第8話

 時刻は深夜の二時を回ったころだった。夜の静寂を破る、部屋の扉をけたたましく叩く者がいた。


「治癒士!起きろ!」


ヘンドリックスとは違う男性の声だ。

ベッドで本を読んでいたミリアはのそりとベッドから出ると扉に近寄った。


「何事ですか」


ミリアが声をかけると扉の小窓がパカリと開かれ、それを覗く男はミリアに怒っているような顔を向けた。


「閣下が潜伏していた敵国の者に襲われた。閣下はご無事だが帯同した者が負傷している。この時刻ではすぐに駆けつけられる治癒士は貴様しかいない。これは閣下のご指示でもある。すぐに支度をして負傷者の治癒にあたれ」


敵国のフランベルデ帝国から刺客が送られてきた。姿を隠すことのできる闇魔法を駆使してこの城へ潜入しての強襲だった。

確実にジルベスターを屠るつもりのフランベルデ帝国だったが、ジルベスターは圧倒的に強くそれは阻止された。


「…わかりました」


無感情にミリアは答えると、とりあえず素早く着られるワンピースに着替える。迎えに来た男が鍵を開けたので、部屋を出た。一月ぶりの部屋の外だった。


「もたもたするな!」


男に案内されて城内の医務室へ向かう途中、男に怒鳴られたがどうでもよかった。むしろ死んでしまえばいいのにとさえ思っていた。みんな嫌いだ。貴族も、使用人も、そしてジルベスターも。

なぜ私が助けなければいけないのだろうか。わざと失敗してやろうか。失敗して役立たずだと思われれば解放してもらえる。

そんな思考に陥るほどミリアの心は病んでいた。


 医務室では四人の負傷者がベッドに横たわっており、その中にはヘンドリックスもいた。

その四人は共通して矢傷を負い、苦しそうに呻いている。


───これは、毒?


医務室に常駐していた医師が矢を取り除く処置をしている。

よく見るとかなり酷い切り傷を負っている者もいるようだが、喫緊に処置しなければならないのは矢じりに塗られた毒のようだった。


「治癒士の方ですか」


処置に当たっていた医師がミリアに気付き声をかけた。


「…はい」


「解毒の経験は?」


「食中毒でしたら…」


「それならできるかも知れませんね。早速お願いできますか」


「…やってみます」


毒に対する処置は、医師では薬師と相談して毒の特定から始めなければならない。それでは時間がかかりすぎるため即効性の毒では対処が手遅れになることも多い。


それに比べ治癒士の場合はその場でできるため、即効で解毒できるのが利点であった。

しかしそれができる治癒士は治癒士全体でほんの一握りしかおらず、ほとんどが間に合わないのが実状であった。


 ミリアは手を組み合わせ魔力を手のひらへ集中させる。

まずは毒の侵入口である矢傷から治癒魔法を浸透させる。それから毒に犯された血液が集まる心臓へ。そして心臓から全身へと魔力を流していった。


「ほう…」


医師が感嘆の声をあげる。

確かな手応えを感じたミリアは次々と治癒魔法をかけていき、気が付けばヘンドリックスを含め四人全員に治癒魔法をかけていた。


おそらく治癒士の性というものなのだろう。どんなに憎い人でも目の前で苦しむ姿を見ると、個人的な感情など忘れ一生懸命治癒魔法をかけていた。


四人の負傷者は他にも切り傷などを負っているが、すぐに死ぬことはないだろうと判断し、ミリアは「後は任せます」と言い残しその場を去った。







 昨夜の治癒のせいでミリアは寝不足だった。うつらうつらと居眠りをしては本を読み、また居眠りをする。

そんな一日を過ごしていた夕刻、カチャリと鍵を開ける音が聞こえ扉が開けられた。


そこに立っていたのは、一月ぶりに見るハンナだった。

ノックさえしないのだな、とミリアは不機嫌そうなハンナを見つめていると、ハンナは一枚のメッセージカードを差し出してきた。


『昨晩の君の活躍は聞いている。

是非礼を言いたいので、ディナーでも一緒にどうだろうか。

     ───ジルベスターより』


助けたのはジルベスターではなく、ジルベスターの取り巻きの者たちだ。

なぜジルベスターから礼を受けなければならない。とミリアはディナーなどどうでもよく感じてしまった。


しかし相手は王族であり辺境伯である。断ることなど許されないのだろう。浅い溜め息をつくとミリアはメッセージカードを雑にテーブル置いた。


「それでは今から支度に入ります」


何の?とミリアが聞く前にドレスやら装飾品やらを抱えたメイドが数人部屋へ入ってきた。


そしてあっという間にクリームイエローの綺麗なドレスに着替えさせられ、上品な化粧を施された。

そして今、鏡台の前に座るミリアの髪を丁寧にブラシを通しているのはハンナだった。


ハンナは時折、鏡越しにミリアを睨み付けながら手際よく髪の毛をいくつかの毛束により分けていく。


───そんなに嫌ならしてくれなくてもいいのに。


ミリアがそう思っているとハンナの手に力が込められ、無理矢理に上を向けさせられた。そしてより髪の毛を強く引っ張った。


「っ!!」


「貴女のような平民が閣下と席を同じにするなんて本来なら許されないことなの。いい?閣下に何を言われても返事は『閣下のおかげです。ありがとうございます』よ。分かった?」


またハンナの手に力が込められ、ミリアの後頭部からブチブチと毛が抜ける音がした。


「いたっ!」


───この女、大嫌い。


そもそもミリアは気の強い性格だ。

気が付けばミリアも手を伸ばしハンナの前髪を掴んでいた。

ミリアもその手に力を込めると、ハンナの額からもブチブチと音が聞こえた。


「は、放しなさいよっ!!」


とハンナが言ったと同時に二人はバランスを崩した。

ハンナは床に手を付き、ミリアは椅子から転げ落ちる。

ハンナの方が先に上体を起こした。


「このっ!!」


ハンナは怒りで顔を真っ赤にして右手を振りかぶった。


「ハンナ様っ!!お時間が迫っております!!」


打たれると思ったが、他のメイドが止めに入りミリアは打たれずにすんだ。


さすがにジルベスターを待たせるわけにはいかないのだろう。それ以降のハンナはミリアを睨み付けながらも手際よく髪の毛を巻き、ハーフアップにして髪型を完成させた。


ハンナの性格は最悪だが、腕は確かだった。鏡に映るミリアの姿はどこから見ても貴族の令嬢だった。


ハンナの案内で食堂へと連れて行かれる。ミリアのいた赤いレンガの建物を出て、領主城へ。そしてしばらく歩くと両開きの扉の前に到着した。


「余計なこと言ったら貴女なんて地下牢にぶちこんでやるわ。食事も一日一食で十分よ」


少しだけ振り返りハンナはミリアへ言い放つ。

ミリアも何か言い返したかったが、その前に扉が開かれた。

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