76『秋水が住んでいる街』

 火照った肌に、潤んだ瞳。

 しっとりした甘ったるい声。

 いつもと違う優しい口調で、いつもと違う名前呼び。

 殺人級の色気を振りまきながら祈織にしな垂れかかり、過剰なるボディタッチを織り交ぜつつ、お金の勉強なんて何処へやら、会話の内容はほとんど祈織の人生相談。


 両親が死んだこと。


 急だったこと。


 死に目に会えなかったこと。


 店を継いだこと。


 大赤字で毎日が不安だったこと。


 就職した友達を見て苦しかったこと。


 寂しかったこと。


 自分に才能がないこと。


 自分が何も知らないと痛感したこと。


 いつもは聞いてもいないことを勝手にベラベラと喋ってくるのに、酔っ払っている鎬は適度に相槌と合いの手を入れるくらいの、恐ろしいまでの聞き上手であった。

 そして、一通りの不安を吐き出した祈織は、徹底的に甘やかされた。

 めちゃくちゃよしよしされた。いい子いい子された。

 圧倒的な母性と色気をミックスした原液を、超至近距離から喰らった。

 ぽろぽろと、気がつけば涙を流していた祈織は、堪らず鎬へと泣きついて、そして甘えてしまった。

 偉いねと言われたかった。

 頑張っているねと褒めて欲しかった。

 無償の愛に、飢えていた。

 だからこそ、甘やかしてくれた鎬の過剰なボディタッチを受け入れてしまった。




 で、やらかした。




 朝、祈織と鎬は同じベットで目が覚めた。

 鎬は裸だった。

 祈織は、下着姿とは言えども、裸ではなかった。

 それはまあ、そうだろう。




 やらかしたのは、主に祈織の方であった。











「うぅ……鎬さんの、鎬さんの顔が見れない……」


 質屋 『栗形』 に休憩から鎬が帰ってきても、祈織は秋水にぴったりとくっついて離れなかった。

 年齢的に考えれば、中学生男子に抱きつくお姉さん、となるはずなのだが、その体格差では傍から見れば、ガタイの良い男性にひっつく小学生女子、という構図である。ある意味微笑ましい。


「ふむ、美人は3日で飽きると言うものね。よよよ、私は飽きられてしまったのね秋水」


「えっと……えーっと、栗形さん?」


 いつもの通り感情の読めない真顔のまま巫山戯ている鎬に、壁役として抜擢されている秋水の方は完全に困り顔である。

 だが祈織はそれどころではないのだ。

 待って欲しい。

 もうちょっと時間が欲しい。

 あれだけの醜態と無様と性癖を一切隠すことなく晒しに晒しまくってしまったのだから、心の整理をする時間が欲しい。

 いや、一緒に寝てしまったのだから、起きた瞬間に顔を合わせざるを得ないのは当然で、そんな時間などあるはずないのだが。

 と言うか、自分程ではないにしろ同じくそれなりの醜態と性癖を開示してしまったいるはずの鎬は、何故にそんな平静なのだ。こちらだけ馬鹿みたいに慌てている感じで納得がいかない。確かにえげつないセクシーさと強烈なママ感に全力で赤ちゃんになってしまったが、最後の方は主導権こっちだったのを忘れるなよこのやろう。

 理不尽に湧いてきた怒りによって、昨晩の記憶がフラッシュバックする。


「ふ、ふにゃああああああっ!!」


 抱きついた秋水の体に顔を押し当て、祈織は情けない鳴き声を上げる。

 恥ずかしい。

 死ぬほど恥ずかしい。

 穴があったら入りたいとは正にこのことか。

 人それを、墓穴と言う。

 なるほど、自分は墓の穴に入るのだな。栗形 祈織、死す。死因は恥ずか死。

 やばいやばいやばい。思い出したら駄目だと分かっているのに、一度思い出してしまえば芋づる式に記憶が蘇ってくる。

 あの甘やかし、あの身体。

 ねじ曲げられた。

 性癖を完全にねじ曲げられた。

 ちょっと筋肉が好きな程度の一般女子だったはずなのに、ちょっと人より顔と頭とスタイルが良いだけのあの女に、たったの一晩で性癖がねじ曲げられて沼に沈められてしまった。麻薬だあの女。

