70『深夜帯に独りで利用している初心者、という異常事態』
筋トレマシンにおいて、おおよそ何処のジムでも設置している定番中の定番と言えるマシンは幾つか存在する。
ラットプルダウンのマシンは、その定番マシンの1つである。
鍛える筋肉は背中、主に広背筋だ。
やり方は非常に簡単。
椅子に座る。
体が浮かないようにパットの下に太ももを入れて固定する。
頭上にぶら下がっている棒を、力強く引っ張る。
以上である。
「おお、これ、あ……たのしい!」
そのラットプルダウンを、恐らく生まれて初めて行うことになった美寧からの反応は、とても良好なものであった。
初体験と言うことで、とりあえず10㎏で設定し、ラットプルダウンの椅子に美寧を座らせてみたときは、何故かおっかなびっくりという様子だった。
それから細かいフォームは抜きとして、とりあえず頭上の棒を胸まで3回だけ引っ張り下ろして下さい、と雑な指導をしてみたときは、嘘だろ、みたいな顔をされた。
しかし、一度立ち上がってからケーブルで吊されている棒を掴み、そのまま座ったところ、美寧の表情は一変する。
がしゃん、と重りが上げられる音と共に棒を引き下ろせば、美寧の様子は今の通りとなった。
「あ、伸びる伸びる。背中伸びる。きもちー」
どうやら引っ張り下ろしたときよりも、棒が上へと引き戻されて体が伸ばされている感覚が気に入ったようである。
まあ、強制的に筋肉にストレッチが掛かるので、体の硬い人にはマッサージ代わりにもなるとか何とかは何処かで聞いた気がする。
「さ、美寧さん、2回目をどうぞ」
「あ、はいはい。よいしょ」
ストレッチが気持ち良いのは分からなくもないが、それを噛み締めている美寧を急かすようにして秋水が声を掛ければ、はっと気がついたかのように慌てて美寧が頭上にぶら下がっている棒を引っ張り下ろす。
フォームは何とも雑である。
胸は張れておらず、肩は竦んで肩甲骨は上がっている。
力一杯に棒を握っているので、背中ではなく腕の力で引っ張っているのが傍から見ても丸わかり。
しかし、それに関しては今は指摘しない。
まあ、そもそも、フォームはどうでも良いから、まずはやってみよう、と言ったのは秋水なのだ。
「これで、3回目……あれ、これバーからこのまま手離したらマズいよね?」
「そうですね。稼動しているプレートがぶつかって結構な音が響いてしまいます。ゆっくりと立ち上がりながら、そっと戻してみましょう」
「はーい」
流石に10㎏を3回程度、楽勝も楽勝の様子だ。
息を切らすこともなく、美寧はゆっくりと立ち上がって棒の位置を元に戻していく。
「なんかこれ、楽だね。軽かったからかな?」
「そうですね。今回の重量はバーベルの半分で、ぶら下がっている棒の重量だけ更に負荷が引かれていますから」
「おっと、予想以上に初心者様重量だった」
「ですが、言い方は変ですが、楽なのは確かですよ。なにせフリーウエイトとは違ってバランスを取る必要がない分、他の筋肉を使わずに背中を動かすことに集中出来ます」
再び椅子に座った美寧に、秋水は再度説明を口にした。
椅子などに体を固定させている分、マシントレーニングの方がフォームやバランスに余計な気や体力を散らすことなく、集中的に目的の部位を鍛えることが出来る。
もちろん、マシントレーニングにもそれぞれの種目でそれぞれ最低限のフォームやバランスは求められるが、その水準はフリーウエイトのソレよりもずっとハードルが低い。さらにはフォームの悪さが怪我や関節痛に直結する、と言うリスクも低いのだ。
