102『恐怖とは、知って慣れると、減っていく』

 ダンジョンにあるリセットボタン。押せば一体どうなってしまうのか。

 秋水の興味は、この一点に尽きる。

 ダンジョンの構造が変わるのだろうか。ボスウサギが再び現れるのだろうか。秋水の中にある魔力がなくなってしまうのだろうか。それとも、ダンジョンそのものが消滅してしまうのだろうか。

 考えられることは色々とあるのだが、その大半のシチュエーションは秋水にとって都合の悪いことばかりである。

 特に、ダンジョンの消滅、というリスクに関しては。

 ダンジョンは有用だ。

 ポーションの存在。魔素の存在。短縮される睡眠時間。角ウサギのドロップアイテム。そして、秋水にとっては心躍るその戦いが。

 リセットボタンは、そのダンジョンを消滅させる可能性がある。

 普通に考えたら、押すべきではないことくらい秋水だって理解している。


 例えそれが、ボスウサギの再出現という可能性が、あったとしても。


 賭けるにしては、分が悪い。

 ダンジョンを謳歌するのであれば、その有用性を享受するのであれば、リセットボタンは押すべきではない。

 そんなリスキーな真似はせず、とっとと地下3階への階段を降りるべきだ。

 それくらい、秋水だって理解している。

 理解は、している。

 地下3階はどんなところだろうか。

 どんな場所なのだろうか。新しいモンスターがいるのだろうか。強くなった角ウサギでもいるのだろうか。それこそボスウサギが普通に闊歩していたりするのだろうか。新しい発見があるのだろうか。ドロップアイテムが変わったりするのだろうか。

