109『なに、この……なんだ?(困惑)』


「回収!」


 ズキズキと痛みを訴える左の肩すら気にもせず、秋水はライディンググローブを脱ぎ捨てた左手を目の前へとかざす。

 すぐ前方にはボスウサギ。

 首や顔、腹や足からは、大量の魔素を噴き出し、死亡演出の真っ最中である。

 その魔素が、回収の魔法を発動させた瞬間に、かざした秋水の左手へと一気に集まってくる。

 これが魔素の掃除機。左手でどんどんと魔素を吸い込んでいく。

 ああ、心地良い。

 体の中にある魔力が、上質なエサがきたと喜んでいるようだ。

 言葉にすれば意味不明だが、まあ、滅茶苦茶美味しいごはんを腹ペコのときに食べているような幸福感、と言えばいいのか。何か違うような気もするが、近しい表現としたらそんな感じだろうか。

 魔力を吸い込みながら、ふっ、と秋水の口端がつり上がる。

 いや駄目だ。

 やはり笑ってしまう。


「ふっ、ふふ……こほん」


 咳払いを1つ。

 それでもニヤニヤが止まらない。

 別に誰の目があるわけでもないのだから、高笑いしたって構わないのだろうが、ここは1つ冷静に。死亡演出を確認した瞬間に雄叫びを上げたのは横に置くとして。


「よし……よーし。ははっ、うん」


 魔素を吸収しながら、背伸びをするようにゆっくりと踵を上げ、踵を下ろす。

 ひらめ筋を鍛えるカーフレイズだ。

 喜びのダンスでもしそうになるのを誤魔化すように、いきなり変な動きをしだした秋水は、傍から見ればニヤニヤしながら筋トレを始める不審者である。

 しかし、うん、この嬉しさや興奮は、どうにも隠しようがない。

 ボスウサギを、今回は実力でぶっ殺した。

 やったぜ。

 殺ってやったぜ。

 リベンジ、大成功だ。

 ああ、楽しかった。

 楽しかったな。

 大満足だ。


「ははっ、ふ、はははははっ」


 ゆっくりと薄れていくボスウサギを目にしつつ、笑いを零す。

 噴き出す魔素はまだ尽きない。

 もう少し時間が掛かりそうだ。

 さてさて、これからどうするか。

 歪む口端をもにょもにょさせながら、秋水は意識を逸らすように考える。

 ボスウサギは、殺した。

 きっちりと殺し終わった。

 今の時間はどれくらいだろうか。腕時計もスマホもリュックサックのところ、ボス部屋の前にあるので正確な時間は分からない。

 まあ、ボスウサギとの戦いは、そんなに長時間ではなかった。身体強化で体感時間を引き延ばされていることを加味すれば、戦いそのものは短時間であったはずだ。

 となれば、まだ午後の9時か、10時にはなってないだろう、たぶん。

 まだまだ時間はたっぷりだ。

 それに明日は日曜日だ。予定だって特にはない、いや。


「……ああ、栗形さんの所に行かないと」


 前言撤回。

 明日は明日で約束事があった。

 殺されもせず、脱出不可能にもならず、それならば約束は守らねば。

 なら、今日はもうダンジョンから上がって休もうか。

 流石に早いか。

 では、ちょっと角ウサギと遊ぶか。

 弱い者イジメはちょっとな。


「ふむ……そうなると」











 ボスウサギが消滅した。

 ありがとう。

 楽しかったぜ。

 いざ、さらば。

 投げ捨てていたライディンググローブを左手にきゅっとはめ、秋水は大きく深呼吸をした。

 これにて地下2階、一件落着、無事平定、天晴れ天晴れ。

 ほっと一息ついた途端、何故だか急に足やら肩やらが痛み始めた。

 いや、ずっと痛かったので、痛みが気になり始めた、と言った方が正しいか。


「うおぉ……これ、絶対骨と筋の両方やったな……」


 破損してしまった鉈やら斧やら巨大バールやらの回収を後にして、先程までとは打って変わってよたよたした足取りで秋水はボス部屋の入口まで歩く。

 普通に、そして凄く痛い。

 恐らくジャケットやらインナープロテクターなどを脱いだら、色々なところが腫れ上がっているかもしれない。見たくねぇ。

 ああ、そう言えば胸と背中のプロテクター、砕けたんだったか。あとヘルメットも後頭部がたぶん割れている。

 頭の中の電卓が損害金額を弾き出し、世知辛さにちょっとしょんぼりだ。

 いいさ、これは必要経費。

 よろよろと入口の扉をくぐって、リュックサックの所まで辿り着く。

