103『なお鎬は本当に犬に噛まれた程度にしか思っていない』


「明日、ですか?」


 聞かれた話題に首を傾げながら、秋水はオウム返しに言葉を漏らす。

 秋水独りならばまず入ることはないであろう、椅子からテーブルから食器1つ1つに至るまでヨーロピアンテイストで統一されたお洒落さを前面に出した喫茶店で、人生で数えるほどしか飲んだことのない紅茶を一口飲んでから、改めて秋水は首を傾げた。

 同じテーブルの正面に座っているのは、質屋 『栗形』 の店主、栗形 祈織である。

 童顔&低身長のせいで子供に見間違われることが多い、と言うかついぞ30分前まで中学生にもろ小学生扱いを受けてブチ切れていた祈織は、なんとも真剣な面持ちである。

 面持ちは真剣なのだが、テーブルの前にあるのがクリームソーダに苺のパフェなせいで受ける真剣さは半減されて、可愛さというか幼さが引き立てられてしまっている。たぶん言ったら怒られそうなので口にはしないが。


「そう、明日。お暇でしたら、お暇でしたらぜひ……」


 その祈織は、ぱちん、と両手を目の前で合わせ、拝むようにして頼み込んでくる。

 傍から見れば、強面すぎるゴロツキお兄さんに女子小学生が命乞いをしている光景だ。2人の間にパフェがなければ警察通報待ったなしの状況である。だからそこの店員さん、凄い心配そうな顔でこちらを見るのはこの際仕方がないにしても、その手に持ったスマホは仕舞ってくれないか。

 良く分からない模様のあしらわれたティーカップをソーサーの上にかちゃりと置いてから、ふむ、と秋水は少し考える。


 祈織の頼み事はシンプルで、明日、質屋 『栗形』 で一緒に店番をしてくれないか、という内容であった。


 わざわざそんな頼み事をするために、学校の校門で祈織は秋水を待ち構えていたのである。

 その結果、中学生女子に心配され、思いっきり絡まれていたのである。

 ちなみに、何人もの中学生にわちゃわちゃと構われていた祈織を引っ張り出してから、その子達には申し訳なかったと秋水は頭を下げ、何故か知らないが大変驚かれてしまった。

 秋水自身はいまいちピンときていないが、目付きも顔付きもただただ怖い人間体ゴリラみたいな悪い意味での有名人が、喋ってみれば物腰柔らかく丁寧な対応をする人だと分かれば、それは驚かれもするだろう。秋水が他者から避けられている最大の原因は、その見た目のせいである。

 そして祈織を引き取ってから、どこか落ち着ける場所で話をしましょう、と祈織に案内されて辿り着いたのがこの喫茶店だ。

 非常に洒落た感じの、完全に女子受けに振り切った、喫茶店である。

 他の客は全員女性。

 視線が痛い。

 残念ながら、秋水の感性では全く落ち着ける空間ではなかった。

 いや、あのまま校門前で、うるさいクラスメイトに見つかるリスクを犯しつつ立ち話をするよりは、随分とマシであろう。あれで紗綾音でも乱入してみろ。考えただけでげんなりする。

 そうして腰を落ち着けて、最初に注文したものが届いてから、早速祈織が頼み込んだのは、先の通りである。


「いえ、まあ、店番、くらいでしたら、お引き受け出来ますが」


「本当!?」


 ぶっちゃけ明日は予定がない。

 むしろ明日がなくなる可能性がある。

 今日はダンジョンにあったリセットボタンに挑戦すると決めている。それで何が起こるか分からないので、明日を無事に迎えられるかどうかがそもそも不明だ。

 だが、ポーションがある以上、四肢欠損レベルの大怪我程度なら全く問題なく明日の店番くらいは出来るだろう。死んだり帰れなくなったら、まあ、それ以前の問題になるのだが。