「ヒップヒンジが出来るように柔軟を行うのと平行して、背中の筋肉の動かし方、というのをマシントレーニングで体得してみるのを、私はお勧めしますよ」
美寧にラットプルダウンをお勧めした理由はコレである。
ベントオーバーロウを昨日の今日では成功させるのは、正直無理だろうな、と秋水は考えていた。美寧が昨日、ベントオーバーロウを体得出来なかったのは、単に体が硬かったから、だったからである。
人間の体というのは、1日2日で簡単に柔らかくなったりはしない。丁寧に、少しずつ、ストレッチで固まっていた筋肉を解していかなくてはいけない。
そして、硬くなって今まで使われていなかった筋肉を動かす、という練習も必要になってくる。
人間は良くも悪くも慣れの生き物である。動かさなかった筋肉は段々と動かなくなっていくし、その結果として筋肉が硬くなっていく。
逆に、動かす訓練をしていけば、動かなかった筋肉はスムーズに動くようになるものである。
幸いなことに美寧の背中や尻やもも裏の筋肉は、石のようにガチガチに硬い、と言うレベルではない。普通のスクワットくらいは出来るレベルである。
尻の筋肉である大臀筋と、もも裏の筋肉であるハムストリングスは、ヒップヒンジの練習で動かす訓練は出来るだろう。
残るは背中そのものの筋肉だ。
それを狙って動かすのが、ラットプルダウンである。
「えっと、これがラットプルダウン、だよね?」
「そうです。背中を鍛えるマシントレーニング、ラットプルダウンになります。同じく背中を鍛えるマシンとしては、隣にあるローローもありますね」
「ろーろー……背中なんだから、あれも引っ張る系なんだよね?」
「よく勉強されていますね。偉いですよ」
「……えへへ」
「あちらのローローも椅子に座り、パットに胸をつけ、レバーを手前に引っ張るトレーニングになります。あとでローローもやってみましょう」
「はい! ヨロシクお願いします先生!」
やる気は十分。良いことだ。
ぴしっと右手を額に当てるように敬礼っぽいポーズをしてきた美寧は、何とも良い笑顔である。
それ敬礼じゃないけどな、と心の中でツッコミを入れながら、秋水はマシンの重量設定ピンを一度解除する。それからちらりと美寧を見てから、すっとピンを20㎏の重りへ差し込んだ。
上から下に引っ張るという運動方向の関係上、ラットプルダウンの適正重量は運動者の体重から比較的簡単な計算で割り出すことが出来る。
しかしながら、流石に女性に向かって、体重はどれくらいですか、と尋ねる勇気を秋水は持ち合わせていなかった。いや、それは勇気ではなく無謀と言うのか。
「それでは、20㎏でスタートしましょう。フォームを確認していきます」
「あ、ちゃんとフォームはあるんだね、良かった」
「先程のは、まずはマシントレーニングがどういうものかを体験して頂くためにやってもらっただけですから」
まあ、正確にはラットプルダウンはケーブルマシンなのだが。
通常のマシンよりもフリーウエイト寄りと言う中間的な立ち位置であり、マシントレーニングの体験入門編としては不適切なのだが。
秋水は自分自身の発言に、内心でツッコミを入れていく。
仕方がないだろう。美寧がフリーウエイト至上主義だった場合に備えた予防線だったんだから。
「では、私と代わってもらってもよろしいですか?」
「どうぞどうぞ」
お手本を見せるため、秋水は美寧とマシンの交代する。
頭上の棒を握り、引っ張りながら椅子へと座る。
20㎏に自分で設定しておいて言うのもあれだが、軽い。腕の重さだけで引き下ろせそうである。
