105『リセットされたもの、されていないもの』
リセットボタンを押した。
「…………は?」
その次の瞬間に秋水が漏らしたのは、なんとも間の抜けた疑問符であった。
カチリ、と軽い手応えと共にリセットボタンを押したのは、ボス部屋の前のことだ。
思わずぐるりと周囲を見渡す。
1本道だ。
秋水の背後には、真っ直ぐ伸びた岩肌の通路。
地面には、中途半端に曲がってしまった巨大バール。
「あれは……?」
見覚えのある曲がり方をした、巨大バールである。
ボスウサギのフライングボディプレスを受け止めて曲げられた、その曲がり方にそっくりなバールだ。
あれは、ショートカットコースに置き去りにしたままだったハズだ。
秋水は自分の右手に視線を下ろす。
その手には、確かにもう1本の巨大バールが握られていた。
曲がっている巨大バールと、同じ種類のものである。
当然だ。だって、2本同時に、同じ物を買ったのだから。
それを買った帰り道、お巡りさんに 「やあ、こんにちは」 と呼び止められたのは、良く覚えている。
なら、曲がった巨大バールが落ちていると言うことは、ここはショートカットの通路なのか。
違う。
一言でそれは否定出来る。
何故なら、秋水の目の前には、上りの階段があるからだ。
ボス部屋ではない。
階段だ。
地下3階へと続くであろう下りの階段でもない。
上りの階段だ。
下から階段の続く先を見上げれば、なんとなく見覚えのある光景であった。
左手をふっと下ろす。
片手斧の柄が、がりっ、と岩肌に当たる。
視線だけでその壁を確認するが、リセットボタンは見当たらない。
それは、まあ、そうだろう。
リセットボタンはボス部屋の前にあるはずだ。
そして、ここはボス部屋の前ではない。
「……セーフエリアへの階段、だよな、これ」
再び階段を見上げながら、秋水は首を傾げる。
この階段は、セーフエリアへと続く階段、のハズである。だと思う、と言った方が正しいだろうか。
このまま階段を上がっていけば、すっかり生活臭漂うセーフエリアへと辿り着くであろう。たぶん。
「で、ショートカットの道が……ねぇな」
振り返って再度確かめる。
通路の途中に転がっているのは、曲がっている巨大バール。
本来であれば、ショートカットの通路に置き去りにしたまま、だったはずの物である。
そして、そのショートカットコースは、なくなっている。
セーフエリアから続く通路は1本道で、恐らく、その先には角ウサギが1体だけ待ち構えていることであろう。
ショートカットコースが消滅した。
その通路にあった巨大バールは、押し出される形でこちらまで出てきたのかもしれない。
「えっと……」
秋水は記憶を辿るようにして考える。
ついさっきまで、ボス部屋の前に居た。
リセットボタンを押した。
すると自分は、地下2階の入口へ移動していた。
いや怖い。
瞬間移動である。
リセットボタンを押した瞬間に、風景が変わったのだ。
流石ダンジョン。テレポートまで実装されているのか。
そして、地下2階の入口からの風景は、変わっている。
ショートカットが出来る道が、なくなっている。
あの通路は、ボスウサギと戦った後で、突如として開通した通路である。
「……なるほど」
ぽつりと、秋水は呟いた。
リセットボタンを押して、ショートカットコースがなくなる。
つまり、リセットされたのは。
思わず振り返り、秋水は足を進めようとした。
ショートカットは出来ない。
ボス部屋に辿り着くためには、いつもの順路で、順番に角ウサギを蹴散らして進むしかない。
だから思わず進もうとして、ぴたり、と足が止まる。
リセットボタンを押して、最高だと思われる結果は何か。
……いいや、それはもちろん、ボスウサギと再戦出来ることだ。
それで間違いない。
そのはずだ。
ショートカットの通路がなくなっているということは、おそらく、ボスウサギと戦ったという実績がリセットされたのだろう。
だから、ボスウサギと、また戦える。
その、はずだ。
最高じゃないか。
最高の結果を引き当てたじゃないか。
「……いや」
