89『一時弱体化』

 何故か分からないが4人で帰ることになり、その道の途中で紗綾音と沙夜と別れた。


「じゃ、2人ともまた明日ー! またお昼ごはん一緒に食べよーねー! さよーならー!」


「日比野、棟区、あの子は絶対ノリで言ってるだけだから。明日は普通に別の面子で食べてると思うから。変な期待はしないでね」


「ほえ?」


「じゃ、またね」


 そして、少しだけ秋水の通っているジムについての話をしてから、日比野とも別れた。


「今日は急だったのにありがとう。凄い参考になったよ」


 ようやく独りになり、そして一息つき、少し歩いて秋水は家に辿り着いた。

 まあ、家ではなく、メインの生活空間となっているダンジョンのセーフエリアである。

 庭にぽつんと立てられているテントに入り、秋水にしか見えていない縦穴の入口を梯子でいそいそと降りていく。

 セーフエリアに到着。

 梯子から手を離し、そのまますぐに秋水は鞄をセーフエリアに置いている畳に向かって投げ、ばさりとコートを勢い良く脱いだ。

 制服も脱いだ。上も下もだ。なんなら肌着も脱いだ。そして靴下も脱ぎ捨てた。

 帰宅、宅ではないか、セーフエリアに足を踏み入れた途端に、秋水はパンツ一丁の公共の場には出られないであろうスタイルになっていた。字面だけであれば変態である。

 しかし、分厚くデカく盛り上がった隆々たる筋肉に、不本意ながらも削ぎ落とされた脂肪からなる仕上がったその体は、実に見事な肉体美であった。どこぞの筋肉フェチの店長が見れば、心臓発作か大量出血によるショック死を起こしそうな光景だ。

 別に秋水は裸族ではないし、鏡の前でポージングをするのが日課というわけでもない。

 だが脱いだ。

 脱いで、鏡の前に立つこともなく、なんであれば生活空間たる畳の所へ行くわけでもなく、岩肌の上に裸足で突っ立つ。


「ふぅぅぅ……」


 息を、ゆっくりと吐き出す。

 そして、吸う。

 深呼吸。

 呼吸とは、まず息を吐き、それから吸う。漢字を見てもその順番である。

 肺の中の空気を出し切るように息を吐く。

 そして新鮮な空気を取り込むように息を吸う。

 落ち着く。

 落ち着け。

 これから行うのは、今まで何回もやってきたことである。

 良く分かっていないながらも、何回もやってきたことなのだ。

 今ではすっかり一息で出来るようになった、いつものヤツだ。

 それを意識して、じっくりと。

 集中する。


「……魔力」


 意識するのは、『妙な力』。

 いいや、それ改め、魔力。

 自分の中にある不思議な力、これは、魔力だ。

 今、この瞬間から、この 『妙な力』 は、魔力である。

 魔力、と定義する。


「……っ」


 定義した。

 名付けた。

 ただそれだけだ。

 今まであった正体不明な力のことを、魔力、と呼ぶようにしただけである。内容は変わっていない。相も変わらず正体不明な奇妙な力という認識のままでしかない。


 だが、名付けた効果は、驚くべきものであり。


「……ふっ」


 思わず笑ってしまう。

 秋水の中にあったその力が、秋水の意思に、はっきりと反応した。

 いや、そう言うべきなのだろうか。形もないければ色もない、ただのエネルギーみたいな魔力とやらの動きだなんて、そんなもの秋水の感覚的な話でしかないのだが。

 ないのだが、それでも。

 感覚を、掴んだ。

 魔力という感覚を、確かに、掴んだ。


「ふぅぅ……」


 焦らずに息を吐く。

 魔力のことを 『妙な力』 と呼んでいたときは、なんと言えば良いのだろうか、そのエネルギーは秋水の中や周りをただただ意味も無く、ふわふわゆらゆらと風に揺れるが如く揺蕩うだけのエネルギーであったはずだ。

