95『魔素』

 ダンジョン内の空気が物理的な意味で、そして良い意味で変わったことを感じつつ、秋水は地下2階最初の部屋、チュートリアル的に角ウサギが1体でお出迎えをする部屋まで足を進めた。とことんゲーム的なダンジョンである。

 通路から部屋を覗けば、いつものように角ウサギは1体。

 これは変化なし。

 やはり、ただただ空気が美味しく綺麗になっただけなのだろうか。

 ダンジョンの摩訶不思議パワーに空気清浄能力が追加された、という理屈に頭の中で一票を投じつつ、秋水はヘルメットのバイザーを下ろし、リュックサックを地面へと置いた。

 明らかに空気の質が変化したことは確かに気になるが、ここからはそれに注意を向けている余裕はない。

 お待ちかね、殺し合いの時間である。

 しかも、本日は身体強化なしである。

 もしかしたら偶発的に発動してしまうかもしれないが、とりあえずは久々に身体強化なしでの角ウサギとのドツキ合いだ。

 テンション上がるぜ。

 ではない。

 ここからは慎重に、最初の頃を思い出し、舐めてかからず、落ち着いて。

 ぺろり、と秋水は唇を舐める。

 不思議なことに、口端が上がってしまってしょうがない。

 それに心臓もドキドキとしている。

 身体強化なしで角ウサギの前に出るのは久しぶりだからな、きっと恐怖と緊張を感じているのだろう。自分もまだまだじゃないか。明らかにワクワクした表情になっているサイコパスが何か見当違いなことを考えている。

