111『とろける饅頭』




 さてどうするか。

 目の前でぷるぷるしているだけで襲いかかっても来ない、そんな殺る気が感じられないデカい水饅頭を見下ろして、秋水は困った顔をしていた。

 とりあえず、モンスター、で良いんだよ、な?

 類似する生物を知らない秋水からすれば、この意味不明な物体を角ウサギと同じモンスターのカテゴライズに入れて良いのか迷い所である。これで角突きタックルみたいに攻撃してくるなら、殺り返してやらぁ、とモンスターどうこう関係なくぶん殴るのだが。


「うーん、他の奴らもこんなんだしな……」


 ぐるりと周りを見渡してみるが、他に6体いるデカい水饅頭は全て、我関せず、といった具合にのそのそと床を這いずり回っている有様だ。

 駄目だこりゃ。

 楽しい殺し合いの時間だぜと思っていたのにこの肩透かし。秋水は小さな溜息とともに天井を見上げる。光っている天井が眩しい。

 このデカい水饅頭は、角ウサギのように部屋に足を踏み入れた瞬間に襲いかかってくるタイプではない。

 さらに、これだけ近づいても攻撃を仕掛けてこない。


 そして、実は視界の片隅には、部屋の出口が見えている。


 秋水が居る位置とは反対側に、扉もない出口がある。

 距離があるので出口の先に何があるのか分からないが、開けっ放しの出口である。

 襲いかかってこないのであれば、このままスルーして出口まで行けそうだ。

 ああ、いや、今回は地下3階の様子見だけなので、これ以上進むのは流石にちょっとな、という感じではあるが。


「……出ようとしたら、攻撃してくるタイプとか?」


 仮説を立ててみるが、今は実験する気はない。

 とりあえず、地下3階のモンスターはデカい水饅頭で、攻撃してこないのでパターンは不明、という情報だけで満足しておくか。

 気が抜けてしまった秋水は、はぁ、と再びため息を吐いてからデカい水饅頭へと視線を戻す。

 身体強化を施して体感時間が延長されているとはいえ、目の前でこれだけ無防備に突っ立っているにも関わらず何もしてこない。

 やる気あんのかコイツ。

 呆れたように目を向け、それから巨大バールの先端でデカい水饅頭を、ちょん、と軽く突いてみた。




 いや、突いて、みようとした。




 巨大バールが触れる瞬間、いや寸前、デカい水饅頭の表面が波打った。


「っ!?」


 気が抜けていたとは言えども臨戦態勢には変わりがなかった秋水は、いきなり様子の変わったデカい水饅頭に反応し、咄嗟に巨大バールを引き戻す。

 波打ったのは、巨大バールが触れようとした、その1点を中心に。

 まるで触られるのを嫌がるように、ぺこっ、とそこから凹む。




 次の瞬間、触ろうとしていた巨大バールを、逆に飲み込もうとするかのように、デカい水饅頭が変形して触手のような変なものを伸ばしてきた。




「うわキモッ!?」


 思わず全否定の罵声が秋水の口から飛び出した。

 突如としてデカい水饅頭の体から出てきた、と言うか生えてきた触手は、まるで捕食でもするかのように巨大バールに向かって伸びたものの、その巨大バールを秋水が引っ込めた方が早かった。

 確かに油断こそしていたが、身体強化を施している反射神経をもってしても、僅かな差しか生まれなかった。

 良い速さだ。

 角ウサギの角突きタックルのような弾丸の如き速度には遠く及ばないものの、それでもなかなかの速さ。

 しかも、角突きタックルとは違って、予備動作がほとんどない。

 つるつるボディの表面が波打ったのが予備動作なのかもしれないが、それでも後ろ足を曲げて体を沈み込ませるという動作が必要だった角突きタックルと比べたら、なんとも研ぎ澄まされた一撃だ。


「カウンタータイプかお前っ!!」


 嬉しくなって凶暴な笑みを浮かべつつ、引いた巨大バールを秋水は即座に振り上げた。

 1mと少し程度の距離では反応しない。極至近距離に近づいてきた物体に対して、鋭くカウンターをぶち込む戦闘スタイルなのかもしれない。これがパンチやキックなどの徒手空拳なら危険だっただろう。ドロップキックのように咄嗟に後ろへ引けない攻撃を仕掛けていたら、間違いなく触手によるカウンターを頂きますしていただろう。

 威力はどれくらいか。

 どれくらいの近さで反応するのか。

 バール以外のものでも反応するのか。

 カウンターを繰り出したら行動パターンは変化するのか。

 他のデカい水饅頭は連携してくるのか。

 疑問は色々と噴出するが、まずは挨拶(物理)をしなくては。

 振り上げた巨大バールを両手で構え、秋水は右足を勢い良く踏み込む。

 L字の先端はデカい水饅頭にロックオン。

 遠慮なく、全力で。

 振り下ろす。




 ぶちゅっ、と奇妙な鈍い音。




「おっと?」


 変な手応えに、秋水の眉が寄る。

 角ウサギをぶん殴った手応えとは、また違う。

 なんと言うべきだろう、肉を叩いた感じではない。少し曲がってしまっている巨大バールをそのまま継続して使っていることから、感覚が変わったのだろうかと一瞬思ったが、どうも違う。


