92『供え物』
ダンジョンにただいま。
同時に、布団へと倒れ込む。
買い出しに行ったコンビニで盛大なる失敗をぶちかましてしまった秋水は、しっかり凹んでしまっていた。
コンビニにご来店してきた犬を蹴り飛ばし、商品というかクジの景品をなぎ倒してしまい、その景品の幾つかに傷を付けてしまったのである。正確にはパッケージに、だが。
中身が割れた破れた潰れた壊れた、そういうのじゃないだけ一安心ではあるものの、商品価値を下げてしまったことには変わりがない。
とんだ迷惑をかけてしまった。
大丈夫です大丈夫です、と渡巻さんは連呼してくれたものの、言い方が悪いが彼女はただのアルバイトであり、彼女の言う大丈夫は基本的に責任と根拠がない。そして損害出している以上は大丈夫なはずが無い。
はあぁ、と秋水は大きな溜息を1つ。
「ぬああー、これから行きづれぇ……」
これが本当の敷居が高いというやつか。誤用されやすい日本語の代表例だ。
秋水はそのまましばらく布団の上を無意味にゴロゴロする。
「……よし、米炊いて風呂入って飯にするか」
切り替えは非常に早かった。
唐突に秋水はむくりと起き出し、コートを脱いでハンガーへと掛けた。いけないけない、しわくちゃになってしまう。
つい数秒前まですっかりしょぼくれていたとは思えない程にテキパキと身支度を調えて、秋水はセーフエリアの梯子をするすると上って庭のテントへ頭を出した。
いつまでも凹んではいられない。買い物袋を玄関に投げ捨てたままなのである。いくら今が冬場とは言え、要冷蔵の食材を出しっ放しにするわけにはいかない。
テントから庭へ出る。
雪が降っていた。
すっかり暗い夜空から、ちらりほらりと白いもの。白く光って見えるのは、街灯からの光の反射。
秋水の家は、相も変わらず、真っ暗がりだ。
「そりゃ玄関の明かりも付けてないしな」
庭の窓をガラリと開けて、暗い家へと足を踏み入れる。
寒い。
暖房もつけていないのだ、当たり前である。
常に明るく、常に快適な室温と湿度を維持しているダンジョンの謎空間から出てきたばかりなので、余計に寒く感じてしまう。
それ以外の理由も込みで。
「えーっと、買い物行く前にスイッチ入れときゃ良かったな……」
キッチンの明かりをつけて、炊飯器の空釜を見る。買い物に行く前に発芽玄米を炊き始めておくべきであった。
なんと段取りが悪い、と自分で呆れつつ、秋水は釜に発芽玄米を入れ、雑穀米を追加し、水を入れ、炊飯器のスイッチを入れる。慣れたものだ。1人前を量るのも。
そして暗い廊下を歩き、玄関に投げ入れていた買い物袋を回収し、ついでに風呂のお湯も溜め始める。
キッチンに戻る途中、両親の部屋の、いや、両親の元部屋をちらりと見てから、見ただけで、キッチンに戻って買い物袋の中身を仕分ける。
「これは冷蔵庫……こいつは常温で良いのか。こっちはすぐ食うから出しといて、んで」
仕分けた後、冷蔵庫に幾つかの商品を詰め込んで、それから流し台に出していたものの中から、ひょいと1品掴み取る。
レンジで簡単回鍋肉。
本日のメインディッシュだ。
こいつでいいか、と呟いて、秋水は廊下へ戻る。
風呂ではない。流石にお湯がまだ溜まっていない。
元より狭い家である。目的地など歩けば数歩。
扉を開けっ放しにしている、両親の元部屋である。
両親の元部屋で、今は簡易的な仏壇を置いた、ただの物置部屋だ。
仏壇と言っても、本当に簡単なものである。
ローテーブルに、遺骨の入った小さな箱と、写真を並べた。仏壇と言って良いのかどうかも迷うほどにシンプルなものである。
遺品整理も、ぼちぼちせねば。
母が使っていた姿見しか片付けていないじゃないか。いやあれはセーフエリアに持ち込んだだけなのだが。
秋水はそのローテーブルに、本日のメインディッシュたる回鍋肉の袋をがさりと置いた。
「…………」
写真に写っている3人の顔を、無言でそれぞれ見る。
一言も発さず。
手も合わさず。
明かりもつけず。
無言で写真を見下ろしてから、くるりと踵を返した。
家の中は寒い。
