53『エンカウント』

 最後までベントオーバーロウを体得出来ず、しょんぼりしたまま帰る美寧を見送ってから、秋水は改めて自分の筋トレに励んだ。

 美寧はモチベーションが高いというか、やる気が前面に出過ぎで前のめりになっているというか、ただ、その鬼気迫るくらいの熱量は秋水のやる気にも火が付くようである。

 ヒップヒンジや背中のストレッチを教える過程で、秋水の背面もかなり温まっていたので、今日は美寧と同じく背中の日とすることにした。本来であれば足を責めるつもりであったが、予定変更である。

 ダンベルを使ってベントオーバーロウとワンハンドロウイング。

 バーベルを使ってデッドリフト。

 マシンを使ってTバーロウとローロウとラットプルダウン。

 それらをぐるぐると順番に回ってから、最後のシメにケーブルマシンでケーブルロウイング。

 本日は正に背中祭りと相成った。

 筋肥大を狙うなら分割法より全身法、という意見もあるだろうが、筋トレそのものが趣味である秋水からしてみれば、背中祭りで大満足の内容であった。











 そして家に、と言うかセーフエリアに帰った秋水は、美寧と同じようにしょんぼりとしていた。

 ジムが終わった頃には日は昇っていて、家でシャワーを浴びて栄養補給をして、一眠りしようと寝間着に着替えてから時計を見れば、8時である。

 今日は昼から予定があるのだ。

 それを思い出し、しょんぼりとしていた。

 行きたくねぇ。

 気持ちはこの一言に尽きる。

 まあ、昼からの用事をすっぽかしたりすれば、後で何をされるか分かったものではないので、行かざるを得ないのだが。

 軽く溜息を吐いてから、秋水は枕元に置いてあったアイマスクを手に取った。











 起きても10時。おはようございます。

 セーフエリアにて、いつものように短時間だが爽快な目覚めと共に体を起こして、布団の上で秋水はぐいっと思いっきり伸びをする。

 背中をみっちり動かしたせいだろうか、肩甲骨の動きが絶好調である。僧帽筋や広背筋などの背中の筋肉がパンプアップしていたのも、どうやらピークを過ぎたみたいである。

 寝起き直後だというのに、相変わらず頭はぼんやりした感じはせず、はっきりと冴えている。

 よし、と布団から起きた秋水は、寝間着から私服に着替え、プロテインをポーションで割り、それを流し込んでからバナナをもごもごと食べ、梯子を上がって庭のテントへと上がる。

 寒い。

 日は昇っているにも関わらず、はぁ、と息を吐けば白色ブレスへと早変わりする程度には、寒い。

 そう言えば寒波がどうとか、天気予報のサイトに書いてあった気がする。

 今日は一日寒いのか、と残念に思いながら、秋水はもう一度セーフエリアへと下りて身支度を始めた。

 空のペットボトルにじゃばじゃばとポーションを汲み、今までちまちまと回収していた角ウサギのドロップアイテムである白銀のアンクレットをまとめていた袋を手に取って、愛用のリュックサックに雑に入れる。

 入れてから、ドロップアイテムはいくつ集まってたかな、と疑問を抱いたものの、まあいいや、で終わらせた。

 それから、2階へと下りる入り口の扉に掛けていたハンガーからコートを取って、ばさりと羽織る。

 コートやら制服やらを吊したハンガーを掛けられてしまい、すっかり生活臭が滲んでしまった残念な岩の扉ではあるが、ちらりと見れば日本語でも英語でもない、どこの国の文字かも分からない模様のようなものの一部分が目に入る。

 ダンジョンの2階、角ウサギが出待ちしてくれている不思議なフロア、その奥で見つけた扉と、ほぼ同じ文字である。

 あの部屋の奥は何があるのだろうな、と思いつつ、秋水はリュックを背負い上げた。

 昼の用事の時間まで、まだ猶予がある。

 たぶん、このまま行っても問題ないのだろうが、まずは先に秋水の私用を済ませることにする。

 お買い物である。











 流すように自転車を漕いで、目的の場所まで30分程かかる。

 道のアップダウンはあまりなく、なだらかな道のりなので距離のわりには苦は少ない。

 ただ秋水としては、負荷が足りない、という頭のおかしな感想を抱いてしまう経路であり、思いっきり自転車を漕いで15分程で到着となった。高校生になったら原付バイクが欲しいと思っているのだが、傍から見たら必要なさそうである。

 広い駐車場の片隅にある駐輪場に自転車で乗り入れ、秋水は軽く息を吐く。

 7割方は赤信号に捕まってしまい、思った以上にスピードを乗せられなかった。ペダルを一番重くした状態で、最高速度に乗ったな、というタイミングで赤信号に尽く捕まってしまった。今日は運が悪い。