 粘度の高い泥を叩いた、そんな感じだ。


 巨大バールのL字の先端は、確かにデカい水饅頭へとぶっ刺さった。

 だが、刺さった、だけだ。

 先端はかなり楽々と刺さったのだが、そこから急激にブレーキが掛かるような感触。ドロドロした泥のような摩擦に、振り抜いた勢いが一気に減速してしまう。

 なんだこれ。

 しかも、ダメージが入ったかどうかが分からない。

 急ブレーキが掛かってしまったとは言え、巨大バールのL字部分はそこそこデカい水饅頭に突き刺さってはいる。

 しかし、角ウサギのように、血飛沫みたいな魔素が飛び散ることはない。

 突き刺さっている巨大バールも、どちらかと言うならばデカい水饅頭に飲み込まれてしまっているようにも見える。

 さらに言えば、目も口も耳も鼻もないものだから、痛がっているのかどうかも判別出来ないときた。


「饅頭じゃなくてヌカ床かよお前……抜けねぇ!?」


 文句を零しながら秋水はすぐに巨大バールを引っ張り抜こうと力を入れ、それがビクともしないことにぎょっとした。

 身体強化は60%で掛かっている。

 だがビクともしない。

 デカい水饅頭に足を置いて踏ん張ろうかとも思ったが、これで置いた足を飲み込まれたら笑えない。


「俺も背筋の鍛えが足りねぇってわけか!」


 そんなわけない。

 筋トレのケーブルマシンを使ったケーブルロウの要領で引き抜こうとしてみるが、デカい水饅頭に巨大バールは食い込んだままガッチリとロックされている。

 ならば押し込む。

 思考を切り替え、今度は逆に槍で突くかのようにデカい水饅頭に向けて無理矢理巨大バールをねじ込もうと力を入れる。


「ぬおん?」


 ずぶっ、とバールが押し込まれた。

 引っ張るときとは逆に、押し込もうと力を入れれば手応えは全くなく、するすると巨大バールがデカい水饅頭へと突き刺さっていく。


 いや、この感触は。


 す、と秋水は巨大バールから手を離した。

 慌てず、跳び退きもせず、静かに無言で手を離す。


 巨大バールが、ゆっくりと飲み込まれていった。


「……食べられてーら」


 思わず離した両手を上にあげ、降参のポーズを取ってしまう。

 ずもも、とデカい水饅頭が突き刺さったバールを取り込んでいく。光景だけ見れば、水饅頭に爪楊枝が沈んでいくようである。

 4割くらい飲み込まれていく巨大バールを、秋水は困ったような顔で見つつ、もう一度試しに引き抜いてみようと右手でがしりと掴み、そして思いっきり引っ張る。

 ずっ、と5㎝ほど引けた。

 しかし再び、どういう原理なのかガッチリとロックがかかり、すぐにビクともしなくなる。

 まるでフェイントを掛けられて慌てたデカい水饅頭が、奪われて堪るかと言わんばかりに巨大バールにしがみついているようでもある。

 となると、この水饅頭、知性があるのだろうか。


「駄目だ、抜けねぇ」


 引き抜こうとする力比べではやはり勝ち目はなく、秋水は諦めたように力を抜いた。

 巨大バールは回収出来そうにない。

 まあ、曲がってしまっていたので、惜しいわけではないのだが。

 バールから手を離せば、やはり突き刺さった巨大バールがゆっくりとデカい水饅頭へと沈んでいく。


「……ほいっ」


 そして再び、巨大バールを引っ掴んで一気に引っ張る。

 今度は10㎝くらい抜けた。

 ずるりと先程よりも引き抜けた。

 あ、油断しやがったコイツ。

 と言うことは、物理的な反射や機械的な動作で飲み込んでない。

 やっぱり知性あるなコイツ。しかもわりとドジっ子属性。

 角ウサギも角突きタックルが壁に刺さってジタバタするようなドジっ子だったことを思い出し、これには苦笑いである。

 再びフェイントを仕掛けられたデカい水饅頭は、慌てて食らいついていた巨大バールをしっかりとロックした。抜ききるのは流石に無理があったか。そして、ロックを掛けられてしまえば、秋水の力では引き抜くのは無理である。


