90『一匹様ご来店。帰れ』
「こばんは、棟区さん!」
にへっ、と笑顔を向けてきた小柄なコンビニ店員、渡巻さんのその愛想の良さに、思わず秋水は言葉に詰まってしまった。
なんと言えば良いのだろうか、今までの営業スマイルとは、なにかが違う笑顔であった。
それに、秋水の姿を見たとき、一瞬驚く、という工程が全く挟まっていなかった。整理かなにかをしていた商品棚の方から秋水へと顔を向け、全くのシームレスで笑顔になったのだ。
驚かれなかった。
それを逆に驚いてしまった。
「……お邪魔致します、渡巻さん」
その驚きを悟られないよう、すぐに挨拶を返してみたものの、なんだか変な感じになってしまった。お邪魔しますじゃないだろ。
自分自身が初見で他者から受け入れられる人相ではないことを身に染みて自覚している秋水は、出会った瞬間に、うわっ、みたいに驚かれることがほとんどである。しかも突然、ばったりと急に出会ったのであればなおさらだ。
そりゃ、心構えなくこんな怖い面と鉢合わせたら、顔見知りであろうと普通は驚くよな。
そんな諦めが混じっている秋水からすれば、それが普通なのである。
その普通が適用されず、いきなり顔を合わせても驚かない人物と言えば、今ではもう、叔母の鎬ぐらいなものである。
いや、今は紗綾音がいるか。
よく考えてみれば、本当になんなんだあのチワワ。
同じくらい顔を合わせざるを得ない沙夜の方は、未だに顔を合わせた瞬間や話しかけた瞬間、びくっ、としているのに。
そして、こちらの渡巻さんも、紗綾音と同じく秋水の姿を見て全く驚いた様子がなかった。
この前コンビニで出会ったときは、秋水の姿を見たときは普通に一瞬驚いていたはずである。
いや、一昨日ホームセンターで遭遇したときは、随分と戸惑った様子ではあったが、あれはコンビニの外で出会ってしまったのにプラスして、小学生女子だと思って避けて通ろうと変な動きをしていた秋水に戸惑っていただけだ。
と、そこで秋水は一昨日のホームセンターでの出来事をついでのように思い出した。
「ああ、先日はどうも、ありがとうございました。おかげで大変助かりました」
思い出し、即座に深々と頭を下げる。
何故か店内がざわりとした。
コンビニには8名程の先客がおり、遠巻きにこちらの様子を窺っていたのである。
いや、別に渡巻さんにヤクザが絡んでいるわけではないので安心して欲しい。そう言ったところで説得力がないのだろうが。
頭を下げているのは、ホームセンターにて知恵を貸して貰った件である。
「いえ、助けになれたら幸いです」
「大助かりです。いや、あのグリップテープというのは素晴らしいですね、握った感触が段違いでしたよ」
「えへ……良かったです。工具の使い勝手は、手に馴染むかどうかで決まりますから」
「全くその通りですね。滑る滑らないであそこまで使い易くなるとは正直思っていませんでした」
にへにへと笑顔を浮かべている渡巻さんは、随分と機嫌が良さそうである。今日は何か良いことがあったのだろうか。まあ、機嫌が良いのは良いことである。
しかし実際、一昨日に彼女に出会えたのは非常に幸運であったと秋水は思っている。渡巻さんからすれば、休みの日にこんな奴と遭遇したのは不運であっただろうけれど。
どうにも振り回したときに手から滑る感じがして使い難かった巨大バールが、渡巻さんのアドバイスによっていとも簡単に解決した。さらには角ウサギによってわりとあっさり引き千切られていたカラス避けネットも、かなり頑丈なゴムネットへと切り替えたのも、渡巻さんのアイディアである。
彼女と会わなければ、秋水は未だにボス部屋に殴り込むことが出来ていなかったであろう。
ダンジョンの地下2階、その攻略に陰ながら大きく貢献したと言っても過言ではない。
これはもう、感謝しかないのだ。
「渡巻さんは工具を自分用にカスタマイズされていらっしゃるのですか?」
「そうですね。どうしても私自身の体が小さいものでして、改造なしだと手に馴染む道具が限られちゃいまして」
「それは素晴らしいですね。私はそもそも工具をカスタムするという発想自体がありませんでした」
「あ、いえいえ、工具自体を改造するのはかなりの少数派ですから。ただ、そうですね、駅の方に業者向けの工具店があるんですけれど、そちらのお店ですと工具の改造用品なんかも取り揃えてありますから……」
「あ、あのー……」
またスイッチが入ったかのように渡巻さんが喋り始めようとしたとき、レジの方から遠慮がちに男性の声がした。
会計待ちの客である。
おっと、仕事の邪魔をしてしまったか。
渡巻さんも気がついたようで、喋り掛けていた言葉をはたと止め、やっちゃった、とでも言うように顔がほんのりと赤くなる。
「は、はい、ただいま! ごめんなさい棟区さん、つい喋っちゃって」