 身体強化とは、そのエネルギーの揺れのような動きに、体の動きを上乗せするようにした。

 そのエネルギーに自分自身の体で動きを与えてやるように、自分の力と妙な力の2つの力の流れを一致させる。

 そんな感覚であった。


 だが、その 『妙な力』 というエネルギーを魔力と定義した途端、様相は一変した。


 ただ無秩序に揺蕩っていたエネルギーの流れが、はっきりと変わった。

 今までは体の動きで流れを無理矢理与えていた感じだったのに、それとは全く違う。




 魔力の流れが、体を動かさずとも、動かせる。




 制御が出来る。




 全ての魔力が、手足の如く完全に、とまでは流石にいかない。

 せいぜいが4割か、良くても半分にも満たないくらいしか操れないが、秋水は魔力の流れというものを自分自身の意思の制御下に置くこと出来ていた。

 今までは無理矢理流れを与えて使っていたエネルギーが、こうもあっさりと。


「ふっ……ふふっ……」


 思わず込み上げてくる笑いが抑えきれない。

 いや、無理に押さえる必要はないか。

 紗綾音から魔力という話を聞いてから今まで、ずっと我慢していたのだ。

 笑ってしまうのを、我慢し続けたのだ。

 この力は魔力と呼ばれる力なのか。

 そんな疑問を持ったその瞬間に、予兆があったのだ。

 まるで流れを制御出来ていなかったはずの力が、急に秋水の言うことを聞いてきたのだ。

 まずは認識。

 認識が大事だったのか。

 魔力を操るには、魔力が魔力であるという認識をすることが大前提であったのか。

 まあ、それはそうか。

 筋トレだって同じである。

 ただただ漫然と、良く分からないけどなんか動いてる、という感じでトレーニングするよりも、こことここの筋肉が収縮してこっち側が伸びている、と認識していた方が効率的な筋トレが出来るのだ。

 魔力のことを正体不明の奇妙な力、なんて定義していたら、操れるもの操れなかったと言うことだ。

 いや、正体不明な奇妙な力とはいまでもそう思ってはいるのだが。


「そんで、こっから本番……」


 漏れる笑いを引っ込めて、再び深呼吸をする。

 魔力を認識して、その魔力の流れを思い通りに操作する。それは帰り道でも片手間に行えた。

 しかし、紗綾音と、沙夜と、日比野が居るところでは出来なかったことがある。


 それはもちろん、身体強化。


 今まで何となくで使っていた身体強化ではない。

 魔力を操り、魔法としての、身体強化だ。

 本物の、魔法である。


「これが出来たら、一応は、魔法使いってこと……だよな!」


 気合いを入れ、活を入れ。

 魔力を一気に動かす。

 体に這うように。

 体の動きとリンクさせるように。

 魔力の動きが体の動きと一致するように。


 互いの力を絞り出すように。


 すっと、右足を上げる。

 素足である。

 裸足である。

 下は岩肌丸出しの床面だ。

 素足で立っているだけで痛そうな、これで走れば確実に怪我をしそうな、そんな硬い岩の床だ。


 その床に向け、秋水は上げた右足を振り下ろす。


 踏み込むように、勢い良く。


 どっ、と鈍い音。











「まー、そんないきなり上手くはいかんわな」


 見事、右足は血だらけになった。











 いや浮かれていた。

 それは流石にはっきりと分かる。

 100%秋水は浮かれていた。

 今まで正体不明で何となく使っていたエネルギーが、魔力と呼ばれるファンタジーな力であったと分かり、そして分かった途端にその魔力の流れが急に手に取るように理解出来て、正に有頂天である。

