57『この後店長は鼻血を吹いてぶっ倒れた』
「見る人が見れば分かる商品というのは、裏を返せば、見る人が見なければ意味の無い商品よ。今回売ったのはあくまでも宣伝用であって、元より利益はゼロ。付加価値はここから乗せていくわ」
「海外販売を主に、ってしてるけど、それは何でだ?」
「単純よ、日本人は貧乏だもの。30年くらいインフレがお亡くなりになっていた日本と、ちゃんとインフレし続けて順調に通貨が死んできた海外とじゃ、購買力が全然違うわ」
「関税分より?」
「国によるわ。そこは見極めが必要だけれど、アクセサリーなんて生活必需でも何でもない装飾品の購買意欲が高い、そんな景気の良いところは、税金も気前が良いわ」
「ヨーロッパ系が入ってないのは、それが理由か?」
「それもあるわね、特にユーロ圏内は。ただ、どちらかと言えば今回は先着の先行販売みたいにしたから、購買速度がそもそも違ったって理由の方が大きいわ。成長した国より、成長途中の国の方が貪欲なのね」
「海外販売を主に、ってことは、国内への販売も一応するって方向だと思うんだけど、特に資料で触れていないのは?」
「ぐ……ごめんなさい、国内販売についてはまだ計画がまとまってないの。まずは材質調査がちゃんと終わらないと、それなりの値段で売りようがないのよ。ヨーロッパ向け向けで売れてない理由の1つも、材質不明、ってところね」
「材質調査の進捗は?」
「まだ結果待ち。1週間あれば何とかなると思っていたのだけれど、ちょっとアテが外れたわね」
「……お二人とも、食べてるときくらい難しい話止めて良いんじゃないかなぁ」
呆れたような、もしくは居心地の悪そうな、そんな表情で愚痴のような物を零す祈織の言葉に、おおっと、と秋水は続けようとした台詞を飲み込むことにした。
見れば、カレーライスを食べながらじっとりと半眼で見てくる祈織とばっちり目が合ってしまった。
難しい話をしているつもりはなかったのだが、ついつい面白くもない堅い話をやいのやいのと鎬に向けてしまっていた。特にその話に参加していなかった祈織からすれば、つまらなかっただろう。
申し訳ありません、と一言謝罪を口にしてから、秋水はチーズの入ったナンを一切れ手に取った。
場所は異国情緒の漂う店内。
その店内に漂う香りは、もはや国民食で異国感も何もない嗅ぎ慣れた香りである。
見慣れた店内、知った顔の店員、馴染みのあるBGM。
鎬行きつけのカレー屋である。カレーライスの店ではなく、インドカレー店だ。
「別に難しくないわよ。売れ方に売り方の話なんて、すぐに店長も出来るようになるわ」
「そーかなー……通貨が死ぬとか初めて聞くフレーズなんだけど」
「インフレは商品の価値が上がることとか言われるけれど、逆に言えば通貨の価値が下がるという意味よ。インフレは常に起こり続けて当然なんだから、それはつまり通貨の価値が下がり続けるのは当然という意味で、通貨は衰弱し続けていずれは死んでいく運命にあるのよ」
「うわ極論」
「100年前と同じ価値を維持し続けている通貨がないのがその証明じゃないの。インフレってそういうものよ。そうね、税金の話は明日にして、今日は通貨そのものの勉強をしましょうか。お金に対してのマインドブロックを外しましょう」
「やー、それにしてもここのカレー美味しいですよね秋水くん。鎬さんに連れて来られるまで入ったことなかったですけど、どの料理もクオリティが高いですよね秋水くん。助けて下さい秋水くん。あなたのバリキャリお姉さんの講習が洗脳染みてエグいんです」
「ちなみに秋水は10歳から金融リテラシーの教育を受けているわ」
「最近の子は進んでるなぁ……」
遠い目をする祈織に1度手を合わせた後、秋水は改めてカレーを食べ始める。
生活防衛資金とか支出管理とかインデックス投資とか難しい話してくるんだよ、と嘆きながら祈織も再びカレーライスを一口。正確にはミールスという南インドのカレーであり、日本のカレーライスとは毛色の違う、ちゃんとしたインドカレーである。
本業が金貸し業なのに金融リテラシーが低い方が問題じゃないの、と若干不服そうにしながら、鎬もカレーを食べ始めた。主食としているのはナンではなく、チャパティと呼ばれるロティ、パンの一種である。