「まずは一般的なフロントタイプのフォームですが、手幅だいたいこれくらいですね。肩幅の5割増しくらいで良いでしょう」
「肩幅の150パーくらい……うんうん」
「握り方は軽くで。小指側に力を入れて、親指側の方は力を緩めましょう。なんなら親指は掛けない、くらいの方が分かり易いかも知れません」
「小指と薬指でぐっとして、中指ほどほど、人差し指軽く、親指外す……うん」
「そして胸を張ります」
「胸を張る……えーっと」
「左右の肩甲骨を中央に寄せるようにして、下に下ろす感じです」
「あ、ベンチプレスの時みたいだね」
「そうですね。ベンチプレスの時とは違って上へとストレッチがかかっているので、ここは意識しましょう」
「OKですOKです。肩甲骨を意識、っと」
「あとは、このまま鎖骨当たりまで引っ張り下ろします」
「ぐいっと。承知承知」
「このときなんですが、手の平を意識して引っ張るのではなく、肘を意識してみて下さい」
「肘?」
「はい。この棒を引っ張って下ろす、と言っていますが、認識としては肘をお尻の……そうですね、骨盤に向けて下ろすイメージでやるんです」
秋水の説明をスマホのメモアプリか何かに美寧は一生懸命にたぷたぷと入力していく。
元より学習意欲が旺盛な美寧である。ラットプルダウンはすぐに覚えてしまうだろう。
やはりマシントレーニングのフォーム習得は容易で、初心者には最適である。
ちらり、と秋水は美寧の顔へと目をやった。
胸を張って肘を骨盤へ、とイメージトレーニングのように空の状態でフォームの予行練習を始めている。
ここまでの様子を見る限りにおいて、美寧はマシントレーニングに対して忌避感を持っているようには見えない。
出会ったときから徹頭徹尾フリーウエイト一本勝負だったので、マシントレーニングの方は嫌いなタイプなのかー、と勝手に思っていただけに、とんだ肩透かしである。
むしろ、マシントレーニングに対して美寧は興味津々であるようにすら見える。
少なくとも、マシンなど邪道だ、マシンの設置スペースは無駄だから全廃するべき、と言うフリーウエイト過激派ではないようだ。
まあ、良かった。
フリーウエイトは確かに良いもので、秋水だってどちらが好きかと聞かれたらフリーウエイトの筋トレの方が好きだと答える。
だが、マシントレーニングはマシントレーニングで良いものである。スクワットだけでは刺激が不足気味の大腿四頭筋を、レッグエクステンションで追加の追い込みを掛けるのは下半身トレーニングでは鉄板中の鉄板だ。
マシントレーニングを行っても良いならば、トレーニングの幅はぐっと広がるのは間違いない。
それにそもそも、マシントレーニングは、初心者に、最適なのだ。
ならば、なんで初心者の美寧はマシントレーニングを今までしていなかったのだろうか。
フリーウエイトはどちらかと言えば中級者から上級者向けのエリアである。
もちろん、初心者お断り、と言う訳では決してないのだが、マシントレーニングに比べたらフォームに対する重要度が一気に跳ね上がり、かつバランスも取らなくてはいけないので、どうしても難易度が上がってしまう。
それに、これはあまり褒められた内容ではないのだが、バーベルやダンベルが置いてあるフリーウエイトのコーナーと言うのは、基本的にガラの悪い方々がよく使っているのだ。
いや、言い方が悪すぎた。威圧感のある方々がよく使っているのだ。
再度となるが、フリーウエイトはどちらかと言えば中級者から上級者のエリアである。
なので、基本的にはそれに見合った体格の方々が、汗を流して熱気を出して歯を食いしばって己と戦っているエリアである。
