66『パンプアップ』

「てことは、つまり、なんだ?」


 頭を抱えた後、秋水はよっこいしょと畳の上に腰を下ろして考えた。

 ボスウサギを殺し終え、出口の扉をくぐって分かれ道を進み、辿り着いた上り階段の先は、秋水が寝泊まりしているセーフエリアであった。

 今までそんなT字路なんてなかったのに、急に通路が開通したと言うことなのだろうか。

 んな馬鹿な。

 普通に考えれば、そんなものの数分で新たな通路が出来上がる、なんてあるわけがない。

 ないのだが、ここはダンジョンである。

 不思議なことなんて平然と起こるダンジョンだ。

 セーフエリアに初めて足を踏み入れた瞬間にはなかったはずの扉が、急に出現する。

 ボス部屋に初めて突入したその瞬間にはなかったはずの出口が、ボスウサギを殺し終わったら急に出現する。

 なかったはずの扉が、いや道が、突如として現れるのは、すでに2度も経験している。

 それを考えれば、新しい通路が唐突に開通する、というのも、あり得なくはない、かもしれない。

 つまり、えーっと。


「……地下3階への階段、へ向かう道のショートカットが開通した、ってこと?」


 で、良いのだろうか。

 セーフエリアから階段を降りて、その先のT字路を左に曲がり、さらに進んだ先のT字路の左に行けば、地下3階への階段がある、と。

 なるほど、ショートカットのコースだ。

 地下3階に向かうのに、また角ウサギを蹴散らして、ボスウサギをぶっ殺してからじゃないと進めない、とはならない、と言うことか。

 なんと言う親切設計。

 その結論に辿り着いた瞬間、秋水は後ろ向きに勢い良くバタリと倒れ込んだ。


「び……びびったぁぁぁっ!」


 いや心臓に悪い。

 ビビらせるんじゃないよ。

 角ウサギに初めて襲い掛かられたときより心臓ドキドキだったんだからなこのヤロウ。

 誰に向けるでもない悪態を、秋水は安堵ともに心の中で吐き出した。

 扉の開いた上り階段を見たときに、このダンジョンに自分以外の誰かがいる可能性に思い至り、めちゃくちゃビビった。

 正直に言って、恐怖である。

 自分しかいないと完全に油断をしていた秋水も悪いのだが、対人交流があまり得意でない秋水からすれば、他の誰かがダンジョンにいるかもしれないと言うのは、かなり心臓に悪かった。

 その誰かが、秋水にとって良い人であるならば、それはプラスな出来事なのかもしれないが、正直なところ、その可能性は低いと思っていたのだ。


 良い人が、ダンジョンの存在を秘密にしているだろうか。


 しないだろ。

 直感的に、そして良く考えてみても、結論はその一言しかなかった。

 良い人は、ダンジョンの存在を世間に対して隠したりなかしない。

 秋水はその点に関して、断言が出来る。


 なにせダンジョンには、いやセーフエリアには、ポーションがあるのだ。


 以前、秋水も悩んだことがある。

 ポーションを世に出すかどうかである。

 心優しき人間ならば、医療の大革命を起こせるであろうポーションを独占するとは思えない。いや、そうじゃないとしても、金に目が眩めばポーションを売りに出していてもおかしくはない。

 それを秘匿し、独占しているのは、人間としてそれ相応の性根であろうことは想像出来る。

 秋水自身が、そんな感じだからである。


 だから、まあ、マイルドに表現して、揉め事になるな、とは覚悟していた。


 盛大なる肩透かしだったわけだが。


「うーわ、なんか一気に、どっと疲れたぞこれ」


 仰向けに倒れたまま、秋水は無意味にじたばたと軽く暴れる。気分は駄々っ子である。

 いや、勝手に勘違いをして、勝手に緊張していた自分が悪いのは理解出来ているが、気分の問題だ。

 だって、今までセーフエリアから降りた先に、分かれ道なんてなかったし。

 普通に勘違いするって、こんなん。

 緊張して損した。

 あーあ、と秋水は盛大なるため息を吐き出して、横になったままぐいっと伸びをする。

 精神的には疲れたが、頭を切り換えることにしよう。

 もう一度溜息をついてから、秋水はもそもそと上体を起こす。


「……いや、逆に考えるか」


 特大なる早とちりではあったが、今回の件は収穫が何もなかった訳ではないはずだ。

 なにせ、今まで想定すらしていなかった、秋水以外の誰かがすでにダンジョンに潜っている、という可能性を発見したのだ。

 と言うか、秋水の家の庭以外にも、ダンジョンに通じる入口があるかもしれない、という可能性である。

 ふーむ、と秋水は顎に手を当てて考え込んだ。


「でも、あの分かれ道が、こっちのセーフエリアへのショートカットだとすると、むしろ可能性は無くなったんじゃないか?」


 だよな? と秋水は顔を上げて天井を見上げた。謎に光っている天井が眩しい。

 考えてはみたものの、今回のショートカットコースの開通によって確かになったのは、あの地下2階は下り階段以外の全ての道を制覇し終えた、と言うことと、ここのセーフエリア以外に続く上り階段はなかった、と言うことの2点である。

