56『売上利益と純利益の差を見ると絶望する、マジで』

 良い買い物をした。

 ゴムネットに滑り止めテープ、そして接着剤やらその他諸々を購入した秋水は、それらを入れた買い物袋をルンルン気分で自転車のカゴにぶち込んだ。

 帰ったら滑り止めテープで巨大バールを改造して、時間があればゴムネットの使い勝手を調べなくては。

 自転車に跨がってから、秋水はちらりと腕時計を確認する。


「……はぁ」


 そして、重たい溜息を1つ。

 渡巻と別れてからもホームセンターをうろうろしていたせいだろうか、既に時間は昼前頃をお知らせしている。

 昼から用事と言うか、呼び出しを喰らっていることを思い出し、急激にげんなりした気分になってきた。

 今から家に帰ったところで、巨大バールの改造をしている暇はなさそうだ。ゴムネットを切り分けている時間も微妙な感じである。家、と言うかセーフエリアに荷物だけ置き、すぐに家を出ないといけないレベルだ。

 そう考えると、このまま買い物袋を持って向かった方が良いだろう。少し早くなってしまうが、仕方がない、遅刻した方が後でねちねち言われてしまう。


「行くかねぇ……」


 すっかり下がってしまったテンションで、秋水は自転車を蹴り出した。











「あれ?」


 そして目的地に到着して自転車を駐めてみれば、感じてしまった正体不明な違和感に秋水は間の抜けた声を思わず上げてしまった。

 ここで間違いない。

 指定されたのはこの店だ。


 ぱっと秋水は顔を上げて看板を見上げると、白地の板に 『栗形』 と達筆な毛筆体で書かれている看板。


 あれ、あんなに看板、綺麗だったか?

