64『棟区さん家には誰もいない』


「兄さん、醤油」


「お兄ちゃんは発酵調味料じゃありません」


「兄さん、そこの腐らせた大豆から絞り出した変わった匂いのする黒い液体取ってくださーい」


「ねえ母さん、納豆絞った液体に黒く着色した劇薬みたいなの飲みたがってる変わった女の子がいるんだけどー」


「え? 兄さんケツの穴にダンベル入れて死にたいって?」


「わあ、斬新」


 食卓での会話なんて、そんな下らない会話ばかりである。

 兄妹喧嘩は止めなさい、と母は怒り、食事中になんつぅ発言を、と父が嘆く。

 軽く冗談を言うと妹はすぐに怒るので、ごめんごめん、と秋水はいつも謝ってばかりであった。


「なあ母さん、冷や奴、1日に置きに夕飯に出てないか?」


「良いじゃないか豆腐。安くて腹持ちが良くてカロリーも低くて美容に良い。ウチの女性陣が大喜びじゃないか」


「なんで秋水がカットインして来んの?」


「いや、冷や奴リクエストしてるの俺だから……」


「犯人はお前か」


「だって母さん、タンパク質って言うとどうしても動物性のしか眼中になくて、納豆も豆腐もブロッコリーも言わないと買わないから」


「なんでウチの息子はこんな筋トレムキムキ野郎になってしまったんだろうなぁ」


「あんたが筋トレ勧めたんでしょうがよ」


 溜息交じりの父に対して、秋水も溜息交じりで返す。

 体を鍛える。秋水がそれにハマった源流へ辿れば、それは父の影響であった。

 とは言っても、父は細マッチョであり、秋水はゴリゴリの太マッチョである。ハマり具合や成長具合など文字通りに一目瞭然と言ったところだ。


「なに秋水、あんた肉嫌いだった?」


「いや好きだよ。好きだけどさぁ、もうちょい、魚とかさぁ」


「私が魚料理出来ると思ってんの?」


「思ってな……いやステイステイ、無言で箸振り上げるの止めような母さん。最近の冷凍食品とか出来合いの総菜とかってクオリティ高いよ?」


「安い肉買って、焼いて、焼き肉のタレかけた方がコスパ良いじゃない」


「わあ、豪快」


 自分自身が棟区家のエンゲル係数を跳ね上げている自覚があるだけに、秋水はなにも言えない。

 それに母にはちゃんと感謝をしているのだ。

 卵料理が食べたいと言えば、卵かけごはんが出てくる程度にはお世辞にも料理上手と言えない母だが、それでも料理の味はともかく食の質にはうるさい秋水に、文句1つだけでちゃんと対応してくれる母なのだ。


「ちょっと兄さん、醤油!」


「ああ、はいはい」


「はい、は1回。あとこれは焼き肉のタレ!」


「あ、ごめん。はいこれ」


「うむ、くるしゅーない」


「いっぱい食べて大きくおなり」


「油断すると横に大きくなるっつってんでしょうが!」


「初耳ぃ」


 妹がキレやすいのは誰に似たのだろうか。

 分かってる。いつも余計な一言が多い秋水のせいである。

 なんだかんだと言葉の応酬に付き合ってくれる妹は、家族想いの良い子なのだと思う。と言ってみれば、顔を赤くして、死ね、とか言われた。流石に言葉のナイフが鋭すぎやしないだろうか。




