62『生かされている』

 いつもの角ウサギは、体長がだいたい90㎝と言ったところである。

 秋水の身長の半分か、それより低いくらいである。

 だが、ボス部屋で待ち構えていた角ウサギの体長は、2mを超えている。

 秋水よりデカい。

 そして、デカいと言うことは、重いと言うことだ。

 重いのは、シンプルに強いのだ。

 ボクシングやら柔道で重量別が設けられているのは、単純にそういう理由だ。

 まして2倍大きければ、質量は2の3乗で8倍である。

 そして、あれはそれ以上だ。ざっくり質量10倍くらいと考えても良いかもしれない。


 デカければシンプルに強い。


 重ければシンプルに強い。


 ならば、あの角ウサギは、間違いなく、ボスだ。











 ボス部屋に飛び込んだ秋水が、そのままの勢いでボスウサギに駆け寄ろうとするが、当然のようにボスウサギは近寄られるよりも早く反応した。

 2本の後ろ足で立ち上がっていた姿勢から、前足を地面へと降ろす。どすり、と重い音がしたのは空耳だろうか。

 そのままボスウサギの体が沈み込む。


「あ?」


 思わず変な声が出てしまった。

 普通の角ウサギならば、初手は決まって角突きタックルであった。

 槍のような角を武器にして、高速でタックルを繰り出してくるという、1芸に特化した角ウサギの必殺技だ。

 それを今まで、秋水は散々見てきた。

 散々と見てきたせいか、ボスウサギのその動きに、すぐに違和感を覚えてしまった。

 いや、覚えたのは違和感ではない。

 嫌な予感だ。

 その嫌な予感が何か分かる前に、ボスウサギは地面を蹴ろうとしているのが、身体強化で補強された動体視力で確認出来た。

 角突きタックル。

 反射的にそれに備えようと秋水は動いてしまい。


 巨大バールによるカウンターではなく、ゴムネットによる妨害を選択したのは、完全に直感であった。


 肩に構えた巨大バールをカウンターで構えるよりも、左手にしたゴムネットを叩きつける方が素早く出来る。特に頭で考えることもなく自然と動いた。

 次の瞬間に、爆発音が部屋に響く。

 ボスウサギの後ろ足があった地面が、爆ぜた。

 で。




 目前に、ボスウサギ。




「ぐがっ!?」


 鈍く激しい衝撃と共に、視界が一気に急転する。

 気がつけば秋水は地面を勢い良く転がっていた。

 角。

 では、ない。

 角突きタックルではない。

 通常の角ウサギとは比べものにならない速度で突っ込んできたボスウサギは、角を前に向けていなかった。

 あれは、足だ。

 前足か、後ろ足か、一瞬で判別出来なかったが、地面を蹴って跳び込んできたボスウサギは、その体を空中で起こし、パンチだかキックだかをブチ込んできやがった。

 一気に入り口まで秋水は吹き飛ばされ、ガンッ、と体を叩き付けられた。

 壁か。

 いや、そんなことはどうでも良い。

 ボスウサギにやられたのは、左腕だ。

 ゴムネットを投げようとして前に出していたのを、やられた。

 角突きタックルが来ると勝手に思い込んでいただけに、同じ突進でも違うモーションのせいで反応が遅れてしまった。

 痛いとか言っている暇はない。立ち上がらねば。

 即座に体を起こそうと秋水は右手をつく。

 左腕が、動かない。


「くっそ、は行儀が悪、早っ!?」


 痛いと言うよりも熱い左腕がどうなっているか、一発でヒビ割れてしまったヘルメットのバイザー越しに確認するよりも早く、再び跳びかかってきたボスウサギの姿が見える。

 また、角突きタックルじゃない。

 2mは超えるその巨体で高くジャンプして、秋水目掛けて落下してくる。

 なるほど多彩。大きさ以外は同じ姿だけれども、一芸特化の角ウサギとは一味違うと言うことか。

 即座についた右手に持っていた巨大バールをボスウサギに向けて突き立てようとして。

 いや突き立ててどうする。

 いつもの角ウサギとは違って、あいつは確実に重量級だ。しかも重力を味方につけていやがる。

 競り合ったら、確実に負ける。

 考えている暇はない。


 咄嗟に、巨大バールを地面の方へと突き立てた。


 突き立てると言うよりも、L字の曲がり部分を地面に押しつけて、先端をボスウサギへと向ける。

 そして、起こしかけていた体を再び地面へ伏すようにして戻し。


 真上から、ボスウサギ。


 体格差と重量を活かしたボディプレスだ。

 並の大人よりも体格が良くなってしまった秋水からすれば、大型生物に威圧感を覚えたのは幼少期以来である。自分が小さい側に回るというのも久しぶりで、なかなかに新鮮な体験だ。これから先、小さい子を相手にするときは本当に気をつけよう。