ぽつりと呟き、秋水は地面を蹴った。
巨大バールと片手斧をその場に投げて捨て、走り出す。
階段を、駆け上がる。
ええと、うん、そうだな。
たぶん、最高の結果を引き当てた。
まだボス部屋の確認をしていないから断言こそ出来ないが、たぶん、ボス部屋の扉が閉まっているだろう。
そして、ボスウサギが、待ち構えていることだろう。
それはまあ、後で確認出来ることだ。
そう、後で見れば良いことだ。そういうことだ。
それで今、何で自分は階段を駆け上がっているのだろうか。
ボス部屋へとそのまま向かえば良いものを、身体強化をそのままに、秋水はセーフエリアまで一気に駆け上がってきた。
ああ、えっと、そうそう。
出入り口だ。
出入り口の確認だ。
自分はそれを確認するために、上がってきた、のだろう。
恐らく、たぶん、ボスウサギを倒したという結果がリセットされた。
しかし、あのリセットボタンが効果を及ぼすのが、1つだけだとは限らない。
最悪の場合、出入り口の存在もついでにリセットされてしまっている可能性だってある。
だから、その確認だ。
それだけだ。
自分自身に言い訳のような言葉をずっと投げかけ続けながら、秋水はセーフエリアから庭へと続く縦穴の梯子を勢い良く上がっていく。
上は、薄暗い。
そりゃそうだろう。外はすっかり日が落ちて、墨を塗られた空模様。さらにはテントで出入り口を囲っているので、下から見上げれば暗いに決まっている。
なら、ここは。
「ふ……っ」
地上の地面に手を掛けて、その片腕に力を込めて体を引き上げる。片腕のチンニング、懸垂と同じ要領である。
外に出られた。
視界は、見覚えのあるテントに覆われている。
ああ、良かった。
ここは、『ウチの庭』 だ。
秋水のウチの庭にある、ダンジョンの出入り口だ。
出られる。
リセットされていない。
良かった。
これで明日、祈織の店に手伝い、と言う名の鎬相手の緩衝材を果たすことが出来るというもの。
地上に這い上がり、テントを開け、外に出る。
うん、間違いなく、家だ。
秋水の、家だ。
秋水だけの、家だ。
小走りで庭先の窓まで行き、ガラリとその窓を開く。
家の中は、暗い。
もう良いじゃないか。
もう確認はしたじゃないか。
そろそろダンジョンに戻ろうぜ。
秋水の中で、冷静な部分がそんな声を上げる。
その囁きに、ぴたりと一度は動きを止めたものの、秋水はすぐに靴を脱いで庭から家の中に入る。ええい、靴が脱ぎにくい。さすがバイク用。
家に入ったら、迷うことなくずかずかと足を進める。
大して広くもない家の中、歩けばすぐにその部屋には辿り着く。
両親の、部屋である。
両親の部屋の扉は閉まったままで、明かりは見えない。
当たり前だ。
当然だ。
部屋の中は、暗いままだ。
「……まあ、そう、だよな」
部屋の扉に手を掛けて、ゆっくりと息を吐き出す。
ため息、のような。
嘆息、のような。
いいや、嘆くわけではないのだが。
元より分かっていたことではあるのだが。
だから残念に思う必要はどこにもないのだと、自分自身を欺すように励ましてみるものの、秋水の肩は落ちたままである。
しばらく秋水は扉の前で佇んで、少しだけ迷ってから、顔を上げる。
扉を、開く。
遺影だけが、出迎えた。
ダンジョンに戻って、投げ捨てていた片手斧を拾い上げてから、刃毀れしていないかを軽く見る。
刃の部分は欠けていない、ように見える。たぶん大丈夫だろう。
「……あー、キャップはボス部屋んところだな」
キャップをつけて作業ベルトに吊そうと思ったものの、残念ながら片手斧の刃を覆う安全キャップはボス部屋の前に置き去りなのを思い出す。
ついでにリュックサックも置き去りだ。リセットボタンを押したら地下2階の出入り口まで戻されたせいである。
まあ、角ウサギを蹴散らして、ボス部屋に辿り着くこと自体は簡単であるので、そこまで問題はない。片手斧の置き場に困る程度だ。
「持って歩くしかないか」
流石に刃を剥き出しのままで、作業ベルトに掛けたり差したりはしたくない。
仕方ないなとため息をつきながら、落ちていた巨大バールも拾い上げる。