 なので、明日の店番の話を引き受けるのは問題ない、だろう。

 そう考えながら返事をしてみれば、ぱぁ、と祈織の表情が明るくなった。


「あ、お小遣い程度だけどバイト代出しますから安心して下さいね!」


「あ、いえ、それはありがとうございます」


 急に声の弾んだ祈織に、そんなに嬉しいのかと思いつつ秋水は頭を下げる。

 悪口のようになってしまうが、祈織が店主を務めている質屋は、そんなに人気店という感じではない。正直なところ、赤字経営真っ只中である。

 それについては秋水の叔母、鎬がアルバイトに入り、色々と経営に口を挟みに挟むようになってから徐々に上向き傾向にあるらしいのだが、それでも今のところはまだ帳簿が真っ赤に店主が真っ青といった状況であることには変わりがない。

 そもそも、来店してくる客が少ない。

 それを考えれば、別に店番なんて追加で必要になるとは思えない。

 明日は何か祝日であったりイベントがある日というわけでもないし、それに土曜日と日曜日であれば鎬がアルバイトとして入っているのだ。3人目の人員など必要なのだろうか。


「ですがその、どうして急にまた」


「うっ」


 その質問を口にしてみれば、祈織の言葉が詰まった。

 視線が右へと流れる。

 隠し事をしている子供じゃあるまい。


「……いやー、えっと、その、明日は忙しくなりそうかなー、って」


 言い訳下手か。

 いや、この情報社会、何か全然関係のない外的要因によって火が付いたように人気店になる場合はある。質屋 『栗形』 としてSNSも開始して、ECも準備しているらしいので、可能性はないわけじゃない、だろう。モール型の方のECは既に登録出来たとか何とか言っていたし。

 しかし、だとしたら、何故今ここに祈織がいるのか、という話になってしまう。

 質屋 『栗形』 は、基本的に祈織が1人で切り盛りしている。鎬はあくまでも土曜日と日曜日にしか入っていないのだ。

 そして今日は金曜日、平日である。

 ここでこうして祈織が喫茶店にいるということは、質屋 『栗形』 は閉めているということだ。

 人気店で大忙し、みたいな状況であるならば、ここでパフェなんて頼んでいる場合ではないだろう。定休日ならば仕方がないかもしれないが、質屋 『栗形』 は不定休である。

 ふーん、と秋水は軽く鼻を鳴らしつつ、ティーカップを手に持った。

 欧州風味なデザイン優先のティーカップは、秋水の手には明らかに小さく、取っ手に指が2本も入らないタイプである。仕方がなく取っ手を指で摘まんで手に取るのだが、偶然にもティーカップの持ち方としては正しい持ち方になっている。


「それでしたら、電話でも良かったですよ?」


「あ、えっと、そう言えば秋水くんの番号もアカウントも知らないな、と」


「ああ、そう言えばそうでしたね」


 視線を泳がせながらもしどろもどろに返す祈織の言葉に、確かに、と秋水は納得して紅茶を一口飲み、ティーカップを置いてからすぐにスマホを取り出した。


「トークアプリでよろしいですか?」


「え、あれ? 教えてくれる感じです?」


「え? ええ、はい」


 何故か驚く祈織であったが、秋水はきょとんとした表情でスマホの画面にトークアプリのQRコードを表示させ、それを祈織に向ける。

 何の疑問も抱かずに連絡先を開示する秋水に祈織は少しだけ呆気に取られた後、慌てて自分のスマホを取り出し、たぷたぷと操作してから秋水の表示させたQRコードをスマホに読み取らせる。

 軽快な音。

 連絡先交換が完了した合図だ。

 覚王山、日比野に続いての連絡先交換である。祈織で3人目だ。今週は随分と続いている。

 3人分の連絡先が意味を失い、そして新たに3人分の連絡先が生えてきた感じか。

 いや、交換もしていないミッチと紗綾音から問答無用でメッセージが送りつけられ、新しい連絡先は5人分だ。

 そろそろ、スマホの中身も整理して良いかもしれない。


「お、男の子と友達登録しちゃったよ……」


 スマホの画面を裏返し、表示されている祈織のプロフィールを確認していると、ぼそりと祈織が何やら呟いた。

 なんて?