普通に考えて、マッチョが本気で追い込みをしている場所に、初心者は入って行きづらいものなのだ。
そのフリーウエイトで汗を流しているマッチョの一員である秋水から言い訳を言わせて貰えば、別に初心者をエリアから追い出しているつもりは一切ないし、寄せ付けないように威嚇しているつもりも一切ない。むしろ筋トレ民の新人は是非来て頂きたいと思っている。
しかしながら、初心者はフリーウエイトのコーナーに近寄ってこない。
よって、初心者は通常、難易度が低いマシントレーニングの方に流れて行くものなのだ。
なのだが、美寧は最初からフリーウエイトだった。
だからこそ、秋水は美寧がフリーウエイト至上主義的な人なのだと思っていたのだが。
「……よしっ、先生代わって! 何か出来そうな気がする!」
目を輝かせながら意気込んでいる美寧は、そんな風には見えなかった。
ではどうぞ、とラットプルダウンのマシンを交代すれば、美寧はすぐにケーブルにぶら下がっている棒を握る。
手幅、良し。
肩幅より広く取っている。
握り方、良し。
小指側をしっかり、人差し指側を緩く、そして親指は外している。
そしてそのまま椅子に座れば、バンザイのような格好でストレッチ。
「うおー……やっぱこの引き伸ばされる感覚気持ち良いー。これクールダウンのストレッチに良いんじゃない?」
「なるほど、ラットプルダウンでクールダウンの静的ストレッチ……それは考えたことがなかったですね。その状態から肩甲骨を上げ下げするのもクールダウンに良さそうですね」
「あ、そうだ、こっからベンチプレスみたいに胸を張って……うわ! え、ちょ、背中一気にキツ!?」
「おっと、美寧さん、その感覚です」
「え? これ? なにが?」
「その背中の感覚、背筋を動かす感覚ですよ」
「え、これ肩じゃないの!? あ、でもそうか、キツいの背中だこれ!」
きゃっきゃとしている美寧の声は、よく通る。
本来であればジムの中でこれだけの声を出すのはマナー違反なのだが、今は2人だけなので不問ということにする。
「そんで、これを、肘を、骨盤……にっ!」
掛け声と共に、棒を引っ張り下ろす。
良いフォームだ。
1回目にしては完璧と言って良い。あとは上体の角度を指摘するくらいじゃないだろうか。
「素晴らしいです。良く出来ています。今度はそれをゆっくり戻します。ゆっくりですよ」
「ふっ……ぅ」
「上に引っ張られている力に耐えるように、ゆっくりとです。戻すときこそネガティブトレーニング。出来ていますよ、素敵ですよ」
「ぅ……ぅぅ……」
「あと少しです、もう少しです。胸は張った姿勢は維持したままですよ。大丈夫です。出来ています。それでは、はいもう1回引っ張って」
「ぅええ!?」
さり気なく2回目をするよう声かけすれば、美寧は驚きながらも再び引っ張り下ろした。
そうそう。
マシントレーニングを色々と初心者に向いているだの体が固定されていて楽だのと言いこそしたが、マシントレーニングだって筋トレである。
真面目にやれば、キツいことには変わりがない。
「可愛い、美人、広背筋。美寧さんの筋肉が輝いている。背中に力が入っていることを感じながら、肩甲骨を下ろして、はい棒を更に下ろして」
「ぅ、っ……いやちょ、ふぅぅー」
「はいゆっくり戻します。手の平は考えなくても良いですよ、大事なのは肘です肘。引っ張られる力を背中に感じながら、その力に逆らうようにゆっくりです。さあ頑張って、僧帽筋こそ首筋美人」
「ちょぉぉっと、ふぅ、せんせ」
「さあ引っ張って」
「ふにぃっ!」
そうして何だかんだと10回。