 とか冗談みたいなことを考えられているということは。


「い……ってぇのは生きてる証拠だ素晴らしいオラァッ!!」


 地面に固定して突き出した巨大バールの先端が、見事にボスウサギの腹に突き刺さった。

 代償として、巨大バールがその圧力によって少し曲がった。

 その巨大バールの下へと咄嗟に隠れた秋水は、どうにか上半身を圧殺されずに済んだが、両足がもふっとしたボスウサギの巨体によって潰される。それなりに痛い。

 もっとも、巨大バールが突き刺さったときに大半の衝撃が吸収されたのか、足が潰された感じはしない。と言うか、普通に痛いだけで、ただの打撲程度のダメージにまで軽減されているようだ。

 膝は動く。

 ライディングパンツに仕込んでいたチタンプレートのお陰なのか、それとも身体強化で耐久性も上がっていたからなのか。どちらにせよ助かった。

 ただ、真下で潰されている状況には変わりが無い。

 秋水は動く右手で曲がった巨大バールを掴み、体を捻るようにしてボスウサギの体を横に落とすようにして脱出を図る。


「って、だよな、ぐんっ!!」


 転がるようにボスウサギの下から脱出したものの、そこはボスウサギの攻撃射程の内側である。

 そんなことくらい分かっていた。

 横向きに落とされたボスウサギに対し、秋水はボスウサギの腹側だ。

 蹴られる。

 と、思ったときには、蹴り飛ばされていた。

 右腕で顔面、動かない、と言うよりも動きの悪い左腕で腹部を護るようにすぐに構えていたのだが、蹴られたのは、胸であった。

 息が詰まる。

 体が吹き飛ぶ。

 こいつは、運に助けられている。


「づっ、ぐっ、ぬんくっ!!」


 がらんごろんと秋水は吹き飛んで地面を転がる。

 岩肌剥き出しの地面だ。

 ライディング装備じゃなかったらそれだけで重傷だろう。

 いや、ライディング装備じゃなかったら、胸を蹴られて即死だった可能性もある。

 チタンプレート、割れたか。

 肋骨も、いったか。

 それで助かっているだけ僥倖だ。現在進行形で何も助かってないのだが。


「がっ!?」


 転がって、壁に叩きつけられる。

 壁?

 今し方、壁際で蹴り飛ばされたはずなのに。

 一瞬だけ疑問に思うが、それを考えるよりも早く秋水は痛む右腕でポケットから小さなプラスチック容器を取り出した。

 割れてない。

 良し。

 プラスチック容器を取り出してから、秋水は自分が仰向けで倒れていることを自覚して、容器を持ったままバキバキにひび割れ、だが砕け散っていないジェットヘルメットのバイザーを強引に右腕で跳ね上げる。

 跳ね上げるどころか割れて、バイザーが吹っ飛んだ。

 視界が良好になったと考えよう。

 ポジティブに捉え、秋水は流れるようにプラスチック容器の蓋を自分が叩きつけられた壁へ、思いっきり擦りつける。

 ぱきょ、と気の抜けた音。

 差し込みキャップ、もしくは押蓋式と呼ばれているその蓋は、擦りつけたその反動で勢い良く外れとぶ。

 容器の中身はポーションだ。

 秋水はそれを口に咥えて一気に飲み干しながら、即座に体を跳ね起こす。


「ぺっ……いってぇ」


 ポーションを飲み終わった小分けの容器をすぐに吐き捨て、状況を確認する。

 ボスウサギは、腹に刺さった巨大バールを引き抜こうとしている最中だった。

 巨大バール、ナイスプレー、アンド、ファインプレーである。

 と言うか、ボスウサギが部屋の反対側にいる。

 いいや、秋水が部屋の反対側にいる、と言うのが正しいのか。

 嘘だろ、蹴り飛ばされて、部屋の端から端まで吹っ飛んだのか。良く生きてるじゃないかと自分を賞賛したくなる。

 痛む節々を堪えて立ち上がりながら、秋水は動きが悪い左腕をちらりと見るが、状態は良く分からない。まあ、たぶん折れたのだろう。


 ポーションの使用方法は、飲む場合と傷口に掛ける場合の2通りあるのだが、ぶっちゃけた話、どちらも最終的な効果は同じである。

 疲労などは飲む、外傷などは掛ける、の方が効果が素早く、かつ少量で済む傾向にあるのだが、半分で済むような劇的な変化があるわけではない。まあ、ポーションを飲むと水腹になるので、外傷に関しては掛けた方が無難だろう。

