55『成りと趣味に相関関係などない』

「こ、工業用品とかって、見てて楽しいですよね……」


 唐突に居た堪れない雰囲気になりかけた中、顔を真っ赤にしながら渡巻は言い訳染みたことをもごもごと口にした。

 秋水もガジェット類を見るのは嫌いではないので、分からないわけでもないのだが、それにしたって随分と詳しそうであった。

 改めて気を取り直し、ふむ、と秋水は考える。

 とにかく、カラス避けネットは、なしだ。

 せめて防獣ネット、携帯性如何によっては落石防止ネットなどにするとしよう。

 他にも渡巻は色々とアドバイスを早口で捲し立ててくれていたのだが、申し訳ないことに正直ほとんど理解出来ていない。ただ、強化ゴム製のなんたら、というのは聞こえていたので、それも気になるところである。


「そうですね。それで申し訳ないのですが、その防獣ネットと、ネットの切り売りというのはどちらにあるのでしょうか?」


 そろそろ頭から湯気が出そうな渡巻に、可能な限り秋水は優しく声を掛けてみる。

 ここは下手なフォローを入れない方が良いだろう。秋水は人の趣味嗜好に茶々を入れる気は無いのだ。


「ぁぅ……その、切り売りは資材館の方に」


 茹で上がっている顔を俯かせながら、あっち、と言うように渡巻は指で方向を指してくれた。

 あちらは木材とか色々売っている別館の方である。指されたそちらを向いてから、秋水は再び渡巻へと目を向けた。


「有益なアドバイス、ありがとうございました。早速そちらを見てみることにします」


「う……できたら忘れて下さぃ……」


「そうですね。なるべく早く忘却出来るよう尽力いたします」


「うぅ……優しい……」


 優しいと言うより、単に触れたくないだけである。











 資材館の方に顔を出し、早々に切り売りコーナーを見つけた秋水は、想像していたよりも種類があることに少し戸惑ってしまった。

 2種類3種類くらいかな、とか思っていたら、ネットだけで優に10種は超えている。それに紐やら鎖やらがあるので、総合計はいくつくらいだろうか。40はいってるだろう。

 紐の太さに材質、それから網目の細かさで種類分けされているのだが、正直どれが何なのかが分からない。

 確か、4㎜、が最強だとか何とか。

 駄目だ、材質が思い出せない。色々アドバイスしてくれたのに全然覚えていない糞野郎である。

 そう言えば昨日、渡巻にプロテインドリンクの種類がなんだとか言ったときには、向こうはちゃんとメモを取っていた。自分もすべきだった。反省である。

 これならもう少し聞いておくべきだったかなと思いつつ、秋水は確かめるように適当なネットを触ってみる。


「ま、値段と嵩張り具合で決めれば良いか」


 折りたたんでも小さくならなかったり、そもそも重かったりしたら使い勝手は悪いだろう。もちろん、重い方が角ウサギを絡め取りやすいだろうけれど。そしてサイズについては財布と相談だ。