 そうだ、あれは間違いだ。

 自分はノーマルだ。

 普通に男性が好きなのだ。

 恋愛対象も性的対象も男性だ。

 だから昨日のあれこれとごにょごにょは間違いだ。

 だってそうだろう。自分の好きなタイプは、ちょっと筋肉質な男性というのは今でも同じだ。

 そう、まさに今自分が顔を埋めている大胸筋


「ふぁああああああああああああっ!!!」


 急に叫んだ挙げ句に咄嗟に秋水を突き飛ばし、いや、突き飛ばそうとしたもののその体格差によって秋水はたじろぐことすらせず、むしろ祈織が盛大に後ろにすっ転ぶ。


「く、栗形さん!?」


 強かに背中を打って悶絶している祈織に、心配した秋水が慌てて手を差し伸べるように屈むも、その秋水と目が合った瞬間に祈織は脱兎の如く店の隅まで逃げ出した。立ち上がることなく4足歩行である。

 そして部屋の隅に辿り着いた祈織は、そのままその場に蹲って震えだした。

 顔は真っ赤っか。

 羞恥である。


「もう私はおしまいだああああああっ!!」


 どさくさに紛れて思いっきり秋水の大胸筋を揉みしだいてしまった。上腕二頭筋も大腿四頭筋も堪能してしまった。腹直筋素晴らしかったです。そうではない。

 昨日はお姉さんの胸に溺れ、今日は弟さんの胸に溺れてしまった。

 なんて贅沢、ではない、なんて罪深いことを。

 て言うかなんだあのスタイル抜群姉弟。人の性癖ぶち壊し姉弟じゃねぇか。ふざけんな。触らせろ。

 いやそうじゃない。そうじゃないのだ。

 マッチョの体は鑑賞専用お触り厳禁。

 その掟を破ってしまった。

 死罪である。

 これでは幼い子供に手を出したロリコン糞屑ゴミ野郎と同列じゃないか。Yesタッチしちゃったじゃないか。

 いや、それ以前に、秋水くんは、中学生だ。

 中学生の胸揉んでしまった。しかも言い訳出来ないくらいがっつりねっとりしっかり揉んでしまった。

 つまり、Yesタッチしちゃったロリコン糞屑ゴミ野郎。

 あ、わたし、ろりこんさんだったんだー、あははー。

 ついに祈織は部屋の隅を見つめて虚ろに笑い始めてしまった。


「し、鎬姉さん、これ、ヤバくないか?」


「朝からずっとこんな感じよ。ちなみに笑い始めたのこれで6回目くらいかしら」


「つまりヤバいのでは……?」


 おんなのひとに手をだしてー、ちゅうがくせいにも手をだしてー、わたしはごみくずはんざいしゃー♪











「来てくれたところ悪いのだけれど、流石に今日はこれ以上、営業出来そうにないわね」


「いや、まあ、店の隅で栗形さんがあんな感じになってたら、客がビビるわな……」


「とりあえず店は閉めて、店長の介抱をするのだけど……秋水、やる?」


「無理」


 と言うわけで、顔を出して30分もしないうちに秋水は店から退散するという憂き目に遭ってしまった。

 いや、まあ、あのまま質屋に留まったとしても秋水に出来ることは何もないだろう、たぶん。

 店を出てから秋水は腕を組んで、うーん、と少し考える。

 祈織の身に何があったのか、詳しい話は何も聞いていないが、悲しいことに予想が出来てしまう。


「……鎬姉さんが介抱するの、逆にマズくないか?」


 一度振り返って店の中を見てみれば、ガラス越しに鎬と目が合ってしまった。

 たぶんだが、祈織はあの叔母とあれこれあったせいで混乱している真っ最中のようである。それなのに、その張本人が介抱するというのもな、という感じだ。

 そんな心配そうな秋水の視線を理解しているのかいないのか、鎬は人差し指を唇に当ててから投げキッスをするように秋水に指を向けてくる。おえ。

 鎬の投げキッスをそのまま無視して、秋水は自転車に跨がった。


「ま、いっか」


 そして、秋水は祈織をすっぱり見捨てることにした。











 さて、『働く男』 でも 『栗形』 でも大して時間を使わずに終わってしまった。

 時刻はまだまだ昼過ぎ程度。今日は何だかんだで色々と忙しくなりそうだと思ったのだが、わりとあっさりコースである。

 今日はこのまま帰って、バイク用品店から買ってきた防具の試着でもするとしようかな。

 そう考えながら秋水は自転車を走らせる。

 明日からまた学校だが、時間は全然余裕がある。ジャケットなどの使用感を確かめるため、一度試しでダンジョンアタックをしてみるのもありかもしれない。

 地下3階へと向かうショートカットコースが開通し、そのまま上がってきてしまったが、それ以外にダンジョン内のルートで変化がないかの確認もしたい。もしかしたら全く別のルートが現れている可能性もある。

