61『準備は無限に出来るもの。故に万全とは何処かで区切りをつけないといけない』
ぶおんっ、と巨大なバールをフルスイングで振ってみれば、滑ることもなく、しっかりと手に吸い付いているようであった。
今度はフルスイングではなく、巨大バールを短めに握り、ぶんぶんと速めに振るう。
その重量に掛かる遠心力に引っ張られそうになるのは相変わらずではあるものの、しっかりと握ることが出来ている、というのは絶大な変化で、その巨大バールの使い心地は劇的に向上している。
「……なるほど、こりゃ良いや」
くるりと巨大バールを回転させ、地面に剣でも突き立てるかのようにして、ずどんっ、とゴムネットに絡まって藻掻いていた角ウサギに巨大バールの先端を突き立てた。
ごぼっ、と角ウサギの口から光の粒子が吐き出される。
にぃ、と秋水の口元が笑みで歪んだ。
質屋『栗形』、と言うよりも叔母の鎬に、店の商品棚の移動やら大型商品の移動やらで散々コキ使われて、流石に疲れたなと思った頃に 「こどもが遅くまで働いてたらいけないわ。帰りなさい」 とか鎬に言われて秋水は労働から解放された。
遅くまで働いたら駄目だとか、鎬に言われるのは何とも納得いかない台詞である。軽くイラッとしたので鎬の髪をぐしゃぐしゃとしてやったのだが、何故か鎬は喜んでいた。謎である。
ちなみに、店主である祈織は働き過ぎなのか体調不良なのか、途中で鼻血をいきなり垂らしてぶっ倒れた。突然のことに秋水は慌てたが、半笑いであった鎬の指示でソファーに寝かせて置いたら10分程で元気に復活した。謎である。
店に新しい壁紙を貼っている鎬と、「エッチだ、エッチだ……」 と謎の呪文をひたすらブツブツ口にしながら窓を磨き上げている祈織にさようならと挨拶をして店を出れば、太陽も同じくさようならをしていた時間であった。
帰宅ついでに早い夕食を食べ、家に辿り着いたら午後6時過ぎ。
それからセーフエリアで一度寝て、起きてから秋水は早速作業に取り掛かった。
強化ゴムのネットを切り分けるのと、巨大バールの改造である。
ゴムネットの切り分けは簡単なものだった、とは若干言い辛い。
普通のハサミではなかなか切れず、ニッパーを使って少しずつぱちりぱちりと切り進んだ。
腰ベルトのポーチに入れてみれば、適当な大きさになったゴムネットが1枚入って終わってしまった。安物のカラス避けネットと比べると分厚くて、どうしても嵩張ってしまうが、そこは諦める。
ポーチをもう1つ増設しようにも、腰ベルトにはバールを4本差し込んで、予備のポーションやらを入れたポーチとゴムネットを入れたポーチを付けているので、これ以上は増やすことが出来ない。
どうしたものか。
いっそ、工事現場の作業員が装着している、落下防止用のハーネスを購入してみるのも手だろうか。
あれは本来であればワイヤーを背中などに付け、命綱な役割をするための装備品ではあるのだが、ポーチなどのツールケースや工具などの取り付け箇所が増やせるという副次的なメリットがあったはずである。
動き辛くなる可能性があるし、装備を増やせば単純に重量が増えるというデメリットもあるのが、検討してみても良いかもしれない。
そして巨大バールの改造であるが、改造と言っても大したことはなく、グリップテープ替わりに滑り止めテープを巨大バールの刺突部分以外に巻き付ける作業だ。朝に渡巻から教えて貰ったヤツである。
巻き方は日本刀の握り手である柄の、なんとかかんとか巻きとか言うのを動画で参考にしながら適当に巻いた。もう既に巻き方の名前は秋水の頭からすっぽ抜けてしまっている。
使用目的に適した巻き方があるのです、と力説していたのも、朝にホームセンターで出会った渡巻である。
パターンが何とか、滑り方向が何とか、握り圧が何とか、マシンガンの如く早口で説明をぶっ放してくれていたが、そんな熱心な説明を聞きながら、とりあえず刀か槍か適当なの調べりゃ良いんだな、と秋水はざっくりと理解した。一生懸命に喋ってくれた渡巻に対して失礼な奴である。
激しく動くことを想定して、滑り止めテープは瞬間接着剤でがっちがちに固定した。
そうやって仕上がった物の出来は、素晴らしい、の一言だ。
握り易い。
そして滑らない。
瞬間接着剤は瞬間とは言うものの、本固定されるまで1日待った方が良い、というのは知ってはいたが、居ても立ってもいられずに改造したばかりの巨大バールを持ってダンジョンアタックを仕掛けるのだった。
結果は、これである。
「これは、渡巻さんに今度お礼言わなきゃな」
仕留め終わった角ウサギが噴き出している光の粒子を、グローブを外した左手で吸収しながら秋水は独り言ちる。