 良く聞こえなかった秋水は視線を祈織へと戻すと、何故かスマホを掲げて感動しているちびっ子の姿。いや失礼、祈織の姿。


「え、これ大丈夫? 今の子ってこんな簡単に情報開示しちゃう系なの?」


「栗形さん?」


「はいごめんなさい、大丈夫です、粘着メッセージとか距離バグメッセージとかしないから安心して下さい!」


 いや、別にそれは心配していないが。


「いえいえ。ご用件がありましたら、御気軽にこちらへご連絡下さい」


「……このアカウント、営業用か何かだったりします?」


「いえ、完全にプライベートのものですよ」


「悪いホストになりそうだこの子……」


 こんな凶悪面したホストがいて溜まるか。

 情緒が謎なことになっている祈織に苦笑いしつつ、秋水はスマホをテーブルの上に置く。

 なるほど。




「ちなみに明日ですが、鎬姉さんとの間の緩衝材になればよろしいのですか?」




「ぶふっ!」


 祈織は盛大に噴き出した。クリームソーダを飲んでいたら今頃大惨事であっただろう。助かった。

 ごほっ、げほっ、と思いっきりむせる祈織を生暖かい目で見つつ、ビンゴか、と秋水は心の中で呟く。

 納得である。

 そしてなんと言うか、ただただ申し訳ない。


 この前、祈織と鎬は2人で酒を飲み、酔っ払い、そして爛れた大失敗を見事に犯してしまった、らしい。


 その翌日に顔を見せたときには、ショックのあまり精神的に祈織がぶっ壊れてしまっていて、祈織の口からはロクな話が聞ける状況ではなかったのだが、少なくとも鎬の口ぶりではほぼ確定である。

 これが鎬が無理矢理、と言うのならば容赦なくハロー警察案件なのだが、どうも同意かつ両者ノリノリだったらしいので、秋水が口を挟む感じではないっぽいのだ。忠告したのにとか同性だとか何ヤってんだこのクソ酔っ払いとか、思うところは多々あるのだが、今回に関してはもう当人同士の問題である。