 幾つか触って確かめ、恐らく渡巻がお勧めしていた4㎜紐のネットも触ってみる。

 硬い。折り畳みにくそうだ。

 太い。かなり嵩張りそうな感じだ。

 そして重い。

 間違いなく一番頑丈なのだろうけれど、持ち運びはやや不便、と言ったところか。

 素材はポリエチレンの120本編み。確か渡巻もそんなことを言っていたような、言ってなかったような。

 他の素材はプラスチックとゴム。

 そう言えば強化ゴムも良いとか何とか。

 試しに触ってみると、ポリエチレンの方と比べると若干頼りない感じではあるが、渡巻曰くではある程度の弾力性もあった方が千切れにくいとか言っていたな。


「んー……こっちの方が良い、かなぁ?」


 ポリエチレンの方より柔らかいので、ゴムの方が良い気がする。

 試しに買っておくか。

 決めたら早いもので、すぐに店員の呼び出しボタンを押し、4mのカットをお願いする。切り出されたそれを受け取ると、思ったよりはずっしりしていた。

 今度はこれで試してみよう。

 資材館の中で会計を終わらせ、買い物袋の中に突っ込んでから他の商品も見てみるかと軽い足取りで秋水は資材館を出て。




「あっ」




「おや?」




 再び渡巻とエンカウントである。

 手には青地に花柄の買い物袋。先程までカゴに入れていたヤスリやら何やらの会計が終わったのだろう。

 もう中身は見えないというのに、資材館の出入り口で秋水の顔を見た瞬間に、その買い物袋を渡巻はぱっと隠すように後ろ手に回した。


「ど、どうも……」


 どことなく気不味そうなのは、先のマシンガントークを引き摺っているのだろうか。


「先程はありがとうございました。ゴム製の品を買わせて頂きました」


「そ、そうですか。野外だとゴムはどうしても劣化、じゃない、えっと、えーっと……お役に立てて良かったです、はい」


 すぐにお礼を口にすれば、にへ、と渡巻は小さく笑って返してくれる。

 いや、ゴムの劣化については凄く気になる。

 輪ゴムと同じく硬くなったりしてボロボロになるのだろうか。

 聞いてみたいところではあるのだが、どうにも渡巻の方から、聞かないでくれ、というオーラをひしひしと感じる。工業用品などに詳しそうなので他にも色々聞きたかったのだが、止めておいた方が良さそうである。残念だ。


「この手の品物に対してはにわか者も良いところなので、本当に助かりました」


 あまり話を長引かせては良くないなと思い、秋水は会話を切り上げるように深々と頭を下げてもう一度礼をする。


「あ、いいえ、私も素人の域を出ないので……すみません」


 対して、渡巻の方も何故かぺこぺこと頭を下げてくる。

 謙遜が強いな、この人。素人の域だろうが何だろうが、秋水からすれば随分と有益なアドバイスをくれたので、本当に助かったのだが。

 今日は謝ってばかりの渡巻に、秋水は苦笑いを1つ浮かべた。自分のことは棚に上げたままである。


「いえいえ、困っていたところだったので、本当に助かりました。ありがとうございました。このお礼はまたいつか」


「あ、いえ、あの、お見苦しいところを見せてしまったので、それを忘れて頂ければ、はい……」


「見苦しい?」


 ずっと居た堪らない感じでもごもごとしている渡巻を、秋水は不思議そうに見ながら首を傾げた。

 先のマシンガントークのあれだろうか。

 呆気にこそとられはしたが、別に見苦しい要素など全くなかったのだが。

 まあ、彼女としては、あれが余程の失態だったと言うことだろうか、良く分からないが。

 女心を理解しよう、と思っている段階で、女心は絶対理解出来ない。

 かつて父から言われた言葉を思い出しながら、何か思うところがあったんだろうなぁ、くらいに秋水は納得することにした。良く分からないが。

 しかし、秋水は独りで勝手に納得したが、渡巻の方は無遠慮に聞き返した秋水の一言に、うっ、と言葉に詰まっていた。


「あ、いえ……」


 すっかり俯いてしまい、さらには声色まですっかり暗くなってしまった。

 あれ、なんかマズそうだ。

 具体的には絵面がマズそうだ。

 何か彼女の地雷を踏み抜いてしまった様子である。

 急にドンヨリとしてしまった渡巻に気がついて、秋水は一瞬だけ慌ててしまう。

 ただ、一瞬だけである。




「……こんなナリで、こんな趣味なので」




 続けて口にした渡巻の言葉に、秋水は再び首を傾げてしまった。

 ふ、と俯かせたままの顔を自嘲気味な笑みで引き攣らせながら、いつもの朗らかな声とは打って変わってぼそりと漏らすように呟いた。

 1秒。

 2秒。

 言葉の続きがあるのかな、と思って首を傾げたまま待ってみれば、そんなものはない様子。

 え? なに? ナリと趣味が、なんだって?

 一見すれば小学生の低学年に見間違う、140㎝届くかどうかという小柄な女性が、工業用品にバリバリ詳しい。


 何も見苦しくなんて、ないだろ。


 何が言いたいのだろうか。

 全く良く分からない。

 子どもみたいな見た目に、何の問題があるのだろう。

 工業用品に詳しいのに、何の問題があるのだろう。

 外見と趣味が、なんだって、両者に何の関係があるのだろうか。

 駄目だ、滅茶苦茶気落ちしているっぽい渡巻には申し訳ないのだが、何を言いたいのかが全く良く分からない。

 父よ、これが女心が理解出来ないとか言っていたヤツなのか。夫婦喧嘩でしこたま殴られた頬を押さえながらの発言だったので、ふーん、くらいで聞き流して悪かった。

 どうにも渡巻は、自分の外見に対して、趣味と釣り合ってない、みたいなことを言っているのだろうが、意味が分からない。

 渡巻としては、何か思うところがあるのかもしれない。

 あるのかもしれないが、秋水からすれば全く理解の外の話である。


 第一、ナリに対して見苦しくない趣味、なんて言われた日には。




「……外見で趣味を選ばないといけないのでしたら、私は社会不適合な趣味しか持てませんね」




 これである。

 顔が怖くて大柄で筋肉質、というスリーアウトで、バッターチェンジどころかゲームセットのレベルである秋水が、そのナリに似合った趣味を、と言われてしまったら、それこそ任侠映画かマフィアドラマの中にしか出てこないであろうヤバい方向の趣味しか持てなくなってしまう。