 ドキドキしている心臓を確かめるように手を胸に当ててみるが、インナープロテクターに阻まれて鼓動は全く分からない。

 とりあえず、ダンジョンの空気がガラリと変わってしまったことは後でまた考えよう。後で考えたところで原因を思いつけない気がするが。

 気を引き締める。

 ゆっくりと息を吸う。

 良い空気だ。

 これはテンションが上がる。

 いやもう上がっていた。

 素早く、強く、息を吐き出す。

 そしてパールを2本引き抜いて、イメージする。

 まずは丁寧にカウンター。それからバールで殴る。とにかく殴る。死ぬまで殴り続ける。

 いいね。

 久々だ。


 一番最初の頃に確立していた、必勝法に近い戦法を思い出しつつ、秋水はゆっくりと角ウサギの待つ部屋に足を踏み入れた。


 先手は角ウサギ。

 それは確定事項みたいなものである。

 部屋へと侵入した秋水へとご自慢であろう槍の如き角を向け、体を沈ませ、全身の力を連動させて地面を蹴って、たったの1足で侵入者を刺し殺さんとばかりに突っ込んでくる。

 馬鹿の1つ覚えのような一撃。

 されど必殺まで昇華されている一撃。

 他の攻撃手段にリソースなど割く必要はないと言わんばかりの潔さ。

 何度も見た光景。

 いつもの角突きタックルだ。

 だが。


「速っ!?」


 分かっていたが、とにかく速い。

 弾丸の如き速度で突っ込んでくる角ウサギの角突きタックルは、地面を蹴った次の瞬間にはすでに秋水の間近まで迫ってきていたバグみたいな速度である。

 身体強化なし。

 いつもは強化された動体視力やら思考速度やらで、はっきりと目視出来ていた角突きタックルではあるのだが、身体強化なしだとこうも速いものだったか。

 そんな感想を抱かせる暇も与えず、角ウサギ最速の一撃は秋水へと襲い掛かった。


「ぬんっ!」


 が、そんなことは百も承知。

 身体強化で慣れていた角突きタックルが、身体強化なしでは凶悪な一撃に返り咲くことくらいは最初から分かっていたことである。

 そのためのバール。

 そのためのカウンター。


 腹を狙った角突きタックルに対して、秋水は冷静にバールでカウンターを打ち込んだ。


 槍のような角に対して、同じくバールを槍のように突き出して。

 何処を狙われても対処出来るように、そして弾丸の如き速度で突っ込んでくる衝撃に備えるように、体勢を低くして待ち構え。

 そして、角突きタックルで向こうから突っ込んでくる運動エネルギーをそのまま利用し、突き出して構えたバールをカウンターを打ち込むのだ。

 そうそう、この感じ。

 このカウンターのやり方。

 この緊張感。

 久しぶりじゃねぇかよ。

 秋水の背丈の半分程もある巨大なウサギという質量を真っ正面から受け止めた衝撃に耐えながら、秋水は獰猛な笑みを浮かべていた。


「いいね! 懐かしくフルボッコタイムだ!」


 突っ込んできた角ウサギの凶器を避けるようにしてその頭にバールの先端を叩き込み、弾き飛ばされた角ウサギへと向かって地面を蹴った。

 最近はバールの切っ先が突き刺さるようになってしまったので、弾き飛ばしてから追い打ちを仕掛けるコンボも久しぶり。

 地面を転がった角ウサギ。

 バールを振りかぶって、追いついて、振り下ろす。

 生々しい肉の感触が手応えとして返ってきた。


「お前、肉ないだろ!」


 ツッコミを入れながら、3撃目も叩き込む。

 おっと、いけない。

 興奮のせいか大振りの1撃になってしまった。

 もっとコンパクトに。

 4発目を振るう。

 ボコ、となんとも微妙な手応えだ。


「うーん難しい! 難しいなぁおい!」


 隙を少なくしようとスイングの半径を小さくすると、当たり前だが威力が落ちる。

 軽くなった攻撃のタイミングを見逃すまいと、その強靱な後ろ足で跳ね起きようとした角ウサギの土手っ腹へ、安全靴の爪先に仕込まれている鉄板を叩きつけるようにして蹴り上げる。

 1撃が軽いと逃げられる。

 大振りにして1撃を重くすれば隙が大きい。

 これは難しいじゃないか。

 バールを振り上げながら、秋水は獰猛な笑みを深めていた。

 難しい。

 つまり、やりがいがある、とも言う。


「しばらく練習相手よろしくだ! んで次は!」


 コンパクトさは横に置いたフルスイングで角ウサギを真上からぶっ叩き、再び地面に張り付けてから次の1撃の準備。

 バールは振り上げない。

 後ろに引いた。

 引きながら、そのバールを軽く投げ、掴み直す。

 握り位置を変更だ。

 L字の曲がっているその部分。


「突きの方が隙は少ないよなあ!!」


 握り直したバールの先端を、角ウサギへと思いっきり突き出した。

 いつもの手応え。

 毛皮と肉に阻まれて刺さりはしないが、突きの一撃だ。

 1撃をコンパクトにするならば、突きは有効だろう。振り回す遠心力がなくなるので打撃力は下がるものの、最速かつ最短距離で攻撃が届く。

 反対のバールも同じように握り位置を変更し、切っ先を構えて後ろへ引く。

 突き刺すのは押し込む動作。

 つまりプッシュ動作。

 つまり大胸筋。


「おらぁっ!」


 真上から、ぶち込む。

 先端が、少しだけ角ウサギの体にめり込んだ。


「おっと」


 中途半端に刺さったバールを慌てて引き抜くと、角ウサギの巨体が一瞬だけ浮き上がり、バールがめり込んだ傷口から、ぶわり、と光の粒子が噴き出した。

 ついでに角ウサギの口からも光の粒子が噴き出す。

 光の吐瀉物、もとい、死亡演出である。


「よしっ!」


 勢い余って突きをもう1撃打ち込んでから、見慣れた死亡演出に秋水は小さくガッツポーズ。

 完勝だ。

 最初の角突きタックルにカウンターを入れる瞬間まではヒヤヒヤものではあるのが、それを綺麗に決められさえすれば、後は一方的にボコボコにする。

 角突きタックルはとにかく速い。

 たった1蹴りでこちらに向かって突撃してくる角ウサギのその速度は、野良犬などとは比べものにもならず、身体強化による動体視力の補強なしではぎりぎり認識出来るかどうか、というレベルである。少なくとも、もっと距離が近ければ反応すら出来ないであろう。