 移動時間を半分にしたと言うのに、秋水的には本日のサイクリングはいまいちである。

 まあ、それなりの運動にはなったか。

 そう自分を納得させながら、秋水は自転車から降りてスタンドを立てる。ジムで筋トレしまくって半日も経っていない人間の感想ではない。


 到着したのは、ホームセンターだ。


 代わり映えは特にない、いつものホームセンターである。

 つまり、バールやら、巨大バールやら、ハンマーやら、ダンジョンアタックの装備品の主な購入先である。

 そして今日の主な用事も、それである。

 具体的には、カラス避けネットである。

 角ウサギにより、あっという間にビリビリにされたので、その補充だ。悲しい。

 あれはお試しだったし、使えるかどうか分からないからとりあえずで買っただけだし、今から耐久性がありそうなちょっと良いのを買うし。

 まるで言い訳のような、もしくは負け犬の捨て台詞のようなことを考えながら、秋水はホームセンターの入り口へと向かう。

 まずは、資材売り場だ。

 いや、正確には、資材売り場側にある、工具売り場の方である。

 別に何か買うわけではない。メイン武装であるバールの予備はまだ家にあるし、巨大バールも今のところ2本あったら十分だ。武装面に関しては、今のところ新しいのは必要としていない。

 ただ、使えそうな物はないかのチェックである。

 元より、角の生えた巨大なウサギを殺すために使う、と言う本来の用途とは全く違う使用目的だ。実物を見て、手に取って、どうやってダメージを負わせるか、どうやって殺すか、をじっくり考えなくてはいけない。必要なのはインスピレーションだ。

 そういう意味では、カラス避けネットは正解だった。

 複数体を相手にするときは、短時間でも1体を足止め出来るというのは大きい。

 正規の使い方ではなくとも、使い方次第ではダンジョンアタックの役に立つものが他にもあるかもしれない。

 そういう期待を込めて、工具売り場へと足を踏み入れた。考えていることは完全にサイコパスだった。

 さて、何から見ようか。

 バールのように直接的にダメージを与える武器も良いが、今はむしろカラス避けネットのように角ウサギの行動を阻害出来そうな品に興味がある。もちろん、新しい武器になりそうなのもあれば良いのだが。

 何かないかな、と秋水はまず売り場をぐるりと見渡した。


 小さい子がいた。


 後ろ姿だが、少女のようであった。

 子どもか。

 自分も中学生という子どもであるが、小学生くらいの年が離れている子どもらしき姿を確認した秋水は、む、と僅かに眉間にシワを寄せてしまった。

 不機嫌というわけではない。

 困ったな、という感じだ。

 かつて妹から不機嫌そうに見えると言われたことを思い出し、秋水はすぐにシワを寄せた眉間に手を当ててぐりぐりと軽くほぐした。

 今日は土曜日だ。

 学校は休みである。

 まあ、小学生がいたって不思議ではないだろう。


「参ったな……」


 秋水は呟きながら、ちらりと他の売り場へと視線を走らせる。

 両親らしき大人の人影はない。

 少女1人か。

 はぁ、と秋水は溜息を1つ。

 駄目だ、自分が近づいたら怖がられる。

 他人から怖がられやすい風貌や体格をしていることを認識している秋水にとって、子どもかつ女性、と言う最悪な相性である存在に、自分からのこのこと近づいて行くという選択肢は存在していなかった。

 別に秋水がなにかしようとしていなくても、秋水の姿を見て、怖がられたり、泣かれたり、そんなことになるのは日常茶飯事だ。

 少女の方とて、せっかくの休日にこんな図体のデカい極悪人みたいな奴は見たくもないだろう。

 他の売り場に行こう。

 園芸コーナーの道具でも見てみるか、と秋水は商品棚に隠れるように身体を屈め、こそこそと工具売り場を離れようとする。

 しかし、工具売り場に、少女が独り。

 珍しい。

 前にもこの工具売り場で、紗綾音とか言う子犬系女子が独りでちょろちょろしていることがあった。あの時はまだ秋水を警戒していたのか、他人行儀だったなと思い出し、それでもぐいぐい来るという点では同じだったなとげんなりする。

 ただ、紗綾音は工具が分からずにただただ困り果てていた感じであったが、あの少女は違う様子だ。

 カゴを持ち、商品棚に向かって、はっきりと品を吟味している感じであった。

 どこぞのチワワへ当て擦るつもりはないが、小学生の方がしっかりしてるんじゃなかろうか。

 秋水は小さく笑ってから、そう言えばあそこはネジとかのコーナーだったよな、と思い、工具売り場を通り過ぎる前にちらりと少女の方へと目をやった。




 目が、合った。




 やべぇ。

 カゴ持っていた少女は、商品棚の方から目を離し、秋水の方へと顔を向けていた。

 秋水が入って来たことに気がついて目を向けてきただけだろうか、もしくはふと視線を上げただけとかいうただの偶然だろうか、それとも体を屈めてこそこそしている不審者を発見したからだろうか。