 マジマジと見てから抱いた感想は、なかなかに失礼な話である。

 しかし、白地の部分はもっと薄汚、ではない、年季の入った味のある色合いだった気がするのだが。


「んー?」


 首を捻ってから店の入り口へと目をやれば、店内が随分と明るく見える。

 と言うか、明るい。

 蛍光灯でも替えたのだろうか。

 それに、何と言えば良いのだろうか、全体的に綺麗になっている、ような気がする。先週はもっと薄暗い感じだったのだが。

 まあ、物理的に店が明るくなったのだから、そう感じるだけかもしれない。

 そう納得しながら秋水は自転車を降り、雰囲気が何となく変わった店内へと足を踏み入れ。




「はい、お買い上げありがとうございました♡」




 無言で店の扉を閉め、自転車のところに戻って大きく深呼吸を1つ。

 うん、今、すごく気持ち悪いモノを見た。悪夢かもしれない。

 鳥肌がご起立状態なのは、寒いからだろう。もう少し自転車で辺りを走っていれば温まるだろうか。

 胸焼けがするのは、悪い物でも食べたからかもしれない。ポーションで治るだろうか。

 ふぅ、ともう一度深呼吸をして、くるりと店の方へと向き直る。

 そのリサイクルショップから、客と思われる男が丁度出てくるところであった。

 なんであの男、鼻の下が若干伸びているのだろう。

 その男を白い目で見送ってから、秋水は改めて店の扉を開いた。からん、と鐘の音が鳴る。


「あら秋水、いらっしゃい。なんで1度逃げたのよ」


「あ、良かった、いつもの鎬姉さんだ」


「何よそれ?」


「いや別に」


 その店は、栗形 祈織が店主を務め、そして秋水の叔母である棟区 鎬が副業として何故かアルバイトとして勤めることとなったリサイクルショップである。

 ああ、いや、質屋だったか。祈織からは、どちらも似たようなものですから、とは言われたものの、遠い目をしていたので何か拘りがあるのかもしれない。

 そんなリサイクル、ではなく質屋のカウンターに座っていたのは、鎬の方である。

 スーツ姿からジャケットを脱いで、店のエプロンを掛けた格好で、いつもの内心が読めない真顔のまま、優雅にコーヒーカップに口を付けているところであった。

 良かった、いつもの鎬だ。

 変わらぬ叔母の姿を見て、秋水はほっと胸をなで下ろす。

 何故かさっき、とても愛想良くにこやかな表情で接客していた、鎬に良く似た誰かがいたような気がしたのだが、あれは幻覚だったらしい。

 いやはや見事な鳥肌が立ってしまった。

 あんな明るい笑顔を振りまく鎬なんて、ドッペルゲンガーにしたってクオリティが低すぎる。出直してこい。

 そして不思議なことに、カウンターの横で店主である祈織が小さくなって震えていた。

 どうしたのだろう、そんな幽霊を見たかのように。


「いや怖いよね!? 怖かったよね!? にこやかに接客してるときの鎬さん普通にただの美人さんになっててホラーだよね!?」


「笑顔ほどコスパの良い接客スキルは存在しないわ」


「あ、良かった、いつもの鎬さんだ」


 店主は一言で納得した。


「ところで秋水、随分と早いじゃない。お姉ちゃんに早く会いたかったのね」


「いや、時間が微妙だったから先に来ただけ。出直した方が良いか?」


「いいえ、暇だもの、用事は早めに済ませましょう」


「暇とか言われると、わたしが傷つくなぁ……」


 閑古鳥が鳴き散らかしているかのような言われ方に祈織がしょんぼりしているが、それを全く気にすることなく鎬はカウンター下に置いていたのであろうビジネス用の鞄を取り出し、ごとり、とカウンターの上に上へと置いた。

 ガン無視されていることに、ぶー、と祈織は口を尖らせてから、お茶を用意してきますね、と秋水に対して笑顔を振りまいてから店の奥へと引っ込んでいく。

 私の分もね、とか軽く手を振って店主へ注文を付けながら鎬は鞄から数枚の用紙を取り出しているが、こいつはただの雇われアルバイトのはずである。力関係どうなっているのか。あとコーヒー飲み途中やないか。


「……鎬姉さん、あんまり栗形さんをいじめるなよ?」


「愛よ。いじめじゃないわ」


「本当かよ」


「ま、反応が面白いから、ついついからかっちゃうのは認めるわ」


「認めんなよ可哀想だよ止めてやれよ」


 ふふ、と邪悪な笑みをうっすら浮かべる鎬を半眼で睨みつつ、秋水は背負っていたリュックサックをカウンター前に2つある椅子の片方に置き、コートを脱いでからリュックサックの上にバサリと掛ける。

 鎬がこの店でアルバイトを始めてから、かれこれ2週間近くなっている。

 本業として正社員として働いている鎬は、こちらの質屋では基本的に土日だけ働くことになった、らしい。その本業の方でバカみたいな残業を自主的に行っている鎬の発言をどこまで信用して良いかは分からないが。

 ともかく土日だけであるならば、先週の土日と今日、この3日間しかまだ働いていないはずである。

 なのに何故だろう、この堂の入りっぷり。店主である祈織がお茶汲みしてるし。

 そして、そのたった3日間で、祈織とは随分と仲良くなっている様子だ。いや、仲が良いと表現して良いのかどうかは迷うところだが。

 まあ、上手くやれているようで何よりである。


「店、明るくなったな」


 カンター前のもう1つの椅子に腰を掛けながら、秋水は軽く店内を見渡しながら話を変えることにした。祈織の話を鎬の口から聞くと、どうしても同情の念が沸き上がってしまい涙が出そうになるからである。

 店に入る前の段階で気がついていたのだが、店に入ってみれば明らかに店内が明るくなっているのが嫌でも分かる。

 先週も呼び出されて来店していたが、その時点では何ともレトロな照明に照らされていた店内は、正直に言って薄暗い感じであった。

 だがどうだ、今日は明るい。

 天井を見上げてみれば、前にあったレトロな照明はなくなっており、普通のシーリングライトに替わっていた。白熱電球スタイルからLEDスタイルになっている。

 コンビニやスーパーほどではないが、結構な明るさだ。

 シーリングライトを直接見ると、流石にちょっと眩しいな、と秋水は視線を鎬の方へと戻せば、鎬はふふんと小さく笑っており、店の奥からは伊織が丁度戻ってくるところであった。