 しかしながら、よくよく考えてみたら当然のこと。

 これまで行っていた身体強化は、今まで何となくふわふわ動いているエネルギーの動きを使って発動していたのだ。いや、発動もどきみたいにしていたのだ。


 そのエネルギーを意図的に動かせるようになったのだから、身体強化の発動プロセスも変わって当然なのである。


 だって、魔力の流れが明確に変わったのだから、今までと同じような感覚では動きが一致するはずもなかった。

 魔力は認識しただけで動かせるようにこそなったが、それでも半分以上は制御出来ていないのだ。要練習である。

 なのだから、身体強化も要練習だ。


「……はぁ」


 小さく溜息。

 これはつまり、しばらくは身体強化が使えないと言うことである。

 まあ、1度掴んだ感覚であり、しかも魔力の流れも意識的に動かせるのだから、再度感覚を掴むのは難しくはないはずだ。たぶん。

 しかし、身体強化なしか。

 今日のダンジョンアタックどうしようか悩み所である。


「まあ、普通にやれなくはないんだけどな」


 角ウサギ相手ならば現状、身体強化なしでも戦えるとは思う。

 巨大バールを振り回すのは無理があるのだろうが、大バールの方であれば問題はないはずだ。

 しかしながら、今までは身体強化による動体視力の強化によって回避が可能だった角突きタックルへの対処は難しくなるだろう。身体強化を使用しているときは余裕を持って反応出来ているものの、あれは本来ならば銃弾の如き速さで突っ込んで来るという、かなり殺意の高い一撃必殺の技なのだ。

 それでも、身体強化が出来ていなかったときでも、カウンターで対処出来てはいた。

 しかも今は最初の頃とは違い、筋力が大幅にアップしているはずであり、戦いの経験もかなり経ている。

 だから大丈夫と言えば大丈夫なのだろう。

 どちらにせよ危険度は大幅に上がるのは間違いない。舐めプしてても勝てるくらいの雑魚扱い出来ていたのは、大前提として身体強化があったからで、それを封印されてしまった今は間違いなく角ウサギは単体でも脅威のある相手なのだ。

 角突きタックルを急所にもらって死ぬかもしれない。


「…………いいかも」


 トンデモ発言がぽろりと漏れ出てしまった。

 久しぶりに、角ウサギとスリル満点の殺し合いが出来るってことじゃないか。

 身体強化が使えるのに身体強化を使わないのは、それは完全に舐めプだが、今は身体強化が使えないのだ。舐めプではない。

 どうしよう、ウズウズしてきた。


「うっし、寝てから考えよう」


 すでに寝間着に着替え終わっていた秋水は、早速布団に潜るのであった。











「……いや、まずはその前に」


 いつものように2時間もせずにすっきりと起きた秋水は、頭も同じくすっきりしたせいで冷静になっていた。

 身体強化は使えないけれど、起きたらさくっとダンジョンアタックに赴こうかな、なんて考えていたが、それは一先ず保留である。

 確かに、久しぶりに身体強化なしで角ウサギと殺り合うというのは、とても後ろ髪が引かれる思いがあるのだが、その前にやるべき事があったことを思い出したのだ。


「ああ、メッセージがあるな」


 スマホを見れば、トークアプリに未読のメッセージ。

 日比野である。

 その名前を見て思い出したのだ。


 あ、紹介された動画、見てねぇな、と。


 今日は3人からボクササイズに関する動画を紹介されたのである。それのチェックをしていなかった。

 どうせダンジョンに潜るのであれば、格闘の動きを1度見てからの方が良いだろう。身体強化が使えないので角ウサギ相手でも油断出来ない状況となった以上、お試ししてみる、なんて余裕はないだろうけれど。