 どれも興味がそそられる。

 ならば、さっさと地下3階に降りるべきだ。

 リセットボタンを押すなんて、リスキーが過ぎる。

 今週は、ずっとそんなことも考えていた。

 押すな押すな。止めるなら今なのだ。

 ダンジョンの地下3階という新しい、場所が待っている。

 そこを探検すれば良いじゃないか。

 きっと楽しいぞ。

 それは理解している。理解は、している。

 だから、分の悪い賭けをする必要はないじゃないかと、理性的な自分自身が、何度も自分自身を説得してきた。

 なるほど、なるほど。

 ならば理性的な自分とやら、質問に答えてくれ。




 やり残した、心のしこりを1つ残しながらの探検は、本当に楽しいのだろうか。











「お、棟区、もう帰んのか?」


 授業も終わり、担任の教師からも特に連絡事項もなく、学校での用事はつつがなく終了した。

 今週は何だかんだと忙しかったなと思いつつ、手早く荷物をまとめて席を立ち、教室をさっさと後にしようとした秋水に言葉を投げかけてきたのは、覚王山であった。

 なんと言うか、随分と気楽に喋り掛けてくるようになった。


「ええ。覚王山さんは?」


「俺は図書室でちょっくら宿題やっつけるわ。家じゃ集中出来ねぇし」


 同じく荷物をまとめた鞄を持って立ち上がりつつ、覚王山は軽くため息を零す。

 宿題か。休み時間の間に終わらせたので、秋水には既に関係のない話である。宿題のような面倒事は、前倒しでさっさと終わらせてしまう派である。

 と、2人の方へと 「おーい」 と呼び声。

 朝方、覚王山のことを鞄でボコボコに殴っていた女子、ミッチである。


「図書室行くよー」


「うあー、家じゃなくても集中出来ねぇ……」


「なんだとー?」


 愚痴も零した覚王山の尻を、近づいてきたミッチが鞄で叩く。

 軽くである。フルスイングでぶん殴っているわけではない。

 そう言えば、覚王山とミッチは2人一緒に居るところをよく見る。ミッチが覚王山に近づいて行くことが多い感じだ。

 仲が良いのだろう。朝の騒ぎを横目で見ているので、たぶん、と頭に付くが。


「お2人とも、図書室で喧嘩はしないで下さいね?」


「喧嘩じゃねぇよ。一方的に俺がボコられてるだけだよ」


「なんだと?」


 語尾も伸ばさずに覚王山の胸ぐらを掴むミッチに向けて、それでは、と秋水は軽く一礼してからその場を後にする。

 見捨てるの早くねぇ!? と誰かの声が後ろから聞こえた気がするのだが、秋水は怒れる女性の説得なんてしたくはない。


「宿題……えっと、どれだっけ? あれ、私のプリントどこ行ったっけ?」


「いや知らないから」


「とりあえず数学が両方出てるから、それだけでも終わらせなきゃ……」


「うわーん、土日に宿題出すなよあのクソメガネー」


 それから5人程で集まっている女子の小集団の横を静かに通り過ぎる。

 紗綾音のいるグループだ。

 こちらも宿題の話である。まあまあ頑張ってくれ。


「っと、棟区くんや! また明日ね!」


 ワイワイと喋っているその集団を横切れば、帰る秋水に気がついた紗綾音が顔を上げ、然程遠くもないというのに大きな声で挨拶をかましてくる。

 明日、は、土曜日だが。

 秋水も反射的に挨拶を返そうとしてから、思わず首を傾げてしまう。


「紗綾音は明日学校来んの?」


「間違えました! また来週のお楽しみ!」


 その疑問を代弁するように、グループの中にいた沙夜が半眼でツッコミを入れれば、紗綾音は即座に訂正を入れた。

 相も変わらず脊髄反射で喋っているような子犬である。


「はい、また来週。お元気で」


「元気でーす!」


「それしかないでしょ紗綾音」


「ひどいっ!?」


「じゃーね棟区」


「はい、それでは」


 紗綾音に対してツッコミを重ねてから、沙夜は小さく手を振った。

 沙夜もこの1週間で随分と秋水に慣れた様子である。恐らく紗綾音に引っ張られているだけなのだろうけれど。

 軽く会釈をしてから、秋水は場を後に足を進めようとして。


「ば……ばいばい」


 5人のうち、残りの3人。その中の1人が、小さな声で言ってきた。

 えっと、外宮さん、だったか。3年生に進級したばかりだったとき、隣の席だったのを半泣きで嫌がっていた女子である。

 思わず振り返れば、その女子はさっと沙夜の後ろに隠れてしまう。

 無理して声を掛けてこなくても良いのに。そんなことを思いつつ、秋水はその女子に向けて片手を軽く上げて返事を1つ。


「はい、お疲れ様でした」


 う、と言葉に詰まったように漏れ出た声を耳にしつつ、簡単に礼をしてから改めて秋水は教室のドアへと足を進め、ドアをくぐってから静かにその扉を閉めた。

 締めたその瞬間に、「怖かった! 怖かったよー!」 という女子の悲鳴染みた声に、秋水は苦笑いを小さく浮かべるのであった。











 教室の、いやクラスメイトの雰囲気は、紗綾音達との昼食会を経てからゆるやかに変わりつつある。

 不思議なものだ。

 秋水は特に変わったことなど何もしていない。

 教室の隅で大人しく、静かにしている。それはまるで変わっていない、はずだ。

 ただ、日比野や覚王山、もしくはミカちゃんさんから声を掛けられるようになり、それに対して無難に返事をしているだけである。

 怖がられないように、気分を害さないように、面白味も何もない、実につまらない言葉しか返していない、はずだ。

 それでも、クラスメイトの雰囲気は変わった。

 日比野の言葉を借りるなら、随分と明るくなった。

 不思議なものである。

 だが、まあ、クラスメイト全員が秋水に怯え、縮こまってしまっているよりは、ずっと良いだろう。


「さて」


 校舎から一歩出て、秋水は頭を切り換えるように小さく深呼吸。

 学校から家に、と言うかダンジョンに帰って、一眠りして食事を摂ってから、いよいよダンジョンアタックの時間である。


 いいや、リセットボタンへの、チャレンジである。


 何が起こるか分からない。

 どうなってしまうかも分からない。

 リセット、という謎の文字と、残り1、という謎のカウント。それ以外に情報など何もない。

 押してしまえば、最悪、この世からおさらば、となる可能性だってある。秋水という存在自体のリセットだ。

 いや、以前は角ウサギ相手に何度か危うい場面があったことを思い返してみれば、今までだってこの世からおさらばしていた可能性は普通にあったか。

 ならば、大して変わらないか。

 死ねばさようなら、生きていればまた明日。

 いいね。

 分かり易い。

 ふっ、と小さく笑うと、秋水を避けるようにして大回りに迂回していた下級生がビクリと震えたのが横目に映る。

 クラスメイトの雰囲気は確かに変わってきているが、それはあくまでクラスメイトの、である。それ以外の反応は今までと大差ない。

 自分みたいなのが怪しく笑っていたらそりゃ怖いよな。

 それに、校舎の出入り口に自分が突っ立っているのもよろしくない。授業が終わり下校する他の生徒からすれば、ただただ迷惑に他ならないであろう。

 秋水は口元を片手で隠しつつ、足早に校門へと向かうことにした。

 リセットボタン。

 どんな結果になるのだろうか。不安であり、楽しみでもある。


「……ん?」


 早く帰ろうと校門に向けて足を進めた秋水ではあるが、すぐにその足を止めることとなる。

 校門辺りで、何人かの生徒がわらわらと集まっていたのだ。

 人集り、という程ではない。

 校門前で屯している、という感じもない。

 主に女子生徒だろうか。

 男子生徒は校門近くで群がる1集団を横目にしつつ、なんだあれ、みたいな顔で通り過ぎていく。

 何の集まりだろうか。

 若干遠くて良く分からないが、なにこの子、迷子? との声が聞こえた気がする。

 野良猫でも出てきたのだろうか。

 何かを撫でるようにしている女子生徒の姿もある。なんの病原菌を持っているか分かったものではない野生動物には、迂闊に触らない方が良い気がするのだが。野良猫とて立派な野生動物なのだし。