 角ウサギとの戦いは、とにかく最初の1撃で全てが決まる。

 そうそう、こんな感じだ。

 最初の頃はこんな感じだった。何故だかすでに懐かしく感じる。

 死亡演出が始まった角ウサギを蹴り転がしてから、秋水は一息つきながらバールを作業ベルトへと差し込んだ。


「身体強化なしでも、結構良い感じだったんじゃないか?」


 自分自身を褒めながら、うんうんと軽く頷く。

 最初の頃、同じく身体強化を使えなかったときと比べても、かなりスムーズに処理出来た、ような気がする。カウンターからぶん殴るまでも淀みなく行えたし、連撃だってかなり素早く行えた。

 良い感じじゃないか、と自画自賛をしながらも、秋水は左手のライディンググローブを外す。


「……さて」


 気を取り直す。

 直したところで、その気は進みやしないのだが。


「回収しますかね……」


 素手となった左手でジェットヘルメットのフェイスシールドを跳ね上げ、小さくため息を1つ。秋水の表情は一転してげんなりとしたものになっていた。

 身体強化なしでも角ウサギはしっかり殺せる。良かった良かった。それは嬉しい。

 しかし、戦い終わった後のことは、正直あんまり嬉しくない。


 光の粒子の、吸収作業である。


 角ウサギが死亡演出で噴き出している、その良く分からない光の粒子は、これもまた良く分からないが素肌のところから吸収することが出来るのだ。

 吸収すると、なんとなく身体強化の強化倍率が伸びやすくなる、ような気がしなくもない、というレベル程度にしか実感出来る効果はない。正直なところ大して変わらないなとは思いつつも、貰えるものは貰っておこうか精神で角ウサギをぶっ殺した後になるべく回収することにはしている。

 している、のだが。

 正直に言おう。

 ぶっちゃけ気持ち悪いのだ。

 いや、気持ち悪い、というのはちょっと違うか。

 体の中がゾワゾワするような、しないような。気持ちが悪いような、悪くないような。そもそも感覚があるような、ないような。

 存在しない3本目の腕を思いっきりマッサージされているような、そうじゃないような。

 言葉で表現するのが非常に難しい、なんとも嫌な感じがするのである。

 なので、ちょっと嫌なのだ。

 吸収してなにか大した変化はあまりなく、吸収するときの感覚も変な感じなので、吸収作業はしたりしなかったりである。気が向いたら吸収するくらいで、無視していることの方が割合としては多いかもしれない。


「やるかー」


 この吸収する感覚にも早く慣れないものかな、と思いつつ、秋水は角ウサギの傍にしゃがみ込み、光の粒子を噴き出し続けている角ウサギの口元へそっと左手を差し出した。

 秋水の肌に、光の粒子が触れる。




 ぞわり、と。




 全身の鳥肌が一斉起立。




「っ!?」


 咄嗟に秋水は左手を跳ね上げる。


「ぬあ? は、え? な?」


 声は後から追ってきた。

 ただ、驚きのあまり意味は成していない。

 驚き。

 そうだ、驚いているのだ。

 声からさらに一歩遅れ、秋水は自分がびっくりしたのだと思い至る。


「は?」


 秋水の心臓が今更ながら、どっ、どっ、どっ、と早鐘を打っていた。

 跳ね上げた左手をゆっくりと下ろして、手の平を見る。

 なんともない。

 別に怪我もしてない。火傷もしてない。爛れてもいない。

 いつもの、自分の手である。

 いや、ボスウサギに左腕を吹き飛ばされ、ポーションのえげつない効果によって新しくなった左腕であるので、自分の手、と表現して良いかは迷うところであるが、とにもかくにも、いつもの手の平だ。