 そもそも、ボスウサギを殺してしまったのだが、これによって今までの角ウサギもどうなったかが分からない。

 下手をしたら、ボスウサギを殺したことによって地下2階をクリアしたと認定され、角ウサギが一切出てこなくなる可能性がある。それは、ちょっと困る。

 確かに角ウサギ相手に苦戦することは全くなくなってしまった。全然歯応えのないモンスターとなってしまった。しかも、ボスウサギを倒したお陰かどうか分からないパワーアップのことを考えたら雑魚と評しても構わないレベルになってしまった。

 しかしながら、いなくなるのは、ちょっと困るのだ。

 建前としては、ぼちぼち売れるようになってきた白銀のアンクレットの入手手段が絶たれるのは困る、という理由で。

 本音としては、武器や防具を買い換えたときの丁度良いスパーリング相手がいなくなるのは困る、という理由で。

 建前と本音が逆じゃなかろうか。

 そして、秋水が今のところ一番気になっているのが。


「ボスウサギと再戦出来るかどうか、だな」


 重要なのは、ボスウサギへのリベンジが可能かどうかだ。

 確かに殺した。

 勝つには勝った。間違いなく。

 しかし、試合に勝って勝負に負けた感が凄い終わり方であった。

 まず、死亡演出時の光の粒子があまりに多すぎて、気持ち悪くないのに気持ち悪い、という光の粒子を取り込む意味の分からない独特な感覚がずっとまとわりついていた。

 それに片腕を吹っ飛ばされ、ポーションで治したら体脂肪が激減したという悪夢。

 あとは、殺し合いに勝ちこそしたが、あまりにも偶然に頼った戦い方であった。

 なので、秋水の中では完全に不完全燃焼の殺し合いであり、実質的には敗北と評しても過言ではない。


 だからこそのリベンジだ。


 もしもボスウサギに再挑戦出来るなら、今度こそ気持ち良く勝ち逃げしてやる。

 光の粒子のあれは、正直どうしようもないかもしれないが、戦い方はなんとでも成るはずだ。

 ふ、と秋水の口元に笑みが浮かぶ。

 自分よりもデカい相手。

 自分よりも重い相手。

 自分よりも早い相手。

 自分よりも強い相手。

 ボスウサギは、今の秋水よりも明らかなる格上だ。

 秋水よりも大きく、秋水よりも質量があり、身体強化してもなお目で追いきれないほど素早く、身体強化してもなお押し負けてしまう。

 そんなボスウサギが、容赦なく殺しに掛かってくる。

 あれに勝てたのは、ほとんど偶然だ。本当に偶然だ。

 なればこそ。

 だからこそ。

 今度こそ。

 今度こそ、しっかり殺してやる。

 実力だけで、ぶっ殺してやる。

 そう考えると燃えてくる。俄然とやる気が漲ってくると言うものだ。


 だが、そのリベンジマッチを実現するためには、ボスウサギがリポップ、再出現する必要がある。


 もしも仮に、ボスウサギとは1度しか戦えないのだとしたら、なんてことだ、勝ち逃げじゃないか。

 そう考えると焦ってくる。俄然と怒りが漲ってくると言うものだ。

 もう1回現れたら良いなあ、そうでなかったら最悪だなあ、と秋水は明るく復習プランを練りながら自転車を漕ぐ。


「……あ」


 と、そこで思い出した。


「しまった、バールだ」


 巨大バール、2本あった内の1本が曲がってしまったのだった。

 別に折れたわけではないし、曲がったと言っても直角に逝ったというほどでもない。使おうと思えば使えなくもないかもしれないが、流石に使用感が大きく変わりすぎてしまう。それを考えると破棄するしかない。