「て言うか、兄さん、また大きくなってない?」


「え、今むしろ脂肪減らしてる最中なんだけど」


「そんな簡単に脂身減らせるとかズルくない?」


「脂身て……」




「単に背が伸びて体格良くなったんだろ。もう俺より背が高いもんな秋水」


「えー、これ以上身長伸びてもなぁ……」


「確かに、女の子逃げちまうよな、今の秋水だと」


「それな。孫の顔はウチの長女に期待しといてくれ」




「はぁ、そろそろ秋水の服、新しくしないとね……子供の成長期って絶対こういう速度じゃない気がする……」


「安いので良いよ。ああ、そういや作業服の古着って格安だから、それ狙うとか」


「あんたは顔が顔なんだから、もうちょっとお洒落に気を遣いなさいよ」


「酷くね?」




 食卓を囲んで、夕食を食べる。

 それはいつもの光景だ。

 いつもの光景だった。

 それ以上は語りようのない、何の変哲も無い日常だった。

 だった。


 ああ、夢か。


 夢だな。


 ただただ、悟った。


 こんな日常の光景は、もう二度と、見ることは、ない。


 なるほどな。


 なるほど。











 死んだら、この光景が、また見れたりするのだろうか。











 腹が減った。


 その強烈な空腹感で秋水は目を覚ました。


「んあ?」


 変な声と共にがばりと体を起こす。

 布団じゃない。

 岩肌の上である。

 しかも上半身素っ裸。

 なんだこれ、と秋水は寝起きで少し混乱したが、自分の隣に転がっていたリュックサックを見てようやく思い出す。


「ああ、そっか、ボスウサギ殺して……」


 左腕は吹き飛ばされるわ脇腹も吹き飛ばされるわ蹴られるわ殴られるわ、と散々な目に遭いながらもぶっ殺し、何とか勝ったにも関わらず大量の光の粒子の吸収と、そして応急処置でかなりキモい思いをして。

 あー、これがトラウマになって肉が食えなくなったらどうしてくれるんだ。

 ダンジョンに突っ込んでいくお前の自業自得なのでは、と言うツッコミを入れる者は居らず、勝利の喜び大幅減どころかマイナスに落ち込んでしまった実質的な敗北を思い出し、秋水は忌ま忌ましさを吐き出すように大きく溜息を1つ。

 参った参った、負けだ負けだ。


 秋水にとっては、楽しいかどうか、気持ち良いかどうか、達成感があるかないか、それらが一番重要である。


 その観点からすれば、今回は殺し合いには勝てたが、内容としては負けも同然だ。

 感性のおかしい中学生である。

 やれやれ、と秋水は丸刈りの頭を左手でざらりと撫でた。


 ああ、そうだ、左手。


 自分の頭を撫でてから、その左手の存在に気がついてすぐに顔の前へと左手を持って行く。

 ボスウサギに吹っ飛ばされた左腕。

 千切れてしまった左腕。

 ライディングジャケットに仕込んでいたポーションによる応急処置と、飲んだポーションによる回復と、最後にぬねぬねとキモく蠢いていた断面にぶっかけたポーションによる、3重のポーション治療を施した、欠損した左腕だ。


「……治ってるよ、おい」


 その左腕は、当然のように、治っていた。


 いや、今まで散々とポーションはチートだ、特級遺物だ、現代医学を根本から覆すオーパーツだ、と思ってはいた。

 疲労なんて言う、現代医学においてはっきりとしたメカニズムを特定出来ていない感覚すら回復し、怪我なんて無かったかのように平然と治療する、そんな驚異の魔法の品だ。

 しかし、まあ、まさか四肢欠損のレベルまで治せるとは。


「すげぇ……」


 あまりの驚きに、感想は小学生並みの語彙レベルに下がってしまった。

 抉れて中身が顔を出していた脇腹がすぐに治ったのだから、もしかしたら、という期待は確かにあった。

 だが、正直に言うと、流石に千切れた左腕はどうにもならないかもしれない、と若干疑っていた面もあったのだ。

 結果は、ご覧の通り、である。

 左手を握ったり閉じたりして動きを確かめた後、秋水は再び深々と息を吐きだした。

 安堵の溜息だ。


「よかったぁ……」


 腕の欠損。

 それは普通に考えて、怖い。

 怖いことだ。

 ボスウサギと殺し合っているときはアドレナリンの興奮と、それどころじゃないと言う危機感の真っ最中だったので、あれこれ深く考えてなかったが、普通に自分は怖いことをした、と今更ながらに秋水は安堵した。