 デカい。

 ゴツゴツしている。

 分厚い。

 硬い。

 問題ない。

 秋水は確かめるように、ぎゅっ、と左手を握り締める。


「……なんだ、今の?」


 筋トレで1セット終わったかのように荒ぶっている心臓を宥めるように深呼吸をしてから、秋水は角ウサギの方を見た。

 光の粒子を吐き出している、絶賛死亡演出中の角ウサギ。

 しかしそろそろ時間切れなのだろう、ゆっくりとその遺体が透けてきている。

 そろそろ消える。

 時間がない。


 主に、考える時間と、迷っている時間が。


「……ええい! なんかヤバけりゃ頼むぜポーション!」


 自分自身に何が起きたのかも良く分かっていないのだが、いや分かっていないからこそなのであるが。

 秋水は自身に起きたことをもう一度試すため、消えかけている角ウサギの、その噴き出している光の粒子へと慌てて手を差し伸べた。




 今までとは、感覚がまるで異なる。




 気持ち悪く、ない。

 いや、感覚と言うか、気持ちと言うか、それらとは微妙に違うのでのだが、悪くないのだ。

 悪くない。

 以前まで光の粒子を吸収するのは、快か不快かで問われれば、それは間違いなく、不快、であった。

 だがどうだ。

 今はどうだ。

 光の粒子に触れてみて。

 光の粒子を吸収して。




 気持ちが、良い。




 はっきりと言える。

 気持ちが良いのだ。

 そう、気持ちが、良い。


 感覚として、はっきりと、認識が出来ている。


 自分の体の中なのに、何処か良く分からない意味不明な場所が何とも言えぬ何かをされているようないないような、なんて感覚なのかどうかすら表現のしようもない不快さ、なんて状態はない。

 間違いなく、今、秋水は感覚としてはっきりと気持ちが良いと認識出来ている。

 その感覚は、秋水の体の中からきている。

 だからこそ、直感で分かるのだ。




「これ、魔力のエサだ……」




 ぽつりと呟いて、腑に落ちる。

 そうだ、魔力だ。

 この光の粒子は、秋水の中にある魔力に近い。

 光の粒子を吸収することによって、秋水の中にある魔力が反応しているのだ。

 なんと言えば良いのだろうか。

 これはストレッチをしているような、そんな気持ちよさである。

 凝り固まった体をぐいっと伸ばす、あのストレッチだ。

 もしくはマッサージを受けているかのような気持ちよさ、と表現しても良いかもしれない。

 ほぐされている感覚だ。

 そんな感覚を、魔力が訴えているのである。

 魔力が整体を受けてやがる。

 今まで生きてきて一度も感じたことのない、魔力からの感覚、なんてものに思わず驚いてしまったのだが、なるほどなるほど、これは何とも気持ちが良い。ストレッチなりマッサージなり、光の粒子が秋水の魔力をもみほぐしてくれているみたいだ。


 そして、光の粒子は、魔力に吸収されているのが、分かる。


 本当に吸収しているのだ。

 魔力が、光の粒子を吸収しているのだ。


 これはまさしく、魔力のエサ、だ。


 そうか。

 今までただただ不快だったのは、魔力のことを何だか良く分からない 『奇妙な力』 のエネルギーだとうすらぼんやりとしか理解していなかったからだろうか。

 理解出来ていない、認識出来ていない、そんな力を刺激され、良く分からないものだから脳がバグを引き起こしていたのかもしれない。

 なるほど。

 なるほど、なるほど。

 そんなことを考えていると、気持ち良かった光の粒子を吸収する感覚が、ふと途絶える。

 角ウサギが、消滅したからだ。

 吸収する光がなくなっただけである。


「……ああ、あれは、えっと、何て言ってたかな」


 角ウサギが消えてしまっても秋水は座り込んだその姿勢のまま、光の粒子を吸収していた左手だけを再び、きゅっ、と握り締める。

 光の粒子。

 魔力のエサ。

 ええと、なんだったか。

 確か、そうだ、紗綾音が何か言っていたじゃないか。


『まあ、あれだよ、世界には魔力の素みたいな魔素っていうのがふよふよしてて、それを吸収して魔力っていうのができて、その魔力で火を出したり水を動かしたり傷を癒したりする摩訶不思議超常現象が魔法、って感じかな?』


 間違いなく、魔力は光の粒子を吸収していた。

 となると、あれは魔力の素。

 なるほど。




 これからは、光の粒子のことを、魔素、と呼べば良いのか。




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 魔法。

 魔力。

 魔素。


 なんだかファンタジー感が爆上がりですね!(`・ω・´)

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