 まずはポーションで回復を、と思ったところで、作業ベルトのポーチや体のあちらこちらに仕込んだポーションのことを思い出す。

 こっちを飲めば良かったじゃないかと、と自分の段取りの悪さに秋水は天を仰いだ。原理不明の光る天井が眩しい。

 あーあ、とため息を吐きつつ、秋水はリュックサックのファスナーを開き、中からペットボトルを1本取り出す。中にはポーション。

 フタを開けると、ズキリと肩が強い痛みを訴える。

 身体強化の重ね掛け、と言うか、部分的な身体強化の反動だ。

 腕に部分強化を施して、その腕を全力で振るえば、部分強化の範囲外である肩が千切れそうになる。

 かと言って、肩まで強化範囲を広げると、今度はその強化範囲の外にある肋骨が折れてしまうのだ。肩を痛めるか肋骨が折れるかを天秤に掛ければ、肩の方がマシである。

 部分強化を連発するならば、もう少し全身強化の出力を上げ、部分強化の出力を下げた方が安全だろうか。

 ふーむ、と小さく唸りつつ、ポーションを一口だけ飲む。


「うめぇ……」


 ほぅ、と一息。

 興奮していたせいだろうか、ジャケットの中が汗びっしょりであることに今更ながら気がついた。

 ポーションが美味い。

 と言うか、水が美味い。

 脱水気味だったのか。

 そう言えば、リセットボタンを押してから、一度家へ上がり、ダンジョンに戻って、角ウサギを蹴散らしてボス部屋まで辿り着き、そのままボスウサギと戦っていた。休憩どころか水分補給すらしていなかった。

 これはいけない。頭に血でも上ってただろうか。


「こいつは要注意、っと」


 心のメモ帳に書き込みながら、残りのポーションを一気に呷る。

 足りなかった水分が体に染み渡るようだ。

 そして、すぅ、っと体の痛みがゆっくり消えていく。

 相も変わらぬ回復の超性能。ありがたい。

 ポーションを飲み干して、再び一息つく。


「……よし」


 右手を握ったり開いたりして、それからぐるぐると腕を回す。

 肩の痛みは、ない。

 回復だ。

 もう慣れたが、不思議な感覚である。

 相も変わらずポーション様々だ、と思いつつ、秋水はリュックサックをひょいと持ち上げ、空になったペットボトルを押し込んでから背負う。

 ボスウサギも無事に殺せ、地下2階でやることもなくなり、ここでちょっと一休み、なんて考えは秋水にはなかった。

 ポーションで痛みやダメージはなくなったし、疲れも消えた。精神的な面で言えば、むしろ若干の興奮状態が継続しているくらいだ。


「さーて、まずは確認だな」


 地下2階での心残りは確かに全部なくなったが、それでも確認したいことは幾つかある。

 例えば、ショートカットコースが復活したかどうか。

 例えば、角ウサギがリポップしてくるかどうか。

 例えば、ドロップアイテムの白銀のアンクレットが今でも出現するかどうか。

 例えば、リセットボタンが再度出現していないかどうか。

 例えば、地下2階の通路に異変がないかどうか。

 例えば、セーフエリアに変化がないかどうか。

 例えば、身体強化の出力、と言うか魔力量がどれだけ上昇したかどうか。

 なるほど、幾つか、ではないみたいだ。確認したいことは結構山盛りである。


「こうしちゃいられねぇな」


 本当に全く休憩を入れることなく、秋水は歩き始めた。

 まずは壁の確認である。

 リュックサックは元よりボス部屋の前に置き去りにしており、リセットボタンの近くに置いていた。

 リセットボタンを押した直後に、ダンジョンの不思議かつ理不尽な現象により地下2階の入口に戻され、そこから再びボス部屋まで戻ってきて、流れるようにボスウサギとの戦闘へと突入したのだが、本来であればそれより前に行うべき事があった。


 リセットボタンの確認である。


 押したことにより、ボス部屋の扉が再び閉ざされた、と言う分かり易い変化があって、そしてそれ以外の理由もあって、リセットボタンそのものがどうなったのかのチェックを忘れていた。

 残り1、なんて親切丁寧な残り回数が表示されていたが、実際に押してみて、その残り回数はどうなったのだろう。

 普通に考えてみれば、残り0、だろうか。

 これで未だに、残り1、なんて状態であれば、ボスウサギが幾らでも復活させられる、なんてバグ技みたいな事態が発生する。秋水としてはそちらの方が嬉しい誤算という感じなのだが、果たして。


