や病気をされたときには必ず駆けつけると約束します。

もう、一歩も外へ出られず、誰とも会話をせず、パンとスープとチーズだけの食事では生きている心地がしません」


「…ちょっと待て。報告では毎日お茶会や買い物をしていると聞いているが」


「それは私ではありません。

私は部屋の外から鍵をかけられ、誰とも会わず、一歩も外へ出られない生活をしています」


ジルベスターはミリアの言葉の真偽を確かめるように彼女を見た。

一月前より顔色は青白く、痩せている。ミリアの言っている言葉が真実だとするなら、彼女の部屋は…。


「ミリア、君の部屋はどこに?」


「赤いレンガの建物の三階です」


「赤のレンガ棟だと!?」


赤のレンガ棟とは、貴族や領主一族が悪事を働いたとき、幽閉するための施設だった。


どうしてミリアがそんな扱いを受けているのか。ジルベスターはヘンドリックスにミリアが恙無く暮らせるよう生活環境を調えるようにと指示をしたつもりだ。


「それはすまないことをした。

君の待遇について、少しだけ時間をもらえるだろうか。

君には今晩から別の部屋、いや城内では誰が信用できるか分からないな、宿を紹介しよう」


「ありがとうございます」


ミリアは再度頭を下げた。

そしてディナーは早々に切り上げられ、ミリアは荷物を纏めて、ヴェルサス領の中で最も高級だと言われる宿へと移動した。







 ミリアが高級宿へ移動して数日が経過した。


最初は宿で出される食事が豪華過ぎて口に合わずに苦労したが、量を減らして味付けもシンプルなものへと注文することが可能だったので、ようやく美味しいと思える食事ができるようになった。


手紙を出したいと伝えると、宿では独自に王都との流通があるらしく、快く引き受けてくれた。


そして、外出も許可された。

宿の施設内ならどこでも自由に行ってもよく、レストランやカフェを利用しても全てジルベスターの妻として割り当てられる予算で支払われるので気にせずに利用してもいいと言われた。


ただし外出の際には宿の客用サービスの貸し出し馬車や、護衛の貸し出しを必ず利用してくれと条件を付けられたが、それは致し方のないことなのだろうと納得した。

今はまだカフェを利用したり、宿の庭園を散歩する程度だが、そろそろヴェルサス辺境領を見て回りたい。



 そしてジルベスターが側近の一人を伴ってミリアを訪ねて来た。


宿の応接室を借りて、従業員が紅茶を淹れてくれる。

ここではミリアが貴族でも、そうでなくても変わらない接客に安心感を与えてくれた。


「ここの居心地はどうだろうか」


従業員が退室して三人だけになるとジルベスターが聞いた。


「おかげ様で快適に過ごしています。閣下にご配慮いただきありがとうございます」


ミリアが丁寧に頭を下げるとジルベスターは「よかった」と言って柔らかく微笑んだ。


「今日はことの顛末と、ミリアの今後について話があって参った」


「はい」


ジルベスターの調べたところによると、ミリアが不当な待遇を受けていたのは、ヘンドリックスとハンナがジルベスターを異常と言っていいほど心酔していたからだった。


もともと二人は階級意識が強く、ジルベスターの婚姻相手には他国の王女か公爵家、最低でも侯爵家の令嬢がふさわしいという考えが強かった。


そこへ心酔するジルベスターの結婚相手が貴族令嬢とは到底言えないような市井育ちの庶子であることが許せなかったということだった。


そしてジルベスターに心酔する者は多く、それらの者もヘンドリックスやハンナに感化され協力してしていたからこそ、ジルベスターの知らないところでミリアが一月も監禁されることになったそうだ。


「私も気が付かず申し訳なかった」


と言ってジルベスターは青紫の瞳をミリアに向けた。

秀麗な男に見つめられるとどぎまぎしてしまい、ミリアは思わず目を背けた。


「あの人たちに適切な罰を与えて下さるのなら…」


「もちろんだ。関わった者全員解雇処分にし、以降登城することを禁止した」


「そうですか」


───一応伯爵令嬢で、仮初めでも辺境伯の妻を監禁したのに。ずいぶん軽い処分ね。


「不満そうだな。貴族の感覚では未来の出世が途絶えて、家名も傷付き、この領地では生きていけないほど重い処分だぞ」


ミリアの感覚では職場は探し直せばいいし、登城禁止になっても城へ行かなければいいだけなので、どうしても軽い処分としか思えなかった。


「それから、ミリアの住む場所はこの宿を二年契約したからこのままここで過ごすといい。ここなら客を身分によって冷遇することはないだろう。

あとは仕事が欲しいとのことだったが、実はヴェルサス領軍直属の治癒士が一人懐妊して産休に入った。その産休期間だけだが治癒士を補充したい。平民の治癒士と一緒に働くことになるがもし構わなければ…」


「やります!やらせて下さい!

お給料もきちんと下さい!」


ミリアは思わず身を乗り出していた。

これで二年後に離婚しても大丈夫なように少しはお金が貯められる。


「ふっ、君は血筋も身分も伯爵令嬢で間違いないのに中身は平民のままなのだな」


とジルベスターは笑った。

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