54『デカいウサギ相手に防鳥ネットは役に立たない』
ホームセンターの工具売り場で、最近特に利用頻度が高くなっているコンビニの店員と遭遇した。
彼女とは顔見知りである。
親しいという程ではなく、本当に顔を知っている程度であるし、ただの店員と客の関係でしかない。
少なくとも、世間話に興じるような関係性ではない、はずだ、たぶん。
妙なところで出会ってしまい、ばっちり目が合ったので挨拶こそはしたものの、これ以上は会話を広げる必要もないだろう。適当に話を切り上げて、違う売り場に逃げるとしよう。
そう判断をして、それでは、と秋水は工具売り場から立ち去ろうとしたのだが。
「あ、そうだ棟区さん、昨日はありがとうございました」
思い出したかのように話を切り出してきたコンビニの店員、渡巻の方が秋水よりも口を開くのが早かった。
タイミングを逃した。
いや、まあ、別に、彼女は秋水のことをあまり怖がらなくなっているので、会話をする分には問題ないか。
「昨日ですか?」
「はい、あの、プロテインの話、参考になりました。ありがとうございました」
泣かれたり怯えられてないなら良いか、と秋水は軽く考えながら聞き返すと、渡巻はすぐに切り返してぺこりと頭を下げてくる。先程から頭下げてばかりだなこの人。
昨日はプロテインとかの話、は、したな、確かに。
とは言えど、ロクな話はしていないはずである。
ソイとホエイの違いがなんだとか、ジムでガチ目に筋トレしている人はドリンクタイプの売れ行きどうなんだろうねとか、そんなガキの戯言程度の内容だ。
そんな感謝される程じゃないと思うのだが。
「ああ、あれですね。あくまで一般人の話ですから、鵜呑みにしないで下さいね」
「あれからポップを作ったんです」
「仕事が早いですねぇ……」
素で驚いた。
ただのアルバイトでしかない渡巻が、速攻でポップ作りをしたと言うのか。秋水のあんな話だけで。
仕事の飲み込みの早さと言い、前から何となく思っていたのだが、彼女はかなり仕事が出来るタイプじゃなかろうか。
頑張りました、と小さいながらも胸を張る渡巻の頭を、頑張りましたね、と軽く撫でる。
撫でてから、やべぇ、と気がついた。
この人、年上である。
小さいなりだが、秋水より年上の先輩である。
それを、妹相手と同じようなノリで撫でてしまった。
やばい。
何故か最近、人の頭を撫でまくっているような気がする。
去年までは、そんなことなかったハズ、なのだが。
少し自慢げにしていた渡巻は、急に頭を撫でられ、きょとん、とした顔になっている。
ちなみに秋水の顔からは血の気が撤退戦を繰り広げている。
傍から見れば、大人しそうな10歳くらいの少女(高校生以上)を、凶悪面した大男(中学生)が頭を鷲掴みにしている様子である。
泣かれるかもしれない。叫ばれるかもしれない。そうなれば、お巡りさんこちらです、のコンボに繋がる未来しか見えない。
何故だろう、学校でチワワを撫でてきゃんきゃん吠えられているときは何とも思わないのに、この人に対しては罪悪感が半端じゃない。やはりあいつはペット枠の範疇を超えていないからだろうか。
「……あの?」
若干思考が現実逃避をしていると、戸惑ったような表情で渡巻の方が声を上げてきた。
ような、と言うか、本当に戸惑っている様子である。
防犯ブザーかのように店員呼び出しボタンを押される前に、秋水は無言で渡巻の頭からそっと手を離し、ついでに無抵抗を示すかのように両手を軽く上げて降参のポーズをとった。
「申し訳ありません。妹を相手にしていた癖だったんです。悪意も下心もありません」
「あ……ああ、妹さんがいらしたのですね」
驚きました、と明らかにぎこちなく笑う渡巻に、秋水はほっと一息。叫ばれなかった。セーフだ。いやアウトじゃないだけで、間違いなくセーフではない。
両手を下ろしながら、もう一度申し訳ありませんでしたと謝罪をすると、渡巻はいえいえと苦笑いをしながら返してくれた。優しい。
いつぞやチワワに、女性の髪を触るとか、みたいに怒られたが、考えてみればその通りでしかない。
発言したのがアレなので、ふぅん、くらいにしか思っていなかったが、今回は渡巻でなくてはお巡りさん案件待ったなしであった。今後はちゃんと気をつけよう、と秋水は心の中で固く誓うのであった。紗綾音は泣いても良いかもしれない。
ちなみに、夜間のジムで同じような被害に遭っているギャルを、被害者という認識すら秋水はしていなかった。
「私も妹が居るので、偉いね偉いね、ってナデナデしちゃう気持ちは分かります」
「ああ、渡巻さんにも妹がいらっしゃるのですね。姉妹仲が良さそうですね」
「はい」
言い切った。
フォローのように少し照れながら理解を示そうとしてくれる優しいその人は、自分の妹との仲の良さを疑っていないかのように、言い切った。
その自信に、若干の羨ましさを秋水は覚える。
秋水も、妹との仲が悪かった、とは思っていない。