ダイニングだけでも暖房をつけておかなくては。
そして秋水は、振り返ることもなく、物置部屋から立ち去った。
スクワットをして腕立て伏せをして懸垂をして、風呂が沸いた。
なんで急に運動をしているのかと言えば、暇だったからである。それに入浴前の軽い筋トレは血行や代謝を促進させるので、筋肉の疲労回復や老廃物の排出促進が期待出来るのだ。ポーションで全部解決出来るのだけれど。
風呂に入ってさっぱりしたら丁度米が炊けるところであったので、無言で回鍋肉を回収してレンジに突っ込む。他のおかずも用意して、炊けた発芽玄米を盛り付けて、それらの食事を黙々と腹へと詰め込む。
独りで食う飯だ、作業みたいなものである。
一息ついてから、食器を洗って歯も磨く。
そして暖房を切り、明かりも消す。
この家はすっかり、風呂と飯のための、家になっている。
セーフエリアに戻ってきた秋水は、さて、と畳に敷いていた座布団へと腰を下ろした。
お待ちかねの時間である。
いや、別にダンジョンアタックに行くというわけではない。行きたいけれども。
残念ながら、本日のダンジョンアタックは中止だろう。残念だ。
本日の予定は楽しいお勉強である。
なにせ秋水は中学生。
しかも今は1月も後半だ。中学生最後の学年末試験に高校の学力試験も控えているのだ。
お勉強は大事である。生徒の本分は勉強だ。
と言うわけでスマホを取り出す。
「えーっと、まずは覚王山さんのから順番に見るか」
まあ、ボクシングの勉強なのだが。
間違えた、ボクササイズの勉強である。
あとは買ってきた空手の本も読みたい。
勉強という点に間違いはないだろう。学校の勉強は学校ですれば良い。
誰に言うでもなく言い訳を心の中で浮かべつつ、秋水はスマホの画面を開く。
「……あ?」
思わず厳つい声が出た。
トークアプリに未読のメッセージという通知が来ている。
日比野からだろうか。そう思ってトークアプリをタップして。
「あ?」
厳つい声、テイク2。
スマホで表示されているトークアプリの未読メッセージは、合計12件。
そのうち11件は同一人物である。
しかも、連絡先を交換したこともない相手からである。
え、怖。
何が怖いって、その人物の名前である。
『渡巻 紗綾音』
見覚えのある顔がドヤ顔でピースしている自撮り写真がアイコンである。
小さいアイコンであるにも関わらず、ちゃんと可愛いと一目で認識出来るあたり、これは計算して撮影した写真だろう。
そして最終未読メッセージの見出し部分は 『見てないみたいだけど明日からもヨロシクネ!』 であった。
もはや不安。
不安、かつ恐怖。
なんでこいつからメッセージ届いてんの、と秋水は暫し固まってから、現実からも視線を逸らすようにして、そのチワワの名前の下に表示されているもう1件の未読メッセージの見出しを確認した。
鶴舞 美々。
紗綾音からミッチと呼ばれている女子生徒である。秋水も何故かミッチで覚えてしまった。日比野の下の名前が道なので、微妙に被ってしまう。
ミッチは今日の昼食時にメッセージを貰っている。
なので、彼女からメッセージが届くのは、まあ、分かる。
いや待て。
よく考えたら、ミッチにもトークアプリの連絡先教えてないのにメッセージ送られてきていた。それに対して覚王山が恐怖していたのだが、なるほど、たった今その恐怖を体験させてもらった。確かにこれは怖い。
ミッチからの未読メッセージの見出しはシンプルで 『ごめん、子犬のお願い攻撃に折れた。許して』 であった。
理解した。
彼女から連絡先が漏れたようである。
ふー、と秋水は軽く深呼吸をした後、ミッチのメッセージを開いて 『かしこまりました』 とだけ送信しておいた。
さて問題は紗綾音の方だ。
「……無視するか」
ほんの少しだけ考えた後、秋水はしれっと紗綾音からのメッセージを無視することにして、昼飯のときに覚王山から貰ったメッセージを開いた。そしてそこにあるURLをタップする。
ボクササイズの入門動画だ。
日比野から教えて貰ったところの動画だろうか。まあ、それは見ていけば分かることだろう。