 笑いながら喧嘩してそう、麻薬売ってそう、人殺してそう、なんて陰口をしょっちゅう叩かれている身としては、外見と人間性をイコールで結ばれるのは、何だかなぁ、という気持ちになってしまうのだ。

 だからこそ、秋水からすれば、渡巻の小さな外見と、工業用品に詳しいという人間性が、ミスマッチなどとは全く思えない。

 思う余地など、全くない。


「あ、ご、ごめんなさい」


「冗談ですよ」


 何か思い当たる節でもあるのだろうか、がばっと顔を上げて慌てて謝ってきた渡巻に、秋水は苦笑しながら答える。思い当たる節があるのだとしたら、それはそれで悲しい。


「それに、良い趣味ではありませんか」


 そして、零すようにして言葉を付け加えた。

 他意は、なくはない。

 いや、羨ましさ10割で付け加えた。

 日曜大工が好きだとか、工場見学が好きだとか、重機博覧が好きだとか、秋水からすれば良い趣味にか思えない。悪い意味は一切無い。言葉通りに文字通り、良い趣味、である。

 秋水の趣味は筋トレだ。

 筋トレは、滅茶苦茶批判的な意見がある。

 わざわざ苦しい思いをするなんて変態なのか、とか。

 体を痛めつけるなんてマゾなのか、とか。

 科学万能の時代に筋肉ムキムキになって無意味じゃん、とか。

 筋トレするとか時間の浪費だし暇すぎ大草原やわ、とか。

 ハードな筋トレを長時間続けると心疾患のリスクがねチミィ、とか。

 脂肪も筋肉も大して変わらんしどっちもただのデブやろ、とか。

 筋トレして何になりたいのお前、とか。

 とかとかとかとか。

 いや、一番最後に関しては、筋トレが趣味な人間にとって筋トレすることは手段ではなく目標なのだから、何になりたいも何も、筋トレしたいだけ、としか答えられないのが悲しいところではある。筋トレして何になりたいのと聞かれたら、「わ、わからない……」と答えるのがお約束みたいなジョークがあるくらいだ。

 まあ、どちらにせよ、楽をしたい、苦しみたくない、という生物として当然の欲求に逆らうのが筋トレなので、理解を得られにくいのは当然と言えば当然だ。

 趣味としての筋トレは、同じ筋トレ民以外から、本当に批判されやすい趣味である。

 何なら、同じ筋トレ民からだって批判されるときがあるくらいだ。

 肉体のため、筋肉のため、健康のため、と渋々嫌々で筋トレをしている人の横で、嬉々として筋トレ楽しいぜ、なんて奴がいたら、なんだお前、となる気持ちは分からないでもない。

 そんな筋トレが趣味である秋水からしたら、渡巻の工業用品が関わる何らかの趣味というのは、普通に 『良い趣味』 である。


「……え?」


 意味も無いことをしみじみ考えながら付け加えた秋水の言葉に、渡巻が一瞬不思議そうな顔になった。

 おっと、余計なことを言ってしまったか。

 会話を切り上げよう切り上げようと思っていても、ついついずるずると話をしてしまっている。


「私は見苦しいかどうかを判断する審美眼なんて持ち合わせてはいませんが」


「え?」


「これらの商品を説明して下さっていたときの渡巻さんは、とても楽しそうで、生き生きとされていましたね。とても可愛らしいと思いましたよ」


「かっ!?」


「ああ、重ね重ねになりますが、ネットの件は、本当にありがとうございました」


 何度目かは数えていないが、再び秋水は深々と頭を下げる。

 いや本当に、今日ここで渡巻に会わず、そしてアドバイスを貰っていなければ、安いカラス避けネットを買って、またぶちぶちと角ウサギに破られて悲しい思いをしなければならないところであった。今日買ったゴム製のネットが破られないと決まったわけでは無いけれど、それでも良いネットにレベルアップしたのは確かである。

