第3話

 訪問診療は、貸し馬車を使って各家庭を回る。先ず向かうのは貴族の屋敷からだった。


最初に向かった先は、とある子爵家。ここでは時々心臓が締め付けられるように痛くなるという高齢の患者がいた。


いつものようにドリトンが聴診器で心音を聴き血圧を測る。

一通りの診察が終るとミリアが治癒魔法をかけた。


心臓の病は加齢によるものであまり治癒魔法は効かないが、痛みの緩和や発作の予防にもなるため定期的な治癒魔法はある程度は有効だった。


「膝も治癒を頼めんか。最近階段が辛くての」


ミリアはチラリとドリトンを見る。

ドリトンがこくりと頷いたので、ミリアは「かしこまりました」と跪き膝にも治癒魔法をかけた。

これも加齢からくる症状で治癒魔法をかけたところで痛みは緩和されるが治るものでもない。


ドリトンが心臓の薬と膝痛の湿布薬を手渡し、いくつか注意事項を伝えると帰り支度をする。


「そこの治癒士の娘、話があるのだがお茶でも飲んでいかんかの」


ギクリとミリアの動きが止まる。

そしてミリアが返事をする前にドリトンが口を開いた。


「失礼ながら卿、これから私どもは侯爵家へ行かねばなりません。先方を待たせる訳には参りませんので、ご容赦頂けませんか」


「う、うむ、それは大事じゃな。

茶はまた時間があるときにでも来るがいい」


「ご配慮痛み入ります」


一礼してドリトンとミリアは足早に子爵家を去った。

貴族の屋敷を訪問中はミリアが声を出すのは必要最低限であり、貴族との会話はほとんどドリトンが対応する。

こういう誘いを受けたとき、ミリアでは対処できないからだ。


ドリトンが侯爵家へ用事があると言ったのは半分本当で半分嘘だった。

ドリトンの息子も医師をしており、その息子が侯爵家の専属医師をしているため、たまに様子を見に行くことがあるからだ。


その侯爵家には専属の治癒士が付いているため、ミリアに特別な興味を持たれることもない。


ドリトンは上位貴族の存在を匂わせておくことでミリアが無理やり引き抜かれることを阻止していた。


「先生、助けてくれてありがとう」


馬車へ乗り込むと同時にミリアはドリトンへ礼を言う。


「なに、大事なミリアを取られては敵わんからの」


「私ずっと先生とこうして働いて行きたいな」


これはミリアの本心だった。

恩人であり、親であり、恩師でもある

ドリトンとその妻タニアとずっと一緒にいられたら。

それだけでミリアは幸せだと思った。

しかしドリトンとタニアは高齢でいつまでも一緒にいられるわけではなく、いつかは結婚も考えなくてはいけない。


「何を言うか。イケメンの医師と結婚して診療所を開くとか言っておったではないか」


「そう!先生と奥様みたいな素敵な夫婦になるのが夢よ」


「調子がいいこと言いおって…。ミリアが嫁に行くまではナタリアの代わりにわしらが面倒をみてやるからな」


───嬉しい。


ミリアは鼻の奥がツンとして泣きそうになる。

ミリアが今まで生きてこれたのはドリトンとタニアのおかげだ。いつか二人に恩返しがしたいと思った。


「お嫁に行けなかったら私が先生と奥様の面倒をみてあげるからね!」


と言って泣きそうになるのを誤魔化した。







 ミリアはいつも通りの朝を迎え、いつも通り身仕度をし、いつも通りに仕事をする。


ドリトンが診察してミリアが治癒魔法をかける。ミリアとタニアが分担して雑務をこなす。


そんな毎日がずっと続くと思っていた。ミリアにとってとても大切な人たちとの日々は、やはり貴族によって壊されるのであった。


午前の診察もそろそろ終わろうかという時刻。診療所の扉が大きく開かれ、どこかの貴族の使用人と騎士がずかずかと入ってきた。


使用人らしき男はシンプルながらも仕立てのいい服装で、その後ろには腰に剣を携えた騎士が二名。


何事かとドリトンもミリアも、そしてその場に居合わせた患者も一瞬驚いて言葉を失うが、嫌な予感しかしなかった。


「なんだね、あなた方は」


「突然の訪問失礼します。私、マイワール伯爵家に仕えるジェルマン・ウォーレンと申します。貴女がナタリア様の産んだ子、ミリア様ですね」


「……」


ミリアは返事に詰まる。

ここではいと言ってしまえば何をさせるのか分からない。


「私どもはマイワール伯爵の命により、ミリアお嬢様をお迎えに上がりました」


「なっ!」


ミリアは怒りを覚えた。


───お母さんを弄んで捨てたくせに!今まで父親らしいことを何一つしてこなかったくせに!今さら何なの!


「違います!人違いです!」


「いえ、貴女のその髪色、そして瞳の色。確かに旦那様の血を引いておられる」


ミリアはこのときほど自分の髪色と目の色を呪ったことはない。


「違います!偶然です!どうぞお引き取り下さい!」


「ウォーレンさん、突然やって来てそれは急すぎる。日を改めてくれんか」


「いえ、こちらも急を要します。

ミリア様も伯爵令嬢になれるのです。喜ばしいことではありませんか」


「お断りします!帰って!」


行ってなるものかとミリアは反抗するが、ジェルマンが後ろに控える騎士へ目配せすると、その騎士らはミリアを囲み逃げられないように腕を掴んだ。


「嫌!放して!」


「乱暴するでない!」


「では、これにて失礼致します」


顔面に張り付けたような笑みをたたえ、恭しく礼をするジェルマン。


「嫌!人違いよ!放して!」


まるで犯罪者を連行するような扱いである。抵抗するミリアを引きずるように連れて、貴族が乗るような高級馬車へ押し込めた。


───酷い!横暴だわ!


馬車はマイワール伯爵家へ向かって走り出した。ミリアは向かい側に座るジェルマンを睨み付けるが、ジェルマンは無表情だ。


今まで一度も名乗り出ようとしなかった父親がなぜ今になってミリアを引き取ると言うのか。嫌な予感しかせずどうにか逃げ出したいが、目の前にはジェルマン、馬車の両脇には騎士が並走していてどうにも逃げられそうになかった。


 連れてこられたのは貴族街にある屋敷の一つ。馬車を降りてからも騎士に両腕を掴まれ逃げられない。

そのまま屋敷の中へ連れて行かれ、階段を無理やり上がらされ、長い廊下に並ぶいつくもの部屋の、その一室の前で立ち止まった。

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