5章:近づきながら、離れながら
110『デカい水饅頭』
水饅頭。
ぷるぷるして、やわらかく、やや透明な饅頭だ。
岐阜県の大垣市の名物としても知られており、秋水にとっても馴染みのある和菓子である。
それの1m版、滅多やたらとデカい水饅頭が、秋水の目の前でぷるぷるしていた。
地下2階のボス部屋に、1回戦目で身を守った巨大バールと、2回戦目で大活躍した鉈と片手斧を安置した秋水は、ボス部屋を出てからちらりとショートカットコース、ではない方の道へと視線を向けた。
その通路の先は、下りの階段がある。
恐らくだが、地下3階へと降りる階段だ。
それから秋水は、視線を担いでいる巨大バールの方へと向ける。
「あー……」
担いでいた巨大バールは、ボスウサギの蹴りを防いだ代償として少し曲がっている。
使えなくはない、ような気もするのだが、十全な状態ではないのは一目で分かる程度の曲がり方だ。
まだしっかりと見ていないが、ヘルメットの後頭部もベコッとなってるだろうし、インナープロテクターも砕けているはずだ。
「うーん」
さて、どうしようか。
装備は不完全だ。
3階に下りたところで、やれることは特にないだろう。
それよりも、2階を再探索した方が賢明だろう。
「……いや、ちょっとだけなら」
しかしながら秋水という少年、ダンジョンの誘惑には滅法弱かった。
2階の再探索とは言っても、角ウサギがちゃんとリポップするかどうかの確認だし、ドロップアイテムが出るかどうかの確認だ。ボス部屋に行くまでに皆殺しにして、まだ1時間も経っていない。再出現するまでぼんやり待つのも効率が悪いだろう。そして、角ウサギがリポップしたのを確認しつつ、2階を1周回って行けば、ついでに2階の全体だって確認出来る。
なるほど、それが良い。
自己弁護は終了した。
まあ、ちょっとだけ。
ちょっとだけだ。
チラ見して帰ろう。
自分にそう言い聞かせながら、秋水は下り階段へと足を進めた。
階段自体は、セーフエリアから地下2階までの階段と特に変わりはなかった。
一定間隔で続く階段はなんとも人工的で、そして明らかに地球人類の体格サイズに合わせた作りになっている。不思議なものだ。
岩肌剥き出しの壁も変わりはないし、その岩肌が何故か光り輝いている天井だって変わりがない。本当にこの光源はどうなっているのだろうか。
そして、階段の先には大きな扉。
石製の扉だ。
繋ぎ目のない、一枚岩から削り出されたような、シンプルに綺麗な扉である。
ああ、2階の入口にあった扉も、こんな感じだったな。
その扉にそっと触れ、軽く力を入れる。
手応えは、やはり軽い。秋水の馬鹿力を差し引いて考えても、片手で開けてしまうような手応えしかない。
「うおっとっ!?」
扉が開いた瞬間、その光景に秋水は思わず後ろに跳び退いて、肩に担いでいた巨大バールを構えてしまった。
扉の先は、ついにダンジョンの地下3階。
通路ではなかった。
2階では、階段を下りた先が通路になっていた。
縦横3mくらいだっただろうか。岩肌の続く、洞窟の通路だ。
角ウサギが待ち構えているのは少し広めの部屋で、ボス部屋は体育館並に広い空間。その部屋を繋ぐようにして通路が延びる。
地下2階の基本構造は、そんな感じであった。
だから、と言うわけではないのだが、漠然と地下3階も似たようなスタートだと思っていたのだが、どうやらアテが外れてしまったようである。
扉の先は、ボスウサギがいたボス部屋のように、だだっ広い場所だったのだ。
いや、まあ、洞窟系以外の不思議な環境である可能性も考慮に入れていたので、ダンジョンの構造自体が全くの予想外と言うわけではない。
むしろ、いきなり森林が広がっているとか、全面コンクリート打ちっ放し系の通路だとか、そんな岩肌剥き出しの洞窟以外である可能性も考えていた以上、同じ洞窟系の空間であるというのは、まだまだ予想の範疇だと言える。
だが、予想外なのは、ダンジョンの構造ではない。
いきなり、モンスターがいた。
体育館のように広い部屋。
そして、そこには動いている物体。
1つ。
2つ。
3つ。
4つ。
5つ。
秋水が視認したのは、5体。
咄嗟に後ろ、つまり階段スペースまで跳び退いてしまい、現在の秋水の視界にはだいぶの死角が発生してしまっている。なので、最低で5体だ。もう少しいても不思議ではないだろう。
角ウサギが最大で3体だったことを考えると、いきなりトンデモトラップの大歓迎である。
随分とビビらせてくれる。
最高かよ。
知らず知らずと口の端が愉快そうに吊り上がり、くく、と笑い声まで漏れてしまう。
これが角ウサギだったら、一斉に角突きタックルで初手串刺しの即死終了だったかもしれない。
これに関してはもう、身体強化も発動させずに扉を開け、何の警戒もせずに足を踏み入れた自分が悪い。反省だ。
「身体強化、60%」