「いえ、引き留めてしまって申し訳ありません。レジの方へどうぞ」
今度は渡巻さんの方がぺこぺこと頭を下げ、慌てて小走りでレジの方へと向かっていった。
その後ろ姿を見送ってから、ふむ、と秋水は小さく鼻を鳴らした
秋水に対して怯えなくなるのも随分と早かったし、今日に至っては非常に親しげに会話をしてくれた。
彼女は適応能力がかなり高いというか、小動物みたいな印象とは裏腹に結構肝が据わっているタイプなのかもしれない。もしくは、怖い人相の人になれているのか。いやまさか。
今日は機嫌が良かったのかな、と思いつつ、秋水はカゴを手に取る。
時間が夕食近くだからだろうか、もしくは仕事終わりの時間だからだろうか、今日のコンビニはちらほらと他の客がいる。都会とは胸を張って言えないくらいの地域にあるコンビニとしては、なかなかの繁盛具合と言えるぐらいだろうか。とは言えど、秋水が近づけばそそくさと離れ、なんなら1人は逃げるようにコンビニから出て行ってしまった。なんか申し訳ない。
気を取り直し、とりあえず秋水は目当てのモノを探し始める。
暖めればすぐに食べられるような、ごはんのおかずになるものシリーズだ。
意外と酒の肴もおかずになるのでチェックである。いや、ごはんのおかずが酒の肴になっているだけだろうか。
あまり見ていなかったが、冷凍食品も良い感じのが色々とあるではないか。電子レンジにぶち込めば、数分待てば立派なおかずの出来上がり。しかも保存期限が長い。随分便利だ。
冷凍棚をチェックして、買い溜めしようかなと一瞬考えるも、一気に買うならスーパーとかの方がお得か、とすぐに思い直す。
コンビニは割高。消費者は資本主義のカモなのよ。鎬が囁いてくる幻聴がする。
うるせえ、便利もサービスもコストが掛かってるんだよ。
下らないことを色々考えつつ、冷凍コーナーをスルーして、秋水は冷蔵コーナーの方から持っているカゴに幾つかの商品を入れていく。熱湯か電子レンジで温めたら回鍋肉が出来るとかなんとか、青椒肉絲も追加しよう。
朝方、沙夜から見せられた大盛り中華料理の写真が頭をちらついて、ついつい選ぶ商品が中華寄りになってしまったのは認める。
そしてプロテインドリンクのコーナー。
別に買うつもりはない。
ただ、チョコレート風味のプロテインドリンクに、バレンタインデーのポップが変わらずついているのを見て、くすりと笑ってしてしまう。
それから夜食用におにぎりなども買っておく。朝食は発芽玄米を炊けば良いだろう。
あまり長居をするつもりもないので、大して考えることなく直感でぽいぽいと商品をカゴに入れ、気付けばカゴの中はそれなりの量になってしまった。
これがパーキンソンの第2法則。
コンビニのカゴが微妙な大きさな理由である。
客に色々買わせようとするテクニックよ。鎬が囁いてくる幻聴がする。
「こんなもんか……」
これで会計してしまおう。
そう思って秋水はレジの方へとぱっと顔を向けると、丁度渡巻さんがレジから出てくるところであった。しまった微妙にタイミングが悪くなってしまった。
ああ、そう言えば何かの作業中だったな。
それを思い出していると、レジから出てきた渡巻さんが秋水の様子に気がついた。
「あ、お会計ですか?」
嫌な顔1つせず、にこりと明るく笑ってくれる。善い人だ。
秋水は、そうですね、と返事をしかけ、言葉を飲み込む。
「ああ、いえすみません、買い忘れが」
夕食、夜食、朝食のものを深く考えずに色々と入れたのだが、入れ忘れているものに気がついた秋水はすぐに謝罪を口にする。気を利かせてくれたところに申し訳ない。
いつもの調子でメニューを組み立てていたのだが、そうであった、今は絶賛増量期間なのだ。脂肪を増やさねばならないのである。
追加でカロリーを取らねば。
「いえ、大丈夫ですよ。またお声がけ下さいね」
フェイントのようなことをかましてしまった秋水に、渡巻さんは変わらず明るい笑みで返してくれた。めっちゃ出来た人だ。
それから秋水は食品コーナーのところへ戻り、なにかカロリーが高くて手軽に追加出来そうなものはないかを探し始める。
いや、カロリーが高いだけならば候補はいくらでもあるだろう。
しかし、食べるからには、そしてそれが血となり肉となるからには、悪いものは遠慮したい。具体的には塩分や嫌な油は控えたい。栄養素にはほんのりと拘っている秋水である。
甘すぎるのは得意じゃないしなぁ。菓子パンは論外だしなぁ。
うーん、と悩んだ後、秋水は果物のジュースを手に取った。秋水の中で増量の鉄板は、果物の100%ジュースである。
後は米を多くして調整、となると、おかずが足りるだろうか。もう少し買っておくか。
結局、カゴはいっぱいになった。パーキンソンの第2法則、あんたは正しいよ。