「こどもみたいな店員しかいなかった店に、美人の店員がご入荷したものね。華が咲いたと言うものよ」


「ちょっと殴って良いかな? 何の否定も出来ないから、せめて殴っても許されるんじゃないかな?」


「あら店長、お茶をありが……あら? 1杯だけ? 私の分は?」


「ないよ、自分で汲んで来なよ。はい秋水くん、粗茶ですがどうぞ、外は寒いですねー」


 本当に仲が良いのかちょっと心配になってきた。

 鎬に白い目を向けてから、ぱっと笑顔に切り替えて祈織はことりと秋水の前にお茶を置く。表情変化がスピーディである。


「ありがとうございます。鎬姉さんはご迷惑を掛けていませんでしょうか」


「はは……今日は気がついたら店の蛍光灯が全部交換されてましたねー……」


「いつもご迷惑を掛けております、申し訳ありません」


 遠い目になった祈織に対し、秋水は慌ててぺこぺこと頭を下げる。

 店主に相談なしでやったのかこの叔母は。

 続いて鎬の方をきっと睨むと、我関せずとコーヒーを飲んでいやがった。面の皮が厚すぎやしないだろうか。


「まずは顧客が来店しやすい店にする、って最初に言ったじゃないの」


「その改装内容を事前に教えて欲しいんだよなぁ」


「今日はこのまま店の壁紙を真っ白にするわ」


「一応ウチの壁、白なんだよなぁ」


「こんな薄汚れた白じゃないわ、真っ白よ」


「あんまり強い言葉を使うとまた泣いちゃうかんなぁ!」


 うん、思っていたよりも関係はギスギスしているのかもしれない。

 カウンターの向こうできゃんきゃん言っている祈織に対し、鎬の方は変わらずしれっとしたものである。

 じゃれ合っているのかどうか微妙なラインの関係に、普通に心配になってしまう。


「まずは王道に則って、店は明るく、よ」


「うぅ、一応ウチ、レトロな雰囲気のお店なんだけどなぁ」


「不特定多数に向けて昼間に開けている店で、店内の照明を薄暗くしてたらただただ入り辛いだけの怪しい雰囲気なお店にしかならないじゃない」


「そ、そういう雰囲気の店でも、ニッチなお客様を捕まえられるところあるもん……」


「捕まえるも何も、その顧客がそもそも入って来ないならどうしようもないじゃない。それに、入って来ても、顧客に刺さるだけの尖った目玉商品でもなければ、ニッチもビッチも捕まえられないわ」


「うう、そうだけどぉ」


「商売は 『終わり良ければ全て良し』 じゃないわ、『始まらなければ全て駄目』 よ。必勝法のない世界で生き残るのならば、必敗法を虱潰しに排除すべきだわ」


「な、なんも言い返せない……」


 がくりと祈織がカウンターに項垂れる。

 勝敗はついたのだろうか。いやそもそも何の勝負だったのか。

 項垂れた祈織の隣にいた鎬は、よしよしとその頭を撫でてから、何を思ったのかその手を顎の下にすっと持って行き、ごろごろ、と猫の喉でも触るかのように軽く撫で始める。


「うにゃーん、ってやるか! 秋水くんの前で何やらせんのかなぁ!?」


 喉元を撫でてくる手に、祈織はわりとガチ目に噛みつこうとするが、その口をひらりと避けてから鎬は改めて鞄から取り出していた数枚の用紙を、すっ、と秋水の前に差し出してきた。

 何を見せられているのだろうか。

 2人を胡乱気に見ながら、秋水は差し出されたそれを受け取った。

 いやはや、やっぱり仲は良さそうだ。一安心一安心。

 違うの、秋水くんがいなければOKとか言う意味じゃないの、誤解されるじゃんかおい、と何か色々と言い募ってくる祈織の言葉を右から左に聞き流しつつ、ざっとその用紙に秋水は目を通す。

 えーっと、内容は。




「とりあえず、秋水の特定口座に5000ドル入れるわね」




 内容を理解する前に、しれっとしたまま鎬が本題を口にした。

 はあ、5000ですか。


 今日の用事と言うのは他でもない、角ウサギからのドロップアイテム、白銀のアンクレットの販売代金についての説明なのである。


 鎬がアルバイトを始めるとか言い出した日と、そして先週と渡していたドロップアイテムだが、どうやら一部が売れたとのことなのだ。

 早い。

 2ヶ月で販売経路を確保するとか言っていたのに、もう売れたのか。

 何をどうやったら売れたのか、秋水にはいまいち良く分からなかったのだが、鎬が言うにはあくまでもお試しという形で一部売れただけなので、販売経路とやらはまだ全然なのだとか。なんでも、まだ適正価格が未知数なのだとか何とか。

 まあつまり、経過報告みたいなものか。

 だったら電話とかで十分じゃないだろうかと思いつつ今日に至ったのだが。

 5000。

 5000ね。

 5000ドル、と。

 いや、なんて?