「うーん……」


 今度こそ本当に引き抜くのを諦め、秋水は手を離した。

 突き刺した巨大バールは受け止められ、引き抜くことも出来ず、そして飲み込まれてしまう。

 バールだったから良かった。

 これが腕や脚だったら、ちょっと笑えないことになっていただろう。

 どうすんだ、これ。

 試してみないと分からないが、たぶん、鉈や斧で叩き切っても同じことになるような気がする。

 巨大バールのような鈍器ではご覧の通り。

 殴る蹴るは、もちろんアウト。

 関節技はアウト以前にどこが関節かが分からない。

 ゴムネットでどうこう出来るとは思えない。


「詰んでね?」


 動きは緩慢で、殴れそうなくらいに近くにいても積極的に攻撃は仕掛けてこない。

 しかし、こちらの攻撃が通用しない。

 角ウサギが即時攻撃重視だとしたら、デカい水饅頭は防御重視ということだろうか。

 そして、こちらはデカい水饅頭の防御を抜ける攻撃手段がない。

 詰んだ。

 これはどうしようもない。

 困ったな、と秋水は改めて周りを見渡す。


「……えーっと、キミらにゃ仲間意識ってのはないのかい?」


 見渡して確認したのは、残り6体のデカい水饅頭。

 こうして1体が襲われている、と言うかアクションを起こしたのだから、周りの水饅頭も襲いかかってくるのだろうかと思ったのだが、そんな感じはまるでない。

 全員揃って、いや不揃いに、それぞれが思い思いの方向へと相変わらずじわじわゆっくり移動しているだけであり、助けに向かってくる気配すら感じられない。緩慢なる移動速度が上がってくれとは言わないから、せめて仲間を助けるため、こっちに向かってくるくらいの気概を見せてくれないだろうか。


「どーすんだコレ……げっ!?」


 こうやってモンスターの目の前であれこれ考え事が出来るくらいに平和な状況にため息を吐きつつ、しかし攻撃手段もないものだからなにも出来ないなと秋水は困ったように巨大バールをぶっ刺したデカい水饅頭に視線を戻し、思わずその表情を引き攣らせた。

 目の前のデカい水饅頭は、変わらず巨大バールをゆっくりと飲み込んでいる。

 そして、デカい水饅頭は向こう側がうっすらと見える程度の透明度。

 つまり、飲み込まれている巨大バールが見えるのだ。




 巨大バールが、どろりと、溶けはじめていた。




「うっそだろお前……」


 溶解液持ちかよ。

 水饅頭どころか王水饅頭だったのか。最悪じゃねぇか。

 熱した飴細工のようになっていく巨大バールを見つつ、秋水は無言で3歩程下がり、そして被っていたヘルメットを脱ぎ始める。

 ヘルメットを脱いで、その後頭部部分を確認すると、凹みあり。

 ボスウサギと戦っていたときに壁に叩きつけられ、その衝撃でぶつけて破損したところだ。もっと壊れていると思っていたのだが、予想よりも破損具合は少ない。なかなかに頑丈なヘルメットだったようだ。

 しかし、破損状況的にこのまま使い続けて良い感じではない。交換は必須だろう。

 脱いだヘルメットを手に持ち、秋水は再びデカい水饅頭の方へと目を向ける。

 巨大バールは、もう8割方飲み込まれている。

 そして、飲まれた先から、徐々に溶かされていた。

 その様子を確認し、次に秋水は視線を右へと移動する。

 別の水饅頭が、ずりずりと這いずっている。

 もう一度手に持ったヘルメットへと視線を落としてから、改めてもう1体のデカい水饅頭の方へと向き直る。


「はい、そーれ」


 そして、ぺい、とそのデカい水饅頭に向けてヘルメットを放り投げた。

 黒いヘルメットが宙を飛ぶ。

 出血大サービスのセール品だったとは言え、ホームセンターの安物ヘルメットとは質の違う、なかなか良いジェットヘルメットだった。

 それが弧を描き、デカい水饅頭へと落下して。

 10㎝か、20㎝か、それぐらいまで迫ったところで。




 じゅにゅっ、とヘルメットに向けて触手が伸びた。




 一瞬だけ表面が波打って、デカい水饅頭から触手のようなのが伸びて、その先端がヘルメットへと張り付く。

 打ち返したり、貫いたり、ではない。

 べちゃりと触手が張り付いた。


 そして、触手でヘルメットをキャッチして、その触手をずるりと引っ込める。


 ヘルメットは張り付いたままだ。

 触手を引っ込めれば、ヘルメットはデカい水饅頭の体へと引き寄せられる。

 ああ、なるほど。


「カメレオンの舌みたいなやつかー……」


 獲物を捕まえ、引き寄せ、食べる。

 なるほど、捕食行為。

 そして、巨大バールが溶けているのは、消化中と言うことか。

 ずももも、とヘルメットを飲み込み始めたデカい水饅頭を見て、巨大バールを絶賛消化中のデカい水饅頭へと視線を戻し、それから秋水は天井を見上げた。




「…………撤退っ!!」




 打つ手なし。

 秋水は踵を返し、入口に向かって走り出す。


 ダンジョンの地下3階、最初のアタックは、こうして手も足も出なかった敗走から始まった。


 無念。




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 デカい水饅頭は物理耐性が高く、さらには色んなものを取り込んで溶かしてくるぞ!


 いや天敵やないか(´゚ω゚`)

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