 3番目な気がする。

 何故かこっちを見てきていた少女とばっちり視線がかみ合ってしまった秋水は、ぴたりと歩みを止めてしまう。

 やべぇ。

 そのまま通り過ぎれば良かった。

 距離は、わりと近い。顔はばっちり見えている。

 一瞬肝が冷えるような感覚を味わいながら少女の顔を確認して、おや? と秋水はすぐに疑問符で思考が切り替わる。

 視線を向けていた少女も、あ、と驚いたように口を開けていた。

 驚いたよう、とは言っても、それが悲鳴に置き換わるような驚き方ではない。


「あ、と……?」


 戸惑っているその声も、聞き覚えがある声だった。

 もちろんながら、少女の顔も、見覚えのあるものだった。

 ああ、いや、少女ではない。

 どこぞのリサイクルショップの店長相手と同じ勘違いをしてしまった。

 あのリサイクルショップの店長である祈織もかなり背丈が小さいが、それよりも小さいので、また勝手に小学生くらいだと思ってしまったが、この少女、ではない、この女性は秋水よりも年上のはずである。

 なんか、変なところで出会ってしまったな、と思いながら、秋水は屈めていた体をゆっくりと起こす。


「……こんにちは、奇遇ですね」


 そして諦めたかのように、もしくはこそこそしていたのを無かったかのように、秋水は落ち着いた声で挨拶をしてぺこりと頭を下げた。

 対して女性の方は、慌てて返すように頭を下げてきた。


「あ、こ、こんにちは」


 背丈は140あるかどうかというミニマムサイズ。

 腰まで伸ばしたストレートの黒髪。

 驚きの色があるその顔は、愛嬌のある可愛らしさが残っている。

 見知った顔だ。

 ただ、彼女を見て、秋水が一瞬誰だか分からなかったのは、その格好のせいである。

 深く青い、落ち着いた色のダッフルコートを着ている彼女の姿は、秋水がいつも見慣れていた服装ではなかったので、遠目で見ても、そして近くで見ても、誰だっけな、となってしまった。

 彼女が顔を上げると、持っていたカゴから、がさりと音が鳴る。

 思わずそのカゴの方へと視線を向けると、そこには防錆潤滑剤のスプレーや、ボルトやらナットやらが数種類、そして紙ヤスリが何枚か入れられている。

 何と言うか、玄人向けのラインナップである。

 秋水の視線に気がついたのか、彼女の方は、はっ、とした顔になり、すぐにカゴを自分の背後に隠すように回してしまう。

 しまった、無遠慮に見てしまった。

 流石にデリカシーがなさ過ぎだ。


「ああ、申し訳ありません。つい目に入ってしまいまして」


「あ、いえ、こちらこそゴメンなさい。色気も何にもない買い物で、ははは……」


 変な物を見られてしまったと、若干顔を赤らめながら彼女は乾いた笑いを漏らす。

 40㎝以上も背が高い、筋肉質な悪人面である秋水を見て、怯える様子がまるでない。

 順応性が高いと言うか、度胸があると言うか、ある意味いつも通りなその反応に、秋水は改めてほっと胸をなで下ろした。

 よかった、本物の小学生の女の子じゃなくて。

 重ね掛けで、よかった、自分を怖がる人じゃなくて。


「ええと、あ、そうだ、お客様も今日はお休みな……あ、ここお店じゃない……」


 話題を変えようとしたのか、彼女の方から話を切り出そうとするも、秋水を何と呼んだら良いのか分からず困ったように口をもごもごとさせてしまう。

 そうか、秋水の方は彼女の名字を知っているが、向こうは秋水の名前など知っているわけがなかった。


「そう言えば、今までは私が一方的に呼ばせて頂いているだけでしたね。申し訳ありませんでした」


「あ、いいえ、私の方こそゴメンなさい。昨日あれだけ色々と教えて下さったのに、名前も聞いてなくて……」


「いえいえ。私は棟区と申します。以後、お見知りおきの程を」


「あ、よ、よろしくお願いします、棟区さん」


 改めて秋水は名字だけを名乗りながら、ぺこりと頭を下げる。

 そしてやはり、彼女の方はあわあわとしながら返事のように同じく頭を下げてきた。遅れてガサガサと彼女の持っているカゴから音が鳴る。

 お互いに顔を上げれば、すっかり緊張感のようなものはなくなったのか、にへ、と彼女の方が小さく笑い、秋水も安心したように一息つけた。




「ああ、やはり制服姿じゃないと、何か変な感じがしますね、渡巻さん」




「私も、コンビニ以外で常連さんに会うのは初めてです、棟区さん」




 彼女は渡巻。

 秋水がよく利用しているコンビニの、アルバイト店員だ。




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 お店の人とお店の外で遭遇しても、気がつける自信がありません(;´Д`)

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