第4話

「旦那様、ジェルマンです。ただいま戻りました」


入れ、と壮齢の男性の声が聞こえ扉が開かれる。


───嫌だ、入りたくない。


扉の向こうにいる男性は誰なのか、こんなところへ連れてきてどうするつもりなのか。

ミリアの頭の中では怒り、恐怖、不安が渦巻き一歩も動けなかった。

しかし非情にも両脇の騎士がミリアの腕を引く。


「嫌!放して!私を帰してっ!」


抵抗してみたものの敵わず連れ込まれた部屋は執務室で、ミリアの目の前には五十代位の男がソファに腰かけていた。


ミリアは頭にカッと血が上るのを感じた。


───この男が!この男が!


目の前の男こそがマイワール伯爵家の当主、トマソン・マイワールだった。


この男の持つ白髪交じりの亜麻色の髪、仄暗い温かさの微塵も感じさせない瞳はオリーブ色。

認めたくないが、その男の持つ色はミリアと血の繋がりを感じさせるに十分だった。


「ふむ、ナタリアの面影があるな。娘、名は」


「無理やりにこんなところまで連れてきて何なんですか。帰して下さい」


「挨拶もまともにできないのか。読み書きぐらいはできるだろうな」


「貴方に関係ありません」


「貴様は今日から庶子ではあるが伯爵家の令嬢として生きてもらう。

そして三日後にはヴェルサス辺境領へ嫁げ。貴様は魔力は多くはないようだがかなりの治癒魔法の使い手だと聞いている。向こうでは貴様の治癒魔法が存分に役立つだろう。伯爵家の名に恥じぬよう力を尽くせ」


ミリアは何を言われているのか理解できなかった。嫁げと言われた気がする。ただこの男の勝手でミリアの人生がいいようにされたことだけは理解できた。


「何を言っているの!私の人生を勝手に決めないで!帰して!私は貴族になんかならないわ!」


トマソンを射殺す勢いで睨み付けながらミリアの瞳には涙が溢れる。


「もうよい、話にもならん。連れていけ」


「はっ!」


力を緩めていたが、ずっとミリアの両腕を掴んでいた騎士たちは再び力を込める。

そして再びミリアを引きずるように部屋から連れ出すと、屋敷の北側の、バルコニーのない部屋へと押し込めた。



 ミリアの押し込められた部屋は、日当たりは悪いが、きちんと清潔に整えられていた。装飾は控えめだが高級そうな家具。ベッドのシーツも皺一つなくきれいに張られていた。


───とりあえずは酷い扱いを受けずに済みそうね。


ミリアは一人にされたことで少しだけ冷静になれた。しかしこのままではヴェルサス辺境領とかいうところへ行かされて死ぬまで治癒魔法をかけさせられる未来しか見えてこない。


ミリアは逃げられるのかを確かめるため扉に手をかけた。意外にも扉には鍵がかけられておらず、出入りが自由だ。しかし扉の外には先ほどまでミリアを拘束していた騎士の一人が立っている。これは護衛というよりは監視だろう。

そして窓の方も確認したが、腰の高さにある二面の窓は鍵は開くがバルコニーがないため脱走は無理そうだった。


 ミリアは力なく側にあった一人掛けのソファに腰をかける。


「ドリトン先生…」


拉致されるようにこんなところへ来てしまった。きっとドリトンもタニアも心配しているに違いない。果たして私は逃げられるのだろうか。もし逃げられたとしてもあの診療所へ帰ってしまえばドリトンたちがどんな目に遭わされるか…。


ミリアが深い溜め息をつき両手で顔を覆い隠すと、控えめなノック音が聞こえた。


返事をする気も起きず黙っていたが扉は静かに開けられ、紅茶や焼き菓子を載せたカートを押す四十歳位の女性が入ってきた。


女性はダークブラウンの髪色に、少し赤みがかったブラウンの瞳に眼鏡をかけている。服装はネイビーのシンプルなワンピースを纏い、胸元にブローチを着けていて、使用人の中でも上位にいる人物だと分かった。


「お初にお目にかかります、ミリア様。私、ミリア様が嫁がれる日までのお世話と教育係を任されましたロジーナ・ベイカーと申します」


ロジーナは優しく微笑みながら挨拶するが、ミリアからすればロジーナさえも敵に見えてしまい、警戒しながら彼女を見つめた。


「ふふ、そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ」


ロジーナはテーブルの上に焼き菓子やティーセットを並べ、紅茶を淹れながら話し始めた。


「私はここのメイド長をしています。貴女のお母さん、ナタリアさんとは昔、少しだけ仲良くさせて貰っていたわ」


「え…」


若かりし頃のナタリアを知る者が現れてミリアの警戒心が少しだけ和らぐ。

それを見越したようにロジーナはミリアに紅茶を勧めた。


「ささ、どうぞ召し上がって下さい」


「…いただきます…」


ミリアは昼前にジェルマンが突撃してきたせいで昼食を摂り損ねていることに気が付き、空腹を覚えてクッキーに手を伸ばす。


「仲良くと言っても私は下っ端のメイドで、ナタリアさんは治癒士。

立場的にはナタリアさんの方が上でしたけど、年も近かったことから時々お話しさせて頂いていたのですよ」


懐かしそうに話すロジーナは、ためらいがちに聞く。


「今、ナタリアさんは…」


「母は六年前に亡くなりました。

重傷の人を無理して治癒して。

魔力の枯渇が原因です」


「そう…貴女も苦労したのね」


「お願いです。私を逃がしてくれませんか」


この人はきっと味方だ。

ブルックナー診療所には戻れないかもしれないが、せめて無事であることだけでもドリトン先生に知らせたい。そう考えミリアは頼み込む。


「…ごめんなさいね」


困ったように眉尻を下げてロジーナは謝った。当然だった。マイワール伯爵家の使用人が主人の意に反することができる筈はない。


「……」


残念な気持ちと、だからと言って諦めてマイワール伯爵の言いなりになるつもりもないミリアは俯いた。


「助けてあげたいけど、それだけはどうしても叶えてあげられないわ。

私ができるのは、三日間という短い期間で、マナーや礼儀作法を貴女に叩き込むこと。

残念だけどミリア様はすでに伯爵家の令嬢になってしまったの。今頃貴族籍に入るための書類が役所へ提出されているはずよ」


「そんな…」


「貴族社会でマナーや礼儀作法を身に付けずにいることは盾や鎧を持たずに戦に行くようなものだわ。

今は逃げられなくてもそのうちきっと帰れる日が来る。だから今は私の教えを受けて」


納得はしていないが、とりあえずミリアが生き延びるために必要なことをロジーナから教わるしかないらしい。


「宜しく、お願いします」


ミリアがそう答えるとロジーナは笑顔になり、早速紅茶の飲み方のマナー講座が始まった。

ロジーナは没落した貴族の出だったらしく、さすがと言っていいほど礼儀作法やマナー、教養が身に付いていた。


それからの三日間。

ミリアはほとんど部屋から出ることなく、お辞儀の仕方から言葉遣い、食事のマナーや貴族の常識などをロジーナに付きっきりで教わった。到底三日間で全てが身に付くものではないが、ずいぶんマシになったと褒められた。


 そして四日目の朝、ロジーナに手伝われて身仕度をすると、トマソンに呼ばれて応接室へと連れて行かれた。

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