ただ、基本的には真っ先に秋水が折れるので喧嘩こそしなかったが、それでも数え切れない程に妹を不機嫌にさせてしまったし、秋水の無神経さによって何度もブチ切れさせてしまった。
なので、兄妹仲が良かった、と言い切るには不安があるし、妹の方からは盛大にマイナスな含みを持たれていただろうことは想像に難くない。
そして、それを挽回する機会は、もう2度と、ない。
あと少しで、みんな死んでから1ヶ月なんだな、と他人事のようにぼんやり思い出し、秋水は小さく苦笑いを浮かべる。
そして、それに連動するようなタイミングで、何故か渡巻の表情も陰った。
「……まあ、身長はとっくに妹に追い越されているので、もう長いこと頭をナデナデなんて出来ていませんが」
ふっ、と急に自嘲気味な笑みを浮かべた渡巻に、不穏な感じを秋水は肌で感じた。
渡巻は目測で140㎝あるかどうか、といった位の背丈しかない。
正確な年齢は分からないが、少なくとも秋水よりは年上であることを考えると、かなりの小柄である。
しかしながら、妹の方はそうでもないときた。それはそれは、何と声を掛けて良いものか。
「あー……そればかりが仲の良さを示すわけではないですから」
「今ではもう、すっかり私が妹から頭をナデナデされる側に……」
「そ、それは、何と言うか、心中お察し申し上げます」
「と言うより、私、偉いね頑張ったね、って棟区さんから子ども扱いを受けているという意味……」
「重ね重ね誠に申し訳ありませんでした。不用意に女性の髪を触った私が悪いのです。気の済むまで殴り倒して下さい」
女性の頭を撫でてロクな事はない。
こうして秋水は教訓を得るのであった。
閑話休題。
「そうですか、防鳥ネットを……ワゴンの中身、防鳥ネットだったかな?」
若干闇堕ちしかけていた渡巻は、そういう扱いに慣れていたのか、わりとすぐに復活してくれた。
良かった。ああいうのは叫ばれたり泣かれたりするより、別の意味で厄介であった。
そして何故か、話題変換の一環で秋水の買い物目的のことを喋ってみれば、渡巻の方は何かを考えるかのように顎に手を当てて首を捻っていた。
「あの、ぼうちょうネット、とは?」
適当に話を切り上げてこの場からさっさと立ち去ろうと思っていたが、返された言葉に聞き覚えのないワードが含まれており、思わず秋水は尋ねてしまっていた。
何となく、カラス避けネットのことだろうな、とは思うのだが。
聞いてみると、はっと渡巻は顔を上げる。
「え? ああ、棟区さんの言っているカラス避けネットの総称です。カラスの他にもハトやスズメ、あとはツバメなども農作物を荒らしたりベランダを汚したりして被害を出すので、そのような鳥の侵入を防ぐ網のことを総称して、防鳥ネット、と呼ぶんです」
「なるほど。ありがとうございます。その手の知識がとんとないものでして」
「ただ、いつもの安売りワゴン、防鳥ネットではなかった気がしまして……あ、ちゃんと見てないのではっきり言えませんけど」
「まあ、その安売りのを見たのは先週くらいなので、ないかもとは思っていました」
違ってたらゴメンなさい、と頭を下げてくる渡巻に、秋水は苦笑して答える。
まあ、安売りのそれがまだあるとは、正直なところ期待はしていなかった。ただ、残ってたら良いなぁ、くらいのノリである。
しかしながら、カラス避けネットが安売りにないとなると、フルプライスでの購入が決定したということになるので、やはり残念な気持ちは出てきてしまう。
こっそりと秋水は溜息を漏らす。
「まあ、仕方がありません。あれは正規の値段で購入しましょう」
「そうですね。安売りされるかどうかは運要素ですから」
「そうなんですよね。幾つか予備も買おうと思っていたので、安売りされていればありがたかったのは確かですが、まったく」
「え?」
仕方がないですね、とぼやくように口にしてしまった秋水のそれに、渡巻が不思議そうな顔で見上げてきた。
おっと、気安い口を叩いてしまったかもしれない。
この渡巻という女性は随分と喋りやすいと言うか、思っていたよりもフランクなので、ついつい愚痴のように零してしまったが、そんなに親しい間柄ではない。コンビニの店員と、その客、という関係だ。そもそも、自分の見た目で愚痴を零すのは良くない。
秋水はぱしりと自分の口を塞いでから、いえ、申し訳ありません、と謝罪を口にする。
「あ、いえ……えっと、予備、ですか?」
しかし、渡巻の方は不思議そうな顔のままであった。
「ええ、すぐに破れてしまったので、5枚か6枚は欲しいところなのです」
「破れ、え?」
「はい?」
続いて秋水も不思議そうな顔になった。
破れたことに驚かれてしまったようだが、何か可笑しかっただろうか。
「防鳥ネットが破れたんですか?」
「はい。わりと容易く破られまして」
「え? あれってカラスが最高速度で来ても、そう簡単に千切れたりしませんけど……」
心底不思議そうに言った渡巻の言葉を、秋水は理解するのに数秒かかった。
え、あれって、そんなに頑丈だったの?