三者三様のものを食べつつ、そう言えば、と別の会話を切り出したのは、真っ先にチーズナンを食べ終わった秋水であった。
「店の看板って変わったのですか? 前に来たときよりも随分と綺麗になっているようでしたが」
「看板娘のことかしら。綺麗になっているなんて、そんな照れちゃうわ」
「はは」
「あら乾いた笑い。興奮しちゃうわ」
「前から思ってたけど鎬さん、無敵すぎん?」
チーズナンを空にした秋水がナンのおかわりを頼むより早く、自分のロティを半分に千切って秋水の皿に乗せながら、鎬は真顔を崩すことなく秋水の投げた会話のボールを横取りしてきた。祈織に向かって話しかけたはずなのに。
ロティを受け取って、それをさらに千切ってカレーにつけながら、秋水は受け流すように無感動な笑いを零すも鎬相手にそんな皮肉は通用するはずもなかった。祈織の感想ではないが、鎬の神経が図太すぎる。
そして全然関係ないことではあるが、タンパク質を筆頭に栄養価がかなり高いチーズを使用したチーズナンばかり頼んでいたため、秋水がロティを食べたのは初めてであった。この店のロティは全粒粉で作られていて、今まで興味自体はあったのではあるが。
「……うーん」
「言いたいことは分かるわ。あ、ナンのおかわりを1枚」
そして食べた感想としては、これからもチーズナンを頼むだろうな、である。
鎬も同じ感想なのか、しれっとロティではなくナンを近くを通りかかった店員に頼んでいるが、もしかしてロティを半分秋水に差し出した理由は。
「あ、ナンは半分、秋水に分けるわね」
「あー、うん、良いけどさ……」
「秋水くん、良いように使われてますよー」
「いつものことなので」
「なんかゴメンなさい」
閑話休題。
「で、店の看板は一回外して綺麗にしたんですよ」
「そうなのですね。見違えましたよ」
「ずっと見続けてたから全然気にならなかったけど、凄い汚れてたんだよね、ほんと、びっくりするくらい」
はは、と今度は祈織が乾いた笑いを漏らす番であった。
看板掃除だけであんなに印象が変わるものなのか。へぇ、と感心しつつ、分けられたロティを一口。
店内の照明が明るくなったこと然り、看板が綺麗になったこと然り、どれも大したことのない変化の内容であるハズなのに、一見した店の印象は全然変わってしまった。びっくりするくらい、は秋水の台詞なのかもしれない。
「そうだわ店長、まだ重曹とクエン酸は残ってるわよね?」
丁度届けられたおかわりのナンを笑顔で受け取った後、すぐに真顔に戻って鎬が会話に乱入してきた。鎬の笑顔に同席の二人が鳥肌をたてている。
「あー、うん、残ってる残ってる。て言うか、凄い残ってる。クエン酸の方は飲もうかなってくらい残ってる」
「良いですね、クエン酸は疲労回復に良いですよ」
「おや、て言うことは秋水くんは筋トレ後にクエン酸愛用してる感じです?」
「ええ、まあ」
鎬から半分の割かれたナンを受け取りつつ、秋水は言葉を濁す。
今はポーションとか言う疲労回復効果どころではない特級遺物のようなものがあるので、どうしても言葉に詰まってしまう。それにクエン酸は疲労回復効果がある、とは言えども、筋トレのようなハードな疲労、と言うか筋肉へのダメージに対しての効果は焼け石に水程度しかないので、そもそも筋トレ後の愛用をしていたわけではない。
重曹は入浴剤代わりに風呂に入れるとお肌が清潔になりますよ、の方が女性に振る話題としては良かったかもしれない。
「重曹とクエン酸が残っているのなら、今度は店の窓ガラスを全部磨き上げるわよ」
「ええ? 今日は壁紙白くするんじゃなかったの?」
「ええ、そうよ。だから、その次、という話ね。店の照明を明るくして、壁を白くして光の反射を増やしても、窓ガラスが汚かったら外から見た印象が台無しよ。酸性の汚れとアルカリ性の汚れ、は覚えてるわよね」
「あ、うん、重曹とクエン酸の使い分けだよね。覚えてる覚えてる。鎬さんって家事出来ないって言うわりに、そういう知識はあるんだよね」
「酸性とアルカリ性なんて、小学生の理科で出てくる内容じゃないの」
「わー、学校の勉強が実生活に役立つ日が来るなんて」
それぞれの料理を食べながら、鎬と祈織は話を進める。
仲が良さそうで何よりだ。