 ああ、いや、もしかしたら別に新しい道が開通している可能性があるので、もう1周回ってみないことには断言出来ないが。


「あとは……下の階からの派生分、か……」


 そして、もう1周回って確かめたところで、断言出来るのはあくまでも 『ここの地下2階からの上り階段は1つだけ』 と言う点だ。

 例えば地下3階から、別の地下2階へと続く道がある可能性だって否定は出来ない。

 可能性の話だけならば、だが。


「ま、心構えだけはしておくか」


 今考えたところで仕方のないことではあるが、いざ、というときのことは想定しておかないといけない。

 例えば交渉とか。

 例えばトラブルの対処とか。

 例えば、対人での殺し合い、とか。

 天井を向いたまま秋水は再び嘆息した。どの状況を想定しても、ウルトラ面倒臭いじゃねぇか、とげんなりな気分である。

 とりあえず、友好的な態度を示すように笑顔の練習でもすれば良いのだろうか。


「じょーだん」


 呟きながら秋水は立ち上がる。

 笑顔は苦手だ。昔からどうにも上手くいかない。

 どうしたもんかね、と考えつつ、秋水はもそもそとライディングジャケットを脱ぎ始める。

 トラックに轢かれたのか疑われるレベルでボロボロのボロになってしまっているライディングジャケットである。これはもう着れないな、と脱いでから、右肘と肩と背中に仕込んでいたチタンプレートを抜き取る。


「あー、肘のも駄目だなこりゃ」


 吹き飛ばされた左はともかく、右肘のチタンプレートもよく見てみたら歪んでいる。

 これはやはり、防具のヴァージョンアップも真面目に検討しておいた方が良いかもしれない。


「開店一番でバイクショップに入ってみるか……あのバイクショップって何時開店だ?」


 脱いだものをテーブルに置きながら、秋水は首を捻る。

 真面なライディングジャケットを売っているであろうバイクショップは、その店の看板が大きいので遠目には知っているが、実際に入ったことはない。

 まあ、昼くらいには流石に開いているだろう。そんな当たりをつけながら、秋水は続いて同じくボロボロになってしまった服もまとめて脱いだ。

 思いっきり肩透かしを喰らってしまい、もう精神的に疲れてしまった。

 地下3階に続くであろう下り階段も様子見するつもりであったのだが、今日はもうダンジョンアタックはいいや、と言う気分である。

 今日はもうお休みだ。

 せっかくボスウサギをぶっ殺すことが出来たというのに、何故だろう、全然お祝いムードな感じがしない。残念すぎである。


「あ、そうだ」


 ライディングパンツも脱いで、パンツ一丁という冬場には少々ラフ過ぎるスタイルになってから、急に思い出した。


「左腕、大丈夫だよな?」


 実に今更な心配である。

 左腕が普通に動くことは確認したが、それ以上しっかりとは見ていなかったのだ。

 違和感はないけれど、と秋水はパンツ一丁なその姿のまま姿見の前に立った。


「……ふむ」


 鏡には、パンツだけ穿いた不審者スタイルの極悪人面大柄マッチョが映っている。言わずもがな秋水だ。

 ぱっと見て、左腕に切断跡みたいな傷跡は見受けられない。

 たぶん、大丈夫。

 皮膚が突っ張るような感じもないし、筋肉痛みたいなものもないし、普通に動くし。

 あのポーションはつくづくヤベぇな、と感心してしまう。


 ポーションは、間違いなく人智を越えている。


 つくづく、そう思う。

 少なくとも、完全に秋水の理解の外側にある品物である。

 回復するという理屈が全く分からない。

 使用すると急激に腹が減ることから、体の栄養素を使って自己回復能力を爆上げさせているのかな、とも最初の頃は思っていたのだが、それは早い段階で否定出来ている。

 腕の再生もそうだし、腹の風穴もそうなのだが、明らかに人間が自然に再生出来る範疇を超えている回復を成し遂げている時点で、明らかに人間の持つポテンシャル以上のなにか不思議な外力が働いているであろうことは明白である。