 まずは紹介して貰った動画を一通り見ておくか、と考えつつ、秋水は日比野から送られてきたメッセージに返事を送った。

 今日は色々とありがとう、というメッセージであった。なんと丁寧な。


「んーと、そういや夕飯も夜食も買ってないな……」


 メッセージを送信した後、ふと台所の食材達を思い出す。

 米はある。発芽玄米が。

 それを炊いて用意したとしても、おかずが特になかったはずだ。

 完全なる自炊を止め、総菜などを買ってくる半自炊の半内食の生活に切り替えてから、食事を作るという手間はなくなったものの、買い出しという手間は残ったままである。

 いっそデリバリーにしようかな、なんて思ったこともあるのだが、やはりデリバリーは金が掛かる。

 宅配食の方が良いのだろうか。

 まあ、どちらにせよ、今日の食事を調達せねばならない。

 時計をちらりと見てから、秋水はのそりと立ち上がる。


「ま、いつものコンビニで良いか」











 さっと着替え、ぱっと自転車に乗り、すっと走れば到着である。

 今年に入ってから随分とお世話になり続けているコンビニだ。売値が高い上に、客になるべく買わせようとするテクニック満載の店内であるので、資産形成上近寄ってはいけない店のトップスリーだと鎬は目くじらを立てるであろう。すまんな。

 ちなみに、残り2つはギャンブル施設と証券会社の窓口、だそうだ。いや絶対居酒屋とかだろそこは。

 駐輪場へと自転車を入れ、サイドスタンドを立ててから秋水は自転車から降りた。

 特に鍵も掛けないという不用心丸出しのまま、すぐにコンビニに入ろうとしたところで、秋水はふと顔を上げる。


「……ん?」


 犬がいる。

 黒い毛並みをした犬である。

 犬の種類に詳しくない秋水は、それがなんの種類の犬なのかはさっぱり分からない。小型犬でないことは確かだ。しかしながら、デカいな、と思える程でもないので、中型犬、なのであろうか。

 首輪もしておらず、飼い主らしい人物も近くに居ない。

 野良犬だろうか。

 飼い犬だとしたらなば、何とも不用心なものである。自転車に鍵も掛けていない少年へそっくりそのままお返しした方が良い感想だ。

 その野良犬は、駐車場の端っこに座り、ぼんやりとコンビニの方を見ているようであった。

 こんな寒い中、何をしているのだろうか。

 腹でも空かせているのか。


「世知辛いなあ……」


 この辺には野良犬が居るのか、くらいのことを頭に入れ、秋水はその犬から視線を外す。

 野良犬は、かなり危険な存在である。

 引っかかれたり噛まれたりという物理的な危険もさることながら、日本では根絶されているに近しいくらいだが、狂犬病をばらまく存在であるし、それ以外の感染症の罹患するリスクもかなり高い。そして夜になれば、野良犬は結構攻撃的なのだ。

 そして、今はすでに日が落ちている。

 まあ、気にしすぎかもしれないが、一応は注意だ。

 そう頭の片隅で考えながら、コンビニへと足を踏み入れた。


「いらっしゃいませー」


 そのコンビニにいた店員は、いつもの人であった。

 小学生に見間違えそうなちんまりとした背丈に、腰まで伸ばした綺麗な黒髪。

 渡巻さんである。

 当然ながらコンビニの制服だ。

 一昨日、偶然ホームセンターで遭遇したときは私服姿であったが、やはり制服姿の方が見慣れてしまっている。

 その彼女はレジ近くの商品棚の整理かなにかをしていたようで、来店の音楽に気がついて挨拶をしながらぱっと顔を上げ、そしてそれが秋水であることに気がついた。

 毎回厳つい客が来て申し訳ない、と秋水は軽く会釈をする。

 そうしたら、渡巻さんは一瞬驚いてからすぐに営業スマイルに切り替えるであろう。

 いつもはそういうパターンだ。

 まあ、分かる。

 見慣れてきたとしても、秋水の顔は一瞬恐怖を感じる顔なのだ。仕方が無い。

 むしろ、すぐに営業スマイルに切り替えられるだけで凄いものなのだ。

 そう思っていたのだが。




「あっ、こんばんは、棟区さん!」




 驚きを挟むことなく、渡巻さんはにへっと笑顔を向けてきた。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


(え、名前知ってる関係なの?)

(え、あの子、あんな奴と知り合いなの?)

(絶対そっち系の人だよねあれ)

(今、あのヤバ面、頭下げてたよね?)


(((……どういう関係?)))



 僅か数秒のやりとりでコンビニの防犯率が向上した模様。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る