それから秋水は改めてレジへと向かう。
渡巻さんは秋水が来店してきたときと同じく、レジ前の棚の商品を整理かなにかをしているところであった。
「申し訳ありません、会計をよろしくお願いします」
「はい! かしこまりま」
驚かせないように注意しながら秋水が声を掛ければ、ぱっと顔を上げた渡巻さんがにこやかに対応してくれる。本当に今日は機嫌が良さそうである。
しかし、その返事の途中、コンビニの自動ドアが開く音が聞こえた。
新しい客だろう。
それ自体は不思議なことではない。ここはコンビニなのだ。
本日上機嫌の渡巻さんは、新しい来客が来たのを察してドアの方へと顔を向けた。
「いらっしゃいませ!」
と、明るい声。
しかし、そこに人影はなかった。
自動ドアは開いた。
だが人はいない。
いや、別に心霊現象ではない。
人ではないが、別の来客者である。
野良犬だ。
反射的に秋水は渡巻さんの方へと右腕を伸ばし、自分の方へと抱き寄せて、庇うように即座に自身の後ろへと下がらせた。
「え? わっ、きゃ!?」
いきなり引き寄せられた渡巻さんは目を白黒させながらも、その体格差も相まって全く抵抗する暇もなかった。
しかも抱き寄せられたときに咄嗟にバランスをとろうとして、秋水の腕にしがみついてしまったので、まるで秋水の後ろに隠れるような格好になってしまった。
その渡巻さんには目もくれず、秋水は来店してきた野良犬を見て、やべぇ、と感じていた。直感である。
グルゥゥ、と野良犬は低い唸り声を上げている。
自動ドアよ、なんで感知した。
あの野良犬は、駐車場に居た野良犬じゃないか。
腹でも空かせているのだろうか、なんて軽く考えていたが、本当に腹を空かせていらっしゃるご様子。もしくは渡巻さんとは正反対で、めちゃくちゃご機嫌ナナメなご様子。
どちらにせよ、気が立っているのが一目で分かる。
なにせ、前足後ろ足を左右に開き、体勢を低くしている。
これ、もはや襲い掛かってくる体勢じゃなかろうか。
と言うか攻撃態勢にしか見えない。
何かの拍子に自動ドアが開いてビックリしているだけなら良いのだが、こんな広くもない店内で跳びかかってきやしないだろうな。頼むからそのまま回れ右して帰っておくれ。
にらみ合いが発生したのは数瞬程度だ。
なんならもっと見つめ合いでもして時間を稼ぎたかったのだが、少なくとも、自体を渡巻さんが理解する時間は無かった。
グワァン、みたいに吠えながら、その野良犬が本当に跳びかかってきやがった。
その体躯全体の筋肉を一気に連動させ、店内に入り込んできやがった野良犬が床を蹴って走り出す。
悪いのは運なのか間なのか、コンビニの自動ドアから秋水達は真っ正面。
野良犬が走り出したのは、真っ直ぐ。
最悪だろう。
秋水は左手に持っていたカゴから手を離す。
「っ!? きゃああああっ!」
渡巻さんの悲鳴の方が早かっただろうか、それともカゴが床に落ちて商品が散らばったのが先だろうか。
店内には秋水以外にも他に客がいる。しかし、その他の客は皆々、渡巻さんの悲鳴でようやく事態に気がついたぐらいだ。
狂犬病。そうじゃなくても感染症の高リスク。いやそもそも噛まれたら怪我をする。
避けるか。
いや馬鹿か。後ろには小さい女の子。間違えた渡巻さんは自分より年上のお姉さんでとか考えている場合ではないし女性であることには変わりがないのだからここで自分が避けて危険に晒させるのは問題外の悪手でしかないので却下だ馬鹿野郎。
後ろ足で床を蹴って前足で着地して、体を縮めるように曲げてまた後ろ足で蹴り出す。
何歩目だ。
3歩目か。
後何歩分の距離がある。
どのタイミングで跳びかかってくる。
そのそもどこを狙ってくる。
足か。
腹か。
いや噛みつくのか。
狙いは秋水で間違いはないのか。
ぶわっと秋水の脳内で色んな予測や疑念が噴出する。
噴出するだけの、余裕があった。
あれ?
おっそ。
ドッ、と、突っ込んできた野良犬の鼻っ面に、秋水のヤクザキックが容赦なく炸裂した。
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雑魚扱いして久しいですが、角ウサギは1歩蹴り出せば5mくらい平気で突っ込んでくる。しかも口を開いて噛みつくという前振り動作も必要なしで、角を前に出すだけで攻撃動作が完了している。
なお、コンビニで自動ドアが採用されるのは、バリアフリーを必要としている場合と、砂や埃や日光などで故障が頻発せず、環境による誤作動が発生しづらいと採用されやすいようですね。
環境による誤作動(野生生物由来も含む)←これ重要。実体験。
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