 巨大バール2刀流はしてないが、素の筋力と身体強化の強化倍率が爆上がりした今、もしかしたら巨大バールを2本同時にぶん回せるかもしれない。

 なので、巨大バールは2本欲しい。

 秋水は一度自転車をとめ、ちらりと時間を確認した。


「今日もホームセンター行くか」


 防具を新調したついでに、武器も色々新調しても良いかもしれないな、と秋水は一度考えてから、そこで再び迷った。

 巨大バールは欲しい。

 それは本当だ。

 しかし考える。




 ホームセンターで、今以上の武器が調達出来るだろうか。




 もしかしたら、秋水がまだ見つけていないだけで何かあるかもしれない。

 もしかしたら、何か別のジャンルの道具が、全然別の使用方法で武器に化けるかもしれない。

 しかしながら、それは巨大バールを超えるだろうか。

 昨日ホームセンターで会った渡巻から教えてもらったゴムネットは、角ウサギ戦で大いに役に立った。

 しかし、それはバールとは別のベクトルの役立ち方である。

 確かにホームセンターで買えるものを武器に転用すれば、戦う手法は増やせるだろう。手札を増やすのは大切だ。


 が、それは、根本的な問題解決なのだろうか。


 筋トレで言えば、やれるトレーニング種目を増やしていっているだけで、それぞれのトレーニングにおける重量も、回数も、セット数も、全く増えていない感じじゃなかろうか。

 そもそもホームセンターで手に入れているバールも、本来は武器ではない。

 武器ではない物を、武器として転用しているだけである。

 バイク用のヘルメットなどのように、モンスターと戦う目的ではないものの、元々身を守る防具として作られたものを戦いに転用しているのとは訳が違う。

 もしも武器を新調するならば、なんちゃってランディング装備を真面目な方のライディング装備に新調したのと同じく、なんちゃって武器を真面目な方の武器に新調する時期なのではなかろうか。

 いや、現段階でバールに不満があるわけではない。

 現に巨大バールは角ウサギ相手に一撃必殺を叩き出す、オーバーキルの武装である。

 普通のバールだって、ボスウサギ戦では大活躍であった。取り回しも良いし、腰ベルトに差していれば邪魔にならないし、丈夫だし。

 そう考えれば、別に今、武器らしい武器に買い換える必要はないのだが。

 だが、その武器らしい武器、を知っておくのは、大事である。


「斬撃、試してねぇなあ……」


 そして、秋水はその、武器らしい武器、を取り扱っている店を、知っている。











 秋水の住む地域は、山に囲まれ、清流とか謳っている川が流れ、良く言えば自然豊かな土地だ。

 そこそこは栄えているものの、ぶっちゃけ田舎だ。とは言えど、スローライフを絵に描いたような田舎、と言うほどでもない、絶妙なさじ加減である。

 何もない田舎というわけではなく、特産品は色々とある。

 鮎が美味い、唐揚げが美味い、ウナギが美味い、しいたけも有名らしいが昔から食べているので違いが良く分からない。

 そして、秋水が住む街ならではの、有名な特産品がある。


 刃物だ。


 昔から、刃物で有名な街である。

 かつては日本刀の産地の1つだったらしい。なんでも鎌倉時代から脈々と継承されたうんちゃらかんちゃら。興味がないからなにも覚えていない。

 ただ、有名なのは確かであり、年に1度開かれる刃物を中心としたお祭りでは大量なる観光客、と言うよりも刃物を求めてやって来た大量なるヤバい人達でごった返すのは、もはや冬が近くなったと感じさせる恒例の風物詩となっている。

 そのお祭りから3ヶ月は経過しているが、秋水は今さらになって後悔していることがある。


 なんか買っとけば良かったな、と。


 お祭りは包丁やら爪切りやらハサミやら、日常的な刃物が出店で大量に立ち並ぶ。

 そして、それ以外にも、色々な刃物が並ぶのだ。


 斧とか。


 鍬とか。


 鉈とか。


 なんなら、刃を潰しただけのガチもんの日本刀だって並ぶ。研ぐなよ、と注意書きがされている時点でお察しするしかない。

 どれか1本でも購入していれば、今の戦闘スタイルは大きく違っていたかもしれない。

 いや、当時はダンジョンの存在などまるで知らず、こんなことになるなんて思ってもいなかったのだから、買ってないのは当然だ。第一、秋水の人相で刃物を買うと、滅茶苦茶警戒されてしまうのだ。それも当然なのかもしれないが。

 惜しいことをした。

 それは素直にそう思う。

 しかし、別にそれらの刃物はお祭りの時期でなければ買えないというわけではない。

 秋水の住む街では、その手の刃物はいつでも買える。

 その手の店が、幾つかあるのだ。

 今の時代はネットで鉈だろうと斧だろうと買えるのだが、命を預けるお試しの武器は、とりあえず手で持って確かめたい。


 だから、自転車を漕いでえっちらおっちらとやって来た。


 ちょっと遠かったが、良い運動である。

 駐輪場に自転車を止め、秋水はその店を改めて見上げた。

 いや店と言うか、施設と言うか。

 両親と共に何度か訪れたことはあるが、独りで来たのは初めてだ。

 去年のお祭りの時に寄ったとき以来だから、3ヶ月ぶりだろうか。

 相も変わらず、そのまんまなネーミングセンスのその施設に、秋水は小さく笑ってしまう。


「来ちゃったなぁ、刃物屋」


 刃物の街の、刃物の店だ。



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 15話『戦いの模索』 でちらりとだけ話に上った、秋水の住む街、と、斬撃のお試し、のフラグがようやく回収出来る(;´д`)


 ちなみに、この街のモデルは実在。ただしフィクションですよ(*'ω'*)

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