 これでポーションでも四肢欠損は治せないとかだったら、一生のハンデを背負うところだったのだ。

 良かった。

 治せて良かった。

 千切れた左腕が、ポーションで再生出来て良かった。

 と言うか、抉れた脇腹も治って良かった。内臓はみ出したままだったら普通に死んでいた。

 ああ、良かった。

 心の底から、良かった。




 これで、即死以外の受傷はポーションで何とかなると実証出来たから、良かった。




 これはこれは、戦略の幅がますます広がったなぁ。

 思わず秋水はにたりと笑みを浮かべてしまった。

 いや、良かった。

 本当に良かった。

 ポーションがどこまでのダメージを回復出来るのだろうか、と言うのはいつか確かめなければいけないとは思っていたのだ。

 普通の角ウサギの角突きタックルで、腹に風穴を開けられても回復出来るのは確認していた。

 腹に穴を開けられたと言うことは、内臓にもダメージを受けていたと言うことだ。

 腕や足とは違い、体幹部は内臓を有しているので四肢よりも構造はずっと複雑である。

 その体幹部に開けられた風穴を、ポーションは回復出来るのだ。

 それを考えれば、腹部などよりも構造が単純である四肢の欠損は、十分にポーションによる回復の範疇内だろうことは前々から予想してはいたのだが、じゃあ自分の指を切り落として確かめてみよう、と実行する程に秋水はサイコパスではないつもりである。秋水自身はそう思っている。

 これは良い収穫だ。

 欠損した腕が再生したのだから、足が吹き飛ばされても再生出来るだろう。

 なんなら、下半身が丸ごと消し炭になっても、ポーションで回復出来る可能性が出てきた。しかも、その可能性はかなり高い。

 これで戦術の幅が大いに広がる。

 いいや、無茶が利くことが証明されたなら、戦略だって変わるだろう。

 良かった。

 大収穫だ。


「ふふっ」


 笑いがこみ上げる。

 いやはや、試合に勝って勝負に負ける、なんて失態を演じてしまったが、得る物はしっかりあった。

 良かった良かった。

 二重の意味で、大変良かった。


「ふ、ははっ、ははははは」


 大笑いというほどではないが、それでも秋水は笑ってしまった。

 しばらく秋水はその場で愉快そうに笑い、再び自分の頭を左手でざらりと撫でる。

 短く丸刈りにした髪を撫でる、ちくちくとした感覚が左手からしっかりと伝わってくる。

 治った。

 治って良かった。


 これでまだ、自分はダンジョンで戦うことが出来るのだ。


「あははは、くっ、ふふっ」


 良かった。

 嬉しい。

 楽しい。

 その湧き上がるような感情こそが、秋水にとっては大収穫である。


 あの日、世界の全てが灰色になったようだった。


 あの日、自分の感情が死んだようだった。


 あの日、なにもかもが、どうでも良くなった。


 そんな自分が、笑えるならば。




 ああ、これだけ笑えるのならば、ボスウサギには、やはり勝ったも同然なのかもしれない。











 それにしても、気を失っている間、なにかを見ていたような、気がする。











「んで、ボスウサギの報酬はいつものヤツが3つ、と」


 サラダチキンをもしゃもしゃと食べながら、秋水はボスウサギのいた辺りに転がっていた白銀のアンクレットを拾い上げた。

 普通の角ウサギがたまに落とすドロップアイテムと、ぱっと見は同じ物、に見える。

 質屋の店主である祈織とは違い、残念ながら秋水には装飾品に対する審美眼というのを全く持ち合わせていない。なので、もしかしたら全然違う物なのかもしれないが、少なくとも秋水の目にはいつもの白銀のアンクレットと同じ物に見えた。

 祈織曰く、これは凄い物、らしいのだが、秋水にはそれがいまいちピンときておらず、正直なところ、普段のドロップアイテムが3倍落ちる程度なのはショボいなぁ、という感想しか抱けなかった。