相性が良いのだろうか。ビジネスライクな間柄であるならば話は別なのであろうが、言動も性格もキツく、見た目の美人さも相まって、友達と呼べる同性が極端に少ない鎬に相手に、ここまで遠慮無く会話が出来る人物は希である。
いや、店長とただのアルバイト店員でしかない2人の関係は、ビジネスの関係ではあるのだろ。しかしながら、それでも仲は良さそうである。
鎬がアルバイトで働き始めると言い出したときは心配していたが、これはどうやら大丈夫そうだ。
2人の会話を聞きながら、口元に小さな笑みを滲ませながら、秋水はナンを口に放り込む。
「それから秋水、午後は暇かしら」
そして急に話題が秋水の方に向いた。
あ、嫌な予感。
「……ジムで筋トレしようかなって」
嘘である。
ジムには未明に行った。
追い込んだ背中がその証明であるが、秋水はしれっと嘘を吐いた。
その嘘に、ぴくり、と静かに反応したのは、何故か祈織であった。
「なら秋水、午後は暇と言うことね」
「鎬姉さん耳ついてる? 耳なし芳一なのか?」
「良いじゃない。ジムはいつでも行けるのでしょう?」
「いやそうだけど」
「店の手伝いをお願いしたいのよ。男手が必要なの。春からのアルバイトの予行演習だと思ってちょうだい」
「えー、ダンベルが手招きしてるんだけど」
「それは幻覚よ。ダンベルに手は生えてないわ。お小遣いも出すわよ。特定口座に追加で100ドル」
「栗形さん、アルバイト店員がアルバイトを雇おうとしてますよ」
何故か今回は米ドルプッシュな鎬からのお誘いに、助けをも止めるように祈織の方を向いてみると、カレーライスを掬ったまま祈織は固まっていた。
はて、どうしたのか。
ほんのりと顔が赤い気がする。
「栗形さん?」
「…………はっ」
再起動した。
「……こほん。駄目だよ鎬さん、中学生をアルバイトには雇えません」
「雇ってないわ、私と秋水は親族なのだから、合法的な手伝いの範疇よ」
「そ、そうじゃなくて、ほら、秋水くんも筋トレしたいって言ってるし」
「いいじゃないの、1日くらい」
「筋トレは継続が大事なんだから。秋水くんの肉体をちゃんと見てよ、絶え間ない努力の結晶なんだから」
「でも秋水、休むのも筋トレ、とか言ってるわ」
「計画だから。筋肥大っていうのは筋トレだけじゃないから。休息5割、食事3割、筋トレ2割、っていう計画性が大事だから」
「あら粘る」
そして思っていたよりも祈織が援護射撃をとばしてきてくれた。
がっつりと秋水の味方をしてくる祈織に、珍しそうに鎬が目を丸くする。
筋トレ民の代弁をしてくれてありがとう。でも嘘なんだ。心が痛い。
て言うか詳しいな。
「ち、ちなみに、秋水くん、今日はどこの筋トレするのかなー……なんて、聞いて良い?」
「あー、背中メイン、ですかね」
「メイン? メインってことは、秋水くんの筋トレは全身法なんですか?」
全身法を知っているのか。
秋水は筋トレにずぶずぶに入り浸っているので知っていて当然、みたいな知識ではあるが、分割法と全身法なんてかなりニッチな知識だと思うのだが。
「えーっと、軽く全身をして、部分を重点で、っていうミックスな感じが多いですかね。全身法の方が効率は良いですが、分割法も取り込んだ方が毎回の筋トレにバリエーションを増やせるので、そちらの方が個人的にはモチベーションが上がるので」
「そ、そうですよね、モチベーション大事ですよね。そうやって秋水くんは身体作りに励んで……」
急に話題を振られて戸惑っていると、ちらり、と祈織の視線が秋水の胸元に向いた。
頬を赤らめたまま、じとっ、と若干粘度を感じる目で見た後、祈織はゆっくりと目線は横に外していく。
どうしたのだろう。
秋水は首を傾げ、鎬は訝しげな顔をした。
ちなみに何の関係もないのだが、秋水の服装はストレッチの聞いたコンプレッションシャツである。適度な締め付けがあり、伸縮性が高く、通気性が良く、秋水が気に入ってきている服である。
そして全く関係ないのだが、そのコンプレッションシャツ、秋水のボディラインがかなりはっきりと分かる代物であった。
「い、いやー、しゅ、秋水くんって、ほんと、良い身体、じゃない、良い筋肉ですよねー」
「ありがとうございます。あくまで趣味なので仕上がっているわけではありませんが、筋肉を褒められるのは嬉しいですね」
「へへ……この言い方まではセーフなんだ」