「……ですよねー」


 しかし現実は非常。

 リセットボタンはすぐに見つかったものの、それは期待していた状態ではなく、予想通りに平凡な結果でった。

 押しボタンは、押されたまま。

 残り回数を示していたカウントは、0、となっていた。

 正真正銘、あれがボスウサギとの最後の殺し合い、となったわけだ。

 一抹のもの悲しさを覚えつつ、秋水は口元で小さく笑う。


「よし、次だ次だ」


 すぐに気持ちを切り替えて歩き出す。

 ボス部屋に足を踏み入れ、ざっと周りを見渡した。

 広い部屋だ。

 通常の角ウサギと戦うスペースである部屋よりも、さらに広いし、天井も高い。

 ウチの学校の体育館くらいだな、と天井を見上げながら秋水はぼんやり思う。ボスウサギという主がいなくなってしまった以上、これから先もこのだだっ広い空間がただただ存在しているだけなのか。もったいねぇ。

 もったいない精神が首をもたげてきた秋水は、トレーニングベンチとか置いて個人用のジムにでも出来ないだろうか、と馬鹿みたいなことを一瞬考え、すぐに却下する。

 地面は岩だ。安定性がない。

 却下の理由が若干ズレている。

 しかし、個人用のジム、と言うのはやはり憧れる。

 この高い天井から長いロープなんかを垂らして、ロープクライミングくらいならいけるかもしれない。自重トレーニングの中では懸垂に並んで、場合によっては懸垂を上回る広背筋トレーニングになる。あと、握力の筋トレとしても最適だ。

 ロープ昇り、ありだな。

 馬鹿なことを考えてから、ふっ、と秋水は再び笑い、天井から地面へと視線を下ろす。


「おっと、こいつらのこと忘れてたな」


 微妙に曲がった巨大バール。

 刃の部分が砕かれて、ほとんど持ち手だけになってしまった鉈と片手斧。

 それらを見つけた秋水は、うーん、と少し考える。

 持って帰っても、ゴミなんだよな。

 しかも不燃ゴミ。

 いいや、巨大バールの方に至っては、粗大ゴミである。

 さらに言えば、巨大バールは盛大に曲がってしまったのが、もう1本転がっている。

 まあ、今目の前に転がっている方の巨大バールは、曲がったと言っても精々20°ほど。頑張れば使えなくは、使えなく、なくは、いや普通に使えない。

 ゴミか。

 秋水はがっくりと肩を落とす。

 秋水の住んでいる地域のゴミ収集は、不燃ゴミが月に1度である。しかも、次の回収は半月程先なのだ。

 ただでさえズタボロになったプロテクターや、破損したヘルメットなどが不燃ゴミとして家の方に積み上げられている。まさにゴミ屋敷。ゴミ袋だってタダじゃないというのに。

 物を買うときは処分までの流れを考えて買わなきゃ駄目じゃない。昔、鎬に言われた言葉を思い出す。こういう意味だったのか。

 地下2階を色々再調査する前に、ゴミを片付けて家まで持って上がろうか。

 そう考えてから、ふむ、と秋水は鼻を鳴らした。


「……いや、ちょっと待てよ?」


 少しだけ悩んでから、ボス部屋の出口に向けて秋水は再び歩き始める。

 ボス部屋を出れば、分かれ道。

 一方は、下りの階段へと続く道。

 一方は、上りの階段へと続く道。

 秋水は迷うことなく上りの階段へと続く道、ショートカットコースの方へと足を進める。

 特に何も無い、岩肌剥き出しの正に洞窟と言った道をしばらく歩けば、予想通りにセーフエリアである地下1階へと続く階段が目の前にある道にまで出てきた。

 その上り階段が、別の地下1階へと続いている、と言う可能性は低いだろう。

 なにせそこには、リセットボタンを押したときに流れ出弾き出されてしまった、盛大にへし曲がった巨大バールが転がっているからである。


「最初の立役者は、まあ、お前だったよな」


 懐かしむように呟きながら、秋水はそのくの字に曲がった巨大バールを拾い上げる。

 持ち手に巻き付けられた滑り止めのグリップが、しっくりと手に馴染む。

 そうそう、振る度に微妙に手から滑って使い辛かった巨大バールを、ホームセンターで偶然遭遇した渡巻さんに教えて貰ったグリップテープやらで改造して、使い勝手が良くなったと喜んでいた当日に壊したのだ。