これで1セット、で良さそうである。
再び棒を握ったままバンザイのような姿勢で座っている、息がすっかり上がってしまった美寧を見ながら秋水は大きく頷いた。
「ら……楽とか、はぁ、言って……ふぅ、ごめんなさい……」
若干腕がぷるぷるしている美寧が握っているその棒を代わりに秋水が受け取り、ゆっくりと戻す。
負荷によって無理矢理にストレッチが掛けられている状態から解放された美寧は、そのまま足を固定するパットにぐてっともたれ掛かった。お疲れである。
「と、まあ、マシントレーニングでもしっかり背中の筋肉に刺激を入れられます」
「ぬあぁ、ちょっと、背中暖かいって言うか、変な汗が出てくるぅ……」
「動かしてなかった背筋を、急に動かしましたからね」
「昨日先生が背中硬いとか背筋動いてないって言ってたこと、やっと痛感したよ。私の背筋って死んでたんだねコレ」
「あと2セットやってみますか? 見たところ、3セットもやれば明日は確実に筋肉痛になると思われますが」
「背筋生き返らせる代わりに、私が死んじゃう感じじゃんね……」
ぬぁ、と美寧が妙な鳴き声を上げる。余裕はありそうなので、本当にあと2セット出来そうではある。
息を整えている美寧を見ながら、ふむ、と秋水は一度鼻を鳴らす。
「ところで美寧さん」
「は、はひ?」
「話が全く変わってしまうのですが、1つ質問してもよろしいですか?」
「え? うん」
タイミング的にも丁度良さそうなので、秋水は疑問に感じていたことをそのまま聞いてみることにした。
「マシントレーニングはやって頂いた通り、フォームの習得は比較的簡単で、安全性も高いです。正直なところ、バーベルやダンベルと比べれば、初心者の方はこちらの方が取っ付きやすいかと思われます」
何だろう、と顔を上げた美寧に、まずはワンクッション。
聞きたいことは、美寧がマシントレーニングを全然してこなかったことについてである。
「ですが、美寧さんがマシントレーニングを選択してこなかったのには、何か理由でもありましたか?」
「えっと……」
疑問を口にしてみれば、美寧の方からは即答はなく、むしろぎょっとした表情をして口籠もってしまった。
美寧の視線がすっと一度下を向いてから、うろうろと右上へと上がっていく。分かり易い狼狽え方である。
秋水が居ないときにやってる、とか、秋水と遭遇する以前の一番最初の頃にやってた、とか、返答のパターンとしてはこれくらいかなと思っていたのだが、どうやら違うようだ。
何処か言い辛そうだ。
やはり聞かない方が良かっただろうか。
「いえ、無理に聞き出したいわけではないです。ただ、今までマシンは嫌いなのかと思っていたので、すんなりラットプルダウンを受け入れて下さったことに驚きまして」
「えーっと……いや、ほら、うん」
人の事情はあれこれ聞かない方が良いだろうと、秋水はすぐに話を切り上げようとしたが、それでも美寧の方はもごもごと言葉を濁していた。
若干顔が赤くなっているのは、ラットプルダウンをやった後だからだろうか。
それは、とか、うーんと、とか、美寧が唸っているのを秋水はしばらく待つことにした。女性の発言を潰すと後が怖いのは身を持って知っている。
そして少ししてから、すいっと美寧が視線を横に逸らし。
「なんか、こっちの方が、むずかしそうじゃん……」
とか何とか。
言い辛そうと捉えるべきか、恥ずかしそうと捉えるべきか、何とも微妙な表情でぽつりと零した美寧の発言に、思わず秋水は自分の耳を疑ってしまった。
マシントレーニングの方が難しそう?
フリーウエイトよりも?