魔力を操って、今更ながらに身体強化を発動させる。
全身一括強化。
発動に10秒程。
「……うん?」
その感覚に秋水は首を捻った。
新しい身体強化、それを0から発動させるにはまず、魔力を体の中で循環させてから、巡った魔力に色を付けるようにして意味づけをして発動させる。
魔力への色付け自体はほとんど一瞬で終わるのだが、問題となるのは魔力を循環させること。
これに少々時間を要するので、現在の身体強化は発動までにだいぶのタイムラグが発生するのが問題であった。
時間にしておおよそ15秒。良くても10秒と言ったところだ。
それが、普通に10秒程で発動した。
いや、上手くいけば今までも10秒で発動自体は出来たので、そこまで不思議でもないかもしれないが。
「……ボスウサギの魔素吸収したのが、なんか影響してんのか?」
そう言えば、1回目にボスウサギを討伐した後も、身体強化の強化倍率が跳ね上がっていたりしていたことを思い出す。
2回目に討伐した後の魔素は、かなりしっかりと回収させてもらっているので、なにか魔力的な成長があったのかもしれない。
「強化倍率上がってるかもしれないし、あとで検証しなくちゃな」
身体強化そのものに不具合がなさそうなのを確かめてから、さて、と秋水は気を取り直して巨大バールを構えた。
構えた巨大バールがちょっと曲がってしまっているのが、やや頼りない。
「んで、肝心の怪物ちゃんは、っと」
蠢くなにかが居た、という時点で反射的に跳び退いてしまい、あまりよく観察していなかった。
地下2階は角ウサギだった。
なかなかに可愛らしい外見に、かなりの凶暴性を合わせ持ったモンスターであった。
ここはなんだろうか。猫とか犬とかだろうか。熊は流石にレベルアップしすぎだろうか。身長差があまりにあるのは勘弁して貰いたいのだが。
んー、と秋水は目を細め、遠くに居るモンスターを改めて観察する。
なんか、ぷるぷるしてる。
丸くて、大きくて、つるつるした、なんだか良く分からない葛餅だか水饅頭だかが、ぷるぷるしていた。
どちらも夏の和菓子である。1月に見るものではない。
「ああ?」
思わず口から出てしまったのは、なんともガラの悪い疑問符であった。
モンスター。
モンスター、だよな、あれ。
ぷるぷるしているソイツ、とりあえずは 『デカい水饅頭』 と秋水の中で呼称したモンスターは、入口である扉を開いた秋水のことを認識していないのだろうか、全く秋水のことを気にすることなくぷるぷるしていた。
いや、ぷるぷるしているって何だ。
頭の中で自分自身にツッコミを入れるものの、ぷるぷるしている、としか言い様がなかった。
現在、秋水の視界内にいるデカい水饅頭は5体。
5体揃って入ってきた秋水を警戒することなく、その弾力性のありそうな滑らかな肌をぷるぷると小さく振るわせながら、のそのそ、と言うか、ずりずり、とそれぞれが思い思いの方向へとゆっくり進んでいる。
「……え、どうやって移動してんの?」
どう見たって足はない。
だって、見た目はただのデカい水饅頭だ。
それなのに、動いている。
カタツムリとかナメクジみたいな腹足運動で進んでいるのだろうか。
だとしたら、あのただただ丸い物体にしか見えないモンスターには、接地面の概念があると言うことで、接地面の概念があると言うことは、上下というのが明確にあると言うことだ。
「えー……どこが頭だ?」
遠目には上下の差はないように見える。
と言うか、秋水のことを認識しているかどうか考えてみたが、そもそもあんなデカい水饅頭、目、と言う器官があるかどうかも怪しい。
これまた遠目には、目はないように見える。
では目が退化して耳が進化した、つまり優れた聴力で外界を認識するタイプだろうか。コウモリやイルカなどのように超音波を発生させ、その反射音を捉えて物体の方向や位置や大きさなどを知ることが出来る反響定位、エコーロケーションの使い手なのかもしれない。
だが、どう見たって耳はないように見える。
ついでに口もないように見える。
つるっとした丸いボディには、そもそも無駄な装飾品は何も存在していない。
「うーん、どうする? いきなり訳わかんねぇモンスターらしき何かだよ……」
予想外の事態に秋水は頭を抱えてしまった。
当初の予定では、地下3階の様子をちらっと見るだけのつもりであった。
それがいきなりの歓迎パーティの様相だ。しかもモンスターの数は過去最多ときた。
ただし、相手は意味不明のデカい水饅頭。
ぷるぷるしてんなぁ、くらいしか遠目では分からない。
扉を開けたとき、秋水は何も考えず、不用心に1歩踏み込んでいる。角ウサギならば情け容赦なく大歓迎挨拶の角突きタックルである。
しかし、デカい水饅頭は秋水の方には注意すら向けず、今なおぷるぷるしたままだ。