 ただ、骨折の場合はどうなのか。

 内傷なのだろうか、外傷なのだろうか。

 患部に掛けると言っても、正しい意味での複雑骨折、という状況でなければ骨折の患部が露出することはない。


 複雑骨折。


 父が、そうだった。


 母も、そうだった。


 妹は。


 そう考えて、秋水はふっと思わず笑い、腰ベルトのポーチから別のプラスチック容器を取り出した。これもポーションである。

 同じく差し込みキャップ式の蓋を片手で開けて、すぐにそのポーションを飲む。

 胸の痛みはない。

 恐らくだが、最初のポーションで治ったんだろう。骨折していたかどうかは分からないが。

 だったら、骨折も飲んで治るだろう。

 その考えは正しく、2本目のポーションを飲み干して、すぐに効果は現れた。


「おお、動く動く……けど、そうだよな。部屋入る前に腹拵えしておくべきだった」


 ポーションを飲んだことにより骨折が治癒する、と驚愕の字面になる医学的にはありえない効果によってすぐに動くようになった左手を、握ったり開いたりして調子を確かめてから、秋水は急にやってきた空腹感に左手で腹をさすった。

 怪我が治ると、腹が減る。

 えげつないチート能力をもつポーションの、唯一の欠点である。

 勇んでボス部屋に入ったは良いが、勇みすぎた。

 ちゃんと食べてからにしておけば良かったな、と今更ながらの後悔である。

 苦笑いを浮かべると、ずぼ、と丁度ボスウサギが自身の腹に突き刺さっていた巨大バールを抜き取るところ。


「おや器用。そんだけ器用なら動物園で人気者だぜお前」


 引き抜いた巨大バールを投げ捨てて体勢を立て直したボスウサギを見ながら、秋水は軽口と共にポーションの容器を投げ捨ててから、一度左腕にあるポケットを触って確認する。

 手応えはある。

 あれで割れないとか、思った以上に頑丈じゃないか。

 それを確かめてから、すらり、とバールを腰ベルトから引き抜いた。

 足は竦んでいない。

 震えもない。

 恐怖は、不思議と、ない。

 ただ、ボス部屋に入ったときに感じていた体を焦がすような、無闇矢鱈な興奮は落ち着いている。

 ただただ、ただただ、静かに、楽しい。

 じわりとした楽しさで、体が満たされているようだ。

 いや、楽しい、だろうか。

 明らかに強うそうなボスウサギが、期待を裏切らない強さで、偶然がなければ既に死んでいただろう。

 ああ、そうだ。

 偶然だ。

 今生きているのは、偶然だ。

 初動に対してゴムネットを投げようとしたのも偶然で、巨大バールを盾にしてボディプレスを凌げたのも偶然で。

 偶然により、生きている。

 生きているのだ。

 ああ、楽しい。

 間違いなく、楽しい。


 そして何より、嬉しい。


「ああ、俺」


 生きてるな。


 自然と漏れた言葉は、自分を鼓舞するいつもの軽口ではなく、素の呟き。

 それを合図にしたかのように、ボスウサギの体が沈む。

 距離は部屋の端から端で、30m、くらいか。

 体勢を低い。

 角は前。

 見覚えがある。ありすぎる。

 角ウサギの、角突きタックルだ。

 それのボスウサギ版だろうか。

 現段階でも角ウサギの角突きタックルは致命傷になるのだから、ボスウサギの角突きタックルはどうなるのか。

 直撃は、イコールでミンチ肉、だろう。

 即死も良いところだ。

 当たれば死ぬ。

 死ねば死ぬ。

 死ななければ、生きている。

 死ぬか生きるか。

 嬉しいじゃないか。

 楽しいじゃないか。


 それでこそ、灰色の命に、鮮やかな色が戻るというもの。


 生きている、という実感が、湧く。


 ああ、いや。


 生きている、ではない。




「生かされてるな」




 ボスウサギの足下が、爆ぜた。

 跳んだ。

 地面を1蹴りで、目測質量10倍の弾丸が、一直線に跳んでくる。

 身体強化を使った動体視力で、それがどうにか見えた。

 反射的に秋水は右に跳んだ。

 突っ立っていれば体が粉砕されて大喝采だ。

 だが、角突きタックルが来ると構えてなお、その速度にギリギリ反応出来るかどうかのレベルである。質量増えてるのに速度も上がっているとか、もはやバグだ。角ウサギの倍は速い。

 距離が最大限開いてなければ、為す術はなかっただろう。

 いや、初手で角突きタックルだったら、それで死んでいた。

 偶然だ。

 やはり、偶然に、秋水は生かされている。

 生かされているのだ。


 秒も待たず、ボスウサギが目前に迫った。


 右に跳んだ秋水は、明らかに間に合っていない。


 ボス部屋に、爆音が響いた。




 秋水の左腕が、爆ぜた。




 肩から先が宙を舞う。


 秋水の体が、再び壁に叩きつけられる。


 急所への直撃は、しなかった。


 左腕を、ごっそり持っていかれた。


 血を吐いた。


 喰らった。


 刺さった。


 ボスウサギの角が。


 左腕に。


 そして、壁に。




「ようごぞ」




 悪人面が、満面の笑みだった。




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Q:モンスターとの殺し合いが楽しいのは何故ですか?


A:最高に生きてるって感じがするから。

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