ぼそりと呟いた後半の台詞が良く聞き取れなかったが、何故か急に褒められたことに秋水は素直に礼を口にする。
へへ、へへ、と若干気持ちの悪い笑いを零しつつ、祈織はカレーライスを一口。ミールスのライス部分を食べ終わり、最後まで残していたヨーグルトを手に取った。本来であれば辛さ調整や味変用に使われるヨーグルトであるが、最後の口直しとしても優秀である。
隣で、あー、と鎬が何かに感づいたような顔になった。
「ちなみに、手伝いの内容は壁紙の件だったのだけど」
話を戻されてしまった。有耶無耶になってくれれば良かったのに。
鎬も丁度カレーを食べ終わり、手を拭きながら手伝いの内容を口にしているが、何故だろうか、その口元が微妙につり上がっている。
「うえ、そういう張り替えとかは苦手なんだけど」
「そうね。ただ、秋水は力があるから、もし手伝ってくれるなら店のレイアウト変更をお願いしたいの」
「レイアウト変更?」
「要するに商品棚とかを動かしたいのよ。秋水のような男手があると助かるわ、本当に」
「えー、それ、鎬姉さんもやるんだよな?」
「……そうね、秋水の脈動する筋肉を見ながらお茶でも飲もうかしら。ねぇ、店長?」
いや何言ってるんだこの叔母。
何故か流し目で伊織へと視線を送る鎬に、秋水は半眼でじとりと睨む。
まあ、鎬と祈織だけで店内の商品棚を動かしていくのは骨が折れるだろうのは想像に易い。特に祈織の方は、朝に会った渡巻よりは多少マシくらいで、その身長は成人女性としてはかなり低い方である。見た目通りなら、失礼ながら力は弱そうだ。
そういう力仕事なら手伝いは必要であろう。それは分かる。
だが、それなら鎬も働けや、という感じだ。人の筋肉見て茶を啜っている場合ではない。と言うか、脈動する筋肉って何だ。
そんな話を振られても困るだろうな、とちらりと祈織の顔を確認する。
何故だろう、凄い表情になっていた。
どうした、さっきまで赤かった顔色が急に青ざめているじゃないか。
そして酷い表情だ。だが不思議なことに見覚えのある表情だ。父がこっそりと隠していたグラビア本を母に発見されたとき、その父がしていた表情にそっくりである。あのとき程酷い鉄拳制裁はなかった。
「あと秋水、その服の下、肌着は着ているかしら」
「そりゃまあ。普通のタンクトップだけど」
「あらそう、とても動きやすそうな格好ね。そう思わないかしら、店長?」
そして再び鎬は伊織へ流し目を送る。
祈織の顔に汗が噴き出している。どうしたと言うのか。ヨーグルトに唐辛子でもぶち込まれていたのだろうか。
「ねえ店長、よく考えてちょうだい。女2人でレイアウト変更は大変よ? 大きな商品だってあるのよ? そして秋水の体を見て。秋水ってとっても力持ちなのよ?」
「う、うぅ……」
「力仕事を秋水にお願いするのは理に適っていると思わない? それにお小遣いはあくまでも私のポケットマネーよ? 悪い話じゃないわよ?」
「ううぅ……」
「ほら、店長も頼みましょう? 店長のお願いだったら秋水も一肌脱いでくれるわ。ああ、店内で力仕事をすると暑いから、脱ぐのは人肌じゃなくて服かも知れないわね? あら秋水の上腕四頭筋が」
「ふぐぅ……」
一体何を見せられているのだろうか。
秋水の味方をしてくれていた祈織を仲間に勧誘するかのように言葉を重ねる鎬に対し、何故か祈織は青い顔のまま歯を食いしばって何かに耐えていた。何故か鎬は楽しそうである。
そして、上腕は二頭筋で、四頭筋は大腿だ。
「う、ううぅ、秋水くん……」
「あ、はい」
「お店、手伝って下さい……」
「……はい」
悔しそうと言うか、嬉しそうと言うか、そんな複雑な表情をしながら最終的に鎬の甘言に折れた祈織の顔が、嫌に印象に残ってしまった。
そして秋水は日が落ちるまでたっぷりと扱き使われた。
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【悲報】バレちゃいけない人に性癖がバレる【でも眼福】
タンクトップで力仕事をしている秋水くんを間近で見て、鼻血を噴き出して倒れる祈織さんの話は書かないです(^_^;)
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