積極的にゴムネットを使い、巨大バールをブン回し、角ウサギを次々にぶっ殺してダンジョンを突き進む。
カラス避けネットと違い、ゴムネットは角ウサギに引き千切られる様子もなく、むしろ重量のせいなのか素材のせいなのかは分からないが、絡まった角ウサギが本当に身動き取れなくなるレベルになった。効果覿面である。
巨大バールは取り回しの違和感がなくなり、使い勝手が大幅に向上した。打撃の一瞬に手が滑って力が逃げる、というエネルギーロスがなくなったせいだろうか、むしろ威力が増大した感じすらする。
これは凄い、と興奮気味に角ウサギを血祭りに上げ続け、秋水は現在に至るのだ。
ノーダメージで、ボス部屋の前まで、到着したのだ。
「いや、渡巻さん、マジで凄ぇ……」
消えゆく角ウサギを見送りつつ、ゆっくりと透明になっていくその体からずぼりと巨大バールを引き抜いて、秋水はその結果に素直に驚いていた。
いや、確かに昨日も、ボス部屋の前までは辿り着いた。
巨大バールをお試しで使用して。カラス避けネットをお試しで使用して。
しかも、ほぼノーダメージで辿り着いた。
結果だけで言うのであれば、昨日も今日もあまり変わりが無いとも言える。
だがしかし、楽さ、という観点では、雲泥の差がある。
昨日より、今日の方が圧倒的に楽勝で辿り着いたのだ。
巨大バールに滑り止めを施して。
安物のカラス避けネットをゴムネットに変更して。
昨日より早く、昨日より楽に、ボス部屋の前まで辿り着けた。
巨大バールは握りに難点があった、カラス避けネットは耐久性に難点があった。
その難点に対して、渡巻という女性は、完璧なる回答を出してくれたのだ。
いや、凄い、の一言しか出て来ない。
今日のアドバイスは、秋水にとって正に値千金と言う他にない。
巨大バールの握りに関しての問題は解決した。
ネットの耐久性の問題は解決した。
ふわっとした説明を聞いただけのはずなのに、渡巻のアドバイスで両方とも解決してしまったのだ。
僅か1日である。
いや、秋水の説明を聞いて即座に答えを出していたので、解決時間は20分、いや10分にも満たないだろう。
秋水独りならば何日かかろうとも、そもそも難点の解決に至れたかどうかすら怪しい。
「ともかく、これで新武器の問題は一気に解決したな」
角ウサギが消えたのを確認してから、秋水は部屋の入り口に置いていたリュックのところまで戻り、それを背負い上げる。いつもよりずっしりしているのは、中に残りのゴムネットが2枚分入っているからだ。
そして一息ついてから、ポーション休憩を取ることなく部屋を出て次に進む。
いや、次、ではないか。
通路を少し進めば見覚えのある曲がり角。
その先をひょいと覗けば、やはり見覚えのある扉が鎮座している。
大きな黒い扉だ。
「となると、最後はこいつだよなぁ」
昨日確認した、ボス部屋の扉である。
まだボス部屋だと決まったわけではないが、何となく雰囲気的にそんな感じなので、便宜上はそう呼んでいる。
もしかしたら、この先に普通の角ウサギよりも強い角ウサギが待ち構えているのかもしれない。
もしかしたら、普通の角ウサギが10体とか20体とかで大歓迎なのかもしれない。
もしかしたら、角ウサギとは全く別のモンスターがいるのかもしれない。
想像するだけでドキドキしてしまうし、ワクワクものである。
これで扉の先にそんな強敵は存在せず、普通の角ウサギが普通にお待ちしていたり、次に進む階段があるだけだとしたら、肩透かしが酷すぎて寝込むかもしれないレベルで興奮している。
お前の感性どうなっているのだというツッコミを入れるものは、この場には誰もいない。
「……ふむ」
ボス部屋の前で、秋水は一度考え込んだ。
巨大バールの滑り止めテープ、瞬間接着剤でガッチガチに貼り付けているが、本来であれば1日待った方がしっかり固定されるはずである。
ゴムネットも腰ベルトのポーチには1枚しか入っていない。そのポーチを増設するなり、または他の武器を差し込む用に、ハーネスを着用する検討だってしたい。
もしも仮にこの扉の向こうにボスがいるのだとしたら、万全な状態で戦いたい。
今日はここに辿り着くのは、実に楽勝であった。
もはや角ウサギが3体来ようとも、真面に相手をすれば敵ではない。
それに来る途中にも角ウサギから吐き出された光の粒子を吸収しながら来たのだ。たぶん、身体強化の出力だって、また上がることだろう。それを考えたら、ますますこれから先はすんなりとボス部屋までたどり着けるであろうことは、想像に難くない。
ああ、そうだった。それにまだ、身体強化の出力調整が全く成功していない。