わりと簡単に角ウサギにブチブチと破られていたので、そんな強度があったとは驚きである。いや、あの角ウサギの力がおかしいだけかもしれないが。
「あ、もちろん材質や編み方、と言うか商品によるので全部が全部と言うわけではないですが……でも、カラス避けって言ってるから防虫ネットじゃないよね……」
再び何かを考えるように、渡巻は顎に手を当てて首を捻る。
恐らく彼女の素の喋り方と思われる呟きが聞こえるが、無意識なのかもしれない。防虫ネットというのも気になるが、たぶん防鳥ネットの虫バージョンのことなのだろう。
「えっと、たぶんその商品、安かろう悪かろうなクオリティなので、買ったら駄目な商品だと思います。カラス避けをするのでしたら、ちゃんとした物を選んだ方が、最終的には安上がりになりますよ」
しばらく考えた後、再び渡巻は顔を上げ、やや心配そうな表情でアドバイスを出してきてくれた。
余計なお世話かも知れませんが、みたいな感じで言っているが、普通にありがたいアドバイスである。
善い人じゃないか、この人。
ただ、問題なのは前提条件が違うと言うことか。
カラス避けネットが欲しいといったから、カラス対策だと思われているようだが、実際の用途は角が生えたウサギとか言う化け物対策である。
「ああ、いえ、違うのです。カラス避けネットとは言ったのですが、実際にカラスを相手にするわけではないのです」
「え、鳥じゃない?」
「はい。かなり体格の大きな動物相手の物なので、力任せに破られてしまうだけなのです」
「その場合、防鳥ネットじゃなくて防獣ネット以上の物を用意した方が良いよね?」
凄く不思議そうに、秋水を見上げたまま渡巻が首を傾げた。
釣られるようにして、秋水も不思議そうに首を傾げた。
なんか、また新しい単語が出てきた。ぼうじゅう、と言うことは、獣を防ぐ、ということだろうか。角ウサギを相手するにはぴったりな名前じゃないか。
いや、それ以上に気になるのは、防獣ネット 『以上』 と言う言葉。
ランク分けがされているのだろうか。
違う商品があるのか尋ねようと秋水は口を開こうとしたが、それより早く渡巻の方が、しまった、とばかりにさっと口を手で塞いでしまった。
「あ、ゴメンなさい、言葉遣い……」
「ん? 言葉がどうかされましたか?」
「う……あ、いいえ、その、なんでも、あはは……」
慌てて誤魔化すかのように首を振る渡巻に、どうしたのだろうかと秋水は1度記憶を辿ってみるも、思い当たる節はない。
なんで謝られたのだろう。
と言うか、謝ってばかりだな、この人。
「それで、申し訳ないのですが、防獣ネットと言うのは、獣避けの網、という品物ですか?」
とりあえず疑問は横に置き、秋水は改め防獣ネットのことを尋ねてみた。
ちらっと、渡巻は何故か秋水の顔色を窺うように上目遣いで見上げ、何か安心したようにほっと胸をなで下ろす。
「……そうですね。農作物などを猿や狐などの獣害から防ぐためのネットです。鳥とは違って重量のある生き物を防ぐための物なので、ただの防鳥ネットよりは頑丈なものが多いですね。防獣ネットは防鳥ネットの代わりに出来ますが、強度的に逆はほとんど役に立ちません」
「そうなのですか。もう一つ質問で恐縮なのですが、防獣ネット以上、と言うことは、ネットには何かランク分けがあるのですか?」
「あ、いえ、ランクは私が勝手に言っているだけです、ゴメンなさい。工事現場で使われている安全ネットや、落石を防ぐための落石防止ネットがあるので、それを含めてしまっただけでして……」
「なるほど。重ね重ねで申し訳ありません、その中で一番頑丈なネットはどれになりますか?」
「落石防止ネットです。墜落防止の1.5倍くらい、落下防止の2倍くらい、網の糸が太くされています。野球やサッカーなどの防球ネットとしても使用出来ますし、イノシシのような大型動物相手の防獣ネットとしても十分通用するレベルです」
なんだこの人、滅茶苦茶知識があるぞ。コンビニの従業員ではなく、ホームセンターの従業員だっただろうか。
すらすらと説明が出てくる渡巻に、ほぉ、と思わず感嘆の声が出てしまう。