 そして、祈織が明日の店番を頼んできたのは、それに絡んだ理由なのだろう。

 鎬の方は翌日の段階で、なんともケロッとした様子ではあったが、祈織のメンタルは随分とあれな感じだった。

 その日は結局どうなったのかは知らないが、こうして第3者を間に置きたがっているということは、まだ鎬とは顔を合わせ辛いのかも知れない。

 と言うか、普通はそうだろう。平然としている鎬の面の皮の方が異常なだけで。


「えほっ、ふっ……え? なんで?」


「他のご友人などではなく、連絡先も知らない私に頼むということは、どう考えても鎬姉さん絡みの話だろうな、と。今は顔を合わせ辛い状況なわけですし」


「察し良すぎじゃない!?」


 それ以外に理由が思い至らないだけである。

 そして声が大きい。周りから凄い見られてる。家庭内の喧嘩じゃないです。あと彼女は娘じゃないです。

 落ち着いて、落ち着いて、と祈織を宥めれば、今度は真っ赤になって縮こまってしまった。


「うわぁ……私は前科一犯……」


 不穏な単語である。

 そしてちょっと待ってくれ隣のご婦人方。あの顔で一犯だけなの? というのはどういう意味だ。もしかして酷い勘違いを受けている気がしてならない。

 周りの視線に責め立てられて居心地が最高に悪い秋水を目の前にし、それに気がつく素振りもなく祈織はかちゃりとスプーンを手に取った。


「ちょっと、クールタイムを……」


「ええ、はい、どうぞ」


 秋水のその返事よりも早く、スプーンを苺のパフェに突き立て、それを祈織は1口食べる。

 苦悶に満ちていた表情が、にへ、と緩んだ。

 美味しそうに食べるんだな、と思いつつ、秋水も改めて紅茶を一口。

 コーヒー派の秋水からすると、この紅茶が良い物なのか悪い物なのかは判断出来ないのだが、とりあえずは不味くはない。美味しいのかと聞かれても困るが。

 2口、3口、と祈織はパフェを食べ進め、少ししてから落ち着いたのか、はふぅ、と小さく一息つく。

 そして、はぁぁ、と続け様に大きなため息も追加で1つ。


「……いえ、まあ、正直秋水くんも察しているでしょうから、ちゃんと説明しますとね」


「はい」


 どこか疲れたようにボソリと喋る祈織の言葉に、秋水はティーカップを置いて頷いた。




「鎬さんと、えっちしました」




「…………」


 血縁者の性的事情とか、正直知りたくないんだが。

 祈織の第一声で秋水はげんなりとした。

 その祈織の表情は思いっきり陰っている。

 なんだこのテーブル、急にお通夜みたいな雰囲気になっちゃったぞ。


「しかも酔っ払ってヤっちゃいました。同意の上かと言われると、ちょっと微妙です」


「…………」


「誘ってきたのは鎬さんだったけど、鎬さんは8割ぐらい猫ちゃんだったから、訴えられたらたぶん私が社会的に死にます」


「…………」


「正直、今すぐ警察に捕まっても、なんら可笑しくないと思います」


 聞きたくねぇ……。

 そうですか、の一言すら相槌も打てず、秋水はただただ渋い顔である。耳を塞ぎたい気持ちでいっぱいだ。

 なんと言えば良いのだろうか、自身を加害者側であると認識しているらしい祈織を見るに、やはり鎬が無理矢理、という線はなくなったと思っていいだろう。良かった。いや何も良くないか。


「……えーっと」


「はい。秋水くんは警察に通報する権利があると思います」


「いやしませんよ」


「ついでに罪を告白しますと、秋水くんの胸も揉みました」


「急に何の懺悔が始まっているのです?」


 手錠を掛けてくれと言わんばかりに、両手首をくっつけたまま祈織が腕を差し出してくる。

 胸、揉まれたことはないだろ。

 急に身に覚えのない罪状が生えてきたことに、だいぶ精神的に追い詰められているな、と秋水は思わず同情してしまう。

 ちなみに、祈織は泣き真似をしながらガッツリと秋水の胸を揉んでいたことがあったのだが、あの時は鎬が祈織を性的に襲ったと思って秋水は気が動転しており、揉まれていたことに全く気がついていなかった。運の良い変態である。


「ま、まぁまぁ……鎬姉さんも酒の席と言うことで、気にしていないですし」


「分かんないじゃないですか!?」


 なんか急に火が付いた。

 テーブルをばんっ、と叩いて、祈織が勢い良く立ち上がる。立ったのに目線が下がった。

 こらこらお客様、ガチの迷惑だ。


「日曜日の日はずっといつも通りでしたけど、内心じゃ凄い気に病んでるかもしれないじゃないですか!」


 いや、いつも通りだったら、本気で気にしてないと思うのだが。

 それに、気に病んだりショックを受けると、鎬はかなり感情的になる節がある。少なくとも、一番最初に酒で大失敗をぶちかましてしまった翌朝は、今から自首してきます、といったぐらいに落ち込んでいたのを目の前で見ていた秋水は、鎬が今回の件を気に病んでいるとは到底思えなかった。いや少しは気に病めよ、と逆に思うくらいだ。

 感情面に関しての鎬は、良くも悪くも裏表のないタイプなので、そんなに深読みしなくても大丈夫、というのが秋水の意見である。


「でも、謝りに行くのが正直怖いぃぃ……」


「いえ、たぶん鎬姉さんが謝る側なので……」


 急にテンションが上がった祈織は、同じく急にテンションを下げ、椅子に座ってテーブルの上で頭を抱えた。

 つまり、なんだ。

 加害者意識はあるのだが、謝罪する勇気まではない、と。

 だから、鎬とは顔を合わせ辛くて堪らない、と。

 で、秋水には鎬との間を取り持つ緩衝材の役割をして欲しい、と。

 うーん。


「……別に、私がいなくても良いのでは?」


「そんな殺生な!?」




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・祈織

(ヤっちゃった。女同士なのにめっちゃヤっちゃった。しかも後半ほとんど私がノリノリの無理矢理じゃん。もう駄目だ。警察に突き出されて終わりだ。訴えられて終わりだ。あ、私の人生終わった。あはは……)


・鎬

(ま、男相手じゃなくて良かったわ。お互い酔っ払っての失敗だし。切り替えましょう。はい終わり)



 温度差はこんな感じ(;´・ω・`)

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