そう考えてみれば、今現状、万全と言うにはほどほど遠い。
まだ装備品の検討が出来る。
まだ身体強化の成長余地がある。
なるほど。
万全じゃないと思える理由は、この2つか。
つまり、現段階だと、自分自身は、万全という意味だ。
その考えに辿り着いたのと、秋水が扉を豪快に蹴り開けたのは、ほぼ同時であった。
「おっと」
ノリで扉を蹴り飛ばしたが、ちょっと足癖が悪くてはしたない感じになってしまった。
その扉は重厚な見た目とは裏腹に、弱い力で開けられるくらいに軽い感じであった。蝶番に良く油が馴染んでいる薄いドアみたいだ。
ドッ、と蹴り飛ばした鈍い音こそ響いたものの、扉が開く音自体はまるでなく、静かに扉は開かれた。
リュックサック、降ろしてからにすれば良かった。
今更の後悔である。
そんな後悔を置き去りにして、扉は開く。
扉の先には、また部屋だ。
ぱっと見て、今までよりは少しだけ広い感じの部屋である。
岩肌が露出しっぱなしの、無骨な空間だ。
部屋の中はやはり明るい。天井の岩肌が光っているという、不思議な、そしてダンジョンではすっかり見慣れた光景だ。
その部屋には、角ウサギが待ち構えていた。
1体である。
広い部屋の中央に、1体だけの角ウサギ。
それは見慣れた、角ウサギだ。
白い毛並みが美しい、ジャッカロープもどきのウサギである。
その角ウサギは2本の後ろ足で立ち上がり、警戒するように秋水を見ていた。
ああ。
なるほど。
扉の向こうで既に歓迎ムードである1体の角ウサギを見た瞬間、秋水は悟った。
「よぉ、あんたがボスかい?」
にやりと凶悪な笑みを隠さず浮かべながら、秋水は言葉と共にゆっくりとリュックサックを降ろす。
扉を蹴り開けこそしたものの、まだ部屋には足を踏み入れていない。少なくとも、部屋にいるたった1体の角ウサギが襲い掛かってきていない時点で、部屋に足を踏み入れた、と判定されていない。
肩から滑り落とすようにリュックのショルダーベルトを腕に通し、手に持っていた巨大バールを引き抜くようにすれば、どすりとリュックサックは床へと落ちる。
腰ベルトには4本のバール、ゴムネットが1枚入ったポーチ、ポーションなどが入れられたポーチ。
巨大バールが左右の手に1本ずつ。
武器に不調はない。
ヘルメットに、チタンプレートの入ったラインディングのジャケットにパンツ、そしてライディンググローブ。
どれも壊れていない。
ポケットの各所には小さい容器に詰められたポーションを仕込んでいる。
どれも減っていない。
怪我はない。
疲れていない。
準備なんて無限に出来る。
だから、現段階での万全は、今と言って他にない。
角ウサギは待ち構えている。
まだ、待っている。
ふむ、と秋水は再び鼻を鳴らしてから、左手に持っていた巨大バールを部屋の中へと、がらん、と投げ入れる。
襲い掛かってこない。
やはり、部屋に足を踏み入れてからが本番と言うことか。
それを確認してから秋水は一度リュックサックの後ろに回り、その中から予備で持って来ていたゴムネットを2枚、むんずと掴んで引きずり出した。
再び角ウサギを見るが、やはり待ってくれている。
律儀じゃないか。
それでこそ、ボス、って感じだ。
「悪いな、お待たせお待たせ」
やはり浮かんでしまう笑みを、今度はしっかり噛み殺し、それでも口元の歪みは隠せないまま、秋水はいつものように軽口を叩きながらゆっくりと立ち上がる。
部屋の角ウサギは、どう見たって1体だ。
毛並みは、いつものように白。
角は、いつものように槍のよう。
見れば見る程、いつもの角ウサギだ。
だが、こいつはボスだ。
それもまた、見たら分かる。
感覚でも、直感でも、何でも無い。
見たら、分かる。
ボスの、角ウサギだ。
もしくは、角ウサギの、ボスだ。
秋水はぺろりと一度唇を舐めてから、巨大バールを肩に担ぐようにして構える。
身体強化を、起動する。
力が漲る。
笑いがこみ上げる。
そして。
「ほんじゃ、ぼちぼち行こかっ!」
自分の中の僅かな緊張をほぐすように、いつものような軽口とともにボス部屋へと飛び込んだ。
待望のボス戦だ。
さあ、殺り合おうじゃないか。
普通の角ウサギばかりで物足りなくなっていたのだ。
部屋に待ち構えていたのは、1体の角ウサギ。
その体長は、およそ2m。
普通の角ウサギの、倍以上の体格であった。
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あれ、プロットではもう一回退いて体勢を立て直す予定だったはず……(;´Д`)
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