77『刃物屋』

 刃物屋の一番の主力商品は、包丁である。

 色々なメーカーの、色々な大きさの、色々な種類の、色々なデザインの、様々な包丁を取り揃えている。

 素材だってステンレスだけではない。一般の鋼もあるし、複合させた挟み打ちやV1合金や青紙スーパー、魅力的なところではダマスカス包丁なんてのもある。ダマスカスは素材じゃなくて、と言えた人、えらい。

 中には実用性を無視して観賞用に特化した美しい見た目の包丁もある。

 反面、実用性だけに特化して、誰が買うんだこんな値段、みたいな高級包丁もある。

 多種多様な包丁を取り揃えて、それをメインとしている刃物屋ではあるものの、他の刃物だって充実している。

 日用的によく使うハサミは、包丁の次に品数が多い。

 一般的な事務用のハサミから、美容師が使う散髪用のハサミに料理で使うキッチンハサミ。シュレッダーハサミなんて誰が使うんだ、みたいな商品も取り揃えている。意外と売れるから不思議なものだ。

 刃物の街、なんて揶揄されるような地域だからか、競合他社のライバルを出し抜くために頭の悪い、失礼、奇抜なデザインのハサミだってある。

 他には爪切りや缶切りやピーラーやナイフやノコギリや彫刻刀、もしくは砥石やシャープナーやまな板などの刃物に関連する商品だってたくさん取り扱っている。

 そこそこ広い店内に並べられた大量の刃物は、それだけでさながら美術館だ。

 なにせ、包丁に至ってはショーケースに入れて展示している。


 そんな店で、最も異質な商品は何かと聞かれたら、それは間違いなく日本刀であろう。


 正確には模造刀と居合刀だ。

 鍵つきのショーケースに収められたそれは、商品として、ではなく、ほとんど鑑賞するための美術品として飾られている。

 今でこそ刃物の街などと言われているが、元を辿ればここは日本刀の街である。

 日本刀は、綺麗だ。

 元来は人殺しのための道具であり、争うための物である。

 武士道なんていうのも、結局は武士や侍が廃れ始めて食うに困ったときから出てき始めた理想論でしかない。

 斬ってナンボ、殺してナンボ。

 そのための道具が日本刀だ。

 そんな代物に美術的価値を付けようなんて、おかしな話である。

 だが、それでも日本刀は、綺麗だ。

 余計な知識などクソである。

 見た物を見たままに感じて言えば、日本刀は綺麗の一言に尽きるのだ。


 少なくともその男、奈加護 目貫(なかご めぬき)はそう思う。


「そう思うよねミサちゃん」


「補充行ってきまーす」


「ミサちゃーん……」


 日曜日だと言うのにバイトで入ってくれている大学生のミサに冷たくあしらわれ、目貫はレジカウンターに突っ伏して涙目になった。

 最近の子ってドライね。

 めそめそしている中年男性である目貫は、刃物屋の正式な店員である。正社員というやつだ。

 子供の頃から日本刀に興味のあった目貫は刀鍛冶を目指していたのだが、諸々の理由により挫折。しかし、刃物好きというヤバいパワーワードの趣味を生かし、刃物の店である刃物屋に就職することが出来た。人生はどう転ぶか分かったものではない。

 かれこれ刃物屋に勤めて20年程になる。今ではすっかり古参の職員だ。


「奈加護さーん、研ぎ依頼ってまだありますかー?」


 レジ奥の工房から飛んできた別の職員の言葉に、目貫はぱっと身体を起こす。

 刃物屋は刃物の研ぎもやっております。お気軽にご依頼下さい。


「ん? えっとねー、急ぎは終わってるよー。後はハモ包丁とマグロ切りと、えっと、遠方依頼のハサミがわんさか」


「え? ハサミの依頼なんてありましたっけー?」


「お昼に届いたー。お裁縫のやつだね、ラシャと糸切りが20ずつあるよこれー」


「うげー。マグロ先やっちまうんで流してくださーい。西野ー、長物やるからヘルプー」


 この街でも刃物屋は有名な刃物の店であり、研ぎの依頼はひっきりなしだ。

 今日は店番であるものの、目貫も研ぎに刃付けは一通り、そして人並み以上に出来る。伊達に20年も勤めちゃいない。

 本音を言うならば、店番をするよりも直接刃物を触れる工房側の方が目貫は好きなのだが、残念なことに目貫はその豊富な知識で客からの質問に答える接客の方が優秀なので、なかなか工房側にシフトを入れてくれない。刃物好きが裏目に出てしまうとは。