右手にバール、左手に斧。秋水の風貌も合わされば、完全に危ない蛮族スタイルである。バイク装備を加味すれば、古の世紀末スタイルと言ったところだろうか。
「身体強化」
ふぅ、と呼吸を整えてから呟く。
体の中で魔力を走り回らせて、段々と慣れてきた魔法を発動させる。
「100%」
遠慮なく、全力で。
本当ならば、60%程の方が色々と都合の良い戦い方が出来るのだが、今はごちゃごちゃと考えずに100%で角ウサギを叩き潰したい気分である。
別に、理由はない。
それに、リセットボタンを押す前と比べ、今の魔力は随分と荒ぶっていると言うか、暴れ回っていると言うか、少々コントロールしずらい感じだ。
不思議なものである。
「んじゃ、ぼちぼち行くかね」
そう零すのと、岩肌を蹴るのは、ほぼ同時。
その脚力をフルに使って、秋水はダンジョンを駆け、息をつくより早く最初の部屋へと跳び込んだ。
ぐしゃり、と角ウサギの頭を潰す。
出迎えたのはいつもの角ウサギ。
秋水が部屋へと侵入すれば、即座に迎撃の態勢を取るものの、あまりに距離が足りなかった。
僅か2歩。
全力の身体強化で踏み込んで、角突きタックルが繰り出される時点で、角ウサギは既に巨大バールの射程圏であった。
角を突き出して跳び込んでくる角ウサギは、最早ただの自殺行為でしかない。
それに対して秋水は、気合いを入れる掛け声も、いつものような軽口もなく、無言でバールを振るった。
冷静に、角ウサギの頭を、潰し、粉砕する。
一撃だ。
「回収」
ぶわりと吹き上がる魔素の光を確認するよりも早く、片手斧を握った左手に魔力を集め、角ウサギの魔素を吸収しようと魔素回収の魔法を発動させようとする。
不発。
頭部を完全に打ち砕かれた角ウサギは、その首から一気に魔素の光を噴き出した。
その魔素はいつものようには吸い込めず、ただただ角ウサギからばらまかれる。
「……ああ、そうか」
魔素回収の魔法が不発となり、秋水の動きが一瞬だけ止まったが、すぐに魔素を吸い込めなかった理由を思いつく。
100%の身体強化を使用中だからだ。
現在、秋水が動かせる自分自身の魔力は、半分と少し、といったところである。
全力の、出力100%の身体強化というのは、その魔力を全て利用して行っているのだ。
そして、魔素回収の魔法もまた、魔法である。
魔力がなければ魔法は発動しない。
100%の身体強化を発動している最中は、他の魔法を発動出来る魔力の余裕がない。純粋なるリソース不足というやつだ。
“他の魔法” が発動出来ない。
60%程の身体強化が、色々と都合が良い、という最大の理由だ。
「ま、いいか」
打ち捨てられたように転がった角ウサギを一瞥してから、秋水は再び床を蹴って駆け出した。
死亡演出により撒き散らしている魔素は無視して、そのまま部屋から去って行く。
しばらく後、誰も居なくなった部屋に、白銀のアンクレットが転がった。
身体強化を全力で使用している秋水と、最高でも3体までしか出て来ない角ウサギとの実力差では、もはや殺し合いは成立しない。
一方的な虐殺だ。
対峙した角ウサギ全てを一撃で葬り去り、再びボス部屋の前まで辿り着いたのは、20分とかかっただろうか。いや、15分すら必要なかった。
身体能力頼りに角ウサギを振り切って、殺すことなく部屋を通過することも出来ただろうが、秋水は相対した角ウサギを律儀に鏖殺した。噴き出す魔素は全て無視してきたが、襲い掛かってくる相手を殺してやることは最低限の礼儀、みたいな感じである。殺すことが礼儀とは一体。
魔素を回収せず、死亡演出に付き合わず、ドロップアイテムが出現するかどうかも待たなければ、これくらい早く1週出来るのか。
予期せず置き去りにしてしまったリュックサックの元まで到着した秋水は、ようやく一息つけるとばかりに長くため息を吐き出してから、徐々に身体強化の出力を絞っていく。
100%から90%へ。
90%から80%へ。
出力をゆっくり絞り、絞り込み、最終的にそれを0%へと落とす。
身体強化、OFF。