「入っただけじゃ襲いかかって来ないのか? 一定距離のテリトリーがあるとかか? いや、遠距離攻撃の可能性もあるのか? そもそもアレってモンスターちゃんで良いんだよな?」
弱った。何も分からない。
ぶつぶつ呟きながらも遠目で観察を続けるも、分からないものは分かりやしない。
どうする。
戦うか。
右手に持った巨大バールに視線を向ければ、ちょっと曲がってしまっている相棒。
ヘルメットはやや破損。インナープロテクターは胸と背中の部分が割れている。鉈と斧はもうない。
あるのは通常のバールが4本に、足止め用のゴムネット。ジャケットなどに仕込んでいるポーションの小瓶は残り3本と、ポーチの中に4本だ。
角ウサギ相手ならば全く問題はない。何ならステゴロで十分である。
だが、正体不明の相手となると、少々、いや、かなりアレだ。
「燃えるじゃねぇか……!」
棟区 秋水は、こういう奴である。
初見で手の内不明で意味不明。
だが、モンスターであるならば、何かしらの方法で殺しに掛かってくるだろう。
予測は不可能。
一瞬の油断が命取り。
動きを見逃しては自分の命を逃してしまう。
最高かよ。
ぺろり、と唇を舐めてみれば、少し乾いていた。
いけないいけない、少し興奮しているようだ。
呼吸を整えるように大きく深呼吸をしてみるが、胸がドキドキとしている。
ボスウサギをぶっ殺せて大満足の今日ではあるが、どうやらちょっと延長線のようだ。
身体強化が掛かっていることを確かめてから、残りの魔力を足へと集める。
まずは情報収集だ。
いざとなれば両脚に部分強化を重ね掛けして、一気にその場を離脱する。
安全第一という奴だ。安全を優先するならば、そもそもダンジョンアタックするんじゃない、という声は聞こえない。
「……よっしゃ!」
気合いを入れて、秋水は地下3階に改めて一歩を踏み入れた。
襲って、こない。
角ウサギのようにこちらに振り向いて、一気に突っ込んでくる、ということはなかった。
初手必殺技をぶっ放してくる系ではない様子。
いや、そうであったら、扉を開けて何も考えずに足を踏み入れた時点で襲いかかられているだろう。
そもそも、あのデカい水饅頭は、今現在どちらを向いているかも分からない。ゆっくりと移動している、その進行方向が前方、と思って良いのだろうか。ムーンウォークをかましているとは思えないが。
あのつるつるしたボディから突如としてライフル弾が飛び出してくる可能性も考えつつ、秋水はじりじりと一番近いデカい水饅頭へと近づいて行く。
もちろん、他の固体にも気をつけながらだ。
周りを軽く見渡せば、デカい水饅頭は7体居た。階段のところから見えていたデカい水饅頭の他に2体居たのだ。
その7体全て、部屋へと侵入してきた秋水には目もくれない。いや目がどこか分からないが。
「…………なんだ、こいつ?」
そして、そのデカい水饅頭の近くまで何の障害もなく辿り着いてしまった秋水は、改めて困った顔になってしまった。
距離は1mと少し。
巨大バールを振り抜けば、その脳天、いや頭がどこか分からないが、デカい水饅頭の体を巨大バールが抉り取れるであろう位置合いだ。
だが、襲いかかってこない。
どうした、殺意が足りてねぇぞ。
警戒していただけに呆気に取られる、と言うか肩透かしを喰らった気分と言うか、もうちょっと殺しに掛かってくる雰囲気を期待していただけに残念な気持ちが出てきてしまう。
巨大バールの射程圏内に捉えられてしまっているというのに、デカい水饅頭は変わらずぷるぷるともっちりボディを振るわせながら、じわじわとどこかに向かって進んでいる。
なにこの平和な感じ。
やだぁ。
「えーっと、えー……なに?」
デカい水饅頭は、目測としては1mぐらいの球体に近い形をしている。
完全な球体と言うよりは、どちらかと言えば楕円で、人を駄目にしてしまうタイプのクッションのような感じであり、その若干の重力に負けたスタイルがまた、葛餅か水饅頭感を醸し出していた。
色は薄い水色で、向こう側がうっすらと見えるくらいの透明度。
寒色系は基本的に食欲のなくなる色なので、葛餅や水饅頭と捉えると不味そうな色をしているのだが、これが夏場にサイダー風味とかソーダ味とかブルーハワイとか、そんな名前で売られたら人気が出そうな色にも見える。
そして、これだけ近くで観察してみても、目も耳も口もない。
つるりとした滑らかボディだ。
ふむ、なるほど。
「えっと、生き物?」
どこからどう見たって地球上の生物との類似点がなさ過ぎるデカい水饅頭に、秋水は改めて首を捻るのだった。
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ダンジョンの新たな敵はデカい水饅頭!
ただし向こうはやる気ないよ!
秋水のテンションは10下がった(´゚ω゚`)
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