 ほーい、卸売りさんのところの業物だよー、と工房へ刃渡り750㎜の逸品を送り込んでから、目貫はやれやれと再びレジカウンターの椅子へと腰を下ろす。


「奈加護さん、働く」


「はいゴメンなさいミサちゃん! ショーケース磨いてきまっす!」


 ミサからの冷たい視線に目貫は跳ねるように即座に立ち上がり、包丁コーナーへとすっ飛んでいく。

 40代のベテラン社員であるのにも関わらず、目貫はいつも若い子からこんな扱いである。

 良く言えば明るいお調子者で、フレンドリーで接しやすいおじさん、と言える。

 悪く言えば、舐められているおじさん、である。

 職場の雰囲気がギスギスしちゃうよりは良いけどねー。下手に恨み買うといつ何で後ろから刺されるか分かった物じゃない環境だし。

 そんなことを思いながら、目貫はたくさんの包丁が並べられているショーケースを拭いていく。

 別に、女子大生に見下されるの、イイネ、なんて思っているわけじゃない。


「……うーん、綺麗だなぁ」


 ショーケースを拭き上げながら、目貫はニコニコしながら思わず零す。

 見ている先は女子大生ではない、包丁だ。

 刃物は美しい。

 機能美に溢れる。

 研ぎ澄まされたそれは宝石と同じだ。

 その最高峰は日本刀だが、包丁だって綺麗な美術品である。


「今日はダマスカス仕上げよりも、チタンコーティングのメタリックな輝きが映える日だねぇ。ブルーが人気なのは分かるけど、赤いのも良いですぞー」


 ふっふっふ、と笑いながら包丁が飾られているケースを磨く中年男性。ヤバい光景である。

 そう言えば今日は砥石が一気に売れてしまったなと思い出し、目貫は砥石コーナーへと目を向ける。料理屋、と言うか料亭さんが午前中にお買い上げしてくれたのだが、見れば補充されていない。

 ミサに頼むのもあれだし、補充出しとこうかな。

 そんなことを思っていると、店の自動ドアが開く音がした。

 続いて、ぴんぽーん、と若干気の抜ける電子音。来客さんだ。


「いらっしゃ」


 入口に近いのはミサだ。

 接客はそちらに任せるか、と思っているところに当のミサの挨拶が聞こえてくる。

 中途半端に。

 はて。

 ミサは中途半端に挨拶を省略する子じゃないはずだ。現在工房でマグロ切り包丁を研いでいる青年は、らっしゃっせー、みたいな挨拶をして、よくミサに怒られているくらいだ。客に対してその辺りの接客態度はしっかりしている子である。

 もしくは、自分の耳がそろそろ遠くなり始めたとかかな。

 食事に気を遣わず運動に気を遣わず、健康的はお世辞にも言いにくい生活を送っている目貫には、正直ちょっと否定しづらい可能性だ。


「いらっしゃいませー」


 どうしたのかと思いつつ、遅れて目貫も挨拶を口にする。

 目貫の位置からでは客の姿は見えない。刃物屋はそこそこ広いお店なのだ。

 まあ、店の扉が開くと同時に怒声を飛ばしてくるモンスタークレーマーが来たわけでもないっぽいし、任せるとするか。

 そう思いながら目貫はきゅっきゅとショーケース磨きを再開し。


「奈加護さんっ、奈加護さんっ」


 と、何故かミサがぱたぱたと目貫に向かって小走りで駆け寄ってきた。

 おや、と顔を上げれば、顔を蒼くしている女子大生。

 あらやだ、非常事態。

 慌てているやら怯えているやら、そんな様子のミサの顔を見て目貫は即座に悟った。


「か、かか、かわってっ!」


「関わって?」


「耳遠いっ! おじさんっ!」


「ぐっさー……」


 つい今し方、耳の遠さを疑ってしまっているところを突き刺すような一言に、目貫は鳴き真似をしながら崩れ落ちる。

 しかし、それどころじゃない! と焦っているミサを見るからに、こんなジョークを受け取っている余裕もないようだ。

 なるほど、これは本当に非常事態だな。

 いつものおちゃらけた表情を引っ込めて、目貫はすぐに真面目な顔になる。


「指名? 黒さん? 救急ならともかく、ゴキブリはちょっとおじさんじゃどうしようもないけど」


 持っていたクロスを渡しながら、小声でミサに尋ねる。

 これだけ慌てているとなると、警察からの協力依頼で渡されている写真の人物、平たく言って指名手配犯が来店したとか、もしくは怪我人がやって来たかだ。

 警察の案件ならば男手の出番だ。

 まあ、目貫は身長こそ180近くとそれなりの背丈があるものの、昔から太りにくいタチなのかひょろりと痩せており、学生時代のあだ名はゴボウかマッチ棒だった。酷すぎる。今の子マッチ棒知らねぇよ。