「……いやー、スタートからノンストップは流石に疲れるな。そういや最近、有酸素トレーニング、サボってたっけ?」
魔法が切れたことを確認してから、再び一息入れながら、自然と軽口も出てきた。
ずしりと感じる巨大バールを床に置いてから、秋水はリュックサックの隣に腰を下ろす。
「あったあった、良かった、無くなってないな」
リュックの上に置いていた片手斧の刃を覆う安全キャップを手に取って、斧の刃にぱちりと嵌めた。これでようやく安心して片手斧を作業ベルトに吊すことが出来る。
巨大バールが使い勝手良すぎるせいで、道中の虐殺劇ではほぼほぼ使用しなかった片手斧を作業ベルトに吊してから、秋水は手早くリュックの中身を確認する。
ごちゃり、と色々な物が入っていて把握しづらいが、ぱっと見た感じでは何も無くなってはなさそうだ。
良かった。リセットボタンを押して強制的にスタート地点まで戻されたついでに、このリュックサックが消失していたら流石にショックである。
「ポーションもあるし、飯もあるし、タオルに紐にビニール袋に懐中電灯……良し良し。スマホは、あるな。良かったぜ」
メイン収納の部分のものは一通り確認し、サブの方へ入れていたスマホも取り出して画面をつける。
見慣れたロック画面。
問題はなさそうである。
ポーションやら非常食やらは消失したところでとりあえず問題はないが、流石にスマホが消失したら大問題だ。
ロック画面を解除して操作してみるが、動作はいつも通りだ。充電も、極端に減っているわけでもなく、しっかりある。
良かった。
リセットボタンを押して、リセットされたのは手荷物でした、なんていうのは流石に予想外が過ぎる。
ふっ、と秋水は小さく笑う。
そして、流れるように、トークアプリを立ち上げた。
最近は、何故か使う機会が増えてきたトークアプリだ。
新着はない。
最新のトーク相手は、日比野である。昨日だ。次は何故か紗綾音である。
今週に入ってから、随分と登録相手が増えたものだ。
その画面の下の方には、1つのグループトーク。
参加人数は、たったの4人。
最終トークは、1ヶ月程前。
うっすらとした笑みを浮かべたまま、秋水はそのグループトークをタップする。
『やっぱりクリスマス当日にケーキ無理』
『これがムボー……!』
『てなわけで、お父さんは和菓子プッシュ中』
『お母さんはバームクーヘンプッシュ中』
『お兄ちゃんも、リクエストあったら5分以内でよろ』
これを最後に、1ヶ月も文章が行き交わない、ただただ不毛なグループトークである。
最後のメッセージを秋水が読んだとき、すでにタイムリミットの5分とやらを過ぎた後だったので、まあいいか、と既読スルーした。いや、してしまった。
あの時、なにか頼めば良かったな。
僅かにだけそう思って、秋水はメッセージを入力する。
『クリスマスのデザートなんてなんでも良いから、皆が無事に帰ってきてくれるだけで、俺は嬉しいよ』
送信する。
そして、画面を消す。
どうせ既読はつかない。
つくわけもない。
それくらい分かっている。1ヶ月も更新の止まったグループトークなのだから。
そもそも。
「……さて」
気を取り直し、秋水は顔を上げた。
顔に浮かんでいる笑みはしっかりと深くなり、両の目がギラついている。
目の前には、岩で出来た大扉。
ボス部屋を塞ぐ、大扉。
前回、ボスウサギを討伐したときに蹴り開けて以降、開きっぱなしであったはずの扉が閉まっていた。
ショートカットの通路がなくなっていた件と言い、これは確定と思っても良いだろう。
「お前はしっかり復活してくれたみたいで、嬉しいじゃねぇか、ボスウサギちゃんよ!」
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角ウサギは、何回殺しても何回でも復活するね。良かったね。
ボスウサギは、リセットボタン押したら復活したね。良かったね。
ダンジョンの外の人間は、死んだら死にっぱなしだね。普通だね。
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