 経験上、あまり女子集団の近くを通りたくはないのだが、しかしながら校門を経ねば家には帰れない。

 困ったな、と思いつつ、秋水はその集団が早く散らないだろうかと少し待ち。




「あっ、いた! 秋水くん!!」




 と、その集団の中から、なんか聞き覚えがある声がした。

 と言うか、名前を呼ばれた。


「はいはい待ってた人が来たんで皆は散った散った。ちょ、撫でるな! 蹴るよ!?」


 その女子集団を掻き分けるようにひょこりと顔を出したのは、ああ、うん、間違いなく秋水の知り合いである。

 ぱっと見は小学生ぐらいにしか見えない少女、ではない、立派に大人な女性である。

 何でここに居るのだろう、とぽかんとした秋水に向かって、その知り合いは駆け出そうとしたところ、がしり、と女子生徒に肩を掴まれた。


「いやちょっとキミ、そっちは駄目だから!」


「ちょっとだけ待って! 危ないから、危ないから!」


「良い大人が中学生に子供扱いされてる方が、世間的にはよっぽど危ないんだよなぁ!?」


 急に引き留められた彼女は、若干キレ気味にツッコミを入れているのを見るに、随分と女子生徒達に構われてしまったご様子であった。

 なるほど、女子達が集まっていたのは、小学生ぐらいの子が居ると勘違いしたからだろうか。放っておけば良いものを、子供が居るのを心配したのかもしれない。

 まあ、その人、子供じゃないのだけど。

 秋水に近寄ろうとしたところをストップを掛けられて戸惑っている彼女へ、秋水は再び困ったなと思いつつ、そして女子生徒達には申し訳ないなと思いつつ、ゆっくりとそちらの方へと足を進めた。


「わっ、来ちゃった来ちゃった!?」


「キミはこっち、隠れて!」


「いや何で私取っ捕まえられてるの!?」


 中学生相手に庇われている成人女性の図。

 いや、図だけならば彼女は小学生に見えるのがややこしい。

 女子生徒達は恐らく、秋水を見て咄嗟に彼女を庇ったのだろう。

 たぶん悪気は全くなく、むしろ完全なる善意故の行動だ。

 デカい分厚い目つきが悪い、そんなゴロツキみたいな野郎がのっそのっそと歩いてきて、しかもそっちに向かって児童が走り出そうとかしているのだ。

 うん、そりゃ危ない。

 この女子達は勇気がある。


「知り合い! 私の知り合いってあの人だから! 棟区 秋水くん! ぬあーっ、発育良いね最近の子!?」


 そんな勇気ある女子生徒に庇われるように抱き寄せられて藻掻いている成人女性。

 その背丈は、せいぜいが140といったところ。

 セミロングの髪を覆うようなニット帽に、もこっとした、そして失礼ながら、もさっとした感じのベンチコート。

 トドメに童顔だ。

 うん、小学生だ。

 残念ながら小学生にしか見えない。

 事実とは世知辛いものだと思いつつ、彼女の方へと近づけば、ひぃっ、と庇い立てをしている女子生徒の短い悲鳴がする。

 なんか申し訳ない。




「……栗形さん、なにをしているのですか?」




「お久しぶりですけど助けて秋水くん! 私子供じゃないし迷子じゃないしお兄ちゃんもお姉ちゃんも待ってないって、この子達に説明して下さい!」




 彼女はリサイクルショップ、ではなく質屋 『栗形』 の店主、栗形 祈織。

 何故か校門前で女子中学生に拘束されている祈織が、ばたばたと秋水に向けて両手を伸ばしつつ助けを求めていた。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「あれ? どうしたのキミ、誰か待ってるの?」

「え? いえ、知り合いを待ってるだけで……」

「んー、お姉ちゃんとかお兄ちゃんとか?」

「や、ただの知り合いの他人と言うか……」

「あ、でもこの学校、凄い怖い人居るからあまり近づかない方が良いよ。見つかったら何されるか分かんないからね」

「うん、たぶん、その怖い人なんだよなぁ……」

「ほら、子供は帰って帰って。危ないところには近寄っちゃ駄目だよ」

「いや子供はキミらね!? 私は立派な成人だよ!?」

「よしよし、暴れない暴れない。待ってる人呼んできてあげようか? それとも先生呼ぼうか?」

「なんだこの子達!? お酒の味もしらにくせに酔っ払い並みにグイグイ来る!?」




 知らないことより怖いことはない。45話のサブタイトル。

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