「……ドル? 円じゃなくて?」


「ごめんなさいね、今のところ為替レートがアレなものだから。とりあえずドルのまま送るから、日本円にするのも特定口座の方が分かり易いでしょうし、ドルのままなら米国証券で色々買うのも楽でしょうし、どうするかは任せるわ」


「いや任せるとかじゃなくって」


「ならVTを買って長期ホールドしましょう」


「うわ無難。じゃなくて」


 何故か米国ETFを勧める鎬の話を1度横に置く。

 まさかの米ドルである。

 いや5000ドルって、今ドル円相場はいくらだ? 余程の円高にならない限り、前に鎬へポーションを売りつけたときの金額よりも高いと言うことになる。

 普通になかなかの値段で売れたんだな、驚きである。

 ではなく。


「なんでドル? 日本円じゃないのか?」


「その資料にも載せたのだけれど、とりあえずあのアクセサリー、10個売れたわ。内3つは国内で、内7つは海外ね」


「海外に売ったのかよ」


「ええ、まあ。もっとも、アメリカ自体には1つか売れていないのだけれど、基軸通貨の方が取引しやすいから、結局はその7つは全部米ドル決済になったの。その7つでだいたい5000ドル。そのまま秋水に全部フォーユーよ」


「……いやいや、売れた金額そのまま受け渡しって、マズいだろ。利益になるには、こっから色々引かれるんだから、まずはちゃんと貯めとくべきじゃないのか?」


 流れるように爆弾発言である。

 10個売れた、とか、海外向けに販売したのか、とか、その辺りも驚きではあるのだが、丸ごと売上金額を受け渡してどうするのか。そっちの発言の方が驚きだ。

 税金が高いといつもぶつくさ言っているのに、純利益計の計算なんて基本的な事柄で鎬が見落としをするとは思えない。

 すっと鎬へ目をやれば、相も変わらぬ真顔のままだ。


「あら秋水、ちゃんと勉強しているのね、感心よ」


「茶化すんじゃないよ」


「茶化してないわ」


 言ってから、鎬はコーヒーを一口。

 その一口で全て飲みきって、コーヒーカップをカウンターにことりと置いた後、祈織の前へとすっと寄せた。


「そうね、売上総利益から引かれに引かれて営業利益や経常利益、税引き前当期純利益になって、税金でがっつり持って行かれて、最後の税引き後当期純利益になる頃には普通に半分以下になるわね。それはまあ、最後の最後の話だけれどね。でも、売れた金額が全て自分のものにはならない、それは経営では基本中の基本よ。本当によく勉強しているわ。見習いなさい店長」


「おおっと、ここでまさかのわたしに飛び火」


 しみじみと感心するように秋水を褒めながら、寄せたコーヒーカップと共に、祈織の方へと鎬の目線が向かう。

 釣られるように秋水も同じく祈織の方を見ると、祈織の顔色が若干悪いような気がする。


「でも、本当に大丈夫なの? 海外販売なんてしたことないから、利益計算よく分かんないし、税金だって向こうでそもそも引かれてるし、申告時期は今回分は外れるけど、来年の申告のこと考えると秋水くんに売り上げ流すの流石に早いんじゃ……」


「税金と手数料の違いくらい区別しなさい店長。それに利益計算じゃなくて損益計算よ。それも私が出来るし、ちゃんと教えるから安心しなさい」


「わー、鎬さん助かるぅ」


「で、今回のことに限って言えば、秋水に売り上げをそのまま渡すのは普通に大丈夫じゃないわ」


「わー! 鎬さん助からないぃ!?」


 何と言えば良いのだろうか、本当に仲が良さそうで何よりである。

 目の前で始まったコントを見ながら、鎬の言った 『今回のことに限って言えば』 の一言でようやく秋水は得心がいった。

 ああ、そういうことね。

 販売経路はまだ確保出来ていないとか言っていた理由はそれか。なるほどなるほど。


「あくまでも今回のことに限って言えば、よ。そもそも秋水にフォーユーしたのは海外売り上げ分だけなのよ。国内の売り上げ分はそのまま確保するわ」


「あ、そうだよね! 良かった! ブラコンの頭が相当イかれてるとか心配しちゃった!」


「まあ、海外向けの方が単価を高くしてるから、今回の売り上げに対しての純利益はギリギリのすっからかんでしょうけどね」


「いや駄目じゃん! 利益ゼロって、そっから人件費とか出てったらマイナスだよね!?」


「いえ店長、純利益って言うのはそう言う諸々を引かれた……はぁ、店を閉めたら今日も勉強しましょう、店長」


「ひぃっ!?」


 祈織の悲鳴を聞き流しながら、秋水は独りで勝手に納得して、渡されていた資料へと視線を落とした。




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 祈織さんは不憫キャラ。


 一応ですが、別に株式投資をお勧めする意図はありません。一応ですが。

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