一口にネットとは言っても、色々と用途があるのか。初めて知った。
カラス避けネットが安売りしていたから買っただけなので、別にもっと頑丈なネットがあるならそちらの方が良い。携帯性があまりにも犠牲となれば話は別になるのだろうが、それは実際に触って確かめてみれば良いか。
思わぬ所で凄く有益なアドバイスを貰うことが出来た秋水は、早速その売り場を見てみようと思ったが、考えてみれば、それが何処に売られているかが分からない。農作物が何とかと言っていたので防獣ネットは園芸コーナーにでもありそうだが。
これも渡巻に聞いてみれば分かるだろうか。
「ここの店は4㎜の120本編みポリエチレンネットが切り売りであるんですけど、この一帯ですぐに手に入るネットとしてはあれが最強クラスですね。それ以上となると、やはり専門の所で特注になると思います」
「そうなのですね。いや、ありがとうござ」
「ちなみに4㎜の120本編みは紐の方も切り売りでありまして、引っ張り応力に対しては凄い頑丈だったんです。滑車のロープ代わりで使用してますが、1年使っても擦り切れる気配は全くありません」
「そうなのですね。それで、売り場」
「あ、でも網の括りで言うなら一番頑丈なのはやはり金網です。道路脇の排水用にあるグレーチングも金属網の一種なので、最も頑丈と言えます、売ってませんが。確か向こうの売り場に金網ゲージがあったので、ここで手に入る中だとその商品のいずれかになると思います」
「そ、そうなので」
「ただ体格の大きな動物と仰っていたところを考えると、強化ゴムも候補に挙げて良いと思います。とにかく硬くすることばかりに気を取られがちになるのですが、最終的に千切れないようにすれば良いのでしたら、ある程度の弾力性があった方が衝撃の吸収が可能です。強化ゴムのネットで一番強靱なものと言われるとぱっと思いつかないのですが幾つか商品自体はあちらの売り場にあるのでそれを比べてみれば用途に合わせて選択が可能ですね」
どうしよう。
いや、どうしちゃったんだろう。
喋らせてくれない。
何故だかどんどんと目を輝かせ、それに比例するようにどんどんと早口になってきた渡巻に気圧されるように、秋水は黙り込んでしまった。
向こう、とか、あちら、とか言っているが、その売り場が何処かを聞きたいのだが、口を挟む隙間がない。
どうしよう。秋水は何やら、入れてはいけないスイッチを入れてしまったのかもしれない。
「それで言うならバイク用品売り場にあるツーリングネットも面白いですよ。弾性と剛性のバランスが取れていますし何より比較的安価に揃えられます。ただ編み目の大きさが比較的に大きいので動物の体格によっては簡単にすり抜けられてしまう可能性が、ああ、体格が大きいのでしたねゴメンなさ……」
どうしようかな、と秋水が困っていると、急に渡巻が口を閉ざした。
あ、止まった。
マシンガントークが急停止したので、改めて渡巻を見下ろしてみると、一瞬だけぽかんとした表情になったその顔が、徐々に赤くなってきた。
羞恥の色だ。
分かる。
分かるぞ。
自分の得意分野でテンションが上がって喋り出し、相手がドン引いているのを見て冷静になること、あるよね。
いや、別にドン引いているわけではないのだが。反応に困っていたのは事実だが。
ゆっくり染まった顔が真っ赤になってから、渡巻は油の切れかけた機械のように、ぎこちなくゆっくりと俯いた。もはや耳まで赤くなっていらっしゃる。
「ご……ごめんなさい……」
「……いえ」
何を言っても逆効果になりそうな状況下、秋水は静かに一言返すのが精一杯であった。
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意気揚々と喋っていたオタクが急に我に返ってしまったときのあの雰囲気、あれ以上にいたたまれない感じはなかなか無いですよね……(;´Д`)
ちなみに、秋水くんは家族が死んだことを特に自分は悲しんでいない、と思い込んでいますが、実際のところは……
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