いや、そんな馬鹿な。
「はい?」
「や、ほら、なんか機械おっきいし! レバーがあるし! ガションガションってしてるし!」
口をついて出てきてしまった疑問の言葉に、ぱっと美寧は目線を戻して慌てて弁明を行った。
弁明、で合っているだろうか。
「筋トレってダンベルとかのイメージしかなかったし……ど、どれ動かして良いか分かんなかったし……見たことなかったし……」
しかしながら、その弁明らしき言葉は、段々と尻すぼみになっていく。
美寧の顔は真っ赤である。
羞恥だろうか。
今度は秋水が、えっと、と口籠もる番である。
「いえ、でも、他の方がしているのを見たりとかすれば……」
「見たことない……」
「え?」
またもや思わず聞き直してしまった。
マシントレーニングなんて、誰かしらやっている姿は見るだろう。
そう思ってしまったが、そこで秋水ははたと気がついた。
あ、そうか。美寧がジムを利用している基本的な時間は、この深夜の時間である。
他に誰もいない時間だ。
それに気がついたのと、顔を赤くしたままで美寧が、きっ、と秋水を睨み上げたのはほとんど同時で。
「見たことないの! ずっと独りだったの!」
ああ、やっぱり。
逆ギレのように美寧が吠えた。
ジムでの大声はマナー違反である。
「だって、ここの入会ってカードあれば受付機で出来るし、入会したのも今みたいな時間だったし」
深夜にジムまで歩いてきて、無料体験や説明などを受けることなく、たった独りで入会手続きを済ませてジムに入ってくる女子高生。
度胸ありすぎやしないだろうか。
ジムに説明なしで跳び込んでくるのは百歩譲って分かるにしても、よくよく考えてみれば深夜に独りで徘徊している女子高生という段階で度胸が凄い。
「せ、先生来るまで、誰ともほとんど時間被んなかったの! その先生がバーベルとかばっかだったから、機械動かしてるの見たことなかったの!」
「それは……申し訳ありません」
思わず謝ってしまった。
そうか。率先して自分が教えるべきだったのか。確かにそれはそうである。
つまりあれか、見たことも聞いたこともない大きなマシンに対して、その威圧感で美寧は難しそうだなと思い込んでマシントレーニングはしてこなかった。
そしてそれを秋水が見て、美寧はマシントレーニング嫌いなんだな、と勝手に解釈をしてしまった、と言うことか。
なるほど。
これは確かに、初心者に対してマシントレーニングを勧めず、そして手本すら見せてこなかった秋水が悪い。
「私がマシントレーニングに関して先に聞いておけば良かったですね。重ねて申し訳ありません」
「あ、や、先生は全然悪くないけど、えっと、むしろごめん」
改めて謝ると、急にトーンダウンした美寧に逆に謝られてしまった。
いや、別に美寧が謝る必要はない。
美寧は初心者なのだから。
「て言うか、うん、今の今まで、機械の方が初心者に向いてるっていうの知らなかったんだよね……はは」
自嘲するように美寧が乾いた笑いを零す。
そうである。
美寧は初心者だ。
知らないことを、今から知っていく段階の初心者である。
そうだよなぁ、と秋水は少しだけ頭の中で考えた。
「美寧さん」
「はえ?」
あーあ、と溜息を零していた美寧の名前を呼べば、ぱっと顔を上げてくれた。
「今日はマシントレーニングを1周してみませんか?」
そして、秋水が口にしたその提案に、美寧の表情がぱぁっと明るくなった。
「いいの!?」
「ええ。このジムにはケーブルマシンを除けばマシンは15種目分あるので、軽い説明と1セットずつくらいしか出来ないかも知れませんが」
「そんな、全然良いよ! 名前と基本的な動き方だけでも教えて貰えたら、あとは自分で勉強するって!」
「かしこまりました。ラットプルダウンはどうしますか? もう2セットくらい行きますか?」
「いやいや、他に背中のあるんでしょ? まずは一通り全部やってみたいです先生!」
「承知しました」
初心者はとにかく知ることから始めなくてはいけない。
そう思った秋水の親切心から出た提案に、目を輝かせながら即座に美寧が乗っかって、本日の美寧の筋トレメニューが決定した。
と言うわけで、本日は美寧にマシントレーニングをみっちりと教え込むことと相成ったのである。
ちなみに、マシントレーニングとは特定の筋肉を狙い撃ちして行う筋トレである。
軽くとは言えども、初心者がマシントレーニングを15種目行うのがどういう意味なのか、美寧は深く考えていなかった。
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筋トレの話を書くと文字数が(;´Д`)
ちなみに、作者が最初にジムに入り、最初にやったマシンがラットプルダウン。
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