 本当にありがたい。

 ただただ感謝である。

 そして下げた頭を上げてみれば、何故だろう、渡巻は顔を赤くしながらぱくぱくと酸欠の金魚みたいになっていた。


「あ、あ、あ、いえ、あの、恐縮です。他にもえっと、何かあれば、いつでも、その、えっと……」


「他にも……」


 目線を左右に凄い勢いで行ったり来たりさせながら、しどろもどろに渡巻は返してくれた。

 いやまあ、社交辞令であろう。

 それくらいは理解している。

 しかし、渡巻のその社交辞令に、秋水は思わず呟いて遠い目をする。


「……あの、何か他に困り事でも?」


「あー……」


 急に言葉の歯切れが悪くなった秋水に気がついたのか、アワアワとしていた渡巻は顔が赤いままではあるが、ちょっと落ち着いたのか首を傾げて聞いてくる。

 聞きたいこと、は他にも確かにあるのだが、流石に悪い気がする。

 しかし、うん、他に頼れる人が居ないのも事実である。

 筋トレを教えてくれと真っ正面から頼み込める、そんな美寧の度胸はやはり凄いのだな、と秋水は改めて実感するが、よく考えてみれば、聞きたいことがあるのならばちゃんと聞きましょう、と言ったのは秋水の方であった。

 過去の自分の発言が、ブーメランとなって頭に刺さる。

 まあ、聞くだけ聞いてみよう。


「工具を使うとき、微妙に握りにくいと言いますか、手から滑るのがどうにも気になりまして」


「……そんなときはグリップテープの出番です!」


「え?」


 何か知らないが、急に渡巻のテンションが上がった。

 なんだ、どうした。


「野球のバッドやテニスのラケットの持ち手を補修したりするグリップテープが有名ですが、土農工具用のグリップテープも存在します。それに本来はグリップテープではないのですが滑り止めテープというのがありまして、それの屋外用滑り止めテープの強力な物を瞬間接着剤を噛ませてガチガチに圧着させると超強力な滑り止めグリップテープになるんです。ただ本当に強力すぎるので絶対に作業用手袋をしないと自分の手の皮膚が危ないことになるレベルになっちゃいます。それに別方向からのアプローチになるのですが、棟区さんは手が大きいので工具が細い可能性もありますから、ゴム製のグリップを使用するのもありかも知れません。分厚めのグリップテープや補修テープがありますから、それを使って手のサイズに持ち手を合わせて、それでも滑るのが気になるのでしたら材質の問題になるので、その時はやはりグリップテープの出番です!」


 そして流れるように、すらぁ、っと説明が始まった。

 うん、ちょっと待って欲しい。

 グリップテープ、だったな。あと、滑り止めテープに、なんて?

 秋水はすっと無言でスマホを取り出して、メモ帳を起動させる。

 土農工具用のグリップテープ。屋外用滑り止めテープ。それとゴム製のグリップがなんとかかんとか。

 まずい、ほとんど聞き取れていない。

 メモ帳にたぷたぷと聞き取れた物だけ入力してから、もう一度聞き直そうと秋水はスマホから顔を上げる。

 渡巻は何故か、黙って待ってくれていた。


「なんて、えへ」


 そして、目が合うと、頬をほんのりと染めたまま、にへ、と笑う。


「……やっぱり、似合わなくないですか?」


 いたずらが成功しましたよ、みたいな顔をしているが、正直どうでも良い。

 今、絶対に、巨大バールが滑る問題の解決策を、ほとんど完璧な状態で提示してくれていた。そっちの方がめちゃくちゃ気になる。

 似合わないだと?

 知るか。似合ってるよ。楽しそうで何よりだよ。

 それは良いからグリップテープとか言う商品がなんだって?

 逸る気持ちを抑えつつ、秋水は表情を変えることなく、いいえ、と1度首を横に振る。


「素晴らしい知識量です、感服いたしました。それに、とても楽しそうで良かったです」


「えへへ、そう言っていただけて、私も良かったです」


「そして申し訳ありません。グリップテープについて、もう一度お願いしても宜しいでしょうか」


「えへ、そうですね、まずグリップテープについてなんですが……」


 説明を再度頼み込めば、渡巻は全く嫌な顔をすることなく答えてくれた。

 今度はちゃんとゆっくりとした説明だ。

 助かる。ありがたい。

 スマホのメモ帳にひたすら入力していく秋水の横で、何が楽しいのだろうか、渡巻は説明している間、ずっとにへにへと笑っていた。




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 自分の趣味の領分の話を意気揚々と口にすると、だいたいはドン引きされるか、何言ってんだコイツはみたいな感じになりがち。

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