軽快な音楽と共にオープニングであろう画像が流れる。
さてさてどんな内容なのか。
まずはさっと見るために、とりあえず再生速度を2.0倍まで上げて。
と、通知が来た。
紗綾音からのメッセージが届きました、という無慈悲にまさかの通知が来た。
「……なんで?」
何故今このタイミングで通知が来たのだろうか。
たまたまかもしれない。
ふぅ、と再び深呼吸。
よし、無視だ。
友達登録もしていないところからの、きっと詐欺メッセージであろう。きっと開いたら架空請求とかウイルス感染させるなんかに繋げられたりするとか、そんな悪質ななにかであるに違いない。よし。
秋水は若干渋い顔をして動画を見進めることにした。
動画では2倍速ならではの早口で挨拶を始める、引き締まった身体のイケメンお兄さんが映っている。トレーニング用の半袖ではあるのだが、その半袖から見えている腕を見るだけでも、この人かなり真面目に鍛えてる、というのが一目で分かるお兄さんである。
首と手首と足首は、筋トレの実直さが滲み出る。
これは期待出来るなと、秋水はまじまじとスマホの画面を覗き込み。
電話の着信である。
トークアプリを経由した通話機能だ。
動画の再生をぶった切り、初期設定の無機質な電子音を垂れ流すスマホを、秋水は無の表情で眺めた。
そして、ゆっくりと着信を切る。
「……さてと」
何事もなかったかのように、秋水は中断されてしまった動画の再生ボタンをタップする。
軽快な音楽が流れる。
オープニングの曲かなにかかと思ったが、どうやら違うらしい。動画のお兄さんは、今日は初心者の方にお勧めなトレーニング動作です、とか言っているし、なんなら早速、やってみましょう、とか言い出している。
おっと、これは入門用の説明動画じゃない。
まさかのトレーニング動画だ。しかも基礎の動きとか言っている。なるほど、入門用で間違いないが、想像していたのと違っていきなり実践動画とか。
ほんわかした印象であった日比野、意外と脳筋なのかもしれない。
まあ、正直に言えば、こちらの方が秋水の性には合っている。動いて体で覚えていく。アリだと思う。
動画の再生速度を通常に戻してから、秋水は立ち上がってスマホを目の高さくらいに置ける丁度良いところを探す。
で、電話の着信が鳴った。
「…………」
再び無の表情。
これは、動画の邪魔だな。
秋水はスマホの画面へと視線を戻してから、ゆっくりと画面をタップする。
「……もしも」
『うおーい! なんで通話拒否ったのかな棟区くん!? 楽しくお喋りしよーぜー!』
「しただいまこの電話番号話使われておりません、ピーという発信音の後」
『遠回しの名を借りた直接的な拒否だよねぇ!?』
仕方がなく通話に出てみれば、スピーカーからはとても元気な少女の声。もうヤだ。
はぁぁ、と深呼吸ではなく溜息を1つ。
「こんばんは、渡巻さん」
『何かな今のクソデカため息!? そしてこんばんわなんだよ棟区くん、今日も月が素敵な良い夜なんだぜっ!』
「雪降ってますよ」
『え、うっそ、いやホントだ雪だ雪だ! 犬が喜んで庭を駆けずり回る素敵な夜にこんばんわだよ棟区くん!』
「ダメですよ渡巻さん、風邪をひきますから家の中に戻って下さい」
『私が庭をきゃんきゃん言って駆けずり回ってるわけじゃないんだけどねぇ!?』
「ところで渡巻さんは風邪に罹ったことはあるのですか?」
『おっと、馬鹿にしてるのかな棟区くん、いや違うそれって馬鹿だから風邪ひいたことないだろお前って意味だよねぇ!?』
「良く分かりましたね、偉いですよ渡巻さん」
『今度こそ馬鹿にしてるのかな棟区くん!?』
通話相手は渡巻 紗綾音。
どうやら、ここから紗綾音の相手、延長戦の開幕のようである。
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秋水くんにとって重要なのは、ダンジョンがある庭なのであって、家の方はもうすでに……
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