 これが1週間前の話だ。

 もはや懐かしい。

 小さく笑みを浮かべつつ、折れ曲がった巨大バールを肩に担ぐ。ボスウサギをぶっ殺してからニヤニヤしっぱなしである。

 それから秋水は踵を返し、ショートカットコースを戻っていく。

 しばらく歩き、特に何の障害もなくボス部屋まで辿り着く。

 そして、担いでいた巨大バールを、がらん、とボス部屋の真ん中に放り投げた。


「最初の立役者はお前。なけりゃ、押し潰されて死んでただろうしな」


 リュックサックからあまり使っていないメモ帳を引っ張り出し、これまたあまり使っていないボールペンでさらさらとメモ帳に記入してから、そのページをべりっと破る。

 破ったページを、投げ捨てた巨大バールの下へとひょいと挟み込んでから、やったぜ、と満足そうに秋水はそれを見下ろした。


『1月19日 ボスウサギ1回目 ボディプレスを防いだバール』


 メモ用紙には、そう書かれている。

 秋水は再びメモ帳を開き、ボールペンで何かを書き込み、再び書いたページをびりっと破る。


『1月25日 ボスウサギ2回目 相打ちで砕けたナタと斧』


 そう書いたメモ用紙を、今度は投げ捨ててあった鉈の持ち手の下に挟み込む。

 簡易的な記念碑である。

 ゴミとして持ち帰るのがダルい、と思ったわけではない。記念は大事だ。思い出の品を思い出の場所に安置する。素敵じゃないか。

 自分自身に言い聞かせながら、秋水はうんうんと1人で頷く。


「ま、余裕があったら、ちゃんとしたプレートでも何かで作るとするか」


 なので今日のところはメモ用紙で勘弁して欲しい。

 それに正直、鉈、という漢字が思い出せなかった。

 今度かっこいいの作るから、と誰にするでもない言い訳を並べつつ、これでゴミ問題は一応解決だ、と秋水は独りで納得して、そして振り返り、見つけてしまう。

 微妙に曲げられてしまった方の、巨大バールだ。

 こいつも記念品としてここに安置、と言う名の不法投棄をしてしまおうか。


「……いや、流石にここをゴミ捨て場にするのは、ちょっと」


 まあ、確かにこちらの巨大バールも役に立ったのだが、今回は鉈と斧があまりにも大活躍だったので、思い出の品とするには、ちょっと。そして、思い出のあるボス部屋を、堂々とゴミ捨て場にするのも、ちょっと。

 流石にこれは持ち帰るか、と秋水は諦めてそちらの巨大バールを拾い上げる。


「使えなくはない、気がしないでもない、ような気がするような気がしないような……」


 ブツブツ言いながら、秋水は巨大バールを肩に担ぐ。

 さて、2階の再調査を始めるか。

 そう気を取り直してから、秋水はボス部屋をあとにするのだった。











「…………なんだ、こいつ?」


 そして何故か、秋水は地下3階に居た。

 居たと言うか、その足で辿り着いた。

 辿り着いた挙げ句、モンスターとも遭遇していた。

 馬鹿である。


「えーっと、えー……なに?」


 角ウサギは、角の生えたウサギである。

 ぱっと見て、ウサギだ、と分かった。

 角が生えているし襲いかかってくるし、普通じゃないのは後から身を持って知った。

 だが、ウサギだ、と言うのは、見て分かった。

 しかし、地下3階は、どうやら違うようだ。


「えっと、生き物?」


 前方にはモンスター。

 ウサギを模した角ウサギとは、訳が違う。

 秋水の知識には存在しない、未確認生命体。

 いや、生命体じゃないかお前ら。

 秋水は地球上の生き物全部を知っている動物博士ではないが、少なくとも、見た瞬間にこのモンスターは生物を模していないということだけは分かった。




 だって、どう見たってコイツ、デカい水饅頭じゃん。




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【ねたばれ】 スライムです 【みずまんじゅう】


 ここまでお読み頂ありがとうございます。

 急に話が飛んだところで、これにて第4章終演です。

 第5章は3階モンスターとの戦い方を手探り、及び人間関係切り込み変を予定しています。恋愛話書きたいなぁ(*'ω'*)


 次回の更新はざっくりとした登場人物の紹介だけで、1週間程休みを頂き、第5章を開始します。

 それでは、これからもお願いします。

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