 正直、ポーションに関しては深く考えない方が良いかもしれない。

 と言うよりも、深く考えたところで何も解明出来ない、と諦めた方が良い。


 飲んだら疲労や怪我が回復する。


 傷口に掛けたら素早く傷が回復する。


 だけど回復したら腹が減る。


 この3点を馬鹿みたいにそのまま覚えておくしかないだろう。

 理屈もクソもない。

 本当に不思議だ。

 ポーションはヤベぇ、と再び心の中で呟きながら、両腕で力こぶを作るように、フロントダブルパイセップスのポーズを作る。


「……あれ?」


 そこで、違和感があった。


 痛みがあるとか痒みがあるとか、そう言う体感的な違和感ではない。

 鏡に映る自分の姿に、違和感があった。


「なんか、んー?」


 フロントダブルパイセップスをかましている格好のまま、姿見をまじまじと見つめる。

 違和感。

 感じたそれは、一過性の気のせい、と言う感じではなく、鏡をまじまじと観察しても、何か変だ、という違和感だけが頭の片隅に引っ掛かっている感じだ。一度抱いてしまうと、非常に気になってしまうタイプの違和感だ。

 それが何か、と聞かれると困るが。


「腕の長さ、は同じくらい、だよな。色白になってるわけでもないし、んー……痩せた、って感じでもないし……」


 とてもモヤモヤする。

 一度ポーズを解き、左側面を鏡の前にしてサイドチェストのポーズに移る。

 肩と腕と脚の筋肉が隆起する。

 うん、仕上がっている。

 良い筋肉だ。

 違うそうじゃない。感じている違和感の正体を探すのだ。

 そう思ってしばらくサイドチェストをしている自分の姿を観察してみるものの、なかなかに違和感の正体が分からない。


「……駄目だ分かんねー」


 降参だ。

 何かがおかしい、というのは分かるのだが、具体的に何処がおかしいかが分からない。くしゃみが出そうで出てこない並のモヤモヤ加減である。

 ふぅ、と息を吐き出しながらポーズを解く。

 ぱっと見ではダンジョンアタック前と変わっていない、ような気がする。

 別にナルシストというわけでもないので、毎日まじまじと自分の体をチェックしてはいないのだが、少なくとも大きな変化はない、ようには見える。

 自分の体型変化を記録するために自撮り写真を撮っていた時期もあったのだが、妹がドン引きした目をしながら、うわキモい、と呟いたのを聞いてしまい、それ以降はしていなかったのが悔やまれる。あの言葉はかなりの本気だったのでとても傷ついたのだ。

 まあ、その自撮り写真を撮っていたのは中学に上がる前の話ではあるが。

 小学生の頃は、みるみる筋肉が成長しているのが傍目で分かる感じだったから、体型変化が面白かったんだよなぁ、と秋水はついつい過去を懐かしんでしまう。

 当たり前ではあるのだが、小学生の頃は今程に筋肉がモリモリじゃなかった。秋水にも可愛い時代はあったのだ。


 そう、モリモリじゃなかった。


 こんなに筋肉のメリハリがくっきりと浮かび出ていなかった。


 血管が浮かび上がるような、筋肉ではなかった。


「……おーっと」


 再び秋水は鏡の前でポーズを取った。

 ボディビルのポーズではなく、左腕の力こぶを見せつけるような単純なポーズだ。「ぱわーっ」 とか言ったら似合いそうな感じのだ。

 上腕二頭筋がもりっと盛り上がる。

 陰影がくっきり映るかのような切れ込み。

 適度な脂肪に適度な水分。そして適度に浮かび上がる血管。

 間違いなく、きっちりと仕上がっている体である。


 いや、おかしいやろ。


 思わずエセな関西弁でツッコミを入れながら、続いて最初のフロントダブルパイセップスのポーズをもう1度取った。

 自画自賛のようで恐縮ではあるが、見事なものである。

 隆起する筋肉は鋼の如く、全身を鍛え抜いた証かのような素晴らしさ。

 このままボディビルの大会に出て行っても良い感じである。

 少なくとも、秋水の目にはそう映っている。

 どこかの質屋の店主が見たら、黄色い悲鳴と赤い液体を撒き散らしながら倒れているであろう光景だ。

 筋肉がきっちりと仕上げられている。

 だが、それがすでに、おかしい。




「なんでこんなパンプアップしてるんだ?」




 鏡の中の秋水は、『仕上げ作業をしていない』 にも関わらず、『仕上がっている』 体であったのだ。




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 ぱわーっ、やーっ。

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