 目貫自身は役に立つか分からないが、工房にはガタイの良い子もいる。もしも仮に最悪なケースが発生してしまったとしても、時間稼ぎぐらいは出来るはずだ、たぶん。

 そして救急の案件ならば、それこそ任せておけ。

 刃物屋はそれなりに大きな店であり、AEDも設置されているし目貫も講習を受けている。それに勤めて20年ちょっと、実際に救急車を呼ぶ事態を3回程経験している。

 それを踏まえて考えれば、ミサより目貫の方が適任だ。代わってくれと言うならすぐに代わろう。

 ただ、ゴキブリは勘弁な。

 そう考えてミサに尋ねてみたのだが、彼女の返答は何だか的を射ないものであった。


「やば、ヤバいお客が来た……」


 ……それはつまり、警察案件の方、と考えて良いのだろうか。

 真っ青な顔で目貫の胸ぐらを掴み、がくがくと揺さぶってくるミサの言葉に、目貫は思わず首を捻ってしまう。


「まあ、了解了解。ミサちゃんは後ろに入って、裏の子達に声かけといて」


「う、うんっ」


 とりあえず、問題のある客が来たことは確かだろう。

 ゴキブリが相手じゃないなら何とかなるさ。目貫はすぐにミサに指示を出し、すぐに店の入口側の方へと小走りで向かっていく。

 そして、来店した客であろう相手を見て、なるほどねぇ、と思わず納得してしまった。


 マフィアだ。


 いや間違えた。ヤクザだ。いや同じか。


 来店してきた客は、どう見たって一般人ではない。

 どうも、暴力団です、と言わんばかりの雰囲気を醸し出した、大柄の男であった。

 背丈は目貫よりも高い。190は近いだろう。

 体格は非常に大きい。良く言えばスレンダー、悪く言えばガリである目貫とは全くの正反対である。しかも脂肪で太ったおデブちゃん、なんて可愛らしいものではなく、着ているコートの上からでも分かるくらいに引き締まり、そして肥大している筋肉によってのムッキムキな体型だ。

 なにこの人ー、ハリウッド映画のマッチョよりスゲぇ。

 ついつい目貫は白目になった。

 その大男は店内をきょろきょろと見渡して、足を止めてしまっていた目貫と目が合った。

 ひぃ。

 悲鳴が出なかったのを誰か褒めて欲しい。

 睨まれたよ。

 凄い目で睨まれたよ今。

 殺してやるぞ奈加護 目貫、という副音声が聞こえてきたよ。

 いや目つき悪っ。

 そんで顔が怖っ。

 日の光の下でのびのびと生きてきた人間では絶対に出来ない、この世の怨念を煮詰めたような表情してた。絶対裏社会の人だあれ。

 これは確かにミサがビビってしまうのも分かる。おじさんだってビビっちゃう。

 すわ殺される、と思った目貫であったが、そのヤクザはその表情のままぺこりと軽く会釈をしてから、すたすたと売り場の方へと歩いて行った。

 良かった。

 おじさん生きてるよ。

 結婚できないまま死んじゃうかと思ったよ。

 蛇に睨まれた蛙、もしくはメデューサに睨まれたペルセウス。そんな風に固まってしまっていた目貫も、ヤクザが離れてくれてほっと胸をなで下ろす。地味にハルペーで討伐しようとしているぞこの男。


「……っと、いけない、まだ居る」


 しかし、売り場の方に向かっただけで退店したわけではないことを思い出し、目貫は慌ててヤクザの後を追った。

 刃物屋の売り場は大きく3つのエリアに分かれており、メインである包丁が飾られたコーナー、ハサミや爪切りなどの日用品を取り扱っているコーナー、そして農用や園芸用など少し大きめの品を置いているコーナーだ。

 ヤクザが向かったのは、メインの包丁コーナーではない。

 そして日用品コーナーでもない。

 ヤバい方のコーナーだ。

 いや、農用や園芸用のを置いてある商品群は、基本的にガチめに危ない商品群である。


 なにせ、日本刀も、そこに飾られているのだ。


 何でそこに、と思われるかもしれないが、そこは仕方がないのだ。

 所狭しと飾っている包丁のコーナーには、日本刀を飾り付けるスペースはなく、日用品のコーナーに日本刀を飾るのは違和感バリバリだ。消去法として、そこに飾ることになったのだ。