 まあ、これが確定で落とすと言うなら、話は別かもしれないが。

 いいや、それでもボスウサギを殺す労力を考えると、普通の角ウサギを沢山殺して白銀のアンクレットを3つ手に入れる方が楽な気がする。

 やっぱりショボい。

 ドロップアイテムはあくまでオマケでしかないのだが、それでもボスを殺したら特別なアイテムが出てきた方が嬉しい気がする。なんと言うか、殺したぜ、という記念として。

 狂気の記念品である。


「それで、問題はこっち」


 拾ったアンクレットをリュックサックに投げ入れてから、ちらり、と秋水は問題の方へと視線をやった。


 広いボス部屋に、扉が2つ。


 1つはボス部屋に入るときに使った、黒い岩の扉だ。

 そしてもう1つ、入り口とは反対側に、白い岩の扉があった。

 黒い扉に白い扉。

 黒い扉が入口ならば、白い扉は出口だろうか。


 入ったときは、なかった気がするのだが。


 うーん、と秋水は考える。

 ここは不思議なダンジョンだ。不思議なことが起こっても、それこそ不思議ではない。


「まあ、初めて、って訳でもないしな」


 苦笑いを零しつつ、秋水はリュックサックを背負い上げる。

 なかったはずの扉が唐突に出現したのは、セーフエリアを発見した初日にもあったことである。

 あの時に出現した扉の向こうには、秋水が今いる地下2階への階段があった。

 順当に考えれば、この扉の先は、地下3階へと続く階段だろうか。


「んー……」


 次のステージなんだろうなと当たりをつけたはいいものの、秋水は少々微妙な表情で自分の格好を確認する。

 ずたぼろのライディングジャケット。

 左袖は完全になくなっており、胸のチタンプレートも凹んでいたので外している。

 ヘルメットはベコベコに変形してしまって使い物にならない。

 巨大バールは1本、曲がってしまった。

 ポーションだってだいぶ使ってしまったし、小分け容器のはほとんど全滅だ。

 これで次のステージに行こうというのは、ちょっとな、といった感じである。


「確認だけして、今日は引き返そうかね」


 流石に次の階に進むのはお預けだ。次の階と決まったわけではないけれど。

 入口に転がしていた無事な方の巨大バールと、ボスウサギを受け止めたせいでへし曲がってしまった方の巨大バールを回収してから、秋水は白い扉へと近づいて行く。

 その扉は、入口の黒い扉と同じく、重厚な見た目のわりには軽い力で押すだけで開く、なんとも滑らかな動きの扉である。

 特に注意を払うこともなく、秋水は白い扉を軽く押す。

 扉が開いた。




 扉の向こう側は、少し通路が延び、そして予想通り下へと降りる階段。




「おー、やっぱり……ん?」


 地下3階が解禁されました、と勝手に脳内ナレーションを流しながら下り階段を見下ろした秋水は、すぐに違和感を覚えた。

 いや、違和感ではない。

 それは当たり前と言えば当たり前の光景なのに、このダンジョンに潜ってからは初めての光景であった。

 改めて思い返せば、秋水の庭にあるダンジョンの入口から、この地下2階のボス部屋に辿り着くまで、ずっと1本道であった。

 庭の入口から入り、セーフエリアを通り、地下2階に降り、ボス部屋まで一直線である。

 ダンジョンに足を踏み入れた最初の頃は、迷路になっていたら困るなと地道にマッピングをしていたが、今ではすっかりサボり気味である。なにせ分かれ道がないからだ。

 今までは。

 ああ、ダンジョンは1本道なんだな、と思っていただけに、扉を開けた先の光景に一瞬だけ戸惑ってしまった。


 扉の先には下り階段がある。


 そして、それとは別に、横へと逸れる道が用意されていた。


「……おおっと」


 ダンジョン初の、分かれ道である。




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Q:モンスターとの殺し合いが楽しいのは何故ですか?


A:最高に生きてるって感じがするから。


  ……今は死んでいるような感じだから。

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