 鍬や手斧など、比較的大きめの商品が多く、そもそも用途が全然違うため、日本刀を飾っても他の商品が見劣りすることはない、という理由もある。

 ついでにスペースが余っていたので、目貫が趣味で作ったプラスチック製の戦国甲冑も飾ってある。

 そして、ヤクザはそのコーナーに向かって行った。

 どうしよう。

 日本刀くださいとか言ってきたら、マジでどうしよう。

 一応売り物だから売れるけど、明らかに反社会勢力の人に売ってはいけない品だと思う。

 居合刀は刃がないとは言えども、それ自体は鉄の塊の鈍器である。そして研げば普通に人を斬り殺せる凶器となる。

 砥石の在庫引っ張り出さなくて良かったー。

 目貫は全然違うところで安堵した。

 とにかく日本刀は、日本刀は勘弁してくれ。

 その日本刀で何か事件が起きたら、絶対悪い意味で世間から注目されてしまう。

 取材は祭りの時だけで十分だ。

 ごちゃごちゃと考えながら、目貫はそろりと農用園芸用のコーナーを覗く。


「ほーん、思ってたより手頃……」


 ヤクザは日本刀より斧に興味を示していた。


 いやよく似合っていらっしゃる。

 薪割り用の斧を手に取ってしげしげと眺めているヤクザは、何て言うか、その、うん、ヤクザと言うよりも一気に山賊チックな雰囲気でいらっしゃる。

 良かった。日本刀で事件を起こすだなんて、そんな勿体ないの極みみたいな悲しい事件は起きないようで一安心だ。

 いやそうじゃない。

 斧の方が直接的でヤベェ。

 居合刀とは違い、研ぐ必要もなく、買って袋から取り出しカバーを外せば、すぐにでも誰かを惨殺出来る代物である。

 ヤクザは興味深そうに手斧を持ち、続いて別の斧もチェックして、さらには隣にあった鉈にまで興味を向ける。

 なた。

 鉈もヤバい。

 ああ、その鉈は小ぶりだけど肉厚で頑丈だから、キャンプブームのときにめちゃ売れた商品でございます。

 ああ待って、そっちの鉈は色味が素敵な高炭素ステンレス。さっきのよりも丈夫だけれどお値段が張る本格的な1品でございます。

 あ、剣鉈は、剣鉈はやめて。それはビジュアルがほとんど片刃の分厚い西洋剣。お客様のビジュアルとマッチしてますが、その剣鉈は猪狩りで使われるレベルの鉈でございます。

 そして流れるように隣の鉞(まさかり)に。

 まさかり、かぁ。

 まあ、鉞なら許容範囲かな。

 ヤクザが斧、鉈、と見てから、斧の一種である鉞への興味を移した途端、目貫はすん、と冷静になった。

 いや、もちろん鉞でも人は殺せるが、それを言ってしまえば包丁でもハサミでも、なんなら爪切りですら殺そうと思えば人は殺せてしまうのだ。

 なにを買ったところで、その刃物がどう使われるかはその人次第だ。

 良いも悪いもホニャララ次第、というやつである。


「んー……斧、ん? なんて読むんだコレ? かねへんに……?」


 鉞を見ながら何処か戸惑っている様子のヤクザを冷静になって眺めてみる。

 見た目は確実に反社の方でいらっしゃる。

 だが、その所作はどこか丁寧で、なんと言えば良いのか、オラついている感じがしない。少なくとも、粗暴者、な動きではない。

 手にした商品を乱雑に置いたり、振り回したり、そんなことはせず、じっくりと品定めをするように観察してから、そっと元の位置に戻しているのだ。


「ん? て言うか……おや?」


 と、そこで目貫は引っかかりを覚えた。

 あのヤクザ、一見さんじゃない。

 どこか、いつだった、見覚えがあるような気がする。

 はて、あんなインパクトのある見た目なら、普通覚えているような気がするのだが。

 うーん、と目貫は思い出そうと記憶を辿る。

 うーん、とヤクザは鉞を見て困っている。

 いや、ここは、腹を括ってみた方が手っ取り早いか。

 その考えに至ってからの目貫の行動は実に早い。


「お客様、何かお探しでございますか」


 反社の方ならここで騒ぎは起こしたくないはず。

 一般の方なら普通の接客の範囲内。

 さてどっちだ。

 目貫はにこりとスマイルを浮かべ、ヤクザに向かって話しかけに行ったのだった。




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 あれ、秋水くん以外で名前のあるまともな男キャラって初なのでは……(。´・ω・)?

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